この翻訳は翻訳者の許可を取ることなく好きに使ってくれてかまわない。ただし訳者はそれについてにいかなる責任も負わない。
翻訳:東 照
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ムーラサルヴァースティヴァーダ派の戒律

その他の部

訳者あとがき・更新履歴

ラージャグリハの鬼神のこと。子どもに法衣をかけて首につなぐこと。食事の際に名を唱えて敬意を表すこと。

 これは覚者がラージャグリハの竹林園に住んでいたころの話である。町の山辺にサータという鬼神が居を構えており、ビンビサーラ大王、中宮、妃后、王臣、宰相、その他多くの人々を守護していたので、誰もが安心して暮らしていられた。恵みの雨を降らせて穀物を実らせ、どこに行こうとも花も果実も泉も池も枯れることがなかったので、飢えもなく、欲しいものを手に入れるのもたやすかった。ために僧侶や司祭、貧乏人や独り者、それに商人たちがこぞってマガダ国に集まって来た。鬼神サータはこうした人々もまた愛情を込めて守護していた。そのサータがついに親族のなかから妻を娶って一緒に暮らすことになった。同じころ、北方のガンダーラ国にもパンチャーラという鬼神がいた。サータ同様その国を守護していたので、マガダ地方に劣らず穏やかで過ごしやすい豊かな国であった。そのパンチャーラも同じように親族から妻を娶り一緒に暮らした。

 後日のことである。全国中の鬼神が一同に会した折り、この二人の鬼神もねんごろに言葉を交わし、親友となった。別れを告げて地元に帰ってからも、鬼神サータがマガダ国の果実を摘んでパンチャーラに送れば、北国からもサータに果実が送られて来るようにして、久しく交友を深めていた。

 ふたたび集会があり友情を確かめる機会のあったとき、サータがパンチャーラに言った。

「ほかでもない、我々が死んだあとも子孫同士が親しくして、疎遠にならぬようにしたいものだ」

「名案だ。心得た」とパンチャーラも言った。

 サータが続けて、「ではお腹にいる子どもを許嫁と為そう。両家に男女が産まれたときには、娶り娶わせる約束だ」

「異存ない」

 そうこうしているうちにいよいよサータの妻が身ごもり、月満ちて女児を産んだ。容姿端麗にして気高く、一目見たものはたちまち心を奪われた。鬼神たちが揃って歓喜祝福したため、人呼んで「歓喜」と名づけた。

 これを聞いたパンチャーラも大いに喜び、「鬼神サータは我が親友。あやつに女が産まれたからには、こちらに男が産まれれば、愛しい妻と為そう」と美しい産衣を贈るとともに、使いには以下のような親書を持たせた。

『女児が産まれたと聞いて非常に愉快だ。着物を送るから受け取ってもらえたら幸いだ』

 サータはこの手紙を受け取って、さっそく返礼を書いた。

 こういう事情があったので、パンチャーラはただひたすら男児の産まれるのを望んでいた。すると幾日も経たぬうちに妻が身ごもり、月満ちて男児を産んだので、すぐにあざなを決めて、パンチャーラの子ゆえにパンチーカと名づけることにした。

 パンチャーラに男児が産まれたと聞いて、鬼神サータにも思うところがあった。「親友に男児が産まれたとあっては、こうしてはいられぬ。きれいな産衣を贈って祝福せねば。必ずや我が娘の夫となる男子なのだからな」

 やがて手紙をしたためた。『子どもが生まれたと聞き、祝福と喜びのこもごも感じることかぎりない。つまらないものだが産衣を贈る。以て祝辞とさせてもらいたい。よければ受け取って、どうか気持を無駄にしないで欲しい』

 読み終わったパンチャーラがこれに返事を書いた。『家族ぐるみの交友を約していたが、とうとう願いが叶った。二人の成人を待って婚姻を結びたし』

 そのうち鬼神サータの妻がふたたび身ごもり、山という山が声をあげるさまはあたかも巨大な象が吠えているかと思われるほどであった。月満ちて赤子の産まれた際にもまた山が吠えたため、親類一同は話し合ってこう言った。

