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死者の誘い〜The Return〜
ウォルター・デ・ラ・メア
第一章
アッタロスの庭に薔薇を求めたり、廃園に可憐な花を求めたりしてはならない。悪いものなどまずないのだから、他者こそが悪なのだ。近づいて悪に誘われたり、腐敗の影に危険をさらしてはならない。
トマス・ブラウン卿
九月の穏やかな金色の昼下がり、アーサー・ローフォードがいつの間にか迷い込んでしまった教会の境内には、いつも通りの緑とさわやかな静寂が満ちていた。静寂は陽の光のように鋭く柔らかで――蒼く冷たい陽光が満ちている。墓石の向こうで駒鳥が歌い、大自然の静けさの中いたずらにさえずっていた。ほかの生き物といえば、色白で、透明というわけではないが、無気力なローフォード自身だけのようだった。鳥の声に顔を上げると、深閑とした境遇に満足しながらもどこか疑り深げな様子で一瞥した。自分の長患いが妻をいらいらさせていると感じたこともあって、こうした孤独な散歩を好み始めたのだが、すっかりよくなった今は、自分がいない方が妻の心も休まるだろうと、静かな小径に導かれるまま当てもなく家を出てぶらつく気になったのだ。ここ数日のあいだ鬱いだ気分がわき出ていたのだが、いつの間にかウィダーストーンの静閑な闇を見下ろしているのに気付いて、ひどく落ち込んだ様子で目をあげると、かすかに皮肉を帯びた笑みを浮かべた。
病後にありがちな不安なためらいを感じ、墓地に足を踏み入れるのを躊躇した。だが一度足を踏み入れてしまうと、また戻ってくると考えるのも気が重くなり、もう夜が近づき、一日も終わりに近づいているという差し迫った予感だけを感じていた。傘を引きずりながら草だらけの小径を進んだ。古ぼけた碑文を読むためあちこちで立ち止まる。濃い緑に覆われた墓石が少し気になって顔を近づけた。軽い病のあとの、長くつらい回復期の間にはよくあることだ。理解不能な自責の念に襲われたような束の間の感覚。こうしてぼんやりと過去――いわばローフォードの人生からは見えなかったもの――に思いをはせると、いまだかつて考えたこともないものが横たわっている。少年時代、いったいどれだけ発作的な行動に突き動かされたことだろう。深い空想の中に落ちていったものだった――魚みたいな白昼夢の発作だ。少年時代をとっくに過ぎても、いったいどれだけのあいだ、遙かな思いや儚い空想に耽ったことだろう。安寧が突然破られたときには、架空の出来事のようにも思われるのだが、不思議にも脳裏をいつまでも離れなかった。今また古い体質が永い眠りから揺り動かされ、去っていた病が半開きにしていた門を抜けて、ぶり返してきたのだ。
「だがみんな同じじゃないか、気づきさえすれば」そう言って自分を元気づけた。「ぼくらは夢想を胸の中にしまっておく。そういうことだ。何が起ころうと口にしたり行動を起こしたりしながら何年でもやり続けける――それも夢中で」――挑むような表情を浮かべると、背の低い鐘突堂を眺めた――「そして、何の理由も前触れもなく落ち込み、何もかもがどうでもよくなる。いったい何の意味があるのかわからなくなるんだ」一瞬のあいだ、風変わりにも浮世を離れてしまった人生に記憶が戻った。幸いにも、妻にはこうした症状を話したことはない。こんな古くて寂れた墓地をうろついているのを見たら、シーラはどんなに驚くだろう。心を静めて感情を殺しながら、濃い眉を上げることだろう。ローフォードは笑みをもらしたものの、少し困惑もしていた。だがシーラのことを考えることで、その夜の散歩に冒険の趣が加わった。
いまは何も考えずに、背を丸めてあちこち歩いた。かすかな気怠い空想も、太陽の光が地面の枯れ葉や枯れ草を輝かせるほどには、心をかき乱しはしなかった。体を動かしもう一度顔を近づけさえした。
旅人よ、しばしとどまれ
この人知れぬ暗室に
かつて生けとし命が
今はここに眠る
祈れ、審判のために
永遠の安らぎを!
