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与謝野晶子 詩集
短歌が有名な与謝野晶子ですが、詩もたくさんあります。でもデジタル図書も紙の書籍も短歌ばかりで詩がないがしろにされている感があるので、ちまちまとですがここで晶子の短歌を紹介していこうと思います。(2004年07月25日、26日に、青空文庫にて『晶子詩篇全集』『晶子詩篇全集拾遺』が公開されました。というわけでこのページはあまり意味が無くなってしまいました。これにて更新停止です。)
だからこのページは翻訳じゃあありません。
詳細目次(五十音順 ※本文の方は入力順)
帰途 -暗殺酒舗 - 草の葉 - 春昼 - 第一の陣痛 - 月見草 - 憎む - 薔薇の歌 - 晩秋 - 不思議の街 - 乱れ髪 - モンソオ公園の雀 - 唯一の問 - 弓 - 涼夜 -
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歸途
わたしは先生のお宅を出る。
先生の視線が私の背中にある、
わたしは其れを感じる、
葉卷の香りが私を追つて來る、
わたしは其れを感じる。
玄関から御門までの
赤土の坂、竝木道、
太陽と松の幹が太い縞を作つてゐる。
わたしはぱつと日傘を擴げて、
左の手に持ち直す、
頂いた紫陽花の重たい花束。
どこかで蝉が一つ鳴く。
〔コメント〕
田村隆一にも「帰途」という詩があります――「言葉なんか覚えるんじゃなかった」。一方で椎名林檎は歌ってます――「どうして 歴史の上に言葉が生まれたのか」。
というわけで自分の中では〈与謝野晶子〉―〈田村隆一〉―〈椎名林檎〉というトライアングルができあがっちゃってます。
「太陽」「日傘」「蝉」という単語があるにもかかわらず、からっとさわやかではなく、しっとり色っぽいどこか〈大人の匂い〉みたいなところがある詩です。さすが晶子。
初出不明。
弓
佳きかな、美しきかな、
矢を番へて、臂 張り、
引き絞りたる弓の形。
射よ、射よ、子等よ、
鳥ならずして、射よ、
唯だ彼の空を。
的を思ふことなかれ、
子等と弓との共に作る
その形こそいみじけれ、
唯だ射よ、彼の空を。
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唯一の問
唯だ一つ、あなたに
お尋ねします。
あなたは、今、
民衆の中に在るのか、
民衆の外に在るのか、
そのお答次第で、
あなたと私とは
永劫、天と地とに
別れてしまひます。
〔コメント〕
この詩は言葉遣いが室生犀星の詩に似ている気がする。
「めがね
ガラスの中で
瞳がチラチラうごく。
何処にも逃げ場がないのでせう。
踏みちがへたらどうなさるんです。
怖れをしらないふりをしても、
ガラスの中ではみんな見えて来るのです。」
とか
「有難うございます
僅かな買物をして去らうとすれば、
有難うございますとまた売子の彼女は言つた。
このひとにどんなあえかな暮しが来ても、
有難うございますなどと言はないだらうに、
見ず知らずのひとに
につと笑つて有難うございますと、
終日くり返していつてゐた。
生えぬきのうつくしい声で。」
とか。
何と言うのだろう、純粋そうな涼しい顔して何気なく芯を突いてくる、というような言葉遣い。
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憎む
憎む、
どの玉葱も冷かに
我を見詰めて緑なり。
憎む、
その皿の餘りに白し、
寒し、痛し。
憎む、
如何なれば二方の壁よ、
云ひ合せて耳を立つるぞ。
〔コメント〕
あ、りゃりゃ? 第三聯こそ唸らされますが、第一聯第二聯は……?
「嫉妬とは緑色の目をした怪物だ」あ、でも見つめている目じゃなく本体が緑なのか。すると「皿」の連想で台所かと思っていたけど、畑で葱坊主を見ているんだろうか?
