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翻訳:東 照
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イングランド小史

ギルバート・ケイス・チェスタトン

訳者あとがき・更新履歴
著者略年譜・作品リスト

序文

 ある意味では挑戦であるにもかかわらず、学識豊かなふりもせず単なる大衆の一員である人間、すなわち筆者が英国史についての一般向けエッセイまで書くことに同意するとはいかなる理由があるものか、当然ながらおたずねの向きもあろう。その答えは、筆者が一つのことを充分すぎるほど知っているからである。つまり大衆の一員の立場から歴史が書かれたことはないということだ。一般向け歴史書と呼ばれているものは、一般無視歴史書と呼ぶ方がふさわしい。どれもこれもほぼ例外なく、国民に背を向けて書かれている。そのなかでは、庶民が無視されていたり、間違っていたことが念入りに証明されている。グリーン[*1]が自著を『英国民小史(short history)』と名づけたのは事実だ。だが国民のことを正確に述べるには短すぎる(short)と思っていたらしい。例えばグリーンは自著のある章を「清教徒のイングランド」と名づけている。だがイングランドはいまだかつて清教ではなかった。ナヴァールのアンリ[*2]の勃興を「清教徒のフランス」と呼ぶのと同じくらい不当なことではないだろうか。過激なホイッグ史家[*3]のなかには、ウェックスフォードとドロヘダ[*4]の会戦を「清教徒のアイルランド」と名づけかねない者もいたことだろう。

 だがなかでも民衆史によって民間伝承が踏みにじられているといえば、中世に関することにとどめを刺す。この点に関してはもはや喜劇と言ってもいいほど対照的であって、現在の産業体系が築かれていた過去二、三世紀のイングランドについての一般常識と、大雑把に中世と呼ばれているそれ以前の数世紀についての一般常識とのあいだには天と地ほどの開きがある。蝋細工の歴史のようなものであれば修道院長と十字軍戦士の時代の添え物には充分だと思われている以上、小さな実例一つあれば充分だろう。一般人向けの百科事典が数年前に登場した際、特に力を入れているのは一般大衆に英国史を学ばせることだという触れ込みであった。そこで筆者は歴代の英国王の肖像を目にすることになった。それが本物と瓜二つだと思える人などいないだろう。だがやむなく想像が加えられている肖像画に興味が惹かれた。ヘンリー二世やエドワード一世といった人物の肖像には、同時代文学のなかにいくらでも生き生きとした材料がある。ところがこの材料を発見した形跡もなければ、どうやら探した形跡すらないのだ。ブロワ朝スティーヴン[*5]を描いた画像に目を向けたところ、鉄のつばが三日月のように曲がった兜を身につけている紳士に出くわし、目が点になった。こういうものはひだ襟と半ズボンの時代[*6]にふさわしいものなのだ。もしかするとこの頭部は、スコットランド女王メアリが処刑される場面か何かの首切り役人のものなのではないだろうか、と勘繰りたくもなる。だがこの人物は兜をかぶっており、そして兜というのは中世のものであり、だから古い兜であればスティーヴンには何でもよかったのである。

 その参考書の利用者たちがチャールズ一世[*7]の肖像画を探した挙げ句に警官の頭を見つけたところを想像してほしい。パンクハースト夫人[*8]の逮捕を報じる『デイリー・スケッチ』紙の写真から、現代的なヘルメットなどがすっかり取り除かれているところを想像してほしい。利用者たちもさすがにその肖像画がチャールズ一世に生き写しだと信じるつもりはないだろうとまで言ってしまっていいのではないか。誰もが何かの手違いなのだと考えるに違いない。しかしながらスティーヴンとメアリを隔てている時間は、チャールズと我々を隔てている時間より遙かに大きかった。十字軍の始まりからチューダー朝の終わりにかけて人間社会に起こった革命は、チャールズの時代から我々の時代にかけて起こった変化などとは比べものにならないほど遙かに大きく完全なものだった[*9]。なかんずくその革命を措いて後にも先にも民衆の歴史と名乗れるものはないだろう。なぜならそれはわたしたち民衆がいかにして多くのものを手に入れながら今やすっかり失くしてしまったかについての物語だからである。

 ここで僭越ながら筆者の方がよほど英国史のことを知っていると申し上げたい。さらに言うなら、十字軍や斧槍兵を宗旨替えさせた御仁たちと同じように、筆者にだって英国民衆史の概略を記す権利がある。だが前述したような歴史書のなかでは中世文化は無視(というより省略)されており、この点について注目すべきことはすでに記した事実のなかにある。それが大衆の歴史から省かれてしまった紛れもない大衆の物語なのである。例えば労働者や大工や樽職人や煉瓦工でさえ、マグナ・カルタについて教えられてきた。恐ろしい孤独が訪れたのが最盛期の前か後かということを除けば、オオウミガラスのようなものと変わらない[*10]。中世のものごとは何もかもが証書の羊皮紙でかちんこちんだったということは教えられなかった。社会はかつて証書をもとに動いており、それがなかなか面白い体制であるということは教わらなかった。領主たちに一枚の証書が交付された、それも領主たちに有利な証書が交付されたことは、大工も教わった。大工や樽屋のような庶民に何かの証書が交付されたと大工が教わることはなかった。あるいはもう一つ例をあげるなら、学校で単純化された陳腐な歴史を読んでいる少年少女は、自治都市民のようなもののことなど、首に縄をつけられてシャツ一枚で登場するまでは、聞いたこともあるまい。中世でかれらがどのような意味を担っていたのか想像することももちろんない。それにヴィクトリア朝の店主たちは自分たちがコルトレイクの冒険のような物語に登場するとは考えない――中世の店主たちはそこで二百パーセント手柄を立てた――何しろ敵の手柄を立てたのである。

