1957 | The Albatross 『あなたならどうしますか?』 | |
・『クイーンの定員』にも選ばれた、アームストロング第一短編集。全10編収録。 | ||
邦訳 | (1)『悪の仮面』(東京創元社クライム・クラブ) (2)『あなたならどうしますか?』(創元推理文庫)白石朗ほか訳 [amazon] |
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「あほうどり」(The Albatross,1957)白石朗訳 タイトルはコールリッジ「老水夫」より、良心の呵責・罪の象徴です。「銀の仮面」ものですが、本編の場合は不条理な恐怖ではなく、身に覚えがあるところが違います。読み返してみると、いくら罪悪感があるからと言って、トムが未亡人姉妹の落ち着き先が見つかるまで自宅で面倒を見ようとまですることに、不自然さをぬぐえませんでした。全体を通して、妻と夫の〈女の直感VS男の鈍感〉という構図は貫かれているし、それゆえに危険を誰にも理解してもらえずに孤軍奮闘するというのもサスペンスの常道ではありますが、それにしてもトムが無邪気すぎます。オードリーが悪女というよりは、トムの間抜けさばかりが際立って感じられてしまいました。そして暢気なトムと反比例するように、エスターのヒステリックなところが際立ってしまう結果にもなっていました。あるいは『銀の仮面』パターンのサスペンスというよりも、「あほうどり」という罪悪感をきっかけに、夫婦の関係に亀裂が入ってしまう過程を描いた家庭内ドラマである、と読むべきなのかもしれません。 |
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「敵」(The Enemy,1951)大村美根子訳 EQMM短篇コンテスト第一席受賞作。ラッセル弁護士ものですが、少年探偵ものといった趣も楽しめます。憶測や思い込みではなく、事実を許にして真実を見極めるべきだ――というラッセル弁護士の主張は、作中の子どもたちに対する教育論であるとともに、そのままミステリのあるべき姿でもあります。子どもたちはもちろん大人たち、とりわけ第一容疑者からして思い込みや憶測で口を開く状況では、真実など見えっこありません。聞き込みの末に明らかにされる真実は、それだけに衝撃的です。 |
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「笑っている場合ではない」(Laugh It Off,1953)田村義進訳 かなり現実的で殺伐とした男女の話です。こういう女を放っておけない男はいつの時代にもいるものです。ヒーロー願望というよりは、ぶりっこタイプが好きなんでしょうね。ジョージの〈人を見る目〉を、さり気ない描写で切り取ってみせる場面が秀逸です。「リタのことをけっこう可愛い子だとジョージは思っていた。それが笑顔を見て一変した。笑うと、口のまわりに何重もの皺ができ、歯並びもひどく悪い」。この後もこういう感じで、気に入らないものを否定し、自己を正当化しようとしてゆきます。 |
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「あなたならどうしますか?」(What Would You Have Done ?,1955)牧原冬児訳 謎解きとは別のところで、語り手のナンが人としての決断が迫られるリドル・ストーリーになっています。実際のところ、瓜二つの人間が目撃されるミステリがあれば、双子か本人か変装か錯覚か等々……真相のパターンは限られているわけで、眼目は人間の心模様にあると言っていいでしょう。妬みを根拠にナンをヒステリックに糾弾するマーシャの姿には、異様なものすら感じますが、その裏には感情的に不安定だったり後ろ暗いところがあったりという事情が隠されていました。人騒がせなエディがそうせざるを得ない環境が、マーシャたちの側にあったとも言えるでしょう。アームストロング作品なら、私立探偵ベンとナンのロマンスが成就して丸く収まるはず――そう思いたいのですが。 |
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「オール・ザ・ウェイ・ホーム」(All the Way Home,1951)田口俊樹訳 巻頭の「あほうどり」にしても、「笑っている場合ではない」にしても、登場人物たちが「どうしてこんなアホなことしてしまうんだろう?」と言いたいような行動を取っていましたが、この作品はそれを逆手に取った形になっており、この並びで読むと変な意外性がありました。ただしあまりにも偶然が過ぎるし、語り手の策が意図通りに進むのも出来すぎという感はあります。 タイトルにもなっているマザーグースのルビにおかしなところが一箇所あります。p.331「ぼく迷子になっちゃった」、p.353「家までずっと」のどちらにも「オール・ザ・ウェイ・ホーム」とルビがふられていますが、この詩には二つのバージョンがあって、「And this little piggy cried, "Wee, wee, wee!" (=この子豚は泣いていた、『うぇーんうぇーんうぇーん!』)」のあと、【1】「All the way home.(=家までずっと。)」、【2】「I can't find my way home.(=ぼく迷子になっちゃった)」なのだけれど、p.331ではなぜか【2】の訳に【1】のルビがつけられています。 |
