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 作品紹介
1854-1859 Les Mochicans de Paris, Salvator 『パリのモヒカン族』『サルヴァトール』
 ・誘拐事件と殺人事件の謎と、帝政復活の陰謀を描いた大長篇。
邦訳 なし。

 本書を前に真っ先に感じるのは、何よりもその長大さです。便宜的に『パリのモヒカン族』『サルヴァトール』の二部に別れていますが、本当に単なる便宜的なものであり、キリが良くも何ともないところで真っ二つに分けられているだけなので、実質的に一つの作品と見なしてよいでしょう。全307章。単純に章の数だけで比較すると、邦訳のあるものでは『王妃の首飾り』『モンテ・クリスト伯』の3倍前後に当たります。『ブラジュロンヌ子爵』でさえ268章なので、とんでもない長さだということがわかります。

 さて本書の特徴は長さだけではありません。日本では主に二つの点で、一部では有名でした。

 一つには、フランス最初期の密室ミステリとして。鍵の掛かった寄宿舎の部屋から生徒が誘拐された謎を、パリ警視庁長官ジャッカル氏と取次業者サルヴァトール氏の二人が、手がかりをもとにした論理的な推理をおこない解き明かします。密室トリック自体は針と糸という他愛のないものですし、そもそも密室自体にあまり必然性がありません。「内側から鍵の掛けられた部屋のなかに人がいない」という状況では、単に不思議なだけで、擬装も何もありませんから。ではなぜそんなおかしな状況になってしまったのかというと、誘拐に協力していたのが金庫破りの常習犯だったからです。鍵の掛かった部屋から鮮やかに金を盗み出すのがその手口でした。当然ですが特徴的な手口から足がつき、この金庫破りは物語の途中から重要な役割を演じることになります。

 そしてもう一つの特徴が、事件の捜査をおこなうジャッカル氏の口癖「女をさがせ!(Cherchez la femme)」です。何でも「犯罪の陰に女あり」を意味するこの言葉を最初に用いたのがこの作品なのだそうです。実際に読んでみて驚いたのは、この言葉がとりわけ印象的なシーンで使われているのではなく、何しろ口癖なので始終くりかえされていることでした。そもそもジャッカル氏の初登場が、「女をさがせ!」という「声」なのです。被害者たちが警視庁を訪れた際に、「女をさがせ!」と叫びながら、事務室の方から近づいてくるのですから……。

 それでは内容の紹介に移ります。長いうえにすべてのエピソードが少しずつ絡み合っているので、あらすじを紹介するのも難しいのですが、主要なエピソードは三つ――寄宿舎からの営利誘拐事件、カルボナリによるナポレオン二世擁立計画、殺人冤罪事件――から成っています。【※以下の文章で詳しい内容に触れています。】

 1827年の告解火曜日。詩人ジャン・ロベール、医者リュドヴィク、画家ペトリュスの若者三人が酒場に繰り出し、大工ジャン・トーローたちチンピラと喧嘩になります。それを仲裁したのが町の若き顔役である取次業者サルヴァトールでした。小説家を夢見るジャン・ロベールに対し、夜の下町にこそ「ドラマ」があると言って、サルヴァトールは町に連れ出します。そこでは言葉どおりドラマが待ち受けていました……。

 チェロを弾きながら泣いている青年ジュスタン。みなしごミナの十六歳の誕生日を待って、二人は結婚するはずでした。そこに死んだと思われていたミナの父親から手紙と巨額の為替が届きます。父親は恐らく貧乏な青年教師と娘の結婚など認めてはくれないだろう……二人は泣く泣く別れることになりました――。サルヴァトールとジャン・ロベールがその身の上話を聞いた直後、ミナ誘拐の報せが届きます――。

