1914 |
The Wisdom of Father Brown 『ブラウン神父の知恵』 |
・傑作揃いだった前作『童心』と比べると落ちるのは否めないが、むしろ『童心』の出来が異常なのであって本書がつまらないというわけでは決してない。 |
邦訳 |
(1)『ブラウン神父の知恵』(創元推理文庫)中村保男訳[bk1・amazon]
(2)『ブラウン神父の知恵』(ハヤカワ・ミステリ)村崎敏郎訳(品切れ)
(3)『名探偵コレクション・ブラウン神父』(集英社文庫)に「ペンドラゴン一族の滅亡」収録、二宮磬訳[amazon]
(4)『グレート・ミステリーズ ブラウン神父物語』(嶋中文庫)に「ペンドラゴン一族の悲劇」「銅鑼の神」収録、田中正二郎訳[bk1・amazon] |
「グラス氏の失踪」(The Absence of Mr. Glass)
――犯罪学者のフッド博士の元に、ある日ブラウンと名乗る神父が訪れた。トッドハンター氏(以下T氏)と下宿屋の娘マギーが結婚する一大事だというのだ。話をよく聞いてみると、T氏の家にしばしば不思議な来客が訪れるらしい。シルクハットの紳士の姿や甲高い声が聞こえるにもかかわらず、部屋にはいるとT氏のほか誰もいない。彼は魔術師なのか犯罪者なのか幽霊なのか……。と、そこへマギーがやって来て、T氏が部屋で縛り上げられていると告げる。一路T家に向かった一行は……。
これはホームズ・パロディだったりするわけで、フッド博士によるホームズばりの名・迷推理が楽しめます。縛られているT氏を無視してえんえんと演説する博士に対して、マギーや神父が入れるツッコミが絶妙。
フッド博士のことを「偉大な詩人」と呼ぶ神父の言葉が興味深い。本格ミステリの(そしてブラウン神父ものの)魅力とはまさにその詩心にあるのですから。
初読のときは明かされる真相に拍子抜けしたものですが、読み返してみるとなかなか面白い。不思議な来客の雰囲気とか、犯罪や主婦に関する博士の長広舌等々。問題の台詞もうまく訳してあります。余談ですがフィル・コリンズの名曲「Missed Again」の歌詞も「Mr. Gain♪」って聞こえます(笑)。
北海に臨むスカーバラ。町外れの教会がこの物語における神父の任地です。 |
「泥棒天国」(The Paradise of Thieves)
――フィレンツェのホテルには銀行家のハロゲイトと息子フランク・娘エセルが宿泊していた。エセルにのぼせた詩人のムスカリはホテルに通い詰め。そこで案内人をしている旧友のエッツァと再会する。翌日エッツァの案内でムスカリはハロゲイト一家およびブラウン神父とともに山越えをするが、そこに山賊が現れて……。
最後がちょっと駆け足なのが残念。タイトルにもなっている「泥棒天国(盗賊のパラダイス)」という言葉にブラウン神父が疑問を抱くのが一つのきっかけとなって真相が明らかになります。盗賊(泥棒)にとって真の天国とは誰にも見つからない山奥の隠れ家などではなくて――というあたりに著者一流の逆説と批判精神が表れています。
神父がフィレンツェにいるのは、おそらく「カトリックの友人が催した社交的な集まり」にでも招待されたのでしょう。 |
「ヒルシュ博士の決闘」(The Duel of Dr. Hirsch)
――ヒルシュ博士は無音火薬を発明したフランスきっての科学者であった。だがそんな博士がドイツに対し無音火薬の製造方法を漏らしているという告発がなされる。博士は告発者のデュボスク大佐の求めに応じ、決闘を行う決意をするのであった。その場に居合わせたフランボウが決闘の介添人を買って出た。ところが決闘前に確認してみると、告発の内容は真っ赤な嘘だと判明したのだった。誰が何のためにでっちあげを?