「この子が授かった日にも産まれた時にも山という山が鳴動したではないか。しかもサータの子であるのだから、サーター山サーターギリと名づけよう」

 成人したころにとうとう父が身罷り、サーターギリが家長となった。

 すでに成人していた歓喜が言った。「弟よ、わらわはラージャグリハに出かけて、町中の子らを喰ろうてしまいたい」

「姉者、聞くところによると父上はこの町の王や住人たちを守護し、誰もが安心して悩みもなく暮らせるようにしていたそうではありませんか。今度はみどもがこれまでにも増して守護するつもりです。そこが守るべき区域なのですから。もし誰かが害を為そうものなら、黙ってはおれません。なぜそのような邪念を持ったのですか? そんな思いなどどうか捨てて下さい」

 だが前世に忌まわしい望みを持った報いが長く続いていたために、歓喜は同じことを繰り返しただけであった。

 姉の気持ちが動かしがたいことを知り、サーターギリは考えた。「みどもの力ではこの邪念を防ぐことは不可能。だが父上が在りし日に許嫁の約束を交わしていた。今こそその婚姻を結ぶべきか」

 そこで速やかに書をしたためて鬼神パンチャーラに送った。『我が姉歓喜も無事成人いたしまし候。かくなるうえは縁を結びたく思い候ゆえ、なにとぞ近いうちにお越し下されたく候』

 パンチャーラは手紙を受け取るとすぐに儀式を済ませ、ラージャグリハを訪れ、嫁を娶らせ故郷に戻った。

 歓喜は主家に入ってしばらく過ごすうちに、夫とも心を通わせ合うようになり、とうとうこんなことを打ち明けた。「のう、聞いてくれぬか。わらわはラージャグリハに暮らす住人どもの子らを一人残らず喰ろうてやりたいのじゃ」

「あそこにはそなたの家族が暮らしているではないか。余人が来て蛮行するのさえ捨ててはおけぬのに、そなたが残酷なことをしようとするのを黙って見ておられようか。そのような邪悪な考えを起こすでない。二度と口にするな」

 この悪念は前世に由来し、それが染みついていたので、歓喜は我慢することもならずに、怒りを抱いてしばらく黙り込んでいた。

 後日。歓喜は一人の子を産み、やがて引き続き同じように五百人の子を産んだ。末の子を名づけて「愛児」と呼んだ。

 やがて五百人の子らが力をつけるころになると、母はその威力を借りて禁忌を犯そうと考え始めた。夫であるパンチーカが何度も心を尽くして諫めたものの結局聞き入れられず、妻の心を知りながらも何も言わぬことにした。

 こうして歓喜はラージャグリハをくまなく闊歩し、住人の子らを次々に喰らっていった。ついに町には子どもがいなくなってしまったため、町の人々は団結して王に訴えた。

「臣らの子どもは一人残らず連れ去られてしまいましたが、いったい誰がこのような悪事を働いているのかわからぬため、悲しみ極まり思いを晴らそうとしても、どうすることもできません。閣下、どうかお慈悲をたまわり、調査していただけないでしょうか」

 王はただちに勅令を発し、町の各所や四方の町門に兵を配備させた。ところが兵士たちも連れ去られてしまい、日に日に頭数が減ってゆくだけで、どこに攫われたのかは誰にもわからなかった。身ごもった女たちも一人残らず攫われてどこか別の場所に連れ去られてしまった。さらにはラージャグリハのいたるところでさまざまな災禍が起こったため、国司も廷臣も次々に王に報告を入れ、現在この国の随所で大きな災害が発生していることを、詳細に説明した。

 王は話を聞いて不思議に思い、すぐに占者を呼んで事の起こりをただした。

「申し上げます。一連の災厄はすべて鬼神の仕業にございますので、急ぎ供物を用意して祭祀を執り行うのがよろしいかと存じ上げます」

 王は勅令を発し、鼓を打ってふれを出し、臣民に告げた。「主客を問わずこの国にいる者は飲食献花の供物を用意し、町中、城内、集落を浄め、さまざまに飾りつけ、鼓を打ち声をあげ鐘を鳴らし幡幢を立てよ」