 サルヴァトールたちはパリ警視庁長官ジャッカル氏のもとに、誘拐事件の捜査を頼みに行きます。狼のような風貌、眠ることを知らず、パリのことで知らないことはない多忙な警官は、コロンバンとカルメリートという若者二人の心中事件の現場に出かけるところでした。たまたま友人を訪ねに来たリュドヴィクは、友人コロンバンが心中したことを知ってショックを受けますが、カルメリートの方はどうにか助けることができました。カルメリートの親友である、レジーナ、リディー、サルヴァトールの恋人フラゴーラの三人も駆けつけます。

 友人コロンバンの死に間に合わなかった聖職者アベ・ドミニクは、その足で慈善家ジェラール氏のもとに向かいます。そこで告解された恐ろしい事実! ジェラール氏はかつて、内縁の妻にそそのかされて、兄の財産目当てに兄の子どもたちを手にかけたというのです。男の子ヴィクトールはジェラール氏自身が手をくだし、女の子レオニーは妻が殺そうとして、飼い犬ブラジルに返り討ちに会いました。レオニーとブラジルはその後どうなったのかわかりません……。家庭教師として雇われていたサーランティー氏は、ナポレオンの腹心でしたが、陰謀が失敗に終わり、外国に逃げたばかりでした。そこですべてはサーランティー氏がやったことにしたのです。

 サーランティー氏! その人こそ、無実の罪で手配されている、アベ・ドミニクの実の父親でした。死後は告解を公表することを約束して、アベ・ドミニクは病人の枕元を去りますが……

 一方そのころ寄宿舎を調査したジャッカル氏は、犯人の一人が寄宿生の少女だと見抜きます。ミナの父親が巨額の金を持っていると知り、兄にそそのかされて誘拐を手伝ったのでした。だが、少女の名前を聞いたジャッカル氏は、無念の思いで捜査を打ち切ります。ド・ヴァルジェニューズ。それは大貴族の一族でした。

 そのころ、友人宅をあとにしたリュドヴィクは、危篤だと聞いてジェラール氏のもとを訪れます。そこで担当医の誤診を見抜いたリュドヴィクは、正しい処置をおこない、ジェラール氏の命を救います。町の人々は喜びましたが、アベ・ドミニクの気持はは複雑でした。本人が生きていては、告解の内容を洩らすことができず、父親の無実を証明できないからです。

 ここで話はもう一人の若者ペトリュスに移ります。ペトリュスとレジーナは愛し合っていましたが、レジーナは親の決めたラップト伯爵と結婚することが決まりました。このラップト伯爵というのは実はペトリュスの伯父が侯爵夫人と浮気して出来た子どもなのですが、この伯爵が結婚当夜にとんでもないことを打ち明けます。レジーナの母リナと伯爵は若いころに関係を結んでおり、その際に出来た子どもがレジーナだというのです。伯爵は政治的野望を実現するために、実の娘と結婚することも厭いませんでした。

 一方、逃亡中だったサーランティー氏は、盟友プレモン将軍とともに、ナポレオンの命令を実行し、ライヒシュタット公をオーストリアの軟禁先から救出する作戦を着々と進めていました。

 ところが――偶然からカルボナリの隠れ家を見つけることに成功したジャッカル氏は、カルボナリが計画していた政府転覆と皇帝擁立の陰謀を盗み聞きし、誘拐犯の一味だった金庫破りのジバッシエにサーランティー氏の監視を命じつけます。

 サルヴァトールは町の住人の世話をあれこれと焼いていました。占い師に拾われていたみなしごローズ・ド・ノエルも、サルヴァトールが気に掛けていた一人です。そのローズ・ド・ノエルが、サルヴァトールの愛犬ローランを見て、「ブラジル!」と叫んで意識を失ってしまい、「殺さないで! ジェラールの奥さん!」とうわごとをつぶやきました。ローランを拾ったのはジェラール氏のかつての領地の近くだったことを思い出したサルヴァトールは、ローランを連れて領地に向かいます。ところがそこで見つけたのは、ミナ誘拐の実行犯ロレダン・ド・ヴァルジェニューズ伯爵でした。空き家となっていた元ジェラール邸にミナを監禁していたのでした。