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涼夜
星が四方の桟敷に
きらきらする。
今夜の月は支那の役者、
やさしい西施に扮して、
白い絹團扇で顏を隠し、
ほがらかに秋を歌ふ。
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不思議の街
遠い遠い處へ來て、
わたしは今へんな街を見てゐる。
へんな街だ、兵隊が居ない、
戰爭 をしようにも隣の國がない。
大學教授が消防夫を兼ねてゐる。
醫者が藥價 を取らず、
あべこべに、病氣に應じて、
保養中の入費にと
國立銀行の小切手を呉れる。
惡事を探訪する新聞記者が居ない、
てんで惡事が無いからなんだ。
大臣は居ても官省が無い、
大臣は畑へ出てゐる、
工場へ勤めてゐる、
牧場に働いてゐる、
小説を作つてゐる、繪を描いてゐる。
中には掃除車の御者をしてゐる者もある。
女は皆餘計なおめかしをしない、
瀟洒とした清い美を保つて、
おしやべりをしない、
愚痴と生意氣を云はない、
そして男と同じ職を執つてゐる。
特に裁判官は女の名誉職である。
勿論裁判所は民事も刑事も無い、
專ら賞勲の公平を司つて、
辯護士には臨時に批評家がなる。
併し長長と無用な辯を振ひはしない、
大抵は黙つてゐる。
稀に口を出しても簡潔である。
それは裁決を受ける功労者の自白が率直だからだ
同時に裁決する女が聰明だからだ。
また此街には高利貸がない、
寺がない、教會がない、
探偵がない、
十種以上の雜誌がない、
書生芝居がない、
そのくせ、内閣會議も、
結婚披露も、葬式も、
文學會も、繪の會も、
教育會も、國會も、
音樂會も、踊も、
勿論名優の芝居も、
幾つかある大國立劇場で催してゐる。
全くへんな街だ、
わたしの自慢の東京と
大ちがひの街だ。
遠い遠い處へ來て
わたしは今へんな街を見てゐる。
春晝
三月の晝のひかり、
わが書齋に匍ふ藤むらさき。
そのなかに光の顏の白、
七瀬の帶の赤、机に掛けた布の脂色、
みな生生と温かに……
されど唯だ壺の彼岸櫻と
わが姿とのみは淡く寒し。
君の久しく留守なれば
靜物の如く我も在るらん。
薔薇の歌(九章)
賓客 よ、
いざ入りたまへ、
否、しばし待ちたまへ、
その入口の閾に。
知りたまふや、賓客よ、
ここに我心は
幸運の俄かに來たれる如く、
いみじくも惑へるなり。
なつかしき人、
今、われに
これを得させたまへり、
一抱へのかずかずの薔薇。
如何にすべきぞ、
この堆 き
めでたき薔薇を、
兩手 に餘る薔薇を。
この花束のまにまに
太き壺にや活けん、
とりどりに
小さき瓶にや分たん。
先づ、何はあれ、
この薄黄なる大輪を
賓客よ、
君が掌に置かん。
花に足る喜びは、
美くしきアントニオを載せて
羅馬 を船出せし
クレオパトラも知らじ。
まして、風流の太守、
十二の金印を佩びて、
楊州に下る樂しみは
言ふべくも無し。
いざ入りたまへ、
今日こそ我が假の家も、
賓客よ、君を迎へて、
飽かず飽かず語らまほしけれ。
×
一つの薔薇の瓶は
梅原さんの
寝たる女の繪の前に置かん。
一つの薔薇の瓶は
ロダンの寫眞と
竝べて置かん。
一つの薔薇の瓶は
君と我との
間の卓に置かん。
さてまた二つの薔薇の瓶は
子供達の
部屋部屋に分けて置かん。
あとの一つの瓶は
何處にか置くべき。
化粧 の間にか、
あの粗末なる鏡に
影映らば
花のためにいとほし。
若き藻風 の君の
來たまはん時のために、
客間の卓の
葉卷の箱に添へて置かん。
×
今日、わが家には
どの室 にも薔薇あり。
我等は生きぬ、
香味と、色と、
春と、愛と、
光との中に。
なつかしき博士夫人、
その花園の薔薇を
朝露の中に摘みて、
かくこそ豐かに
贈りたまひつれ。
どの室にも薔薇あり。
同じ都に住みつつ、
我は未だその君を
まのあたり見ざれど、
匂はしき御心の程は知りぬ、
何時 も、何時も、
花を摘みて賜へば。
×
われは宵より
曉がたまで
書齋にありき。
物書くに筆躍りて
狂ほしくはずむ心は
熱病の人に似たりき。
振返れば、
隅なる書架の上に、
博士夫人の賜へる
焔の色の薔薇ありき。
思はずも、我は
手を伸びて叫びぬ、
「おお、我が待ちし
七つの太陽は其處に」と。
×
今朝、わが家の
どの室の薔薇も、
皆、唇なり。
春の唇、
本能の唇、
戀人の唇、
詩人の唇、
皆、微笑める唇なり、
皆、歌へる唇なり。
×
あはれ、何たる、
若やかに、
好色好色 しき
微風 ならん。
青磁の瓶の蔭に
宵より忍び居て、
この曉、