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「宵の一刻」(The Evening Hour,1950)大村美根子訳 子離れできなかったギトンズ夫人の犯行か――という仮説が立てられたあと、原因は夫への愛情(ゆえの誤解)だったという真相が明らかになり、ハンター兄妹の母離れで幕を閉じるという構成がきれいでした。ラッセル弁護士の存在が場違いにも思えますが、母離れできない息子娘たちに対して、「母」も「女」であるという事実に気づかせるには、やはり必要な存在なのでしょう。そうは言っても身内だけの心理劇みたいに書けばもっと面白かっただろうに、ラッセルが出しゃばるせいでわけのわからない話になってしまった感はあります。それ以前にラッセル弁護士の性格が「敵」や「生垣を隔てて」とは別人のようでした。銃を撃ったのはハンター夫人ではないことがわかる証拠には、さほど意外性がない――というより「気づけよ」と思ってしまいましたが。息子が母親のことを「彼女」と呼ぶ無神経な翻訳にいらだちます。 |
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「生垣を隔てて」(The Hedge Between, 初出題 Meredith's Murder,1953)大村美根子訳 冒頭の時点でラッセルたちは犯人を知っています。読者には伏せられたまま。目下の問題は、「なぜ十五歳の少女が短時間で真相を解明できたのか」――というわけで、ラッセルは少女の日記を読み進めていきます。日記を読み終わったとき、ようやく読者もラッセルと同じライン上に立ちます。けれどそこでもまだ、「なぜ真相が解明されたのか」という謎は残されたまま。うまい構成です。「あなたならどうしますか?」で始まり「あなたならどうしますか?」で終わる表題作にしても、本作にしても、凝った技巧・構成がみごとに決まると本当に素晴らしい。 そして意識を取り戻した少女のひとことによりラッセルがたどり着く盲点トリック。ストレートなサスペンス長篇ですら設定には不自然なものが多いアームストロングゆえ、果たしてそのトリックは成立するのか、いやそもそもトリックなのか?といった疑問はつきまといますが「あっ」と言わされることは間違いありません。 ラッセル弁護士シリーズは、どうやら子どもの成長をテーマにしているようです。ませた子どもが知恵を絞って出した答えとは別に、大人たちは経験によって直感的に真相を見抜いていました。とはいえその子どもの勘違いがきっかけで、大人たちには手段がわからなかった事件が動き出します。まさか不可能犯罪ものだったとは。 |
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「ポーキングホーン氏の十の手がかり」(Ten Points for Mr. Polkinghorn,1956)田村義進訳 現実なんてそんなもの、何とも即物的な証拠から真相が明らかになりますが、事実は小説ほど奇ではないかどうかは、今のところ保留にしておきましょう。推理の細部ははずしていても的ははずしてなかったり、警官たちも戸惑いはするものの嘲笑はしなかったり、ポーキングホーン氏に対するアームストロングの眼差しはどこまでも温かい。名探偵もののパロディというよりも、どんどん推理が外れて慌ててしまう、探偵の側から見たサスペンスという印象を持ちました。アームストロングらしい温かいサスペンスです。 |
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「ミス・マーフィ」(Miss Murphy, 初出題 And Already Lost,1957)田口俊樹訳 真面目一筋ゆえに不良にあこがれる――にしても、ちょっと中二病が過ぎる教師です。ある出来事をきっかけに、ようやく本質を見抜くことができたミス・マーフィの、極端な変わり身も、すがすがしいほどです。「でも、手遅れね」の言葉が小気味よい。 |
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「死刑執行人とドライヴ」(Ride with the Executioner, aka A Gun Is a Nervous Thing,1955)直良和美訳 校長先生の家に電話がないためイヴの所在が誰にもわからなくなる――というのは、当時としてはリアリティがあったのでしょう。日本と違って、先生のことを「校長先生」ではなく「ミス・○○」と呼ぶ習慣もあって、犯人がイヴのことを校長先生だと勘違いしてしまうところも、現代とも日本とも違う点です。とにもかくにも、かくして「死刑執行人とドライヴ」となるわけですが、生きるか死ぬかのサスペンスのさなかにあって、自分が助かる道だけではなく、犯人の苦しみを理解し犯人の命さえ救おうとするイヴの善良さが、サスペンスの足を引っ張っているのは事実です。地味ながら子どもが活躍する物語ですね。イヴを救うきっかけになるジーノしかり、ロマンスの仲介になりそうなテリーしかり。 |
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『あなたならどうしますか?』(創元推理文庫)白石朗ほか訳 [amazon.co.jp] |