 サルヴァトールは、カルボナリの同胞であるプレモン将軍に資金を融通してもらい、ジュスタンとミナを外国に逃がす計画を立てます。その一方でローズ・ド・ノエル事件の調査も続け、元ジェラール邸で白骨化した少年の遺体を発見します。

 そのうち、ジャッカル氏の部下により監視されていたサーランティー氏は逮捕されてしまい、裁判で殺人の宣告を受けてしまいます。アベ・ドミニクは国王に死刑執行まで二か月の猶予をもらい、ローマ教皇に告解を公表する許しをもらいに旅立ちました。

 誘拐されたミナを無事に助け出したサルヴァトールは、誘拐犯ロレダン・ド・ヴァルジェニューズと対面を果たします。サルヴァトールの顔を見たロレダンは「コンラッド? 死んだと思っていたぞ」とつぶやきました。コンラッド・ド・ヴァルジェニューズ。ヴァルジェニューズ侯爵の息子でありながら、庶子であったために従弟のロレダンに全財産を奪われ、失意のうちに死んだと思われていた人物は、サルヴァトールと名を変え取次業者として生きていたのでした。

 サーランティー氏処刑の日は着々と近づき、教皇との謁見も空振りに終わり、少年の遺体という物証も秩序と体面を重んじるジャッカル氏に握りつぶされ、何の手だてもないまま時間だけが過ぎてゆきます……。

 ――とまあ、このあとほとんど(すべて?)のエピソードが回収され、都合の悪い登場人物はばたばたと死に、ほかの登場人物はほとんどがハッピーエンドに落ち着きます。サルヴァトールが七月革命のあと、ルイ=フィリップとともに未来を築こうとするところで物語は終わっています。

 なぜ本書はこんなにも長いのか、というと、新たな登場人物が出てくるたびのその人の「ドラマ」が何章にもわたって語られるというのが一つにはあります。エピソードによって面白さにばらつきがあるのが、この作品の欠点といえば欠点ですが、エピソードの一つ一つにきちんと意味があって、つまらなく見えても最終的に本文に関わりを持ってくるので、一挿話たりともゆるがせにはできません。これだけの長大で入り組んだ物語を組み立てた共作者は、ポール・ボガージ。邦訳のあるものでは、実質ボガージの単独作品である「蒼白の貴婦人」の共著者です。

 その長さと各エピソードのムラのため、中だるみは何度かありますが、デュマ作品のなかでもかなり面白い部類に入るといっていいと思います。

 密室のほかにも、監獄からの脱出あり、殺人あり、脅迫あり、ロマンスが山ほどあり、まるまる一章が芝居上演だったり、ナポレオンやシャルル十世が生き生きと描かれていたり、何が飛び出すかわからない楽しさがありました。

 構成の巧みさはボガージによるものでしょうが、やはりデュマがすごいな、と思うのは、これだけ登場人物がいながら、しっかり描き分けられていて、しかもその全員が魅力的な点です。(女性キャラの描き分けはいまいちですが)。何といっても一番印象に残るのは、ジャッカル氏です。色眼鏡をかけ、嗅ぎ煙草を愛用し、パリで起こったことならすべてを知っていることに絶対の自信を持っている、四十歳前後の警察官。自分の知らない情報を第三者から聞かされたときには、誤った報告をした部下を叱責しました。誘拐事件や冤罪事件では役人的な顔も見せます。犯罪者を部下に取り立てており、大臣が替わって体制が一新されたときには、苦渋の決断をおこないます。超人的なようでいて、意外と人間的な面も覗かせる、なかなか味のある人物でした。

 標題となっている『パリのモヒカン族』というのは、ジェイムズ・クーパー『モヒカン族の最後』に影響されたタイトルですが、実際にはモヒカン族は出てきません。本書のなかではジャン・トーローたちに何度か使われており、おそらく「アウトロー」くらいの意味のようです。
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