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秘密

シャーロット・アームストロング


第三章

 ホテルでトニーと別れ、元気を振りしぼって悲しみに耐えた。戻る途上でせわしなく計画を考え続けた。二人で話し合って近くで待つことにしたんだとみんなには話そう。予約を取ろう。明日。シカゴで一人、心配しながら待つことになる……だけど自宅で邪魔されずに、その方がずっといい。トニーはこの仕事をやり遂げるだろう。よくわかった。嬉しいことに、トニーがどれだけ行きたがっていたかアリスにはよくわかった。

 牧草が広がる丘陵を廻り、帳の下りた家を過ぎてガレージに車をまわすと、裏口にいた六十代のずんぐりした料理女が挨拶し、エレンが話しかけた。

「ペイジさま、レッドファーン奥さまは眠っていらっしゃいます。スタフォード奥さまもお休みなさっています。ビアトリスお嬢様はピアノのところです」

「ありがとう」アリスは答えた。「用事があるの」(荷造りしなくちゃ。)

 音楽に追いかけられながら二階へ上がった。ビーが家を震わせていた。休息でも安らぎでもなく――アリスは思った――まさに閑居なのだ。気づくと、開いたままの寝室のドアから掃除機の音が聞こえていた。部屋にはいるとピール夫人がいた。

 白い短靴を履いたピール夫人は、長ひょろい足で掃除機のスイッチを止めた。「終わるとこだよ」言い訳するように口を開いた。「風呂場を少しみがこうと思ってね、くたびれた」

 アリスはどっちつかずに微笑んだ。

 夫人は恐ろしく小ぎれいだった。きつくひっつめた髪は真っ白で、くすんだ顔には黒く鋭い目が待ち受けていた。「旦那さんは出かけたんでしょ、ペイズさん?」仲良くしたがっているように聞こえた。

「ええ、そうなの」

「いいねえ!」羨ましそうに夫人が言った。「メキスコ・シティか!」

 衝撃で一瞬なにも言えなかったけれど、すぐに後ろにさがって寝室のドアを閉めた。「なんて言ったの?」

「メキスコ・シティ。遠いんだよね?」

「あの人はミネソタに行ったの」

 それまでピール夫人の口は、半笑いを浮かべ宥めるように、楽しくやりましょうとでもいうように滑らかに言葉を発していた。ところが今は固く結んでいる。「切符を見た気がしたけどね」そう言った。「抽斗を覗いていなかったかい、ペイズさん」目が怒りを含んでいた。なめるんじゃないよ、そう言っていた。

 アリスは止まらなくなった震えを、必死で押さえようとした。

「ピールさん……でしたっけ?」

「そうだよ、ペイズさん」

 アリスは何歩か近づいた。微笑みを浮かべたが、顔はこわばっていた。「ピールさん、インディアナ出身なの?」

「そうだよ。なんで知ってんの?」怒りの表情は消えた。

「わかるに決まってる」アリスはさらに強く微笑んだ。「わたしもそうなの!」

「へええ? どこ?」機械的な質問だった。

「クローフォーズヴィル」

「そっかい? あたしゃゲーリーだよ」

「インディアナ同士ね」

 ピール夫人は首をひねった。「メキスコ・シティとは関係ないね?」黒い目が嘲っていた。ほっそりしたアリスの身体をじろじろと眺めまわした。アリスは間違ったのだ。インディアナの田舎者だと認めせいで、泊まり客に払わなくてはならない敬意を消滅させた。仕方ない。

「メキシコのことを誰かに言った?」

「何にも」ピール夫人ははっきりと短く答えた。

本当?」

「あんたが出かけてからずっとここにいたよ。朝のうちは入れないからね。台所の連中とおしゃべりしてるわきゃないだろう」ピール夫人の声は嘲りを含んでいた。「あいつらはお上品な住み込みさ」目が輝いていた。怒りに燃えていた。この人の力強さは大きな怒りから生まれているのだ。「どうしたのさ、ペイズさん?」小狡そうに尋ねた。

 アリスは頭をひねって手だてを探った……何の手だて?……トニーを守るための。アリスはゆっくりと話し始めた。ひとつの手だてだ!「秘密にしておいてほしいことがあるんだけど」

