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1955 The Dream Walker(別題:Alibi for Murder) 『夢を喰う女』
 ・東京創元社の叢書〈クライム・クラブ〉にも選ばれた異色のサスペンス。
邦訳

 『夢を喰う女』〈クライム・クラブ〉(東京創元社)→[amazon] 

あらすじ

 皆さんは私の名前が新聞に出たのを覚えておいでだろう。オリヴィア・ハドスン、ニューヨーク市立女学校の演劇部教師。ジョン・ポール・マーカスは、私の祖母の義弟である。あの連中がひきずり倒そうとした人物だ。筋書には、二人の男と二人の女が含まれていた。レイモンド・パンカーマンは祖父の財産を食い潰し、非合法組織に資金を提供していたことをマーカスに指摘され逮捕された。目の出なかった作家兼演出家ケント・ショーと出会ったとき、陰謀の筋書が芽を吹いたのだ。

 女優のコーラ・ステファニーは私とは昔なじみで、マーカスの孫(つまり私の従兄弟)チャーリー・アイヴズと以前結婚していたこともあって、今も腐れ縁が続いている。コーラのところにみんなで集まったときのことだ。気を失ったコーラが「たった今夢のなかで女優のジョーゼフィン・クレーンに会い、『ここはどこ? フロリダ?』という会話をした」というのだ。後日、ジョーゼフィンに会った私たちは、本人の口から、実際にフロリダでコーラそっくりの人物とまったく同じ会話したことを聞かされた。一人の人間が同じ時間に別の場所にいることができるだろうか?

 ダーリン・ハイトがケントのお眼鏡に適ったのは、才能があったからではなく、鼻の形がコーラそっくりだったからだ。本当の事情は知らず、宣伝のため、としか聞かされていなかった。筋書にないシーンが入り込んだのは、ダーリンが知り合いに見つかったときだった。ハイスクール時代の同窓生エド・ジョーンズは、ダーリンを口説いてしつこくつきまとった。

 コーラは知らなかったのだと信じたい。コーラが神がかりになるのは四度目だった。「キャメルン峡谷ドライヴ・ウェイ。羊歯の茂みの中」。そこで見つかったものを聞いてコーラは悲鳴をあげた。それはエド・ジョーンズの死体だった。

 私は聞き込みをおこなった。女優のジョーゼフィンは、自分が会った女はコーラとは仕種が違う、と言った。音楽家は声が違うと言った。牧師は芝居をしていると言った。ロサンゼルスの警察は、エド・ジョーンズの卒業アルバムからダーリンにたどり着いていた。それなのに――コーラが五度目の失神をした。夢のなかでコーラは、レイモンド・パンカーマンに頼まれてマーカスに手紙を渡していた。

 これでわかった。黒幕はパンカーマンだ。噂によってマーカスを陥れるつもりなのだ。でも、マーカスを傷つけるようなことをコーラがするだろうか? 一刻も早くダーリンを探さなくてはならない。

 ダーリンは見つからなかった。どこに消えたのか? そして第六の夢が起こった。私たちは現場にかけつけた。それは偶然だった。ケント・ショーが歩いていたのだ。なぜ? そのとき私はからくりを理解した。筋書を考えたのはケントなのだ。私は跡を尾けたが、見失ってしまった。

解説

 同時に同じ場所で目撃された女性――マクロイ『暗い鏡の中に』でもお馴染みの怪異を、なんとアームストロングは倒叙のような手法を取り、事件が終わったあとの関係者の証言という形で描いています。それは確かにこうしたタイプの謎の真相は二人一役しかあり得ないし、しかもアームストロング作品では犯人が初めから明らかにされていることは珍しくありませんが、それにしても大胆な構成と言わざるを得ません。

 さらには語り手にしてからが物語の序盤でコーラの芝居を見抜き、後ろに金の出所があることまで推察しています。

 しかし――ポイントはここからです。語り手たちは、何らかの芝居がおこなわれているのはわかっても、その目的まではわかりません。こうした事情は読者にしても似たようなものです。犯人たちの狙いこそ読者には明らかにされますが、具体的な筋書は伏せられているので、「誰が?」「なぜ?」はわかっても、読んでいるあいだじゅう「どのように?」がずっと頭から離れないのです。

 しかも予期せぬ第三者の闖入で、途中から筋書自体が書き替えられることになり、いよいよもって筋書は見えなくなります。

 そして中盤、いよいよ事件の全体像が明らかになります。ああ、なるほど。噂を立てることが目的であればこそ、復讐としてはいささか奇妙な同時存在という手段が用いられていたのでした。

 こういうサスペンスの行き方もあるのだな、と舌を巻かざるを得ませんでした。

 すでに終わっている事件の終局に向かって話者が語り起こすサスペンスであるため、その筆致も他作品とは違って不穏な空気を醸し出していました。アームストロング作品では多かれ少なかれ見受けられるロマンチック・コメディの要素も、最後の最後になってようやく登場するなど、著者にしてはかなりの異色作だったと思います。そして『ノックは無用』等とは違って、異色作としては成功している作品でした。

 ちなみに、これまでのアームストロング紹介文では、初期三部作の探偵役をマクドゥガル・ダフ「警部」と紹介してあるものばかりなのを疑問に思っていたのですが(実際には元教授)、どうやら植草氏による本書解説が原因のようですね。なにせJ・J節、二作目は手元になくてよく覚えていないが――とか平気で書いちゃう人ですから(^_^;。

  

 


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