HOME  翻訳作品   

ありふれた話

ナサニエル・ホーソーン


白髪の勇士




 かつてニューイングランドが、革命の危機以上の大問題に軋んでいたときがあった。艶王チャールズの後継者、偏屈なジェームズ二世は、全植民地の勅許状を無効にし、節度のない荒くれ兵士を送り込んだ。特権を奪い去り、信仰を危険にさらそうとした。エドモンド・アンドロス卿の行政は専制そのものであった。総督、議会、王から与った事務所、全面的な自治。すぐには民衆の賛同を得られなかったが、議員によって法が作られ、税が課せられた。市民の私的な権利は踏みにじられ、土地の名義は取り消された。不満の声は出版物の規制によりかき消された。傭兵の一軍が自由の国にやって来て、ついに不満は鎮圧された。二年の間、我々の祖先たちは、常に変わらぬ母国への忠誠心から、無言で服従し続けた。トップが議会であろうと護民官であろうとカトリック司教であろうと。だがこうした不遇の時代を迎えるまで、忠誠は名ばかりのものだった。入植者たちは自身の規則を定め、大英帝国の母国人以上に自由を謳歌していた。
 ついに、オレンジ公が腰を上げたという噂がアメリカにも届いた。市民と宗教権の勝利・ニューイングランドの救済。だが懸念もささやかれた。間違いではないのか。あるいは企ては失敗するかも知れない。どちらにしても、ジェームズ王に逆らったその男は首を切られるだろう。それでも、報道は著しい効果をもたらした。人々は通りで不可解な笑みを交わし、圧制者たちに傲慢な視線を投げかけた。国中が、静かで控えめな興奮に包まれていた。わずかなきっかけが、国中を絶望から立ち上がらせたようだ。危険に気付いた支配者たちは、力を見せつけることで危機を回避しようとした。できることならさらに厳しいやり方で専制を強めようとしたのだ。一六八九年四月のある午後、エドモンド・アンドロス卿と取り巻きの議員たちは一杯やりながら、総督警護の兵士たちを集め、ボストンの町に姿を現した。行進が始まったのは、陽も低くなった頃だった。
 不穏な局面の中、ドラムの響きが町を通り抜けていったようだ。兵士の軍歌というよりも、住民たちを呼び寄せているようだった。様々な通りを抜けて住民たちはキング・ストリートに集まった。そこは運命の場所だった。ほぼ一世紀のち、イギリス軍と、その圧政と戦う人々が出会う場所だ。最初の移民がやってきてから六十年以上が経っていたが、子孫たちは強固で厳粛な特徴をいまだ残していた。おそらくそうした特徴は、平時よりもこうした有事のときにより際立つのだろう。落ち着いた見かけ、決まって厳粛な物腰、暗いが臆しない表情、聖書を引用した会話、信念に基づく神の祝福に対する確信。これが荒廃の危機に襲われた際の、当初の清教徒たちの特徴だ。古の精神は確かにいまだ失われてはいなかった。その日の通りには、木々のもとで祈りを捧げる人々がいた。人々の前には神のために建てられた教会がある。神のためにこうして異郷で暮らしている。議会の老兵たちは、スチュアート家に対して新たな一撃をお見舞いするかも知れぬという考えに、にやりとしていた。ここにはキング・フィリップ戦争の老雄たちもいた。彼らが狂信から村を焼き老若を虐殺しているあいだ、国中の信仰心篤い祈りが兵たちを後押ししていた。群衆の中には牧師もいた。その姿自体に神聖さが宿っているかのように、ほかの群衆とは違う敬意を表されていた。聖職者たちは人々を鎮めることはできたが、解散させることはできなかった。一方、小さな騒ぎを広げることで町の平和を乱そうという総督の目的は、目下の議論の的であり様々な解釈が聞かれた。
「間もなく悪魔が腕をふるうのだ」誰かが叫んだ。「自分の時代が来るとやつは知っているんだ。我々神の子はみな牢獄に引きずり込まれるぞ! キング・ストリートの憤怒をスミスフィールドのやつらにも見せてやれ!」