 ピール夫人は食いついたようだ。小狡げな目つきになった。

「夫はある仕事をして」いかにも内緒事を話すような低い声だった。「――大もうけできるかもしれないの。けどみんなにはミネソタに行ったと思わせておかなくちゃ」

 ピール夫人の唇が結ばれた。首を縦にふる。

「油田なの」アリスは口から出まかせを言った。

 油田のことなら知っていると、首の動きが告げていた。

「お願い。行き先は誰にも言わないで」

「もちろん」声は力強かったが、黒い目の鋭い輝きは信用がおけなかった。「ミネソタに行ったはずだね? へえ!」

 アリスのアクセサリーが散らばっている鏡台を振り返る。手に取って盛んに拭き始めた。「いいもの持ってるね」しばらく経ってからそう言った。「宝石っていいねえ」

 布巾の動きが止まった。部屋が一瞬しずかになる。そこでアリスが口を開いた。「ほしいのがある?」明るい声のまま尋ねた。鏡の中にある夫人の顔を見る。目が鏡台の上を貪欲にさまよっていた。「もしよかったら」トニーのことが心配で胸が悪くなる。「あげようと思って。真珠なんてどう?」

「いいね」

 アリスは半分以上が装身具で埋まった宝石箱をほじくり返すと、輪が三重になった首飾りを取り出した。「これなんかどう?」

 ピール夫人は少しためらい踏みとどまった。「インディアナかい、へえ?」やっと心を決めたようだ。「ねえ、同じふる里の人間に会うのはいいもんだね」

「そうですね」アリスはできるだけ温かく答えた。「着けてみない?」首飾りを置いた。ピール夫人は真珠をごつごつした手に取った。首の高さまで上げる。「こんなの留められないよ。壊れてないかい?」

「待って! ほら。いまやってあげるから」

 夫人の背が高かったので、アリスは背伸びをした。留め金を留める指が太く感じた。「自分でも簡単に着けられるから」気軽にそう言った。「気に入った?」

「わりといいね。高いんだろう?」

「そうでもないけど――でもいいものだから。マーシャル・フィールズの……」

「うそでしょ?」ピール夫人はマーシャル・フィールズを知っていた。

「あら失礼!」驚いたようなホーテンス・スタッフォードの喘ぎ声が聞こえた。

 アリスが振り向くと、開きかけたドアには優雅なミイラがいた。驚いた表情が凍りつくのが見えた。「ノックはしましたからね」非はないという口調。「けれどビーの音楽が……」

 気まずくなって途中で手を放しはしなかった。指はなおも金具を留めようとしていた。「ちょっと待ってください」穏やかな声には、作業が中断されたからしばらく待ってもらうという含意を持たせた。「あれ、なーんだ。ピールさん、逆さだったんですよ。もう大丈夫! ほら」終えてからようやくホーテンスに声をかけた。「どうぞお入りください」

 掃除婦が真珠をもてあそびながら振り返った。へつらうような顔つきになったものの、ホーテンスが不快になるのを意地悪く喜んでいるのがうかがえた。

「トニーがちゃんと出かけたのか確認したかっただけですから」ホーテンスは無表情だった。

「大丈夫です。すみません」

「それと、ジェラルディンおばさんがお話ししたいと伝えに。お時間があればですけど……」ホーテンスの瞳が一閃した。

 アリスは明るく微笑んだ。「ピールさんもインディアナ人なんですって。ご存じでした?」

「あら、そうですか」ホーテンスはそっけなく答えると、立ち去った。

 ピール夫人の顔中に笑みが広がっていた。夫人を避けたようなたった今の会話には、何の含意もない。ホーテンスの階級的嫌悪も、アリスのわざとらしい仲間意識も。「ありがとさん」親しげに声をかけた。「ほんとに助かるよ、こんな真珠もらっちゃって、嬉しいねぇ」

「気に入ってもらえてよかった。さっき言ったこと忘れないでね」

「もちろんだ、何にも言わないよ」力強い返答だった。「あんたとあたし、二人の取引のことは誰にも言う必要はない。あいつらには自分のことだけ考えさせておけばいい、そう思うね。もう風呂場に戻っていいかい?」