 この真実の物語について筆者がなけなしの知識を披露するのには、極めて単純な動機と事情がある。筆者はあちこち飛び回っている最中に、大屋敷の地下室で育ち、いつも残り物を与えられ、始終こき使われている男に会った。その男には不満もなかったし、その地位にも満足していることがわかったが、その理由が一つの物語だった。それはチンパンジーであった祖父と森の野蛮人であった父が、いかにして狩人に捕まって知性のようなものに飼い慣らされたか、という物語であった。こういう見方をすれば、限りなく人間に近い生活を謳歌していることに感謝するのももっともだろうし、さらに進化した動物をあとに残すことに満足もするだろう。まったく不思議なことだが、その物語が真実ではないと疑い始めると(あるいは悟り始めると)、進化という御名を持つこの物語の呼びかけにも筆者は満足できなくなってしまった。今では筆者もその男の素性をそれなりに知ったので、かれが進化したのではなく勘当されただけなのだということを知っている。かれの家系樹は猿とは無関係である。どんな猿でもその樹には上れなかったという関係しかない。むしろ匿名の騎士の楯の上で根元から引っこ抜かれて「廃嫡者」と名づけられたあの家系樹のようなものだったのだ。[*11]


"A SHORT HISTORY OF ENGLAND"(1917) -- G.K.Chesterton 'Indrduction'

Ver.1 断絶
Ver.2 10/11/08

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[註釈]
*1. [グリーン]。John Richard Green。邦訳タイトル『イギリス国民の歴史』の著者。

*2. [ナヴァールのアンリ]。のちのアンリ四世。新教徒ユグノーであり、カトリックであるフランスとのあいだに宗教的対立があった。

*3. [ホイッグ史家]。現状を基準にして、過去の歴史を、現状に貢献した進歩的協力者と抵抗した非協力者に分けようとする歴史観の持ち主。

*4. [ウェックスフォードとドロヘダ]。ともにアイルランドの地名。クロムウェルによる侵略の対象となった。

*5. [ブロワ朝スティーヴン]。十二世紀のイングランド王。西洋史で中世とは、おおざっぱに言って、5世紀頃〜15世紀頃まで(ゲルマン民族大移動と西ローマ帝国滅亡〜ルネサンス以前)を指す。

*6. [ひだ襟と半ズボン]。十六〜十七世紀の風俗。次に見えるスコットランド女王メアリ(・スチュアート)も十六世紀(1542〜1587)の人物。

*7. [チャールズ一世]。イングランド王。1600〜1649。ピューリタン革命で処刑された。

*8. [パンクハースト夫人]。イギリスの女性参政権運動家。母 Emmeline(1858-1928)、その娘 Christabel(1880-1958)ともに活動家で逮捕されている。『デイリー・スケッチ』はイギリスの新聞。

*9. [十字軍の始まりから]。第一回十字軍は1096年。チューダー朝最後の王エリザベス一世が薨じたのは1603年。

*10. [マグナ・カルタ〜オオウミガラス]。マグナ・カルタ(大憲章 Great Charter)は、1215年制定。その後しばらく廃れたが、近代になって再評価された。オオウミガラス(Great Auk)は、乱獲により19世紀に絶滅。

*11. [廃嫡者]。ウォルター・スコット『アイヴァンホー(Ivanhoe)』より。アイヴァンホーが黒い仮面をつけて馬上試合に臨んだ際、その楯には根元から引っこ抜かれた樫の木と「Desdichado(廃嫡者)」という文字の入った紋章が描かれていた。

更新履歴
・10/10/24 ▼第一パラグラフ。「It will be very reasonably asked why I should consent, though upon a sort of challenge, to write even a popular essay in English history, who make no pretence to particular scholarship and am merely a member of the public. 」のっけから違う。「なぜ私が承諾したのかお尋ねになるのは、たいへん理にかなっている。特殊な学問だと偽りもせずただの一市民として、英国史について戯文を書くことすら、一種の挑戦であるにもかかわらず、である。」「ある意味では挑戦であるにもかかわらず、学識豊かなふりもせず単なる大衆の一員である人間、すなわち筆者が英国史についての一般向けエッセイまで書くことに同意するとはいかなる理由があるものか、当然ながらおたずねの向きもあろう。」に訂正。「and」の後に「am」がある以上は、「who」も「I」を指しているのだと思いますがはっきりとはわかりません。

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