この翻訳は翻訳者の許可を取ることなく好きに使ってくれてかまわない。ただし訳者はそれについてにいかなる責任も負わない。
翻訳:東 照
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ジョゼフ・バルサモ

アレクサンドル・デュマ

訳者あとがき・更新履歴
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第百四十八章 真相

 バルサモが扉を閉じて戸口に姿を見せると、フィリップが恐れと好奇心の入り混じった目を妹に向けていた。

「覚悟はいいかな、騎士シュヴァリエ?」

「ええ、大丈夫です」フィリップは震えながら呟いた。

「では妹さんに質問を始めるぞ?」

「お願いします」フィリップは深呼吸して、胸にかかる重みを和らげようとした。

「だがその前に、妹さんを見てもらおう」

「見ています」

「間違いなく眠っているな?」

「ええ」

「ならばここで起こることに何一つ気づくことはないだろうな?」

 フィリップは答えずに、迷ったような仕種を返した。

 バルサモは暖炉に向かい、蝋燭をつけてアンドレの目の前にかざしたが、炎を前にしてもアンドレの瞼は閉じなかった。

「眠っていることに間違いはありませんが、何て不思議な眠り方なんだ!」

「では質問をしよう。いや、俺が妹さんに無礼な質問をしないか心配だと言っていたな。あなたがご自分で質問なさい」

「でもぼくはさっき話しかけたし手を触れたんです。ぼくの声が聞こえもしないし、何も感じもしないようでした」

「それはあなたが妹さんと結びつけられてなかったからだ。俺が段取りを整えよう」

 バルサモはフィリップの手を取り、アンドレの手と重ねた。

 すぐにアンドレが微笑んで囁いた。

「あなたなの、お兄様?」

「どうだ、あなたのことがわかったようだぞ」バルサモが言った。

「本当ですね。何て不思議なんだ」

「質問すれば、答えが返って来る」

「ですが、目を覚ましている時に覚えていなかったものを、どうやって眠っている時に思い出すというのでしょうか?」

「そこが科学の神秘だな」

 バルサモは息を吐いて、隅にある椅子に腰を下ろした。

 フィリップは手をアンドレの手に重ねたまま動かなかった。アンドレに何とたずねればいいのだ? 答えを聞けば、辱めを受けたことが確実になるだろうし、誰が犯人なのかも明らかとなり、誰に復讐心を向ければいいのかもわかるだろう。