 ここにおいて、各教区の人々は牧師の周りに集まった。牧師は静かに上を向き、気高い使徒の役目を胸に思った。教会の最高の栄誉に志願するにも等しい、殉教者の栄誉を。この時代にはこれが好まれた。ニューイングランドにも、ジョン・ロジャースが現れるかもしれない。火刑にふさわしい場所となるのだ。
「教皇が新たなるサン・バルテルミの命令を出したぞ!」別の誰かが叫んだ。「我々は虐殺されるんだ、男たちはな!」
 流言はどちらもまったく疑われなかったが、より賢明な人々は総督の目的がそれほど残忍なものではないと信じていた。旧勅許状のもとでの前任者、ブラッドストリートは最初の移民たちのよき友人で、町にいることは知られていた。エドモンド・アンドロス卿が、軍事力を誇示して即座に恐怖を植えつけたがっている、あるいは軍隊を自分のものにして反対派を混乱させたがっている、と推測する根拠はあった。
「元総督のために断固戦おう!」その考えにとらわれながら群衆が叫んだ。「ブラッドストリート元総督!」
「子供たちよ」尊き人が議論を終わらせた。「慌てるな。声を鎮めよ。ニューイングランドの幸せのために祈りなさい。神が何をしてくれるかじっと待つのだ!」事態はすぐに収った。それまでコーンヒルから近づいてきていたドラムの響きは、さらに大きく太くなっていた。家々にこだまが残った。軍隊が歩く規則正しい足音が通りにあふれている。歩兵の一隊が姿を現し、道幅いっぱいに陣取った。火の点いた銃を担いでいたため、薄闇の中に火の列が見えていた。一糸乱れぬ行進は、何もかもを否応なしに蹴散らす機械の行進のようだった。次いで、舗道に入り乱れる蹄の音がゆっくりと動いている。乗っているのは騎士の一団だ。中心にいる人物が、エドモンド・アンドロス卿だ。年老いてはいたが、兵士らしく背をピンと伸ばしていた。周りには取り巻きの議員たちがいた。ニューイングランドの憎むべき敵たちだ。右手にいるのは大敵エドワード・ランドルフ。コットン・メイザーに「呪うべきやつ」と呼ばれた男だ。古くからの政府をまんまと失脚させ、墓に行くまで一生呪われた人物。反対側にはブリヴァンがいた。彼がいると冗談や茶番が絶えない。ダドリーは伏し目がちにあとからやって来た。無理もないことだ。人々の憤慨した視線に出会うことを恐れていたのだ。みなが彼を見ていた。母国を制圧する唯一の同国人を。停泊しているフリゲート艦の艦長と、二、三人の士官たちもいた。だがもっとも群衆の目を引きつけ、深い感情を揺り動かしたのは、キングス礼拝堂から来た国教会の牧師だった。僧服を着た治安判事に挟まれ傲慢な様子でまたがっていた。高僧・迫害のしかるべき代表者、教会と国家の同盟、清教徒を不幸へと追いやったあらゆる憎悪。衛兵として歩兵が連れられていた。
 すべては、ニューイングランドの現状を描いた一幅の絵だった。物事の本質・国民の品性から生まれたわけではない政府の欠陥、寓意があらわだった。一方には悲しげな顔をして黒い服を着た敬虔な群衆、また一方には圧政を敷く支配者の一群。中央には牧師、胸に十字架を下げているのがそこかしこで見られる、豪奢な服装、ワインでほてった顔、権力を笠に着た不当な驕り、住民のうめきをあざ笑っている。通りを血で染める命令だけを待っている傭兵たちは、服従させる唯一の手段を誇示していた。
「父なる神よ」群衆の中から叫びが聞こえた。「あなたの民に勇士をお与えください!」
