この翻訳は翻訳者の許可を取ることなく好きに使ってくれてかまわない。ただし訳者はそれについてにいかなる責任も負わない。
翻訳:東照《あずま・てる》
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アンジュ・ピトゥ

アレクサンドル・デュマ

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第四十三章 革命のすべてが薔薇色ではないと気づき始めたビヨ

 ピトゥと共に至福の神酒に浸っていたビヨだったが、苦杯が満ちていたことにとうとう気づき始めた。

 川べりの冷たい空気に触れてビヨが意識を取り戻すと、ピトゥが声をかけた。

「ヴィレル=コトレにもう帰りたいです。ビヨさんはどうですか?」

 その言葉が快復の刺戟になったものか、ビヨは落ち着きを取り戻して我に返り、人を掻き分け殺戮現場から立ち去るだけの力を甦らせた。

「そうだな。おまえさんの言う通りだ」

 ビヨはジルベールに会いに行くことにした。ジルベールが住んでいたのはヴェルサイユだったが、国王のパリ訪問の日から王妃の許には戻らずに、復職したネッケルの右腕となり、万人の歴史物語のために自分の人生の物語を捨て、貧困を分かち合って好況の礎を整えようとしていた。

 いつものようにピトゥもビヨに倣った。

 二人が部屋に通されると、ジルベール医師は仕事中だった。

「先生、あたしは農場に戻ります」

「何故だい?」ジルベールがたずねた。

「パリが嫌になりました」

「わかるよ。うんざりしたんだろう」ジルベールは淡々と応じた。

「もう御免です」

「革命にはもう憧れはないんだね?」

「早く終わればいいんです」

 ジルベールが寂しそうに微笑んだ。

「革命は始まったばかりだよ」

「ああ」

「驚いてるね、ビヨ?」

「あなたが冷静だからですよ」

「何故だと思う?」

「確信があるからでしょう」

「正解だ」

「何を確信なさってるんですか?」

「当ててご覧」

「すべてが丸く収まると考えておいでで?」

 ジルベールはさらに寂しそうな笑みを見せた。

「いや、逆だよ。すべてが良からぬ結果を迎えると確信している」

 ビヨが反論の声をあげた。

 ピトゥは論理的ではない論理を耳にして目を見開いた。

「いやいや」ビヨはごつい手で耳を掻いた。「どうもよくわかりません」

「椅子に坐ってそばにおいで」

 ビヨは言われた通りにした。

「もっと近くに。君に聞かせたい話を、ほかの誰にも聞かれたくない」

「ボクもでしょうか、ジルベールさん」ピトゥがおずおずとたずね、ジルベールに言われればいつでも引き下がるつもりだと身振りで伝えた。

「いや、残り給え。若い人にも聞いて貰いたい」

 ピトゥは目と同じくらいに耳を開いて、ビヨのそばの床に腰を下ろした。

 こうしてジルベールの仕事部屋(le cabinet)で始まった三人の話し合いは、なかなか興味深い光景だった。傍らの机には手紙や書類やほやほやの印刷物や新聞が積まれ、すぐそばの扉に詰めかけた請願者や告訴人は、目も手足もほとんど利かない老事務員に押し返されていた。

「教えて下さい。悪い結末とは?」ビヨがたずねた。

「いま何をしているかわかるかい?」

「文章をお書きで」

「ではこの文章の意味は?」

「当てろと仰るんですな、文字も読めないあたしに」

 ピトゥがおずおずと顔を上げ、ジルベールの前にある書類に目を向けた。

「数字ですね」

「そう、数字だよ。この数字がフランスを破滅させるものでもあり、救うものでもあるんだ」

「何ですって!」ビヨが声をあげた。

「何ですって!」とピトゥも同じ言葉を発した。

「この数字が明日には印刷されて、王宮や貴族の館や貧乏人のあばら屋から、収入の四分の一を請求することになるんだ」

「え?」ビヨがたずねた。

「アンジェリク伯母さんが嫌な顔をしそうだなあ」ピトゥが呟いた。

「おかしいかい? 革命を起こしたんだから、革命の対価を払うべきだろう?」

「その通りですね」ビヨがきっぱりと応じた。「そうさね、払うべきだ」

「君は信念を持っているからね、そうした答えを聞いても驚かないよ。だが信念を持っていない人たちは……」

「信念を持っていない人たちは……?」

「ああ、どうすると思う?」

「抗うでしょうね」ビヨの言葉には強い意志が感じられた。自分だったら何が何でも抗うだろう。自分の信念と相容れない活動のために収入の四分の一を請求されて黙っているわけがない。