「何もかも知っていなければ完全に間違うことなどできない」という神父の言葉が印象的。神父自身は「幼稚」と言っていますが、じゅうぶん魅力的な推理だと思います。「完全に違う」ことから明らかになる「シーザーのよう」な「野心」に満ちたさらなる真相は犯人の人間性において忘れがたい印象を残します。
博士の弟子の名前がモーリス・ブラン。おいおい、と思ったのですが、原綴はまったく違うんですね。ルパンの生みの親は Maurice Leblanc、本編の方は Maurice Brun。
神父たちがパリにいるのはフランボウの里帰りでしょうか。 |
「通路の人影」(The Man in the Passage)
――舞台女優オーロラ。男なら誰もが讃美し、また嫉妬を誘発させる女だった。オーロラを崇拝する四人の男、美術家セイモア卿・軍人カトラー大尉・舞台俳優ブルーノ・衣装方パーキンソンが一同に会したとき、事件は起こった。相談のため招かれていたブラウン神父の前でオーロラが刺し殺されたのだ。そのとき楽屋の通路奥に怪しい人影が……。
初読のときはトリック(?)の印象が強かった。再読してみると後半が駆け足で動機が不明だな、と思った。再々読してみると、なかなか事件が起こらないぶん前半できっちりと動機を描いているのだとわかった。
凶器についてのちょっとした発想の転換も面白いし、人影の正体に気づいた理由に対する神父の説明も意外と真実かもしれない。ただし、神父が真相にいたったのは推理や直感によるものではなく、神父しか知らない事実に基づく部分も大きいという点でロジックの面白味にはやや欠ける。
本編と「泥棒天国」の中で、神父はノアに喩えられています。舞台はロンドン。 |
「器械のあやまち」(The Mistake of the Machine)
――二十年前にシカゴの刑務所付き神父だったブラウンは、副所長のアシャーと、新聞の三面記事を肴に話を交わしていた。富豪のトッド氏が催す風変わりな晩餐会の記事……看守を殺して既決囚収容所から脱走した囚人がそのトッド氏を狙っているという記事……実はこの囚人をアシャーが今朝つかまえたというのだ。看守殺しを否定する囚人に対し嘘発見器を使用したところ、見事に反応があったという。だから彼が看守殺しの犯人なのは間違いないと主張するアシャーに対し、神父は穏やかに否定するのであった。
ロンドンのテンプル・ガーデンにてブラウン神父がフランボウに昔話をするという設定。精神測定器も「なにかがぴたりとわからないともかぎらない」と譲らないフランボウに対し、神父は「ぴたりと指しているステッキには一つ不便な点がある」「ステッキの反対のはしが正反対の方向を指すということだ」と反論します。本編にはこの手の警句がたくさん出てくるのが楽しいところ。
「科学者というやつは、なんとセンチメンタルなのだろう」
「どんな器械だってうそはつけません」「真実を言うこともできませんしね」
「信頼にたる器械を動かすのは、いつも信頼できぬ器械」「つまり人間ですよ」
ロジックの進め方といい伏線の張り方といい、ブラウン神父譚のなかでも完成度の高い作品です。 |
「シーザーの頭」(The Head of Cæsar)
――ブラウン神父は何の気なしにカーテンを開けて窓を見た。男が道路を横切る。窓には「sela」の文字。いや違う。「ales(ビール)」だ。ふと隣のテーブルを見ると、ビール屋には似つかわしくないレディーの姿が。なぜこんな所に? 一瞬にしてことの次第を悟った神父は、道路を横切った男をフランボウに尾行させ、娘からは事情を聞く。父と兄は貨幣蒐集家。恋人はローマ人のような整った顔つきの男。娘は出来心から恋人そっくりのシーザーの肖像が彫られた古代ローマ貨幣を盗みだし、プレゼントしてしまったという。ところがそれを種に脅迫され……。
発端こそ魅力的なものの、真相は予想がつく。特にチェスタトンのトリックにはこの型が多いので、ファンなら容易に見抜けるだろう。この作品の魅力は、(1)発端。(2)脅迫には最低三人の人間が必要だ。○○にばらすぞと脅す脅迫者・脅迫される被害者・ばらされる○○。というフランボウに対し、理論的にはそうだが……と反論する神父。(3)守銭奴と収集家のいけないところは、「なんじらおのれのために偶像を刻むべからず、なんじらそれに礼拝し、かつ仕うべからず」という結論。くらいかな。