 アンドレは半ば恍惚として、その顔からは何よりも安らぎが窺えた。

 フィリップは震えながらも、準備はいいかと問いかけるバルサモの目つきに応えた。

 だがフィリップが不幸な出来事のことを考え、顔色を曇らせるにつれて、アンドレの顔にも雲が覆い、ついに口を開いたのはアンドレの方だった。

「ええ、その通りです、お兄様。わたくしたち家族にとって大変な不幸でした」

 兄の心を読んだように、フィリップの考えていたことを口に出した。

 不意打ちされたフィリップはおののいた。

「不幸とは何のことだい?」何と答えて良いのかわからずに問いかけた。

「まあ! ご存じじゃありませんか」

「話をさせるのです。そうすれば話してくれる」

「どうやって話をさせればいいのでしょうか?」

「話をして欲しいと願いなさい。それだけでいい」

 フィリップは内なる衝動に任せてアンドレを見つめた。

 アンドレが顔を赤らめた。

「まあ、ひどい。アンドレがお兄様に嘘をついたと思ってらっしゃるなんて」

「では愛している者などいないのかい?」フィリップがたずねた。

「おりません」

「すると、二人で示し合ったのではなく、ぼくを裏切ったのは犯人一人なんだね?」

「何のことでしょうか?」

 フィリップは助言を求めるように伯爵を見つめた。

「問いつめなさい」とバルサモが答えた。

「問いつめるですって?」

「ええ、単刀直入に質問なさい」

「アンドレにも恥じらいというものがあるのに?」

「抑えて抑えて。目が覚めれば何も覚えていないのだから」

「それなのに、ぼくの質問には答えられるというのですか?」

「よく見えるか?」バルサモがアンドレにたずねた。

 アンドレはその声の響きに身体を震わせ、バルサモの方に光の消えた目を向けた。

「あまりよく見えません。あなたが質問して下されば――あっ、でもだんだん見えて来ました」

「見えるんだね。それなら、おまえが気絶したあの夜のことを詳しく話してくれないか」フィリップが声をかけた。

「五月三十一日の夜からではないのですか? 疑いはあの夜まで遡るものと思っておりましたが? すべてを一斉に明らかにするなら今ですぞ」

「あの夜から質問する必要がありませんから。あなたの言葉を信じることにしました。これほどの力を自在に操れる方でしたら、それをつまらない目的に使ったりなどはなさらないでしょう。アンドレ、気絶した夜に起こったことを残らず話してくれないか」