 勅令を聞いたラージャグリハの住人たちは、心を込めて供物を捧げ花を供え、町を天国のように飾り、さまざまな場所で祭祀をおこなった。こうして最善を尽くしたものの災厄は去らず、人々は呻吟するもののどうするすべもなかった。

 このとき、ラージャグリハの守護神が夢に現れ人々に告げた。「汝らの子は一人残らず鬼神歓喜に取って喰われたと知れ。尊者のもとを訪れよ。汝らの苦悶も和らげてくださろう」

「神よ、子らはみな取って喰われたと申されるか。それではまるで悪鬼ではありませんか。なにゆえ歓喜などと呼ばれているのですか」

 ゆえに、これよりのちこの鬼神を青い悪魔ハーリティーと呼んだ。

 ラージャグリハの住人は神のお告げを聞いて覚者のもとを訪れ、地面に額ずき直訴した。

「鬼神ハーリティーと申すはラージャグリハの住人に対し長らく危害を加えております。こちらからはいっさい敵意を表してないと申しますのに、あちらが一方的に悪心を抱いて、我らの子を攫って喰ろうているのでございます。このうえはなにとぞお慈悲を賜り、彼奴めを調伏していただけませぬか」

 尊者は無言のまま答えなかったが、訴えを聞き入れてくれたことは誰の目にもわかったので、人々は足許にひれ伏し供物を捧げて退出した。

 明くる朝、覚者は衣をまとい鉢を手にしてラージャグリハに向かい、托鉢をおこなった。やがて托鉢を終えて自宅に戻り食事を済ませてから、鬼神ハーリティーの住まいを訪れた。鬼神は出かけており、幼い愛児が家にいるだけであった。そこで尊者は鉢を愛児にかぶせ、タターガタの法力を用いて愛児には兄たちが見えるが兄たちには愛児が見えないようにしてしまった。

 やがて鬼神が帰宅したが、末っ子の姿が見えぬ。大いに慌てて、考えられるところはすべて探した末に、ほかの子どもたちにも愛児はどこにいるのかとたずねた。ところが誰も見ていないという。

 鬼神は胸を叩いて号泣した。口唇は乾き、思いは乱れ、心をさいなむ痛みを胸に、ただちに都に出かけて、家並みという家並み、往来という往来、田畑、森林、池沼、天廟、神殿、旅籠、空家をくまなく探したが、愛児は見つからない。とうとう苦しみにこらえきれずに正気を失い、衣服を脱ぎ捨て大声で叫びながら「愛児はどこじゃ。どこにおじゃる」と繰り返した。

 とうとう町の外に飛び出し町はずれを駆け回り、村中を探し回ったが成果はない。陸といわず海といわずあらゆる場所に足を運んだが見つからぬ。髪を振り乱して姿を顕すや地面に転げまろび、肘と膝を突いていざり進んだ。そうしているうちにやがてジャンブードゥヴィーパにたどり着いたので、黒山という黒山、金山という金山、雪山という雪山、アナヴァタプタ池、ガンダマーダナ山を探したが愛児はいない。胸は苦しみに悶え空気さえ喉を通らなかった。そこで今度は東はヴィデーハ、西はゴーダーニヤ、北はクルまで探しに行ったが見つからない。いよいよサンジーヴァ、カーラスートラ、サンガータ、ラウラヴァ、マハーラウラヴァ、ターパナ、プラーターパナ、無間アヴィーチ、アッブダ、ニラッブダ、アタタ、ハハヴァ、フフヴァ、ウッパラ、パドマ、プンダリーカの十六地獄にまで探しに行ったがやはり見つからなかった。そこで次にスメール山に行き、一層目から始めて二層三層と登り、ヴァイシュラヴァナの神殿を越えて山頂まで行くと、チャイトララタ庭園を始めミシュラーカ、パールシャカ、ナンダーナ庭園を次々と訪れるものの、やはり見つからない。パーリジャータの木の下からシュダルマ堂の中まで進み、インドラ神のおわしますシュダルサナ城に入り込んでヴァイジャヤンタ殿に入ろうとした。

