イギリス人は正反対で、聞き取ったり耳にしたりすることを特に組織立てていた。彼の聴覚器官が一度声の響きに打ち振るわされたなら忘れるはずもなく、十年、ことによると二十年経っても千の声のなかから聞き分けただろう。彼の耳は確かに、優れた聴覚を有する耳を備えた動物ほど無制限に働く能力はなかった。だが実のところ科学者によると、人間の耳が備えている能力には限界があるそうなので、我々が前記のイギリス人の耳がピンと立っていて、音を集めようと努力している間、博物学者にだけわかる方法であらゆる方向に向けていたと断言することも極端に間違ってはいないだろう。この視力と聴力の極致が、二人の仕事にすばらしい援助をもたらしたことは間違いない。イギリス人は『デイリー・テレグラフ』の特派員として、フランス人はある新聞の、あるいはあらゆる新聞の特派員として(どこの新聞かは言わなかった。たずねると、冗談めかして「いとこのマドレーヌ」と文通してるんだ、と答えた)。しかし、フランス人はそそっかしい外見の裏は、すばらしく鋭敏で聡明であった。でたらめにしゃべっている間でさえ、おそらく好奇心を隠すのに長けていて、自分を見失うことはなかった。饒舌は考えを隠すのに役立ってさえいた。おそらく『デイリー・テレグラフ』の仲間以上に分別があったのだ。二人とも新聞記者として七月十五日夜の新王宮の祝宴に出席していた。
 二人が世界中で任務に当たっていたのは言うまでもない――不意の報道に身を打ち込むのを喜んだし――恐れさせたり成功を阻んだりするものはなかったし――天職たる冷静さと紛う方なき勇気が備わっていた。障害物走におけるこの熱狂的な騎手は純血種の情熱を以て、情報を探し回り、障壁を飛び越え、川を越え、柵を跳び越し、「トップ」でなければ死を選ぶだろう!

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