この翻訳は翻訳者の許可を取ることなく好きに使ってくれてかまわない。ただし訳者はそれについてにいかなる責任も負わない。
翻訳:東照《あずま・てる》
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アンジュ・ピトゥ

アレクサンドル・デュマ

訳者あとがき・更新履歴
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第四十八章 歓迎会

 王妃と国王と王子が現れた瞬間、爆音のような歓声がボックス席のお座敷からオペラ劇場のホール上に届いた。

 酒に酔い乱れた兵士や将校が、帽子や剣を上げて叫んでいた。「国王万歳! 王妃万歳! 王太子万歳!」

 音楽が始まった。『リチャードよ! 我が王よ!』[*1]

 曲に込められた意図は明白だった。全員の思いが詰め込まれ、宴席の気持を忠実に表現したこの曲が始まった瞬間、一斉に歌が始まった。

 王妃は昂奮していて、酔客ばかりのただ中にいることも忘れていた。国王は驚きながらも平素通りに分別を働かせて、自分の居場所はここにはないし理念からも外れていることをはっきりと感じていた。だが国王は弱い人間だった。とうに人心から離れていた人気と熱狂を取り戻したいという幻想を夢見て、その場に蔓延していた狂乱を少しずつ受け入れていた。

 水しか飲まずに宴を過ごしていたシャルニーは、王妃と国王の姿を見ると、顔色を変えて立ち上がった。国王夫妻のいない間にすべてが終わってくれれば、たいしたことにはなるまいと考えていた。国王と王妃が現にいる間は、何が起こっても何が否定されてもおかしくはない。

 ところが困ったことに、よりにもよって弟のジョルジュ・ド・シャルニーが王妃に近寄り、笑顔を返されて自信をつけたのか、言葉を掛けるのが見えた。

 声を聞くには離れすぎていたが、身振りから見て頼み事をしているのがわかった。

 頼み事を聞いた王妃がうなずいて、帽子についていた徽章(la cocarde)を外してジョルジュに手渡した。

 シャルニーは震え上がり、腕を伸ばして悲鳴をあげようとした。

 王妃がジョルジュ(son imprudent chevalier)に差し出したのは、フランスの国章である白い徽章ですらなかった。それは敵国オーストリアの国章である黒い徽章であった。[*2]

 たった今の王妃の行動は、軽率というより裏切りと言った方がいい。

 だがそれでも、神に見捨てられた哀れな狂信者たちは気持の高ぶるあまり、ジョルジュ・ド・シャルニーにその黒い徽章を見せられると、白い徽章を着けていた者たちはそれを放り投げ、三色の徽章を着けていた者たちはそれを踏みつけた。

 やがて熱狂は高まり、口づけに押し潰されたり寝転がっている人間を踏んづけたりしないように、フランドル聯隊の栄えある招待主たちがそれぞれ部屋に戻らなくてはならないまでになった。

 もしもこの馬鹿騒ぎが馬鹿騒ぎのままで留まっていれば、フランス人ゆえの熱狂に過ぎないと見なされて、何もかもが見過ごされていたはずだ。だが馬鹿騒ぎは早々と一線を越えた。

 善き王党派であれば、国王のことを撫でた手で国民をちょいと引っ掻いてはならないのだろうか?

 その国民の名に於いて国王に多くの痛みをもたらしていたのだから、楽団にはあの曲を演奏する権利もあろうというものだ。

 『愛する者を苦しめられようか?(Peut-on affliger ce qu'on aime !)』[*3]

 国王と王妃と王太子が退席したのは、この曲が奏でられていた時だった。

 退席と同時に会食者たちの誰もが羽目を外し始め、晩餐会場は掠奪に遭った町へと姿を変えた。

 デスタン氏(M. d'Estaing)の副官であるペルスヴァル氏(M. Perseval)の合図をもとに、突撃の喇叭が鳴らされた。

 誰を攻撃するというのだ? ここにはいない敵を。

 民衆(le peuple)を。

 この突撃の喇叭という、フランス人の耳に心地よい楽の音は、ヴェルサイユの劇場を戦場だと錯覚させるだけの幻影の力を備えていたし、ボックス席からこの害のない劇を見ていた貴婦人たちを敵だと錯誤させるだけの幻術を備えていた。