「うん。それにわたしも……」

「あんたはお局さまに会いに行った方がいいね」ピール夫人が鼻にかかった声で口を挟んだ。激しい怒りが噴き出していた。「だってお局さまだろう? 自分じゃそう思っんのさ! 始終あんなにお高くとまってなけりゃあモップが置いてあるのも見えたろうさ。でも見なかった。お高くとまって生きてるんだ」

「わざと転ばせようとしたんじゃないってことはわかってる。ただの事故だもん。誰だって防げない」

「そうだとも」口調には誇りがあった。「それに、地元っ子に会えるとはねぇ」ピール夫人の手がアリスの肩にずっしりとのしかかった。いやな顔はせずに微笑んだ。ピール夫人は真珠を着けたまま、浴室に大柄な身体を入れた。

 わたしたちの取引、とアリスは考えた。それを何と呼ぶのだろう? 賄賂? そんな。正しかったのだろうか? どうすればいい?

 明日シカゴに行けないことはわかった。あのことを知られてしまった以上は、この場所を離れるわけにはいかない。ここに残って、ピール夫人を口止めしておかなければ。

 トニーが言っていた。「ぼくの命は君にかかっている

 ピール夫人のことは一ミリも信じていなかった。悪意の塊だ。トニーの生死を理由にして訴えても無駄だ。重要な秘密だと思わせて身体からはち切れんばかりに大きくなるまで興奮させるしかない。これは絶対に間違いない。

 では、がんばって口止めするしかない。何としても口止めするのだ、トニーの命のために!

 いや! 無理だ! できない! 危険すぎる!

 アリスはホールに忍び出た。ここの電話は使わない、ピール夫人の耳に届く。だから急いで階下に降りた。空港を呼び出す。まだ行ってはいないのならば、行かせてはならない。今となっては危険すぎる。

 受話器を手にしてトニーが呼び出されるのを待ちながら、ビーの音楽を防ぐように指を右耳にぎゅっと突っ込んだ。音楽がやみビーがホールにやって来た。「あれ、ごめんなさい。電話してたんだ」

 アリスは指を外した。「トニーを捕まえたくって。忘れてたの」

「へえ」ビーは腕時計に目をやった。「でももう遅いんじゃない」ビーは擦るように階段を上っていった。

 壁の時計は二時四十五分だった。すでに飛び立ってしまったのだと悟った。あの紙切れには、L.A.発、二:三〇と書かれてなかったっけ? もうダラス行きの飛行機の上だ。

 アリスは受話器を置いて考え始めた。秘密を知っている人たちに連絡しようか? でもオヤジさんの名前も居場所も、どんな組織にいるのかさえも知らなかった。そうなのだ、トニーがダラスで使っていた名前すら知らなかった。たとえ方法がわかったところで、国外へ行ってしまう前にどうやってダラスで捕まえられるというのだろう?

 もう遅すぎた。

 アリスはゆっくりと立ちあがった。モップとバケツを持ったピール夫人が階段を下りてきた。二人がすれ違う。アリスが共犯めいた笑みを与えると、いやらしくて自信たっぷりの笑みを返された。

 アリスはレッドファーン夫人に会いに行った。

「聞いた話だと」薄桃色の羊毛に包まれた寝台という玉座に横たわったまま、貴婦人が言った。「インディアナにいるときからピールを知っていたそうね?」

 ホーテンスがすぐに伝えたのだと考え、苦々しい気持になる。それも不正確に。アリスは自問自答しながら誤りを正そうとした。いや、ホーテンスはひとつの結論に飛びついた。でもこれはチャンスかもしれない、言い訳しているように見えるかもしれない――

 女は生まれながらの女優、トニーにはそう言った。別の言い方をすれば、生まれながらの嘘つきってことだろうか? トニーの仕事には嘘をつく才能が要る。そう言っていた。今アリスは、その仕事をしているのだ。嘘をつき、個人的な隠しごとだという振りをしなければならない、それがトニーを守ることになる。