「だがなぜ安らかだとわかる?」ローフォードはへぼ詩を見つめてやっと聞き取れるほどに疑いを口にした。にもかかわらず、ささやきはこだまして神経に障った。丸い苔石と棘だらけの茨のほうに視線をさまよわせたときのことだ。ローフォードは自分のことを退屈な人間だと思っている――少なくとも人はそう思っているようだし――ふざけているときでさえ滅多にくつろいだ気にはならなかった。それに、こんな疑問こそがどんどんつまらなくなってくる。気が利くのが流行るご時世では、誰もがみな気が利いている――本当の愚か者さえ。気が利くというのは結局のところ退屈なだけのことが多い。うわべだけで中身がないのだ。気怠そうに向きを変えると、反対側にある小さな十字架型の石を見た。
アン・ハードここに眠る。産床で死せり。
息子ジェームズと共に
ローフォードは悲しみに沈んでその碑文をつぶやいた。「そう――そうだ。まさにそんなものさ!」……静かにあくびをした。小径は行き止まりだった。向こうには草がはびこり、人目につかない盛土がいくつかある。傷だらけの古いオークの腰掛には、常緑の糸杉と、赤い実をつけた櫟が影を落としている。頭上の薄暗い天空には、銀毛みたいな雲が漂っている。刈田と牧草地が穏やかに広いカーブを描いている。ローフォードは虚ろな目をして立ち上がった。汚れてぐらつく墓石に囲まれて手袋と傘と帽子を身につけている自分が、何とも奇妙な影を形作っているのにはまったく気づかない。半分空想に沈みながら時間をつぶそうと、糸杉の下にぽつんとある墓石の方にゆっくりと歩いていった。
たったひとつだけある楕円形の変わった墓石の両隅には、天使か異端の神の頭部が刻まれている。どちらも顔も目もすり減って何も見えずに向き合っている。御影石を刻んだ低い天蓋が墓を覆っていた。石には大きな裂け目があった。ローフォードが屈んで、手袋の先を滑り込ませることができるほどだ。溜息をついて身を起こすと、読みにくい碑文のあとを何とかたどった。
ここに眠るは
ニコラ・サバティエ、異邦人
自らの手で断つ
聖ミカエル前夜
一七三九年
日付は不確かだ。「Hand」の「n」と「d」は無かったし、「Angels」はすべて消えていた。「Stranger」すら確かじゃない。大きく太い「S」とねじくれた「g」のしっぽが見えた。「どちらにせよ」ローフォードは微笑んだ。「もはや異邦人ではないんだ」だが何と珍しく印象的な名前だろう! 明らかにフランス人、おそらくはユグノー教徒だ。ぼんやりと覚えていたが、ユグノー教徒はかなり注目すべき「連中」だった。思えば、昔「ユグノー教徒」と付き合いがあった。何という名だったろう? コリニー。そう、もちろんコリニーだ。「思うに」ローフォードは続けて独り言ちた。「この乞食はここで死んだのだ。もしかするとね」傘の先をあげると、親しげに付け加えた。「君は杭を打たれたかもしれないぞ。そして十字路に埋められるんだ」それからふたたび気怠げになると、心を曇らすちんけな警句に少しうんざりした。古い水路の水みたいに、いつだって哀れみは簡単に流れてゆくものだ。
「『ここに眠るは、ニコラ・サバティエ』」また独り言ち始めた――「たかが骨じゃないか。脳髄と心臓はまた別の話だ。こいつにだって脳髄なるものはあったのに。哀れなやつ! 自殺したんだ。つまり脳髄があったということじゃないか……ああ、神様!」あまりに大きな叫びだったので、近くの小枝に留まっていた駒鳥を驚かせてしまった。駒鳥の赤い胸の上にあるぎらぎら光る目は、珍しい人影にじっと据えられていた。
