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1908 The Man Who Was Thursday: A Nightmare 『木曜の男
 ・スパイ・ミステリであり哲学ファンタジーでありユーモア小説でもある長篇小説。あらゆる意味でぶっ飛んでいる問題作である。翻訳の問題(読んだのは吉田健一訳にあらず大西尹明訳)もあるのかもしれないが、既読のチェスタトン作品の中ではいちばん読みやすい。
邦訳 (1)『木曜の男』(創元推理文庫)吉田健一訳bk1amazon
(2)『木曜日の男』(ハヤカワ・ミステリ)橋本福夫訳(品切れ)
(3)『世界推理小説大系10 チェスタートン』(東都書房)に「木曜日の男」の邦題で収録、大西尹明訳。(絶版)
(4)『木曜日だった男』(光文社古典新訳文庫)南條竹則訳bk1amazon


『木曜の男』(The Man Who Was Thursday: A Nightmare)
 ――無政府主義者を標榜する赤毛の詩人ルシアン・グレゴリーが、サフラン・パークで演説していたところ、ガブリエル・サイムという詩人が食ってかかった。本気で無政府主義を信じているのなら、演説などしないでこっそり人目を忍んでいるはずだ、と。グレゴリーはサイムに向かい、自分の本気を疑うのなら酒よりも宗教よりも本気なものを見せてやろうと申し出た。
 絶対に秘密を守るという条件でサイムが連れてこられたのは無政府主義者の秘密事務所。こそこそせずに開けっぴろげに演説をしていれば、変な人だと思われるだけで、本当の主義者だとは誰も思わない。変装が下手なグレゴリーにそう教えてくれたのが、「日曜日」と呼ばれる組織のボスだった。幹部たちはそれぞれ曜日の名前を冠された七人で構成されているという。折りしもメンバーの「木曜日」が急死したため、新しい木曜日を選出する当日であった。  ひょんなことから新しい木曜日に就任したサイムの正体は、実は思想犯罪予備軍を見張る警察の特別捜査課刑事であった。危険を冒して幹部会議に出席するサイムであったが……。

 推理小説ではない、ファンタジー、思想的etc.という前評判は聞いていたけれど、まさかこんな大爆笑のスパイ・ファンタジーだとは思ってもみませんでした。サイムが屁理屈をこねくりまわすところは、チェスタトンの著作でいえば『ポンド氏の逆説』に出てくるガーガン大尉がポンド氏の逆説を茶化すシーンを連想してもらえれば近いでしょうか。『ダ・ヴィンチ』2001年5月号で、さそうあきら氏が本書の一場面を漫画家しておりましたが、本書を読み終えてから思えばあれはものすごく巧く雰囲気を捉えた漫画でした。氏に全編漫画家してほしい。

 思想を隠すため思想を演説するといった上記のごとく、徹頭徹尾チェスタトン流の逆説に満ちており、ネタバレになるため詳しくは書けませんが「七曜会」自体が逆説の産物ともいえます。

・秩序どおり目的地に到着する地下鉄なんてつまらん、だから乗客の勤め人はやつれた顔をしているのだ。というグレゴリーに対しサイム曰く、あてずっぽに放った矢が遠くの鳥を射抜くのはすばらしいじゃないか。あてずっぽのエンジンを遠くの駅まで届かせるのもすばらしいことさ。無秩序なんてくだらない。電車がバグダッドにも行きかねない。ところが秩序の奇術師がヴィクトリア駅といいさえすれば、電車はヴィクトリア駅に到着するのだ。

・秩序よく並んだ街灯は何も生み出さないが、無秩序に生い茂る木々は生き生きとした生産力を持っている。というグレゴリーに対しサイムが言い返したのは、だが我々は街灯の明かりで木を見ているが、木の明かりで街灯を見ることはできない。

・「なにしろ、この先生は本当に中風病みときているから、そういう不自由なからだでは、おれほどみごとに、中風病みの演技はできなかったね」

 真っ暗な部屋にいるため姿の見えない刑事課長といい、地下の事務所に入る秘密の方法といい、スパイもののガジェットがもろに出てきて笑いを誘います。
 「牛乳を飲むことを、牝牛に対する野蛮な残忍行為だと見ていたから」「牛乳の代用品として、白堊と水とを混ぜたものを」飲んで死んでしまった爆弾犯人の前木曜日も忘れがたい奴である。
 後半の日曜日をめぐる追跡劇がまたドタバタの極致。「(日曜日は)追っ手が近づいたのを知ると、しきりにお辞儀をしたり投げキスをしたり、しまいにはラトクリフ警部の胸をねらってきちんと折った紙きれを投げてよこした」のですが、その紙きれに書いてあるというのが「すぐ逃げろ。きみのズボン伸しの真相は洩れた。――友人より」って……(笑)。

 日曜日に対しメンバー六人それぞれが抱いた印象は、「この宇宙そのものになぞらえるしかない」というものでした。
 サイムの抱いた印象は「実はこの男の眼の見えないのっぺりとした後頭部の方が奴の顔で――眼のついていない恐ろしい顔がぼくをじっと見ているのだ」という半面、「なんのことはない、こいつは子供相手に隠れんぼをしている親父みたいなものにすぎないじゃないか」というもの。「つまりぼくらの知っているのは、この世の中の裏側だけだということなのだ。ぼくらはあらゆるものをうしろから見ているので、すべてが不合理に見えるのだ」。

 これこそが日曜日の正体であり、この活劇の真の意味です。これが真相。ネタバレ。でもここだけ読んでもおそらくちんぷんかんぷんだろうから問題なしです。

 木曜日が木曜の衣装を着る場面があります。「創世記」第四日目の記述にしたがい、太陽と月をあしらった衣装でした。ところでこの場面、東都書房版では「キリスト教風に日曜日から起算した」とあります。日曜日から起算したのなら日・月・火・水・木で第五日めのはず? 原文を見ると「Here, however, they reckoned from a Christian Sunday.(ただしここではクリスチャン・サンデーに基づいて数えた。)」でした。第七日目の安息日は、ユダヤ教では土曜日ですが、キリスト教では日曜日です。つまり日・月・火……ではなく月・火・水……と数えた、ということみたいです。
 まあとにかく日曜日とは「天地および其衆群しうぐんこと〜゛く成」った七日目のこと。つまり日曜日とは「すべて」にほかならない。だけどあくまで「すべて」であって、「すべて」を創造したものではない。そして木曜日とは「ふたつおほいなる光」が昼と夜を司る日。世の中を照らす光。街灯の光であれ木の光であれ。世の中の裏側であれ表側であれ。

 ガブリエル・サイム:ブロンドの尖った顎髭とブロンドの髪。すらっとしたイキな体つき。薄青い目。
 

 
木曜の男
木曜の男
posted with 簡単リンクくん at 2005.12.27
G.K.チェスタトン著 / 吉田 健一訳
東京創元社 (1981)
ISBN : 4488110061
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 『木曜日だった男』
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