 この叫びがきっかけとなり、勇士を迎えようと声が張り上げられた。群衆は退き始め、今では道の端近くに集まっていた。兵士たちは三分の一ほどしか進んでいない。両者の間がぽっかりと空いた――何もない舗道、そびえ立つ建物の谷間に、夕暮れの光が影を落とした。突然、古風な人影が現れた。群衆の中から現れたように見える。通りの真ん中にひとりで歩いてゆくと、軍隊と向き合った。黒いマント、とんがり帽子、少なくとも五十年前の清教徒の服装だった。腰には重い剣を帯びていたが、年で震える足取りを支えるため手には杖を持っていた。
 群衆から少し離れたところで、老人はゆっくりと振り向き、古風にも威厳のある顔を見せた。胸まで垂れた白い髭のせいで、さらに神聖に見える。鼓舞と警告の合図をするとまた向きを変え、歩みを進めた。
「あの長老は誰です?」若者が父に尋ねた。
「あの神々しい同胞は誰だ?」老人が自問した。
 だが誰も答えられなかった。八十歳以上の老人たちは不思議な思いに戸惑っていた。こんな聖者を忘れるはずがない。最初期を共にしたウィンスロップの同胞に違いない。最初の議員であり、法を作り、祈りを捧げ、未開の人々を導いたのだ。初老の人々だって忘れるはずはない。若かった頃、白髪の男がいたはずだ。今の彼ら自身のように白い髪の男が。そして若者は! 記憶からすっかり抜け落ちてしまうことがあるだろうか――遙か昔の面影が? 幼い頃に白髪の長老が、むき出しの頭に祝福を授けてくれたことは?
「どこから来たんだ? 何をするんだ? あの老人は誰なんだ?」不思議がる群衆の間からささやきが聞こえた。
 杖を手にした聖者はその頃、通りの中央へとひとり歩き続けていた。兵士の行進に近づいたとき、ドラムの響きが耳に鳴り響いた。すると老人は、老いが背中からはがれ落ちたように、厳然と身を起こした。髪は白いままだったが、非の打ち所のない威厳があった。そして今、軍隊の音楽に合わせ勇士のように歩みを進めていた。老人が進んださきには、全兵士と治安判事がいた。その距離が二十ヤードばかりに近づいたとき、中程で老人は杖を握り、職杖のように前に据えた。
「止まれ!」老人は叫んだ。
 目、顔、命じた態度は厳かだが、声には軍人の響きがあった。戦場で軍を指揮するにも、神に祈りを唱えるにもふさわしい、魅力的な声だった。老人の言葉と広げた両手で、ドラムの響きはたちどころに止み、行進は静かに止まった。熱狂のおののきが大衆をとらえた。古風な衣服に身を包んみ、白く、ぼんやりと見えている。指導者と聖者の威厳を併せ持つその姿は、聖なる勇士だけのものだ。圧制者のドラムが、勇士を墓から呼び寄せたのだ。みなは畏怖と歓喜の叫びをあげ、ニューニングランドの解放を心に願った。
 予期せぬ抵抗を目の当たりにした総督たちは、急いで前に出た。鼻を鳴らし驚きを示す馬を押し出すようにして白髪の亡霊の真向こうに歩を進めた。だが老人はひるむことなく、半ば取り囲んでいる兵を厳しい目つきで見つめ、最後にエドモンド・アンドロス卿に厳しい視線を向けた。そのおぼろな老人がその場を支配しており、後ろに兵を従えた王の力と権威を象徴する総督や議会は服従せざるを得なかった。誰もがそう感じただろう。
「この老いぼれは何者だ?」エドワード・ランドルフが猛々しく叫んだ。「エドモンド卿! 前進の命令を。やつの同胞と同じ目に遭わせてやりましょう――どけるか、踏みつけられるか!」
「いや、いや、我々に敬意を払わせなければ」ブリヴァンが笑いながら言った。「わからないか? ありゃあ円頂党の高僧さ。三十年ばかし眠ってたもんだから、時代が変わったことも知らないんだ。間違いない、オールド・ノールの名のもとに俺たちを鎮めようとしてるんだ!」
「気は確かかな、ご老体?」エドモンド・アンドロス卿が荒々しく尋ねた。「よくも行進を止めてくれたな? ジェームズ王直下の総督の行進だぞ」