「では抗争だ」ジルベールが言った。

「でも多数派が」

「言ってご覧」

「多数派が押し切りますよね」

「つまり圧制だ」

 ビヨがジルベールを見つめた。疑わしげだった眼差しに閃きの光が灯った。

「焦らなくていい」ジルベールが言った。「言いたいことはわかる。貴族と聖職者が何もかも手にしている、そうだろう?」

「その通りです。それに修道院も……」

「修道院?」

「修道院も貯め込んでますよ」

周知ノ事実Notum certumque」ピトゥが呻いた。

「貴族の税率が低すぎるんです。あたしは農夫ですからね、あたしだけでシャルニー三兄弟の二倍の税金を払ってるんですよ。三人で二十万リーヴル以上の年金を受け取ってるというのにね」

「では貴族と司祭のことを自分と同じフランス人だとは思っていないのかい?」

 ピトゥが耳をそばだてた。グレーヴ広場では肘の強さで愛国心が測られているような時に、異端の響きを伝えるような質問だったからだ。

「同じフランス人だとは思っていないんだろう? 奪うだけ奪って何一つもたらさない貴族と司祭のことを、自分と同じ愛国者とは考えられないんだね?」

「考えられませんね」

「間違っているよ。君以上の愛国者なんだ。これから証明して見せよう」

「まさか。信じられませんね」

「特権があるからかい?」

「当然でしょうが」

「順を追って説明しよう」

「順を追って聴きますとも」

「では断言しよう。今から三日後には、フランスの特権階級の手からは何にもなくなってしまうよ」

「つまりボクのようになるのか」ピトゥがしみじみと口にした。

「そうだね、君のようになるんだ」

「どういうこってす?」ビヨがたずねた。

「説明しよう。利己的だと君が批判している貴族や聖職者も、フランスを席巻しつつある愛国熱に浮かされ始めているということだよ。今は地割れの縁に羊のように集まって話し合っているところだ。そのうち勇敢な者が裂け目を飛び越えるはずだ。明後日か、明日か、もしかすると今夜にも。そうなれば後は一人目に倣って全員が飛び越えるだろう」

「つまりどういうこってすか、ジルベールさん?」

「つまり特権を捨ててゆくということだよ。領主たちは村人を放り出し、地主たちは小作人も小作料も放り出し、貴族たちは鳩小屋に鳩を置いてゆくんだ」

「本当ですか?」ピトゥが目を丸くした。「本当に何もかも捨ててゆくとお考えですか?」

「待てよ?」ビヨが顔を輝かせた。「つまり自由になるってことじゃないか」

「自由! 自由になったら、どうしましょうね?」

「そうだな」ビヨは若干まごついたような顔をしてから答えた。「俺たちがどうするかって? そのうちわかるさ」

「最高の言葉だね」ジルベールが言った。「そのうちわかる、か」

 ジルベールは重苦しい顔つきをして立ち上がり、しばらく無言で歩き回った。それから怖くなるほど真剣な様子で、ビヨの節くれ立った手を握った。

「そうだね、そのうちわかる。そのうちわかるんだ。僕らは何もかも理解することになる。君も僕と同じく、僕も君と同じく、誰かと同じくね。さっき考えていたのはそういうことなんだ。冷静な僕を見て驚いていただろう」

「怖いことを仰いますね! みんなが一つになって抱き合い、寄り集まって、同じ幸せのために協力するって言うんですか。暗い顔をなさってるのはそのせいですか、ジルベールさん?」

 ジルベールは肩をすくめた。

「でしたら」とビヨが質問を始めた。「ご自分のことはどうお考えなんですか? 新しい世界に自由をもたらして古い世界ですべての準備を終えた今、気になるところがあるとすれば?」

「ビヨ、君は自分では気づきもしないうちに、謎々の答えを口にしたようだね。ラファイエットが口にしたその言葉を、ラファイエットを始めとして誰一人理解していないようだが、僕たちは新世界(Nouveau Monde)に自由を与えたんだ」

「あたしらフランス人がですか。そりゃ凄い」

「凄いことではあるが、高くつきそうだよ」ジルベールが悲しげに答えた。

「お金が使われたのも、賭け金が支払われたのも、結構じゃありませんか」ビヨは晴れやかに言った。「黄金が少し出て行き、たくさんの血が流され、借金が返されたんですから」

「わかってないな。盲人には夜明けの光に照らされても見えないんだ――破滅の種が――同じように何も見えていなかった僕が批判の声をあげているのはどうしてだと思う? 新世界に自由をもたらしたということはね、ビヨ――残念なことに――旧世界を失ったということだよ」