「三九かな、七九かも」ローフォードは丸めた陰鬱な肩越しに視線を投げた。それから苦労して膝をつくと、大きく空いた裂け目をのぞき込んだ。大きな蜘蛛がいて、ちっちゃな緑の目に出くわした。一瞬驚いたが、興味深い経験だった。揺らめくことのない青白い輝きだ。蜘蛛が巣のあるくぼみに消え去っても、ローフォードは立ち上がらなかった。まったくわけのわからない恐怖を感じ、とつぜん気力の衰えと疲れに襲われた。
「いったい何の得があるんだ?」がむしゃらに自問した――単調で不安で愚かな人生に今にも永久に戻ろうとしている。自分がどれほどばかげた見世物であったか気づき始めた。荘厳な糸杉の下で、草むらの真ん中に膝をついているのだ。「ほら、すべてを手に入れることなどできないんだ」漠然と不安を口にしていたようだ。
ローフォードは苔むしすり減った墓石をぼんやりと見つめた。心臓がいつもとは違う鼓動を打っていることにかすかに気づいていた。どうも具合が悪い。墓石に手をもたせかけると、近くにある低い木の腰掛に体を預けた。手袋を脱ぐと、裸の手をベストのなかに押し込んだ。口は開かれ、目は尖塔に向けられていた。尖塔の鐘が夜空にくっきりと見えていた。
「死!」苦り切った内なる声が漏れているようだった。「死!」目に見えぬ空気には、見えない聴衆が満ちているようだ。待っていたのは澄み切った静寂だった。冷たい敵意を前にたったひとりで審査されているようだ。引き締まるような淡い日光に漂う息吹もない。あまりにも希薄な空気だった。折りたたまれたままの翼のような影が落ちる。唯一の目撃者だった駒鳥は、喉をあげると、ほとんど限界まで甲高い声で非情な歌を歌い出した。ローフォードは重たげな目をさまよわせた――鳥――日に照らされた石――すり減った小さな二つの顔――自分の手――何かの生き物が這い登ろうと蠢いているような草の揺れ。これ以上ここに座っていることはない。今すぐ帰らなければ。空想は気分転換にはよいものだ。ときどき現実に引き戻す邪魔が入ったけれど。暗がりの木に手をかけると目を閉じた。まぶたはすぐに開き、しばし驚きと苦悶を瞳に浮かべると、また静かにゆっくりと閉じていった……。
猛スピードで西から天に押し寄せた燃えるような薔薇色は、墓地の雑草を鮮やかな濃い緑に染め、傾いた墓石をほんのりと紫色に染めていたが、水ばちに落ちる噴水のように静かに弱まっていた。すぐに西の空にはオレンジが燃えているだけになった。腰掛に座る丸まった影を一条の光がぼんやりと照らしている。右手はかすかに波打つ心臓に押しつけられたままだ。闇が広がった。一番星が輝いている。薄暗い牧草地で夜鷹が鳴いていた。だが墓地には露が落ちるだけの静けさしかない。その下、真っ黒な糸杉の下では、草の葉が冷たい露にしなっている。闇が巨大なマントの裾のように這っていた。マントの胸にはまばゆい宝石のように星座が輝いている……。
闇に取り囲まれローフォードは身震いしそわそわと頭を上げた。立ち上がるとしきりと不思議そうに左右を見渡した。さまよう夜行動物のように、闇に響くざわめきを、何も言わずにうっとりと聞いていた。首をかしげ耳を傾け、丘の向こうの静かな草原を振り返った。たったひとりでいることに驚きも不思議がりもしなかった。少し寒くて落ち着かないだけだ。そのくせ、この広い闇に心が高まりを見せていたようだった。
ローフォードは狭い小径を急いだ。体を折って暮らした老人夫のように膝を曲げて歩いていた。乾いて埃っぽい小径に出た。一瞬、どうすべきか本能的にためらった――ほんの一瞬だ。すぐに急ぎ歩き始めた。ほとんど駆け足だった。無限の闇夜に心が高ぶったまま歩いていた。シーラなどは、見えるか見えないかの地平線上に立ちこめた赤い雲に過ぎない。時間がわからない。時計の針は暗くて見えなかった。だが間もなく店の前を通ったので、冷たいショーウィンドウに顔を押しつけ、古い鳩時計の針を覗き込んだ。急げば夕飯に間に合うだろう。