 鬼神たちとともに門を守っていたヴァジュラパーニ大神がこれを見咎め、城外へ追い出した。

 そこでいよいよ苦しみを深くしてヴァイシュラヴァナ神殿まで行くと、大石の上に身を投げて慟哭した。

「将軍様、わらわの末息子・愛児が何者かに攫われてしまい、いずことも行方が知れぬのじゃ。なにとぞ、なにとぞ導いてたもれ」

 ヴァイシュラヴァナ神は答えた。「女君よ、あまり悩んで正気を失うてはならぬ。ひとまず自宅のそばの休憩所に出向き、誰がいるのか確認せよ」

「将軍様、僧侶ガウタマがござりました」

「ならば急ぎ尊者に相談せよ。ふたたび愛児に会う手だても教えてもらえよう」

 この言葉を聞くや鬼神は歓喜し、死から甦ったような勢いで家に戻った。すると遠くからでも間違えようのない尊者の特徴が陽射しよりもきらびやかにまるで宝の山のように輝いているのが見えた。これを見るやたちまち尊敬と信仰の念が生じ、すでに我が子を見つけたような気持になって苦しみなどすっかり消えてしまった。ただちにおそばに寄って足許に額ずき、退いてかたわらに座して訴えかけた。

「尊者よ、末の子の愛児が長いこと見えのうなってしもうたのじゃ。どうかただただお慈悲を賜べて、また会わせてたもれ」

 覚者は鬼神ハーリティーにたずねた。「子どもは何人お持ちかな?」

「子なら五百人おる」

「ハーリティーよ、五百人もいれば一人くらい欠けても苦しむには当たるまい」

「尊者よ、今日愛児に会えのうては、わらわは血を吐いて息絶えてしまいそうじゃ」

「ハーリティーよ、五百人のうちの一人がいなくなってもそのように苦しんでいるのであろう。たった一人の子をそなたに攫われ食われてしまった苦しみがどれほどのものか考えてみなさい」

「幾層倍の苦しみでござろうな」

「愛するものを失くす苦しみを知っているなら、なにゆえ他人の子を喰らう」

「なにとぞ尊者よ、なにとぞ教えを施してたもれ」

「では今から戒を受け、ラージャグリハの住人が安心して暮らせるようになさい。さあらばここを出ずして愛児にも会えましょう」

「尊者よ、わらわはこれより町に出でて、教えと御言葉を守うてラージャグリハの住人どもが安心して暮らせるようにするつもりじゃ」

 その言葉を聞くや、覚者はハーリティーを愛児に会わせたのであった。

 こうしてハーリティーは尊者の教えを受け、町の人々も安心してつらいことなく暮らしたのだった。

 やがてハーリティーは覚者のところで洗礼および五戒(不殺生や不飲酒)を受け、たずねた。

「尊者よ、わらわと子らはこれから何を喰ろうてゆけばよい」

「案ずることはない。ジャンブードゥヴィーパにいる弟子たちが食事時になれば順を追って生飯サバを出す。その折り、末席に一膳用意してそなたと子らを呼ぶゆえ、腹を満たすまでもう少しだけ辛抱なさい。今も暮らしている住人や山海の鬼神たちがいて、腹を空かせていれば、一人一人に心を寄せて満足させなさい。加えて、一門の寺院や僧侶・尼僧の住まいを、昼夜問わず心を込めて守護し、身体を壊さず健やかでいられるよう努めなさい。今後とも我が教えの滅びぬうちは、言った通りのことをジャンブードゥヴィーパでなさい」