 「突撃!」と叫ぶ幾つもの声が轟き、ボックス席によじ登り始めた。実際のところ、詰めかけた方も何ら怯えは見せず、詰めかけられた方も手を差し出していた。

 初めにバルコニー席にたどり着いたのはフランドル聯隊の擲弾兵だった。ペルスヴァル氏(M. de Perseval)は自分の勲章を外してその擲弾兵に授けた。

 実際のところは、それはランブール勲章(une croix de Limbourg)という、勲章とも言えないような勲章であった。

 こうしたことがオーストリアの徽章の許、国民の徽章に牙を剥くような形でおこなわれていた。

 不穏なことにそこかしこでくぐもった囀りが洩れ聞こえていた。

 だが歌手の朗唱や詰めかけた人々の歓呼や喇叭の轟きに覆われながらも、こうした刺すようなざわめきは、劇場の外で聞き耳を立てていた民衆(peuple)の耳にまで押し流され、驚きと憤りを生み出した。

 黒い徽章が白い徽章を席巻し、三色徽章が踏みにじられたことは、外の広場からやがて路上にまで知れ渡った。

 国民衛兵の将校が圧力に屈せず果敢にも三色徽章を守り抜き、こともあろうに王宮の中でひどい暴行を受けたことも知れ渡った。

 そしてまた噂になったところによれば、暴徒の乱舞する狂宴の場と化した劇場の入口に、痛ましい顔をして微動だにせず立ち尽くしていた一人の将校が、その様子を眺め、耳を澄まし、大衆という絶対権力に従い、他人の過ちを我がこととし、フランドル聯隊がその日おこなったような軍隊による行き過ぎた行為の責任を負うような、誠実な心を持った勇敢な兵士の姿を見せていたと云う。だが狂人のただ中にあってただ一人正気だったその男の名前は口の端に上ることさえなかった。仮にその名前を聞いたところで、それが王妃の寵臣であるシャルニー伯爵だとは誰も信じなかっただろう。王妃のために命を賭けた男が、王妃の行為にもっとも心を痛めていたその男と同一人物だったとは信じられなかったことだろう。

 当の王妃は現場の魔力に囚われて眩暈を起こし部屋に戻っていた。

 部屋に戻るとすぐに寵臣とご機嫌取りに取り囲まれた。

「軍人たちの本心がおわかりいただけましたか。無政府主義を求める民衆の憤りがとやかく言われておりますが、それが君主制主義に対するフランス軍の情熱に対抗できるとお考えですか」

 この言葉が内心の希望に適っていたために、王妃は妄想に絡め取られたまま、シャルニーが遠くに独り残っていたことに気づきさえしなかった。

 だが徐々に喧噪もやんだ。狂乱の火も陶酔の幻影も眠気には勝てなかった。そんなところに国王が就寝時に王妃の許を訪れて、斯かる深遠なる言葉をかけた。

「嫌でも明日にはわかるよ」

 何たる思慮の浅さであろう。その言葉は、声をかけられた当人以外にとってこそ賢明なる忠告であったものの、半ば涸れかけていた王妃の内なる泉に抵抗と挑発の水を甦らせてしまった。

 ――その通りだ。国王の退出後、王妃は独り言ちた。――今宵この宮殿にくすぶっている炎は今夜にはヴェルサイユに広がり、明日にはフランス全土を焼き尽くすだろう。今宵わたしに忠誠の印を見せた兵士たちや将校たちは、国民を裏切り逆らうことになる。祖国を破壊する貴族の指導者たちは、北方の蛮族に取り入るピットやコーブルク(Cobourg)に買収された子分扱いされることになる。[*4]

 ――黒い徽章を掲げたあの頭の一つ一つがグレーヴ広場の街灯に吊るされることになるのだ。

 ――高らかに「王妃万歳!」という声を洩らしたあの胸の一つ一つが、暴動が始まった途端に、卑劣なナイフやおぞましい槍で穴を開けられることになるのだ。

 ――それにまたわたしだ、すべての原因になるのは常にわたしなのだ。勇敢な家臣たちに死を宣告することになるのは、わたしだ。近くにいれば猫をかぶっていたわられ、離れていれば憎まれて罵られている、冒すべからざる君主のわたしなのだ。

 ――いけない。替えの利かない最後の友人たちに対してこれほど恩知らずなことをするくらいなら――これほど卑劣で薄情なことをするくらいなら、過ちの責を負おう。――何もかもわたしのために起こったことなのだから、怒りの責めを負うのはわたしだ。――憎しみが何処までたどり着けるか見届けてやろう。穢れた流れが玉座の何処まで上ってくるのか見届けてやろう。