「覚えておりません」とアンドレが答えた。

「お聞きになりましたか、伯爵?」

「絶対に覚えているし、話してくれるはず。そう命じてご覧なさい」

「ですが眠っているのなら……?」

「魂は起きている」

 バルサモは立ち上がってアンドレに手をかざし、眉をひそめて意思と霊力をさらに強めた。

「思い出せ、いいな」

「思い出しました」

「凄い!」フィリップが額を拭った。

「お知りになりたいことは?」

「すべて!」

「どの時点からでしょうか?」

「おまえが横になった時点から」

「自分が見えるか?」バルサモがたずねた。

「はい、見えます。ニコルが用意したコップをつかんで……おお、恐ろしい!」

「どうした? 何があった?」

「人でなし!」

「話してくれ、アンドレ」

「コップには混ぜものが入っていました。それを飲んでいたら、わたくしは終わりでした」

「混ぜものだって! いったい何の目的で?」フィリップが声をあげた。

「待って下さい!」

「まずは飲み物だ」

「口元に持って行こうとしましたが……その時……」

「どうした?」

「伯爵に呼ばれました」

「何処の伯爵だい?」

「この方です」アンドレはバルサモに手を向けた。

「それから?」

「それから、コップを元に戻して、眠りに陥りました」

「それからどうしたんだ?」

「立ち上がって伯爵に会いに行きました」

「伯爵は何処に?」

「窓の正面にある菩提樹の下です」

「じゃあ伯爵はおまえの部屋に入ったことはないんだね?」

「ありません」

 バルサモの目が、「嘘をついていたかどうかおわかりいただけましたな?」とフィリップに告げていた。

「伯爵に会いに行ったと言ったね?」

「はい。呼ばれればその通りにいたします」

「伯爵の用事は何だったんだ?」

 アンドレは躊躇った。

「言うんだ。俺は聞かぬことにする」

 バルサモは椅子にうずくまって両手で頭を抱えた。アンドレの言葉が届かないようにしているのだろう。

「伯爵の用事が何だったのか教えてくれるかい?」フィリップが繰り返した。

「知りたがっておいででした……」

 ここで再び口を閉ざした。伯爵の心臓が破れてしまわないかと心配しているかのようだった。

「続けてくれ、アンドレ」フィリップが懇願した。

「家から逃げ出してしまった人のことを知りたがっておいででしたが」アンドレの声が小さくなった。「その方はその後、お亡くなりになってしまいました」

 アンドレの言葉は小さかったものの、バルサモの耳に届いたか、もしくは見当がついたに違いない。バルサモが苦しげに呻くのが聞こえたからだ。

 フィリップが口をつぐんだ。沈黙が降りた。

「続けてくれ」バルサモが言った。「兄上はすべてを知りたがっているぞ。すべてを知らなくてはならぬ。その男は手に入れたかった情報を受け取った後どうした?」

「お逃げになりました」アンドレが答えた。

「おまえを庭に置いて?」フィリップがたずねた。

「はい」

「おまえはどうしたんだ?」

「伯爵が立ち去ると共に、わたくしを捕えていた力も遠ざかりましたので、わたくしは倒れました」

「気絶したのかい?」

「違います。眠っていましたが、それまでとは違う重い眠りでした」

「眠っている間に起こったことを思い出せるかい?」

「やってみます」

「よし、何が起こった?」

「男が茂みから出て来て、わたくしの腕をつかんで連れて行きました……」

「何処に?」

「ここ。わたくしの部屋に」

「そうか!……その男が見えるかい?」

「待って下さい……はい……はい……また!」アンドレが嫌悪と不快感を見せた。「またあのジルベールです!」

「ジルベール?」

「はい」

「ジルベールは何をしたんだ?」

「わたくしを長椅子に寝かせました」

「それから?」

「待って下さい……」

「見るんだ、目を凝らせ」バルサモが言った。「それが俺の望みだ」

「耳を澄まし……別の部屋に行き……怯えたように後じさり……ニコルの部屋に入って……ああ! ああ!」

「どうした!」

「その後から男が一人。目を覚ますことも、抵抗することも、叫ぶことも出来ずに、眠っているわたくしを!」

「誰のことだ?」

「お兄様! お兄様!」

 アンドレの顔がこれまで以上の苦痛に歪んだ。

「その男が誰なのか言うんだ。命令だ!」バルサモが命じた。

「国王です」アンドレが呟いた。「国王です」

 フィリップが身体を震わせた。

「そうだろうと思っていた」バルサモが呟いた。

「陛下はわたくしに近づいて、話しかけ、腕を回して抱き寄せました。お兄様! お兄様!」

 大粒の涙がフィリップの目に浮かび、バルサモから受け取った剣の柄を握り締めていた。

「続けてくれ!」伯爵の声がさらに威圧的になった。

「幸運でした! 国王は狼狽え……立ち止まり……わたくしを見つめ……怯えて……逃げ出しました……アンドレは助かりました!」

 妹の口から出てくる言葉の一つ一つに、フィリップは喘ぎをあげ、息を吸った。

「助かった! アンドレは助かったんだ!」と機械的に繰り返した。

「待って下さい、お兄様!」

 アンドレは身体を支えようとでもするように、フィリップの腕にしがみつこうとした。

「それからどうなったんだ?」

「すっかり忘れていました」

「何を?」

「あそこ。ニコルの部屋に、ナイフを持って……」

「ナイフを?」

「死人のように真っ青になっているのが見えます」

「誰だい?」

「ジルベールです」

 フィリップが息を呑んだ。

「国王のいたところまで出て、扉を閉め、絨毯を焦がしていた蝋燭を踏んで、わたくしの方へ進んで来ました。ああ!……」

 アンドレは兄の腕の中で立ち上がった。筋肉という筋肉が、折れそうなほどに強張っていた。

「おぞましい!」

 ついにそれだけ言うと、アンドレは力なく崩れ落ちた。

 フィリップは止めることさえ出来なかった。

「あいつです! あいつです!」

 そう呟いてからアンドレは兄の耳元まで這い上がり、目を輝かせ、震える声で囁いた。

「あいつを殺して下さいますね、フィリップ?」

「もちろんだ!」

 フィリップは飛び上がった拍子に後ろにあった円卓にぶつかり、磁器をひっくり返してしまった。

 磁器が粉々に砕け散った。

 その音と共に、壁が音もなく鳴り振動した。そしてそのすべてを掻き消すようなアンドレの悲鳴。

「何だ?」バルサモがたずねる。扉が開いた。

「誰かに聞かれたのか?」フィリップが剣をつかむ。

「あいつです。またあいつです」アンドレが答えた。

「あいつとは?」

「ジルベールです。いつもジルベール。殺して下さいますね、フィリップ、ジルベールを殺して下さいますね?」

「もちろんだ! もちろんだとも!」

 フィリップは剣を手にしたまま控えの間に飛び込んだ。アンドレは長椅子に倒れ込んだ。

 バルサモがフィリップの後を追い、腕をつかんで引き留めた。

「待ちなさい。秘密が秘密でなくなりますぞ。陽が昇った。王宮の噂はかしましい」

「糞ッ! ジルベールめ。あそこに隠れて盗み聞きしていたんだ。殺してやるとも。ろくでなしなど死んでしまえ!」

「異論はないが、まずは落ち着きなさい。いずれあの若者には再会できる。差し当たって気にかけなくてはならないのは妹さんだ。昂奮のあまりぐったりし始めているではありませんか」

「わかっています。ぼくと同じ苦しみに喘いでいるんです。あまりにおぞましくて、立ち直れそうにありません。ああ、死んでしまいそうだ!」

「妹さんの為にも生きなくてはなりません。妹さんにはあなたが必要だ。あなたしかいないんだ。妹さんを愛で、憐れみ、大事になさい……」バルサモはしばらく押し黙ってから、口を開いた。「これでもう私はお役御免ですかな?」