 アリスはすらすらと嘘をついた。「ええ、そうなんです。驚かれました?」

 レッドファーン夫人が答えた。「そうねえ、わかりますよ、そりゃあピールに優しくしてあげてるんでしょう。でもね、ご両親は使用人を雇っていたのよね?」

 レッドファーン夫人は疑っている。使用人を使っていたのなら、掃除婦に首飾りをつけているのを見つけられるなんてあってはならないということを、とっくの昔に学んでいたはずだ。遠回しに、下層階級の人間なのかとほのめかしているのだ。

 けれど今やアリスは心からの嘘つきだ。よし! 下層階級だということにさせておこう。トニーが身分違いの結婚をしたのだということにさせておこう。何の問題もないはず? だけどあと何日かはピール夫人にもっと『優しくして』あげなくてはならないことになる。

 無邪気にも勘違いをしている振りをして答えた。「えー違いますよ、ピールさんは使用人じゃありません。母の友だちなんです」そう言ってからにっこり微笑んだ。

「そうなの?」レッドファーン夫人のつぶやきは上品だった。目がうろたえたかのように見えたとしても、それは問題じゃない、なにしろ声は穏やかだったし表情は変わらなかった。多かれ少なかれ誰もがみんな嘘つきなのだ。

 レッドファーン夫人は話題を変えた。「どうやってあなたのこと、おもてなししようかしら。今夜は何人かを招待してるんですよ。音楽会を開くつもりでね、あなたとトニーのために……」

 灰色の瞳に愛情はない。アリスはどこかぶしつけにその瞳と相対せねばならなかった。「お気遣いなく。わたしだけ出席するのもまずいでしょう」

「そうでしょうね」レッドファーン夫人は冷たく答えた。「延期した方がよさそうね」

 アリスはすっかり夢中になってしまった。だめだめ、ぶしつけなのはよくない。「わたしのことは気になさらないでください」真剣に請うた。「足首をお大事に。トニーが戻ってからにしませんか」

「それでは退屈でしょう」

「こんな家はじめてなんです」アリスは一息に答えた。「素敵なものばかりで。すごく新鮮です」

 灰色の瞳がほんのわずか細められた。

 十分後、気づくとそそくさと辞去して、耳を澄ませながらゆっくりと階下に向かっていた。みんなの居場所も、誰が誰と話しているのかもわからなかった。今となっては自分の考え、行動、反応すべてが一瞬のパニック状態の中で衝動的に行われたように感じていた。

 トニーの家族に正直に話すことはできなかっただろうか? トニーの命が危うい状態にあることもわかってくれるだろうし、力を貸してくれもするだろう。それに、ピール夫人を口止めしてくれるはずだ。

 でもできるだろうか? 誰もしゃべるなと命じることはできない。それにピール夫人はみんなのことを嫌っている。でもアリスは――たぶんアリスだけが――説得し、仲間意識を持たせ、しゃべらないようにすることができる。

 誰にしゃべらないように?

 デヴォン医師?

 だけどピール夫人がデヴォン医師と直接しゃべることなどほとんどないだろう。グレッグおじさん経由だ。おじさんはどうだろう? 旧友のデヴォン医師が危険な犯罪者であり、麻薬取引に関与しているだなんて、すぐに信じるだろうか? アリスはグレッグのことをよく知らない。だけど万がいち信じてくれたとしたって、デヴォン医師に秘密を漏らさないようにするという事態に直面するのだ。できるのだろうか? グレッグには少しでも俳優の素質があるだろうか?

 それにビーは、デヴォン医師とは感情的に関わりがある、だってカウンセラーなのだ。

 それに(たくさんの不安が一気に押し寄せ、アリスの心臓は震えおののいた)、いったい危険なのはデヴォン医師だけだろうか? アリスは悟った。ピール夫人はこの町のどこかで他人と会うだろう。この犯罪行為の末端がどこに潜んでいるかもわかならいのでは? トニーの本当の目的地が知られるのは絶対に……

 だけどどうしてそんなに危険なのだろう? たかが居場所ではないか? 耳にしたところで何がわかるというのか? トニーはメキシコ・シティに向かったのだとあの人がしゃべったところで、そこでどんな仕事をするのかは誰にも推測できないのでは?