 こうして眠れずに悲観的な考察で頭をいっぱいにしていた王妃にとって、翌日の結果は疑いようのないものであった。

 そうして迎えた翌日は、後悔で曇り、囁きで満ちていた。

 翌日、旗を配られたばかりの国民衛兵が、顔を伏せ目を逸らして王妃に挨拶を述べに来た。

 その態度を見れば、この男たちが何一つ認めていないどころか、むしろその気になれば異を立てていただろうことは容易に想像できた。

 その男たちは確かにお供の一行に混じっていた。フランドル聯隊を出迎えに行っていた。宴会の案内状を受け取り、それに応じていた。ただし、兵士ではなく市民として、どんちゃん騒ぎの間は耳に入れられることのなかった声なき忠告を果敢にもおこなっていた者たちであった。

 忠告は翌日には批判となり非難となった。

 王妃に挨拶を伝えに宮殿を訪れた男たちには、山ほどの群衆(une grande foule)がつきまとっていた。

 事態が重く見られたためにただの儀礼が大ごとになっていたのである。

 いずれの側も用のある人間を見に来たことになる。

 前日の夜に愚かな真似をした兵卒や将校にしてみれば、軽率な振舞を王妃が何処まで支持してくれるのか知りたいところであった。その正面には、前夜のことに憤懣やるかたなく口汚く吠えている民衆(peuple)が、宮殿からの正式な第一声を聞くために集まっていた。

 反革命の重しはその時から王妃一人の頭上に吊るされることになった。

 だがそれでも王妃にはまだ、それだけの責任を逃れるだけの力と、それだけの災難を遠ざけるだけの力が残っていた。

 それだのに、王家でも指折りの自尊心を有していた王妃は、輝かしく澄み切った揺るぎない眼差しを、取り囲んでいる味方と敵に彷徨わせ、よく響く声で国民衛兵将校たちに話しかけた。

「皆さんに旗を差し上げられたことを心より嬉しく思います。わたしたちが国民と軍隊を愛しているように、国民と軍隊も国王を愛して下さい。

「昨日は満足な日でした」

 はっきりと口にされたその言葉を聞いて、群衆(la foule)の中から呟きが洩れ、軍人の群れからは喝采が巻き起こった。

「俺たちは守られてるんだ」と軍人たちが言った。

「俺たちは裏切られた」と群衆から声があがった。

 されば哀れな王妃よ、十月一日晩餐の出来事は驚くようなことではなかったのか。されば気の毒な女よ、おまえは昨日のことを嘆いてはいないのか、悔やんではいないのか。

 悔いるどころか、満足していたのか。

 シャルニーは人込みの中で、王妃が護衛隊のどんちゃん騒ぎを正当化するだけでは足らず讃美するのを聞いて、つらい胸の底から深い溜息をついた。

 群衆から外れた王妃の目が、シャルニーの目と合った。王妃は想い人の顔に目を留め、どれだけの感銘を与えたのか読み取ろうとした。

「わたしはよくやったでしょう?」王妃の目がそう告げた。

「よいどころか馬鹿な真似をなさいました」シャルニー伯爵の暗く歪んだ顔がそう答えていた。


Alexandre Dumas『Ange Pitou』「Chapitre XLVIII Le banquet des gardes」の全訳です。


Ver.1 17/01/07

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[訳者あとがき]

 初出『La Presse』紙、1851年4月18日。
 

[更新履歴]


 

[註釈]

*1. [リチャードよ!……]
 アンドレ・グレトリによるオペラ『リチャード獅子心王』(1784) André-Ernest-Modeste Grétry『Richard Coeur-de-lion』より。「おおリチャードよ、おお我が王よ、世界はそなたを捨てる ゆえに地上にはこの私しかおらぬ、そなたという人間を愛するのは! 世界中で私だけが、そなたの足かせを千切ろうとし、ほかの者たちは皆そなたを見捨てる! Ô Richard, Ô mon Roi, l'univers t'abandonne/Sur la terre il n'est donc que moi/Qui m'intéresse à ta personne!/Moi seul dans l'univers,/Voudrais briser tes fers,/Et tout le reste t'abandonne!」と続く。[]
 

*2. [敵国オーストリアの……]
 ハプスブルク家の紋章は金地に黒い双頭の鷲、国旗は黒と金。[]
 

*3. [愛する者を苦しめられようか?]
 モンシーニ(Monsigny)作曲、スデーヌ(Sedaine)作詞によるオペラ『Le Déserteur(脱走兵)』(1769)より。冒頭のルイーズ詠唱。Peut-on affliger ce qu'on aime : /Pourquoi chercher /A le fâcher ? /Peut-on affliger ce qu'on aime ? /C'est bien en vouloir à soi-même. /Je l'aime, et pour toute ma vie : []
 

*4. [コーブルク]
 フリードリヒ・ヨシアス・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト Friedrich Josias von Sachsen-Coburg-Saalfeld(1737-1815)、オーストリアの軍人。 []
 

*5. []
  []
 

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