新シキ秩序ノ誕生Rerum novus nascitur ordo」ピトゥは驚くほど落ち着き払っていた。

「冷静に考えてみたまえ」ジルベールが言った。

「イギリスを押さえ込むのはフランスを鎮めるのより難しいってことですか?」ビヨがたずねた。

「新世界というのは、いわば真っさらな場所、何もない白紙なんだ。法律もない代わりに、悪習もない。思想もない代わりに、偏見もない。フランスには三万里四方に三千万人が住んでいる。土地を分け合おうと思ったら、わずかな土地しか揺りかごと墓に充てられない。その点、アメリカだと二十万里四方に三百万人だ。理想的なことに国境くにざかいには砂漠がある。海がある。つまり広大な土地がある。その二十万里の領土内に、千里にもわたる大河がある。人跡未踏の原生林がある。つまり生命、文明、未来を作り上げるだけのあらゆる要素があるんだ。簡単なことじゃないか、ビヨ。ラファイエットという名の剣に秀でた人間がいて、ワシントンという名の頭脳に秀でた人間がいるのだから、立ちはだかる森や土地や石や人の身体相手に、立ち向かうのは難しいことじゃない。だが築き上げるのではなく破壊するということは、挑むべき古い秩序の中で思想の壁が崩れてゆくのを見るということは、たくさんの人や欲望(intérêts)がその壁の瓦礫の後ろに逃げ込むのを見るということは、自分の思想を人にわからせるためその人たちを殺さなくてはならないのを見るということは、それを胸に留めている老人から胸に刻むはずの子供に至るまで、記憶という記念碑から直感という種子に至るまで抹殺しなくてはならないということは、地平線の向こうまで見渡せる人たちを震え上がらせるような行為だ。僕は遠くまで見えるから、震えているんだ、ビヨ」

「待って下さいよ」ビヨが素朴な疑問を口にした。「さっきは革命にうんざりしていたのを突っ込んでいたのに、今度は革命を憎めばいいと仰るんですか」

「諦めている、とも言ったはずだ」

過ツハ人、其ヲ続クルハ悪魔Errare humanum est sed perseverare diabolicum」ピトゥが呟き、両手で両足を引き寄せた。

「それでも僕は続けるつもりだ」ジルベールが続けた。「見えているのは障害の山かもしれないが、その向こうに終着点も僅かに見えているんだよ、それはそれは素晴らしい終着点がね、ビヨ。僕が夢見ているのはフランスの自由だけではなく、全世界の自由なんだ。物質的な平等だけではなく、法の下の平等なんだ。市民同士の友愛だけではなく、人類同士の友愛なんだ。僕はきっとそのせいで魂も肉体も失ってしまうだろう」ジルベールは侘びしそうに言った。「でもそんなことはいい。要塞を襲撃しようとする兵士は大砲を目にし、装填される砲弾を目にし、短くなってゆく導火線を目にすることになる。それだけじゃない。砲口が向けられるのも目にするだろう。黒い鉄の塊が胸を抉りに向かって来るのを感じるはずだ。それでも兵士は前に進み、要塞を奪い取らなければならない。僕らはみんな兵士なんだよ、ビヨ。地面に散った僕らの屍の上を、いつの日か、ここにいるこの子を先駆けにして次の世代が歩いてゆくんだ」

「あたしにはジルベールさんが絶望している理由がわかりませんね。不幸な男がグレーヴ広場で殺されたからですか?」

「だったら君が怖がってるのは何故だい?――さあビヨ、君も人を殺せばいい」

「何を仰っているんです?」

「筋は通さないとね――ここに来た時、強くて勇敢な君が、青ざめて震えていたじゃないか。しかも、うんざりしている、と言っていただろう。僕はそんな君の顔に笑いかけた。今ここで、君が青ざめていたわけもうんざりしていたわけも説明してあげよう――今度は僕のことを笑えばいい」