 この言葉を聞くや、ハーリティーと五百の子らと鬼神たちは、みな歓喜してひれ伏し、遵法を誓った。

 以上の話を覚者から聞いて、僧侶たちは不思議に思ってたずねた。

「ハーリティーが五百人の子を産み、人の精気を吸いたさにラージャグリハの子どもを喰らったのは、如何なる前世の業によるものでござりましょうか」

「では話して聞かせよう。この鬼神の行いも、町の住人の受難も、いずれも前世からの因縁によるものにほかならぬ。遠い昔、ラージャグリハに住んでいた牧人が妻を娶り、間もなく妻は身ごもった。当時は正式に悟りに至ったものもなく、独自に悟りを開いた独覚者がいただけであった。質素な生活を旨としてそれに応じた最低限の持ち物で満足していたので、人々が功徳を施そうにもほかに施す相手がなかった。

 あるときこの独覚者が人里を行脚してラージャグリハにたどり着いたところ、折りしも縁日が催されている最中で、五百人の男女が集まってお洒落や飲み食いや音楽に興じながら庭園に向かっていた。その道すがら、牧人の妻が牛乳壜を売りに歩いているところに出会ったので、口々に『お姉さん、一緒に踊って楽しもうよ』と誘った。妻は声をかけられてその気になり、一緒になって踊って大いに楽しんだ。それでとうとう具合を悪くして流産してしまった。人々はそのまま庭園に向かってしまったので、女は一人悲嘆に暮れて頬に手を突いて座り込みながらも、牛乳を売った代金でマンゴーを五百個購入した。そこに通りかかったのがあの独覚者であった。遠くからでも身なりたたずまいともに泰然として落ち着いているのを見て、たちまち敬意を覚えて足許にひれ伏し、瑞々しい果物を聖人に捧げたのであった。

 悟りを独自に開いた者は、教えを行動で示すことはできるが、口で伝えることはできない。どうにか牧人の妻に恵みをかけてやりたいと思い、神鳥ハンサが翼を広げるようにして虚空に舞い上がり、その法力を明らかにした。ただの人間が奇跡を目の当たりにしたときのつねで、妻は大木の倒れるごとくにたちまち独覚者に傾倒し、地面にひれ伏して手を合わせて願を掛けたのであった。

『口惜しや。どうかどうか、ただいままことの功徳を施しましたご利益に、後の世でもラージャグリハに生まれ変わらせていただき、この町の住人の子を残らず平らげられるようにしてくだされ』

 みなの衆よ、これがどういうことかわかるであろう。この牧人の妻がほかでもない、鬼神ハーリティーその人なのだ。前世さきのよで独覚者にマンゴー五百個を施してよこしまな願を立てたばかりに、現世でラージャグリハに生まれて鬼神となって五百の子を産み、人の精気を吸わんとして町中の子どもを貪り喰らったのだ。いつも教えている通り、悪いおこないには悪い報いが、雑多なおこないには雑多な報いが、良いおこないには良い報いがあるものと思いなさい。修行によって良いおこないを積み、悪いおこないや雑多なおこないを慎むことです……そうすれば報いはおのずから返ってくるであろう」

 これを聞いた僧侶たちは深く心に感じ入り、尊者の足許に額ずいていとまを告げて立ち去った。

 舞台は同じくラージャグリハ。ハーリティーはすでに覚者の教えと戒を受けていたので、ほかの鬼神たちからは嫌なこともされた。そこで子らを連れて僧侶たちに布施しに行ったところ、僧侶が托鉢をおこなっているのを見て、子らは人間の子どもの姿に変じてとことこと後をついていった。ラージャグリハの女どもがそれを見て愛おしさを覚え、近寄って抱き寄せるとたちまち掻き消えてしまった。