大輪の薔薇の
仄かに落ちし
眞赤なる
一片 の下 に、
あへなくも壓 されて、
息を香に代へぬ。
×
瓶毎に
わが侍 き護る
寶玉の如き
めでたき薔薇、
天つ日の如き
盛りの薔薇、
戀知らぬ天童の如き
清らなる薔薇、
これらの花よ、
人間の身の
われ知りぬ、
及び難しと。
此處に
われに親しきは、
肉身 の深き底より
已 むに已まれず
燃えあがる熱情の
其れにひとしき紅き薔薇、
はた、逸早く
愁を知るや、
青ざめて、
月の光に似たる薔薇、
深き疑惑に沈み入る
烏羽玉 の黒き薔薇。
×
薔薇がこぼれる。
ほろりと、秋の眞晝、
緑の四角な瓶から
卓の上へ靜かにこぼれる。
泡のやうな塊、
ラフワエルの花神 の繪の肉色。
つつましやかな薔薇は
散る日にも悲しみを祕めて、
修道院の壁に凭 る
尼達のやうには青ざめず、
清く貴 やかな處女の
高い、温かい寂しさと、
みづから抑へかねた妙香の
金色 をした雰囲氣 との中に、
わたしの書齋を浸してゐる。
×
まあ華やかな、
けだかい、燃え輝いた、
咲きの盛りの五月の薔薇。
どうして來てくれたの、
このみすぼらしい部屋へ、
この疵だらけの卓 の上へ、
薔薇よ、そなたは
どんな貴女の飾りにも、
どんな美しい戀人の贈物にも、
ふさはしい最上の花である。
もう若さの去つた、
そして平凡な月竝の苦勞をしてゐる、
哀れな忙 しい私が
どうして、そなたの友であろう。
人間の花季 は短い、
そなたを見て、私は
今ひしひしと是れを感じる。
でも、薔薇よ、
私は窓掛を引いて、
そなたを陰影 の中に置く。
それは、あの太陽に
そなたを奪はせないためだ、
猶、自分を守るやうに、
そなたを守りたいためだ。
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月見草
はるかなる花にはあれど、
月見草、
ふるさとの野を思ひ出で、
わが母のこと思ひ出で、
初戀のこと思ひ出で、
指にはさみぬ、月見草。
[コメント]
月見草の花言葉は、「密やかな愛」と「自由な心」だそうです。むむむ、何だか晶子のためにあるような言葉だな。
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亂れ髪
額にも、肩にも、
わが髪ぞほつるる。
しをたれて湯瀧に打たるる心もち……
ほつとつく溜息は火の如く且つ狂ほし。
かかること知らぬ男、
我を褒め、やがてまた譏るらん。
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晩秋
路は一すぢ、竝木路、
赤い入日が斜 に射し、
点、点、点、点、朱の斑……
櫻のもみぢ、柿もみぢ、
点描派 の繪が燃える。
路は一すぢ、さんらんと
彩色硝子に照された
廊を踏むよな酔ごヽち、
そして心 からしみじみと
涙ぐましい氣にもなる。
路は一すぢ、ひとり行く
わたしのためにあの空も
心中立 に毒を飲み、
臨終 のきはにさし伸べる
赤い入日の唇か。
路は一すぢ、この先に
サツフオオの住む家があろ。
其處には雪が降つて居よ。
出て行 ことして今一度
泣くサツフオオが目に見える。
路は一すぢ、秋の路、
物の盛りの盡きる路、
おヽ美しや、急ぐまい、
点、点、点、点、しばらくは
わたしの髪も朱の斑……
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モンソオ公園の雀
君は何かを読みながら、
マロニエの樹の染 み出した
斜 な径 を、花の香 の
濡れて呼吸 つく方へ去り、
わたしは毛欅 の大木の
しだれた枝に日を避けて、
五色の絲を卷いたよな
円い花壇を左にし、
少しはなれた紫の
木立と、青い水のよに
ひろがる芝を前にして、
繪具の箱を開けた時、
おヽ、雀、雀、
一つ寄り、
二つ寄り、
はら、はら、はらと、
十 、二十、數知れず、
きやしやな黄色の椅子の前、
わたしへ向いて寄る雀。
それ、お食べ、
それ、お食べ、
今日もわたしは用意して、
麺麭とお米を持つて來た
それ、お食べ、
雀、雀、雀たち、
聖母の前の鳩のよに、
素直なかはいヽ雀たち。
わたしは國に居た時に、
朝起きても筆、
夜が更けても筆、
祭も、日曜も、春秋 も、
休む間無しに筆とつて、
小鳥に餌 をば遣るやうな
氣安い時を持たなんだ。
おヽ、美くしく円い背と
小 い頭とくちばしが
わたしへ向いて竝ぶこと。
見れば何 れも子のやうな、
わたしの忘れぬ子のやうな……
わたしは小聲で呼びませう、
それ光 さん、
かはいヽ七 ちやん、