「お願いしますよ。でもその前に希望を与えて下さいよ、あたしは気分も身体も立ち直ってから田舎に帰りたいんです」

「田舎か。僕らの希望はまさしくそこにある。田舎という眠れる革命は、千年の間じゅう揺れ動き、揺れ動くたびに王権をぐらつかせて来たんだ。今こそ田舎が揺れ動く番だ。その時こそ、さっき君が話していた不正に獲得された財産を、買い取るなり奪い取るなりして、貴族や聖職者の息の根を止めることになる。だが田舎で思想を収穫してもらうには、農民に土地を獲得してもらうようにしなければいけない。土地があれば人間は自由になれる。自由になれればもっと良くなれる。だから僕らみたいな恵まれた労働者には、神様から未来のヴェールを上げてもらえる僕らみたいな人間には、庶民に自由を与えるだけではなく、所有権を与えるという大きな仕事が待っているんだ――いいおこないをしてもひどいお返しがあるだけかもしれない。だが影響力のある効果的なおこないというものは、喜びと苦しみ、栄光と中傷に満ちているものさ。田舎というのは今はだらしなく眠っているけれど、僕らの声で目を覚まされるのや、僕らのところから黎明の光が上るのを待っているんだよ。

「ひとたび田舎が目覚めてくれれば、血の滲むような僕らの苦労も遂に終わり、それからは平和な田舎の苦労が始まるんだ」

「あたしはどうすればいいんでしょうね、ジルベールさん?」

「故郷や国や同胞や世界のために働きたいと思っているなら、ここに残るといい、ビヨ。金鎚を持って、世界のために雷を精製しているこのヴァルカン(ウルカヌス Vulcain)の鍛冶場で働き給え」

「人が殺されるのを見るためにここに残れと言うんですか? きっといつかはあたしも殺されてしまうというのに?」

「何を言ってるんだ?」ジルベールが弱々しい笑みを見せた。「きみが殺される? どういうことだい?」

「仰る通りにここに残ったとしますよね」ビヨは全身をわななかせていた。「そうすると街灯に綱が吊るされるのをいちばん初めに見ることになる。つまりあたしがいちばん初めにこの両手で吊るすことになるんです」

 ジルベールが弱々しい笑みを最後まで結んで見せた。

「言いたいことはわかった。君も人殺しだ」

「ええ、兇悪な人殺しですよ」

「君はロスム(de Losme)やローネーやフレッセルやフーロンやベルチエが殺されるのを見て来たんだね?」

「そういうことです」

「みんなは何と糾弾して殺していた?」

「極悪人と」

「そうでした」ピトゥも言った。「極悪人だと非難していました」

「わかっている。でも正しいのは俺だ」ビヨが言った。

「君が吊るす側なら君が正しい。吊るされる側なら君の間違いになる」

 ビヨはこの正論にうつむいたが、すぐに胸を張って顔を上げた。

「身を守る術もない人たちを、社会の名誉に守られて殺すような奴らを、あたしと同じフランス人だと仰るんですか?」

「それは別の話だ」ジルベールが答えた。「確かにフランスにはいろいろなフランス人がいる。まずはピトゥや君や僕のようなフランスの庶民。次にフランスの聖職者に、フランスの貴族。フランスにはこの三種類のフランス人がいて、それぞれの視点、つまりそれぞれの利害に応じた視点を持っているんだ。そのほかにまだフランス国王がいて、また別の見地に立っている。いいかいビヨ、いま言ったようなあらゆるフランス人がフランス人たろうとする様々な視点にこそ、真の革命があるんだ。君がある見地に立つフランス人であるとする。アベ・モーリー(l'abbé Maury)は君とは別の見地に立つフランス人だろうし、ミラボーはモーリーとは別の見地に立ったフランス人だろう。必然、国王はミラボーとは別の見地に立ったフランス人だろう。ビヨ、君は心正しく良識もある。どうやら君も僕が考えていた二つ目の問題に足を踏み入れたね。さあビヨ、これに目を通してもらえるかい」

 ジルベールがビヨに印刷物を差し出した。

「何ですか?」ビヨは紙切れを受け取ってたずねた。

「読んでご覧」

「字が読めないのはご存じでしょう」

「だったらピトゥに読んでもらえばいい」

 ピトゥが立ち上がって爪先立ち、ビヨの肩越しに覗き込んだ。

「フランス語じゃありませんね。ラテン語でもないし、ギリシア語でもありません」

「英語だよ」ジルベールが答えた。

「英語は読めません」ピトゥが胸を張って答えた。

「僕が読もう。今から紙の内容を翻訳するが、その前に署名を読んでくれないか」

「ピット」ピトゥが読み上げた。「ピットって何です?」

「説明するよ」ジルベールが答えた。


Alexandre Dumas『Ange Pitou』「Chapitre XLIII Billot commence à s'apercevoir que tout n'est pas rose dans les révolutions」の全訳です。


Ver.1 16/09/17

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[訳者あとがき]

 初出『La Presse』紙、1851年4月3日。
 

[更新履歴]


 

[註釈]

*1. []
 []
 

*2. []
 []
 

*3. []
  []
 

*4. []
 []
 

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