1908 | The Man Who Was Thursday: A Nightmare 『木曜の男』 | |
・スパイ・ミステリであり哲学ファンタジーでありユーモア小説でもある長篇小説。あらゆる意味でぶっ飛んでいる問題作である。翻訳の問題(読んだのは吉田健一訳にあらず大西尹明訳)もあるのかもしれないが、既読のチェスタトン作品の中ではいちばん読みやすい。 | ||
邦訳 | (1)『木曜の男』(創元推理文庫)吉田健一訳[bk1・amazon] (2)『木曜日の男』(ハヤカワ・ミステリ)橋本福夫訳(品切れ) (3)『世界推理小説大系10 チェスタートン』(東都書房)に「木曜日の男」の邦題で収録、大西尹明訳。(絶版) (4)『木曜日だった男』(光文社古典新訳文庫)南條竹則訳[bk1・amazon] |
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推理小説ではない、ファンタジー、思想的etc.という前評判は聞いていたけれど、まさかこんな大爆笑のスパイ・ファンタジーだとは思ってもみませんでした。サイムが屁理屈をこねくりまわすところは、チェスタトンの著作でいえば『ポンド氏の逆説』に出てくるガーガン大尉がポンド氏の逆説を茶化すシーンを連想してもらえれば近いでしょうか。『ダ・ヴィンチ』2001年5月号で、さそうあきら氏が本書の一場面を漫画家しておりましたが、本書を読み終えてから思えばあれはものすごく巧く雰囲気を捉えた漫画でした。氏に全編漫画家してほしい。 思想を隠すため思想を演説するといった上記のごとく、徹頭徹尾チェスタトン流の逆説に満ちており、ネタバレになるため詳しくは書けませんが「七曜会」自体が逆説の産物ともいえます。 ・秩序どおり目的地に到着する地下鉄なんてつまらん、だから乗客の勤め人はやつれた顔をしているのだ。というグレゴリーに対しサイム曰く、あてずっぽに放った矢が遠くの鳥を射抜くのはすばらしいじゃないか。あてずっぽのエンジンを遠くの駅まで届かせるのもすばらしいことさ。無秩序なんてくだらない。電車がバグダッドにも行きかねない。ところが秩序の奇術師がヴィクトリア駅といいさえすれば、電車はヴィクトリア駅に到着するのだ。 ・秩序よく並んだ街灯は何も生み出さないが、無秩序に生い茂る木々は生き生きとした生産力を持っている。というグレゴリーに対しサイムが言い返したのは、だが我々は街灯の明かりで木を見ているが、木の明かりで街灯を見ることはできない。 ・「なにしろ、この先生は本当に中風病みときているから、そういう不自由なからだでは、おれほどみごとに、中風病みの演技はできなかったね」 真っ暗な部屋にいるため姿の見えない刑事課長といい、地下の事務所に入る秘密の方法といい、スパイもののガジェットがもろに出てきて笑いを誘います。 日曜日に対しメンバー六人それぞれが抱いた印象は、「この宇宙そのものになぞらえるしかない」というものでした。 これこそが日曜日の正体であり、この活劇の真の意味です。これが真相。ネタバレ。でもここだけ読んでもおそらくちんぷんかんぷんだろうから問題なしです。 木曜日が木曜の衣装を着る場面があります。「創世記」第四日目の記述にしたがい、太陽と月をあしらった衣装でした。ところでこの場面、東都書房版では「キリスト教風に日曜日から起算した」とあります。日曜日から起算したのなら日・月・火・水・木で第五日めのはず? 原文を見ると「Here, however, they reckoned from a Christian Sunday.(ただしここではクリスチャン・サンデーに基づいて数えた。)」でした。第七日目の安息日は、ユダヤ教では土曜日ですが、キリスト教では日曜日です。つまり日・月・火……ではなく月・火・水……と数えた、ということみたいです。 ガブリエル・サイム:ブロンドの尖った顎髭とブロンドの髪。すらっとしたイキな体つき。薄青い目。 |
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『木曜日だった男』 |