 アリスにははっきりとはわからない。けれどひとつだけはっきりとわかっていることがあると気づいた。居所が知られると危険だとトニーが言ったのだ。それだけは信じられる。それに約束した――何度も念を押して――絶対にしゃべらないと。だから話すことはできない。それに、ピール夫人にしゃべらせないというごく単純な務めもある。

 まさに務めというのは単純なものだった。だが実行するとなるとそれほど単純ではない。

 けれど退屈になるだろうとは思わなかった。

 大部屋に足を運ぶと、本を読んでいたビーが声をかけた。「どーも」

「ピールさんが来る日っていつなのかわかります?」

「月、火、水、木。どしたの?」

「朝早いんですよね?」

「うん、まあね……帰るのも早いし。四時ごろ。ねえどうしたの?」

「じゃあもう帰っちゃいました?」

「十五分くらい前」ビーは手首に目をやった。「いったいなに?」

「それが、母の友だちだったんです」アリスはこの嘘をいとも簡単に繰り返した。

 ビーは白い額の下で黒い眉をひそめた。「まずくない?」

「そんなことないでしょ」アリスは穏やかに答えた。

「あんた、トニーとはどこで知り合ったの?」抑揚のない響きだった。あんたという代名詞のアクセントを下げないほどには上品なものだった。

 アリスはしゃあしゃあと言ってのけた。「ナンパされたの」

「へ?」

 アリスは笑った。「みんなやってることですよ」本当のことだ。世間では、誰もがそうしていた。トニーもそうだ。バスでアリスを見かけた。アリスが降りるとトニーも降りた。追いかける男にとって世間というものは、本質的に太古のジャングルと変わりがない。アリスが街頭で夕刊を買おうと小銭を探していると、横から五セント玉が転がり込んできた。

 トニーが言った。「あとを追っかけてきたんだ。どうしてもそうしたくて」

 おかしな話の真意を読みとろうと顔中を見回していたアリスが口を開いた。「どうして?」

「君のことが気になって。どうすればいいかな?」

 アリスは落ち着き払って現実的な言葉を口にした。「方法はいくらでも。職場を見つけ出して上司の知り合いのふりをしてもいいし。日曜に教会に来たっていいし」

「そうしよう」飛びつくようにそう言った。

 アリスはいつもどおりに落ち着き払ってたずねた。「ようするにわたしに興味があるんですか」

「そうなんだ。例えば鼻筋なんだけど、でもはっきりわからない。つまりさ、はっきりさせたいんだ」

『正直』で『現実的』なところにお互いすっかり夢中になった。新聞売り場のちょうど隣にあったハンバーガー・ショップに入ると、鼻に限らぬアリスのことや、トニーの直感についておしゃべりをした。

 仮に結婚が天国のようなものだとしても、身の回りのどこが天国になるのかは誰にもわからない。天国はバスの中、新聞売り場。天国はオニオンとケチャップの匂いがする。天国はこの世のおまけ。天使たちは遠くから見守っている。思い出して微笑んだ。

 すると、レッドファーン家の大部屋で、トニーのいとこが蔑むように言った。「ふうん、みんなやってるんでしょうね」自分が『みんな』ではないかのようだ。『みんな』というのは他人ごと。

 ビーが可哀想になった。

「正式に紹介されたわけじゃないの?」ビーがたずねた。「そうなの?」

 アリスは笑った。「それがね、教会で紹介されたんです。司祭がひとり……」

 ビーは気色ばんだ。「からかってんでしょ」つぶやくと本に目を戻した。

 だけどトニーは日曜日に教会に現れたのだ。トニーは司祭と『知り合い』だとかいう話だった。最高のトニー! そして明くる週末にはアリスと共にクローフォーズヴィルまで行き、アリスの父と長いあいだ話をしていた。何もかもが理想的で……完璧だった。

 けれどすぐに目下の問題に心を切り替えた。どこにいようと、ピール夫人が誰にもしゃべらないようにしなくては。出かける前に捕まえよう。

 思いついたようにビーがたずねた。「アリスって何歳だっけ?」

「明日で二十歳です」反射的にアリスの口から答えが飛び出した。そこでトニーが電報を止めたことを思い出した。誕生日に何の言葉もないってこと? それはちょっと不自然だ。「ごめんなさい、内緒にしといて。いいでしょ? 騒ぐほどのことじゃないし。お願い」