 女たちは僧侶にたずねた。「今のはどなたの子どもでしょう?」

「ハーリティーの子です」と僧侶は答えた。

「すると今のが残酷な憎き鬼神の子どもでしたか」

「あの者はもう残酷な心を捨てました。そのためほかの鬼神に恨まれてしまい、こうしてここに来てわたくしどもに施与しているのです」

「鬼神の女ですら邪心を捨てて子を連れて布施したんだもの、あたしらだって子を布施しなくては」と女は考えた。

 そこでとうとう子どもを連れて僧侶たちのところに布施しに行ったが断られてしまった。

「お坊さま、残酷な鬼神の子どもはちゃんと預かりなさったのに、あたしらの子どもを拒むのはどうしてでござりましょう?」

 僧侶たちはこれをきっかけに覚者にたずねた。

「引き取りなさい」というのが覚者の答えだった。

 僧侶たちはお言葉にしたがったものの、手綱を締めていなかったので、子どもたちは好き勝手にどこにでも遊びに行く。

 そこで僧侶たちが覚者に相談したところ、「一人の男子を施与されたなら、一人の僧侶が預かって、法衣の一部をその子の頭に結びつけて番をなさい。何人もの子どもを施与されたなら、僧階ごとに預かって、同じようにして番をなさい。疑ってはなりません」と言われた。

 やがて父母たちが財産を手に戻って来て、それと引き替えに子を連れ戻した。僧侶たちは受け取らなかったが、覚者は「受け取りなさい」と助言した。

 後日、子らが愛着に引かれて僧侶たちに着物を布施した。恩に報いたかったのだ。僧侶たちは気持を汲むだけに留めて受け取らなかっが、覚者は今度も「受け取りなさい」と助言した。

 尊者のお言葉どおり、子どもたちの代価は受け取るのが正しいものと思え。

 そこで今度は六人の僧侶が父母に対価をそっくり要求した。すると覚者は「対価を要求してはならぬ」と戒めた。「本人が自発的に施与するものを受け取って満足なさい」と。

 ところは変わらず。鬼神ハーリティーが子らを連れ出し僧侶たちに布施していたことはすでに述べた。子らは夜中に腹を空かせては泣きじゃくったまま朝を迎えていた。そこで僧侶たちはこれをきっかけに覚者にたずねた。

「朝課の折りに食事を与え、母の名を唱えて敬意を表しなさい」と覚者は答えた。

 またあるときにはとんでもない時間に空腹を訴えることもあった。

「与えてやりなさい」と覚者は言った。

 またあるときには、僧侶の托鉢用の椀に残った食べ物を欲しがった。

「与えてやりなさい」と覚者は言った。

 不浄なものを食べたがるときもあった。

「与えてやりなさい」と覚者は言った。


※義浄訳『根本説一切有部毘奈耶(Mūlasarvāstivāda Vinaya)』「雑事」巻三十一より、ハーリティーに関する部分を抜粋して全訳したものです。


Ver.1 11/10/29

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[作者・作品について]

 長々しいカタカナのタイトルがついていますが、本篇は『根本説一切有部毘奈耶』という仏典より、有名な鬼子母神のエピソードを翻訳したものです。仏典のなかのエピソードをファンタジー小説のように訳してみたい、と前々から思っていたのですが、今回ようやくチャレンジしてみることにいたしました。

 人間の子を喰らっていた鬼子母神が、五百人の我が子のうちたった一人をお釈迦様に隠されてしまったことから、子を失う悲しみを知り、回心した――というのはお馴染みの内容ですが、本篇にはほかにも細かい部分――鬼子母神の家族のことや前世のこと、仏教に帰依したあとのこと――などが描かれています。なかでも、生まれたばかりの鬼子母神が名づけられる場面はとても印象に残りました。

 翻訳の底本には、『国訳一切経』律部・巻二十六を中心に、漢訳仏典、英訳仏典を参照しました。

 「根本説一切有部」とは「ムーラサルヴァースティヴァーダ派」という仏教の一宗派、「毘奈耶」とは「律」「戒律」の意。ほかの部分についても、固有名詞はできるかぎり原語をもとにしたカタカナ表記に直し、意味を重視した部分については日本語表記を採用しました。凡例:「仏」は「ブッダ」とせずに「覚者」、「薬叉」は「ヤクシャ」とせずに「鬼神」、「歓喜」は「アビラティ」とせずに「歓喜」、「愛児」は「プリヤンカラ」とせずに「愛児」、「世尊」は「バガヴァット」とせずに「尊者」としました。その他、できるだけファンタジーっぽくしたかったので、意図的に仏教用語は避けています。

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