「ありがとうございました。疑ったり侮辱したりしたことをお詫びいたします。それでもやはり、すべての不幸の元凶はあなただったのではありませんか」

「言い訳はいたしません。だが妹さんの話をお忘れではありませんかな……?」

「妹が何と? 頭が混乱してしまって」

「仮に私が来なかったとしたら、妹さんがニコルの用意した飲み物を飲んだところに、国王が訪れていた……そっちの方がましでしたかな?」

「そうは思いません。どちらも同じく不幸な出来事でしょう。よくわかってます。ぼくらはそうした宿命に生まれついたんですよ。妹の目を覚ましてくれませんか?」

「だが妹さんが私の姿を見たら、恐らく何が起こったのか察するのではありませんかな。眠らせた時と同様に、遠くから目覚めさせた方がいい」

「ありがとうございます!」

「ではこれにて」

「もう一つだけ。あなたは信用できる方ですね?」

「秘密を守れるかどうかですかな?」

「伯爵……」

「念押しは無用。第一に、私は信用できる人間です。第二に、もう人と関わるようなことはしないと決めたのです。人とも人の秘密ともおさらばするつもりだ。それでももし、私でお役に立てるようなことがあれば頼っていただきたい。もっとも、もう何の役にも立たぬでしょうが。この世にはもう何の未練もない。ではご機嫌よう!」

 バルサモはフィリップに向かって頭を下げ、今一度アンドレを見つめた。アンドレは苦痛と疲労から心持ち顔を仰け反らせていた。

「科学というやつは、価値なき結果に幾多の犠牲を求めやがる!」とバルサモは呟き、姿を消した。

 バルサモが遠ざかるにつれ、アンドレが自由を取り戻した。鉛のように重かった頭を起こし、目に驚きを浮かべて兄を見つめた。

「フィリップ 何があったの?」

 フィリップは嗚咽を喉の奥で引っ込め、気丈にも微笑んだ。

「何でもないよ」

「何も?」

「ああ」

「ですけれど、何だかわたくし、頭がおかしくなって夢を見ていたようなんです!」

「夢を? どんな夢だい、アンドレ?」

「ルイ先生、ルイ先生、お兄様!」

「アンドレ!」フィリップはアンドレの手を握った。「おまえは太陽のように純粋だ。それなのにひどい目に遭わされ、汚されてしまい、ぼくら二人は恐ろしい秘密を抱えることになった。ぼくはルイ先生を探しに行くつもりだ。おまえがホームシックにかかり、治すにはタヴェルネで過ごすしかないと、王太子妃殿下に伝えてもらおうと思うんだ。そうしたら二人で出かけよう。タヴェルネでもいいし、何処か別の場所でもいい。この世に二人きりになって、愛し合い、慰め合えれば……」

「でもお兄様の仰るように、わたくしが純粋なのなら……?」

「そのことはいずれ説明するよ。今は出発の準備をしなさい」

「でもお父様は?」

「父上か」フィリップの顔色が翳った。「そのことも考えている。手筈はととのえるよ」

「ではお父様も一緒なのね?」

「父上も? あり得ないよ。ぼくら二人きりだと言ったはずだ」

「怖がらせないで下さい、お兄様! わたくしは具合が悪いんですから!」

「最終的には神様が判断して下さるさ。だから勇気を出すんだ。ぼくは先生を探しに行く。おまえの具合が悪くなったのは、タヴェルネから離れたのが寂しいからさ。それを妃殿下に遠慮して感づかれまいとしたんだろう。元気を出すんだ。ぼくら二人の名誉の問題だ」

 フィリップは息が詰まりそうになって、アンドレを抱き締めた。

 それから落としていた剣を拾うと、震える手で鞘に戻し、階段に向かって駆け出した。

 十五分後、フィリップはルイ医師宅の門を叩いていた。医師は廷臣がトリアノンにいる間は、ずっとヴェルサイユで暮らしていたのだ。


Alexandre Dumas『Joseph Balsamo』Chapitre CXLVIII「Révélation」の全訳です。


Ver.1 12/05/05

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