「お好きなように」ビーは素っ気なく肩をすくめた。

「ちょっとごめんなさい」

 震えながら玄関ホールまで飛んでいくと、格子窓から木立に目を凝らした。何もかもメチャクチャにしてしまわなかっただろうか? ピール夫人の白髪頭が車庫から続く私道を進んでゆくのを見て、アリスは玄関から飛び出すとぐらつく石段を降りて追いかけた。

「そこまで一緒に歩きましょう。かまわない?」

「なんだってんだい、ペイズさん?」黒い靴を履いたピール夫人の足取りが早くなった。折り畳んだ仕事着の入った紙袋を提げている。

「アリスって呼んで。レッドファーンさんとどんな話をしたと思う?」

「知るもんか、なんて言ったんだい?」夫人の緊張は解けていた。

「あなたが母の友だちだったって言ったの」ピール夫人には知ってもらった方がいいとわかっていた。

 ピール夫人は「なんで?」という言葉を口に出しはしなかったが、それでもアリスはその質問に全力で答えていた。「わからないけど……」腹が立ったかのように茂みを叩いた。「あのひとは……わたしたちはおんなじ――あなたは母のこと知っていたかもしれないでしょう。モリー・ハンセンっていうの。旧姓はマーサー」

「どっかで会ってるかもしんないね」興味のなさそうな返答だった。

「背はあなたと同じくらい高くて。少し白髪混じりになっちゃった。前は赤茶だったんだけど」

「ホームシックってわけかい?」

「たぶんね」

「ふん、旦那はすぐ帰ってくるんだろう?」ピール夫人の白い眉が上がった。

「ええ、まあ……」

「儲かった?」夫人の目はこの点について知りたくてらんらんと輝いていた。

「ううん、それが。でも……ね……この仕事をやっていれば、そうなる可能性はあるから……」アリスは小声で話しながら笑みをもらした。「だから誰にも、どんな時でも、言わないでくれる?」(お金が目当てだと思わせておかなくては。)

「ああ」ピール夫人は簡潔に答えた。敷地の外まであと少しだった。「ねえアリスさんや、ちょっとお願いしてもいいかい」

「もちろん」

「それじゃねぇ、借金があってちょっと金欠なんだけど、お金を貸してもらえないかい?」

 失敗だ。ピール夫人は馬鹿じゃない。アリスがレッドファーン夫人に嘘をついたというのなら、口にできたこと以上の理由があるに違いないのだ。それに、口止めに念を押しすぎた。ピール夫人はとっくに感づいてしまった。すでに試し始めている。お金が目当てだ。

「今お金を持ってないの」アリスはかなりいい加減に答えた。

「そうかい、明日でもいいよ。そうだね、二十ドルってとこかな?」

「なんとかします」アリスはゆっくりと口を開くと、しばし夫人をまっすぐに見据えた。「もちろん……」考え込んでいるようなはっきりしない声を作った……「誰かにこのことをしゃべったら、仕事はうまくいかないから……そのときは何もあげられない……」腹を決めたようなふりをして、声音を変えた。「明日、渡せると思う。独り暮らし?」

「違うけど、どうでもいいじゃないか」そう言ってそっぽを向いた。「自分のことを考えな」はっきりしない声だった。ピール夫人は考え事をしていた。

「うん、それじゃあ」アリスは立ち止まった。泣きじゃくりたいほど疲れていた。一人になりたかった。

 ピール夫人も立ち止まった。「仲良くしようや」馴れ馴れしい言い方。「もう二十年、帰ってないなァ。あんとき幾つだった?」

「七歳か八歳」

「だろうね。モリー・マーサーのおチビちゃんかい?」ニンマリと笑うと口が大きく広がったが、ちっとも面白そうじゃない。「じゃあ、メキシコ風にアスタ・ラ・ヴィスタ

 アリスはきびすを返した。ピール夫人は牧草地沿いの道路を歩いていた。

 どうすればいい? どうしようもない! やるしかないのだ!


Charlotte Armstrong "THE GIRL WITH A SECRET" CHAPTER 3 の全訳です。


Ver.1 05/01/05

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