タイトルの意味がいまいちわからない。盗まれる貨幣と娘の恋人の顔のことではあるのだが、「泥棒天国」や「器械のあやまち」みたいにテーマを象徴しているような雰囲気もするし。「偶像」? 「ヒルシュ博士の決闘」では野心の象徴としてシーザーの名が挙げられていた。
神父について「前にはエセックスのコブホール(Cobhole)で司祭をしていたが、今はロンドンがその任地となっている」という記述がある。『童心』所収の「秘密の庭」にも「エセックス州はコボウル(Cobhole)のブラウン神父」という記述が見える。 |
「紫の鬘」(The Purple Wig)
――『改新日報』編集者のエドワード・ナット氏は、同紙記者フランシス・フィンからデヴォンシア、エクスムアの旧家エアー一族にまつわる奇怪な伝説の報告を受けた。ジェームズ一世と魔女の夫との会話を祖先が盗み聞いて以来、同家の跡継ぎは醜い大耳を持って生まれているという。取材を続ける記者が訪れた果樹園には三人の人物がいた。エクスムア家の司書マル博士、その友人ブラウン神父、そして当主エクスムア公爵だった。伝説を裏付けるかように、公爵の耳は奇怪な紫色の鬘で覆い隠されていた……。
新聞記者による報告記事という風変わりな叙述作品。事件の渦中にいる記者の熱気と、あくまで事務的に校正をこなす編集者のちぐはぐな対比がおかしい。
トリックやロジックは目立ったものではないが、“もし自分の家系に呪いが取り憑いていたら、隠すのではなくむしろ誇りにするのではないか?”というのが真理を突いている。伝統とか由緒とか見栄を張りたい気持は誰にでもあるもの。
ブラウン神父の髪が茶色という記述あり。 |
「ペンドラゴン一族の滅亡(ペンドラゴン一族の悲劇)」(The Perishing of the Pendragons)
――過労から快復しつつあるブラウン神父をさそってフランボウとセシル卿は川上りに繰り出す。コーンウォールのこの地方はとりわけ多くの伝説が残っているところだ。これから三人が向かうのも、キャプテン・ドレイクすら新米水夫に見えてしまうような伝説を今に伝える偉大な提督のところだった。そこには一族の滅亡を予言する呪いが伝わっていた。
文句のつけようのない完璧な傑作。読者には何が起こっているのかまったくわからないまま、気づくと事件は終わっています。「シーザーの頭」発端部分もそうでしたが、本編もブラウン神父の観察眼・頭のよさが際立っています。事件が起こる前に真相を見抜いただけでなく、あろうことかドジを隠れ蓑に猛ハッスルする神父が見られます。冒頭部分に埋め込まれた伏線の数々も見事としかいいようがありません。
創元版『知恵』・嶋中版『物語』・集英社版『名探偵コレクション』の三種を読み比べると、新訳だけあってやはり圧倒的に『名探偵コレクション』が読みやすいし誤訳も少ない。嶋中版も読みやすい。創元版はチェスタトンの小難しい文章を忠実に訳している印象。読みやすさだけ考えれば『名探偵コレクション』を薦めるのだが、編者みずから「B級ベスト」と言っているとおり収録作がマニアックすぎる。些細なことだが創元版には、冒頭シーンの「ファンショーが煙草のフィルターを探した」という文が抜け落ちている。 |
「銅鑼の神」(The God of the Gongs)
――かつての教区コボウルに立ち寄る途上、ブラウン神父とフランボウは観光地にたどり着く。音楽堂に入ろうとした途端、土台の床板が破れて神父は地面に墜落してしまった。何とかよじ登ってホテルに向かうと、そこで見たのはホテルの主人が黒人のコックに命令されているという奇妙な光景だった。
人を殺すのなら寂しい場所ではなく、衆人環視の中で。という逆説が印象的な一篇。
神父たちイギリス人には、イタリアの混血児だろうとアフリカの混血児だろうと皆おなじ黒人に見えてしまうという、ストリブリングの「チン・リーの復活」を思わせるようなロジックは、乱暴だがわからないでもない。洋画を見始めたばかりの子どもの頃は俳優の区別がつかなかったものなァ。
でもむしろ特筆すべきは、蟻の這い出る隙間もない検問を張っても見つからない混血の犯人がどうやって逃げのびたのかについてのさりげない神父のひとこと。みんな一緒くたに混血児=黒人に見えてしまう人間には、混血児が変装するとしたら白人に変装するだろうという発想しかない。だからこそ……。秘密結社がからむとどうしても大味な印象になってしまうが、この最後のひとことが作品全体を引き締めている。 |