駆け足といっていいほど速度が上がっていたので、ゆっくり落ち着いた歩調に変えたが、息がどれだけ整っているかに気づいて何となく得意になった。考えていたことを思い出し、奇妙な笑みで顔をしかめる。こんな風に歩き回ることができる人間の心臓に、具合の悪いところなどあるだろうか。快いといってさえいい。大またで狼みたいに歩いても、ますます快い。追い越した旅人の姿を探しときどき振り返った。というのも、感じていたのはこうした元気や興奮だけではなかったからだ。秘密の任務に就いた少年のように、変装していた。いわば仮面をつけていたのだ。服さえもがこの奇妙な幻想に合わせているように感じる。ここ十年間、こんなにゆとりをもたせた服屋はいなかった。ようやく庭の門を静かに開けると、音もなく石段を六段駆け上がり、手袋をはめたまま鍵を開け、静かに家に入っていった。
シーラは外出中のようだ。メイドが明かりをつけっぱなしにしている。まっさきにコートを脱ぎ、帽子を掛け、階上に上がると、寝室のドアをノックした。ドアは閉まっていたが、答えはない。ドアを開け、閉め、鍵をかけると、明かりをつけずにしばらく枕元に座っていた。何の物音も聞こえなかった。油断なく警戒する夜行動物のように、静かにまっすぐ座っていた。ベッドから立ち上がると露で濡れたコートを投げ捨て、鏡台の蝋燭に灯をともした。
細い炎が、伸びたり縮んだり、輝き、またきらめいたりした。周りを見回し満足した――蝋燭の赤み、真鍮の寝台、ほの赤いカーテン、そこかしこの銀。まるで重苦しい夢想が心から引き出されたみたいだ。いつかまた訪れるだろう。そして傾きかけたユグノーの墓ちかくにあるベンチに座るのだ。抽斗を開けて剃刀を取り出し、軽く口笛を吹きながら、テーブルに戻り二本目の蝋燭に灯をともした。高揚した不思議な気分のまま、緩やかに顎に手をやると鏡を見た。
しばらくのあいだ鏡を見つめ立ちつくしていた――何も感じなかった、考えることも、動揺することもなかった。不意にリズミカルな音が聞こえた。押し寄せる波のような、暖かいうねりが、首、顔、額、血色のよい手にまで満ちてきた。うねりから急いで抜け出すと、ゆっくりと一回転し、あちこちに目を向けた。視線の先に目をとめ、深い息をつくと、落ち着きを取り戻し、一呼吸置いた。それからもう一度振り向くと、鏡の中の見知らぬ顔を見た。
音もなく椅子を引き寄せると、寒気と鳥肌に襲われベッドの足下に座り込んだ。座りながらも、水上の藁や泡のように反響や印象がほとばしっていた。考えと呼べるものではない。記憶の水門が密かに押し開けられたのだ。嘲りの言葉、声、顔が、何の関係も傾向も方向性もなく流れすぎてゆく。足の間に両手を垂らし、深く刻まれた額のしわは光の中でうつむく顔立ちに影を作った。目は床の上をさまよっている。そわそわと嗅ぎ回る愚かな獣のようだ。
はっきりしない思いが吹き荒れる中で、もし何かをはっきり思い出すとしたら、それはシーラの記憶だ。明るい顔、美しい顔、歪めた顔、悩み顔、魅力的な顔、怖がる顔。目を細め、ローフォードは恐怖に支配されていた。両手で顔を覆い、声もなく叫んだ。孤独な子供のように、涙も希望もなく泣き叫んでいた。泣きやむと、落ち着いて腰を下ろした。しばらくのあいだ何もせずに放心していたが、階下でドアが閉められ、遠くで声がすると、ゆっくりと上に登ってくる音が聞こえた。誰かが取っ手をがちゃがちゃ言わせたあと、ノックした。「アーサーなの?」
ローフォードは少ししてから、こだまに耳を澄ます子供のように答えた。「ああ、シーラ」溜息が漏れた。声は、少ししわがれているほかはもとのままだった。