秀 さん、麟坊 さん、八峰 さん……
あれ、まあ擧げた手に怖れ、
逃げる一つのあの雀、
お前は里に居た爲めに
親になじまぬ佐保ちやんか。
わたしは何か云つてゐた、
氣が狂 ふので無いか知ら……
どうして氣安いことがあろ、
あヽ、氣に掛る、氣に掛る、
子供のことが又しても……
せはしい日本の日送りも
心ならずに執る筆も、
身の衰へも、わが髪の
早く落ちるも皆子ゆゑ。
子供を忘れ、身を忘れ、
こんな旅寝を、はるばると
思ひ立つたは何ゆゑか。
子をば育む大切な
母のわたしの時間から、
雀に餌をばやる暇を
偸みに來たは何ゆゑか。
うつかりと君が言葉に絆されて……
いヽえ、いヽえ、
みんなわたしの心から……
あれ、雀が飛んでしまつた。
それはあなたのせゐでした。
みんな、みんな、雀が飛んでしまひました。
あなた、わたしは何うしても
先に日本へ歸ります。
もう、もう繪なんか描きません。
雀、雀、
モンソオ公園の雀、
そなたに餌をも遣りません。
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草の葉
草の上に
更に高く、
唯だ一もと、
二尺ばかり伸びて出た草。
かよわい、薄い、
細長い四五片の葉が
朝涼 の中に垂れて描く
女らしい曲線。
優しい草よ、
はかなげな草よ、
全身に
青玉 の質を持ちながら、
七月の初めに
もう秋を感じてゐる。
青い仄かな悲哀、
おヽ、草よ、
これがそなたのすべてか。
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第一の陣痛
わたしは今日病んでゐる、
生理的に病んでゐる。
わたしは黙つて目を開いて
産前の床に横になつてゐる。
なぜだらう、わたしは
度度死ぬ目に逢つてゐながら、
痛みと、血と、叫びに慣れて居ながら、
制しきれない不安と恐怖とに慄へてゐる。
若いお醫者がわたしを慰めて、
生むことの幸福を述べて下された。
そんな事ならわたしの方が餘計に知つてゐる。
それが今なんの役に立たう。
知識も現實で無い、
經験も過去のものである。
みんな黙つて居て下さい、
みんな傍観者の位置を越えずに居て下さい。
わたしは唯だ一人、
天にも地にも唯だ一人、
じつと唇を噛みしめて
わたし自身の不可抗力を待ちませう。
生むことは、現に
わたしの内から爆ぜる
唯だ一つの眞實創造、
もう是非の隙も無い。
今、第一の陣痛……
太陽は俄かに青白くなり、
世界は冷やかに鎭まる。
さうして、わたしは唯だ一人……
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暗殺酒舗
(巴里モンマルトルにて)
閾を内へ跨ぐとき、
墓窟 の口を踏むやうな
暗い怖 えが身に迫る。
煙草のけぶり、人いきれ、
酒類 の匂ひ、燈の明り、
黒と桃色、黄と青と……
あれ、はたはたと手の音が
きもの姿に帽を著た
わたしを迎へて爆ぜ裂ける。
鬼のむれかと想はれる
人の塊、そこ、かしこ。
もやもや曇る狭い室。
×
淡い眩暈のするまヽに
君が腕 を輕く取り、
物珍しくさし覗く
知らぬ人等に會釋 して、
扇で半ば頬 を隠し、
わたしは其處に掛けてゐた。
ボウドレエルに似た像が
荒い苦悶を食ひしばり、
手を後ろ手に縛られて
煤 びた壁に吊された、
その足もとの横長い
粗木づくりの腰掛に。
「この酒舗 の名物は、
四百年 へた古家 の
きたないことと、剽輕な
また正直なあの老爺 、
それにお客は漫畫家と
若い詩人に限ること。」
こんな話を友はする。
×
濶 い股衣 の大股に
老爺 は寄つて、三人の
日本の客の手を取つた。
伸びるがまヽに亂れたる
髪も頬髭 も灰白 み、
赤い上被 、青い服、
それも汚れて裂けたまヽ。
太い目元に皺の寄る
屈托のない笑顏して、
盛高 盛高の頬 と鼻先の
林檎色した美くしさ。
老爺 の手から、前の卓、
わたしの小さい杯 に
注 がれた酒はムウドンの
丘の上から初秋 の
セエヌの水を見るやうな
濃い紫を湛へてる。
×
「聽け、我が子等」と客達を
叱るやうなる叫びごゑ。
老爺 はやをら中央 の
麦稈 椅子に掛けながら、
マンドリンをば膝にして、
「皆さん、今夜は珍しい
日本の詩人をもてなして、
ヱ゛ルレエヌをば歌ひましよ。」
老爺 の聲の止まぬ間に
拍手の音が降りかヽる。
赤い毛をした、痩形 の、
モデル女も泳ぐよに
一人の畫家の膝に下り、
口笛を吹く、手を擧げる。
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