「クレイ大佐のサラダ」(The Salad of Colonel Cray)
――ブラウン神父が道を歩いていると銃声が聞こえた。続いて響くサイフォンのような動物のような笑いをおしこらえようとしている人の声のような物音。その家の主人パトナム少佐とともに中に入ると、同居人クレイ大佐が銃を持って立っていた。すわ強盗かとたずねる二人に向かい、大佐はこう答えた。「(弾丸は)当たったと思う。(そいつは)くしゃみをしたんだ」――神父は少佐から、戦地から帰って以来大佐にはおかしな言動が目立つようになったと聞かされる。
地味な題名で損をしていると思う。少佐の家のゴミ箱、盗まれた食器と薬味、書斎の辞書、インドの邪教などの一見ばらばらな事物が一つにまとまる手際は、めちゃくちゃ傑作というほどではないが手堅い佳作といったところ。バランスのよさ(完成度の高さ)では「器械のあやまち」「ペンドラゴン一族の滅亡」に次ぐ出来。 |
「ジョン・ブルノワの珍犯罪」(The Strange Crime of John Boulnois)
――アメリカの新聞『西方の陽』の記者カフーン・キッドは、進化論についての新学説を発表した思想家ジョン・ブルノワに会いにオックスフォードに赴いた。そこで耳にした醜聞。ブルノワ夫人がクロード・チャンピオン卿と浮気しているというのだ。醜聞に興味のないキッドはブルノワ氏に会いにゆくが、氏は約束を無視して出かけてしまったと執事から告げられる。氏の行き先へと急ぐキッドの目の前に短剣が飛んできて、その先にはクロード卿が倒れていた。息を引き取る前に卿がつぶやいたのは「ブルノワがやった」という一言だった。やがて通報を受けて医者と神父がやって来た……。
邦題からしてユーモアものだというのは見当がつくのですが、興味深いのはもう一つの犯罪の方です。ブルノワが珍犯罪を起こしてしまうような人だからこそ、もう一つの方の犯罪が引き起こされてしまうわけですが、ここまで鈍いとユーモアというより怖いです。自分のせいで悲劇が引き起こされたというのに何も気づいていない鈍感な人間。無論ブルノワが悪いのではなく悪いのは犯人なのですが、ブラウン神父が最後に告げる「ちょっとした罰」という表現にかなりの皮肉が籠められているように感じました。 |
「ブラウン神父のお伽噺」(The Fairy Tale of Father Brown)
――ドイツ帝国傘下の王国ハイリッヒヴァルデンシュタインンを訪れた神父とフランボウ。二人はかつて王国内で起こったいたましい事件の真相に思いをはせるのであった。 ドイツから派遣されたオットー公は王国側の寝返りもあって国内統治に成功する。だが晩年は病的なまでに襲撃を恐れ、城外に幾重もの警備を張りめぐらせ、国民からは一切の銃器を没収し、自らは城内の奥の部屋に籠っていた。これで安全なはずだった。だがある日オットー公は、城の外で銃に撃たれて死んでいた。国内にあるはずのない銃で……。ついに凶器の銃が見つかることもなかったし、どうやって射殺されたのか明らかにされることもなかった。
「お伽噺」とあるとおり、神父が語る真相は幻想的なものです。「驕りの樹」とか「三人の騎士」に近い雰囲気の作品。普通であればあり得ない設定を効果的に使った不可能犯罪ものの名作。詩人にして評論家のチェスタトンだからこそ書き得たファンタジーとロジックを兼ね備えた作品です。
オットー公側に寝返った戦士は、財宝の在処についてだけは嘘をついた。「どうだろう、裏切りを二度かさねた者は裏切りの罪が軽くなるものかどうか」という神父の言葉も余韻を残します。 |
G.K.チェスタトン著 / 中村 保男訳 東京創元社 (1990) ISBN : 4488110029 価格 : ¥630 通常2-3日以内に発送します。
オンライン書店bk1で詳細を見る amazon.co.jp で詳細を見る。
G.K.チェスタートン著 / 田中 西二郎訳 嶋中書店 (2004.12) ISBN : 486156316X 価格 : ¥660 通常2-3日以内に発送します。
オンライン書店bk1で詳細を見る amazon.co.jp で詳細を見る。
『世界の名探偵コレクション10 ブラウン神父』 amazon.co.jp で詳細を見る。 |