「入ってもいい?」ローフォードは静かに立ち上がると、もう一度鏡を見た。唇はきつく結ばれ、細く暗い両目の間に皺が刻まれていた。
「少し待ってくれ、シーラ」ゆっくりと答えた。「ほんの少し」
「どのくらい?」
ローフォードは立ったまま声を張り上げた。そのあいだも無感覚に鏡を見続けている。
「駄目だよ」まるで暗唱の練習みたいに切り出した。「答えられないよ、シーラ。頼むから少し待ってくれ、その……いつもと違うんだ」
返答にはいらだちが混じっていた。
「どうしたの? 手伝う? おかしなことが――」
「何がおかしいんだい?」ぼんやりと尋ねた。
「何が? 自分の寝室の外でこんなふうに突っ立ってるのよ。具合が悪いの? サイモン先生を呼ぼうか」
「シーラ、そんなことはしないでくれ。具合は悪くないんだ。ただ少し考え事をしたいだけなんだ」また少ししてから、取っ手がガタガタ鳴った。
「アーサー、何があったのか今すぐ教えてよ。いつもと違うみたい。て言うか、声が全然違うじゃない」
「いつもどおりさ」鏡を見つめながら言い張った。「少し待っててくれればいいんだ、シーラ。何かが起こったんだ。僕の顔に。一時間したら戻ってきて」
「おかしなことしないで。こんなふうに話すなんてひどい。何をしてるかどうやったらわかるのよ? 一時間のあいだ不安なまま放っとくわけ! あなたの顔! ドアを開けないのは、たいへんなことが起こったからだって思っていいのね。アダに手伝ってもらうわよ」
「そんなことをしたら、シーラ、終わりだよ。責任はとれない――。慌てずに階下に降りて、僕の具合が悪いって言うんだ。夕飯は食べてていい。一時間したら来て。いや、三十分で!」
返事からは怒りが吹き出していた。「狂ってるのよ。そんなこと頼むなんて。あなたが呼ぶまで隣の部屋で待ってるつもりだから」
「そこで待っててくれ」ローフォードは答えた。「だけど階下には伝えてきて」
「伝えて八時半まで待ってたら、あなたは降りてくるの? 具合は悪くないわけね。夕飯は台無しよ。おかしいじゃない」
ローフォードは返事をしなかった。しばらく耳を澄ましてから、思いに耽ろうとふたたびゆっくりと腰掛けた。籠の栗鼠みたいに、心はあてもなく絶えず動き回っていた。「いったい何なんだ? いったい何なんだ?――いったい?」そこに座っている自分が、ガラスみたいに透明に思えた。体がないみたいだ――あるのは鏡に映った幻覚の記憶だけだ。静寂の中で内なる声が叫び、声を荒げ、問い、脅していた――「いったい何なんだ――いったい――いったい?」ついに静かに疲れ切って、また立ち上がると、二本の蝋燭の間に寄りかかった。そして鏡を――鏡を――鏡の中を、見つめた。
降って湧いた長く暗い顔に、こつを覚えさせる――眉を上げ、顔をしかめた。やりたいことを実現するためにほとんど何のひっかかりもない。わずかな感情や、取るに足らない考えさえ即座に顔に表れたことにうろたえた。まるで見慣れぬ顔は、心に制御されていないようだ。事実、鏡なしでは自分がどんな表情をしているのかはっきり判断できなかった。それでもローフォードは、どうやら完全に正気だった。シーラが戻ってくれば、それがはっきりとわかるだろう。恐怖、激情、不快感が戻ってきた。具合が悪かったり、痛みがあったりすれば。それも歓迎したことだろう。未曾有の罠に陥ったのだ――陥った? どのように? いつ? どこで? 誰によって?
Walter de la Mere "The Return" -- Chapter One の全訳です。
Ver.1 03/03/23
Ver.2 03/08/11