「かつては、王自身の行進を止めたのだ」白髪の人物は厳かに答えた。「私がここにいるのは、総督閣下。虐げられた人々の叫びが安穏をかき乱したからだ。神に恵みを乞うのが聞こえ、聖者の善意から私はふたたび地上に現れることを許された。ジェームズがどうした? もう長くはないよ、あのカトリックのイギリス王も。明日の昼にはその名も笑いの種だろう。そなたたちがおそろしい命令を下したこの場所も。去れ、総督よ、去れ! そなたの権力も今夜まで――明日には監獄だ――死を告げられる前に去るがよい!」
 人々は近くに引き寄せられ、勇士の言葉に聞き入っていた。老人の話す言葉には、もはや使われなくなったアクセントがあった。話し慣れていない人のようだ。何年も前に死んだ人が使っていたアクセントだった。だが老人の声は心を動かした。人々は完全武装の兵士と対峙し、通りの石を武器にしようとし始めた。エドモンド・アンドロス卿は老人を見た。それから激しく残忍な目を群衆に向け、不気味な憤りに燃えている人々をねめつけた。たきつけるのも火を消すのも難しかった。ふたたび老人に目を向けると、老人の周りにはぽっかりと空間があり、敵も味方も入り込めなかった。何を考えていたのかわかるような言葉は一言も発しなかった。だがそれでも、総督は白髪の老人に畏れを抱いたし、人々の脅迫的な態度の中に老人の怖さを感じた。総督が後ろに退がり、兵たちにゆっくり慎重に退却するよう命じたのは確かなことだ。次の日の日没を待たずに、総督と高慢な兵たちはみな捕虜となった。まもなく、ジェームズが退位し、ウィリアムが王となったことがニューイングランドに知れ渡った。
 だが白髪の勇士はどこに? 何人かはこう言っている。軍隊がキング・ストリートから去ると、人々は後ろの方にガヤガヤと群がり始めた。老いた総督ブラッドストリートが、さらに年老いた人物を抱擁しているのが見えた、と。大まじめにこう言っている人もいる。みなが老人の気高い威光に驚いていると、老人の姿が薄れ始め、黄昏の中に溶け込んでしまった。老人が立っていた場所には、誰もいない空間が広がっていたという。だが一致しているのは、白髪の人物がいなくなったということだ。その時代の人々は、老人がふたたび現れるのを昼も夜も待っていたが、二度と見ることはなかった。いつ死んだのか、どこに墓があるのかもわからなかった。
 白髪の勇士は誰なのか? 彼の名を裁判所の記録に見ることができるかもしれない。裁判所というものは、後世のために当時の膨大な判決を記録している。君主への謙虚な教訓と臣下への高潔な手本のためだ。こう聞いている。清教徒の子孫が、祖先と同じ勇気を見せるとき、その老人はふたたび現れる、と。八十年後、彼はふたたびキング・ストリートを歩んだ。五十年後の四月のある朝、薄闇の中を、レキシントンの教会堂にある芝生の上に立っていた。今ではそこに、スレートの平板を嵌め込んだ花崗岩の尖塔がある。革命の戦死者を祀ったものだ。我々の父がバンカーヒルの胸壁で戦っていたとき、年老いた戦士が一晩中歩き回っていたという。ふたたび現れるまで、どのくらいかかるのだろう! 彼が現れるのは暗く、不遇で、危難の時だ。だが暴君が国内を独裁したり、侵略者が土地を汚しにやって来ることがあれば、白髪の勇士はふたたび現れるだろう。彼こそはニューイングランドに受け継がれる勇気なのだから。危難の直前に現れる老人の歩みは、ニューイングランドの住民たちの正当性を主張する証なのだから。






 この翻訳は、Nathaniel Hawthorne"TWICE-TOLD TALES"(ナサニエル・ホーソーン『ありふれた話』)の中の一編、'THE GRAY CHAMPION'を訳したものです。
 このテクストのコピー・改変・二次利用等、ご自由になさって結構です。




  HOME  翻訳作品    進む