1922 | The Man Who Knew Too Much and other stories 『知りすぎた男』 | |
・ホーン・フィッシャーと記者ハロルド・マーチが遭遇した八つの政治事件。加えて四つの中篇収録。 | ||
邦訳 | (1)『知りすぎた男』(このサイト)江戸川小筐訳→html ファイル。 (2)『知りすぎた男 ホーン・フィッシャーの事件簿』(論創社)井伊順彦訳『知りすぎた男』+「煙の庭」「剣の五」収録[bk1・amazon] (3)『奇商クラブ』(創元推理文庫)に「背信の塔」「驕りの樹」収録、中村保男訳[bk1・amazon] |
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『知りすぎた男』第一話。下手すぎるからとても上手い。平凡すぎるから珍しい。――本篇の逆説は実用的とでもいいましょうか、嘘をつくときには頭の隅にでも留めておきたいものです。第一話にふさわしく、帝国主義を批判しながらも愛国を貫くという本シリーズの方向性がはっきり表われた作品でもあります。内容とは関係ありませんが、「巨大な頭が月をさえぎって初めて象が近づいたことに気づく」というレトリックが秀逸でした。 |
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単純だけど面白いトリックが使われています。「トリック分類」的には複数の分類を内包していますが、逆説的ではありますが「分類」的な発想からは生まれてこないアイデアだと思います。トリックを成立させているのが「消える」名人という存在ですが、フランボウを思わせるそのユニークな消え方の数々がいかにもチェスタトン流です。なお、人間心理に疎かったため、犯人が失敗する作品というと、『ブラウン神父の秘密』収録の「飛び魚の歌」が連想されます。政治的にはアイルランド問題が取り扱われています。 |
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冒頭から遊び心のあふれた一篇ですが、登場人物から真相まで「趣味」というキーワードに彩られた、文字どおり「遊び心」に満ちた一篇といえましょう。偶然や環境を利用して、犯人が犯罪を成し遂げる作品は珍しくありませんが、探偵が利用して事件を解決するというのは風変わりです。ちなみに、マギの服にポケットがないという描写は、もしかすると怪しげな人物だけど盗んだものを隠す場所がないという意味もあるのかと、今ごろになって気づきました。 |
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スマートな論理による鮮やかな解決。逆説によって文字通りものごとが逆転してしまうところが見事です。有名な論理のバリエーションであるだけに、ミステリとしてももっとも安定しています。本書のなかでは珍しく不可能犯罪ものではありません。 |
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底本にしたGutenberg版(アメリカ版)では第五話ですが、イギリス版では第六話。事件・トリック・逆説ともに、本書中でもかなり地味な作品です。容疑者が逃げるときの足取りの消し方が(実効性があるのかどうかはともかく)もっとも鮮やかでした。 |
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イギリス版では第五話。フィッシャーのほのめかしが日本語ではうまく活かされないのが残念。死体が発見されないため生死がわからず、そのため犯人探しというよりもまずは謎探しの趣があって退屈しない。これまでは(広い意味で)犯人の側に用いていた帝国主義と愛国の論理を、被害者の側(というか出来事そのもの)に援用したという点で興味深い作品です。 |
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謎解きミステリの面白さではやや落ちます。政治的にもっともストレートな作品と言えるかもしれません。 |
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ホーン・フィッシャーもの最終話。チェスタトンの短篇集というのは、長く続いたブラウン神父シリーズや未完の『ポンド氏の逆説』を除けば、『奇商クラブ』も『四人の申し分なき重罪人』も『詩人と狂人たち』も最後の短篇で物語が閉じられています。本篇もその例に洩れず、シリーズ最終話に相応しい作品となっています。 |
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『知りすぎた男』 1922発表 | ||
The Man Who Knew Too Much | ||
ホーン・フィッシャーを探偵役に据えた連作シリーズもの。ブラウン神父ものが1914年の『ブラウン神父の知恵』をもって中断され、1926年に『ブラウン神父の不信』で再開されるまでのあいだの1922年に出版されたミステリ短編集。出版されたのは1922年ですが、各短編の執筆年は不明です。 〈釣り人〉という名を持つ名探偵ホーン・フィッシャー氏の八つの事件。ブラウン神父の相棒はもと大泥棒のフランボウですが、フィッシャーの相棒は若さあふれる新聞記者のハロルド・マーチです。 この作品にはロイド・ジョージを連想させる箇所が何か所かあるのですが、『高利貸しのユートピア』(1917)を読む限りでは、チェスタトンはロイド・ジョージに批判的です。にもかかわらず、フィッシャー氏を見る限りロイド・ジョージには同情的なようです。この矛盾は何か? 戦時中にロイド・ジョージを喜んで支持した国民に対する皮肉でしょうか。この作品は〈戦争〉という状況の中で人が〈愛国的〉であらざるを得ない瞬間、というのを描きたかったのかもしれません。 ★ホーン・フィッシャー(Horne Fisher) フィッシャーは、大物政治家の一族に生まれました。自身も政治家の秘書をやっていたことがあります。 重たげなまぶた、悩ましげで思索的な目、気怠げな身のこなしや態度、物憂げな話し方が特徴。ぼんやりして見えるわりに、いざというときには機敏。若い頃から額は薄かったようです。髪は金髪で、背が高く、手足も長い。 政治家の一族であり、相棒のマーチが政治記者のこともあり、関わる事件は政治的なものが多い。評論家チェスタトンの面目躍如というべきでしょうか、当時の政治をほぼリアルタイムで批評しているように感じられます。 ホームズのような職業探偵ではなく、たまたま現場に居合わせてしまう巻き込まれ型の素人探偵です。意外とかなり社交的で、あらゆる知識を駆使して誰とでも気軽に話ができ、「知りすぎている」と言ってるわりには好奇心旺盛で、さらに知りたがる傾向があります。 ★ハロルド・マーチ(Harold March) ホーン・フィッシャーの友人。ワトスン役としての役割はあまり大きくありません。まったく登場しない作品もあるほどです。ブラウン神父とフランボウが、もともとは神父⇔泥棒という対立関係にあったのに比べると、フィッシャーとマーチは元政治家=政治記者という、同じラインに並ぶ関係のため、思想・評論的に有効活用しにくかったのではないでしょうか。せいぜいのところ、裏も表も知りつくしているフィッシャーに対し、若者らしい正義感で批判するという立場を取るくらいです。その役割すら、ほかの若者に奪われてしまった作品(「底なしの井戸」や「塀の穴」など)もあります。 優れた政治記者で、政治家の評判もいいようです。明るい色をしたくせっ毛で、青い目、率直な若者です。フィッシャーから「頑固で潔癖」と言われたように、融通の利かない正義漢でもあります。謎や事件に興味があるというよりは、フィッシャーというなぞめいた人物に惹かれているようです。 |