1931年 |
Nixey's Harlequin |
・コッパード第七短篇集。全10編。 |
邦訳 |
短篇集としては未訳。収録作のいくつかは邦訳あり。
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「青い鴨」(The Green Drake)
――どこそこ村にレベッカという老婆が住んでおった。ジャックという名前の犬を飼い、ジャックという名前の猫を飼い、飼っている緑の雄ガモもやはりジャックと呼ばれていた。息子の名前はせがれのジャック。父親の名前もジャックのじいさん。今日はジャックの誕生日だった。
「町の鼠と田舎の鼠」というかとにかくそういったグリムやなにかの童話テイストの作品。「自分は孤児なんだ」というジャックのセリフが子供心を突いているようでなかなか心憎い。寓話めいた外枠の物語よりも、作中作の眠り姫の話の方がすっとぼけていて面白い。タイトルの「Green」は「緑色」と「青臭い・世間知らず」の両方の意味があるのでしょうね。 |
「」(Count Stefan)
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「」(The Limping Lady)
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「ニクシー・ハーレクィン号」(Nixey's Harlequin)
――わたし、トマス・ウィルソンが恋心をいだいていた女性が殺された。遺された日記には何人もの男の名前が書かれていた。だが日記に書かれたトマス・ウィルソンはわたしのことではない。同姓同名の別人だ。そのことだけはみんなに伝えたい。わたしにはそんな勇気はない。
「Nixey's Harlequin」とは、裁判所まで証人(?)を運ぶバスの名前。Nixeyさんのハーレクィン号。コッパード特有の宗教的人生的懊悩が表だって吐露されていないぶん、ちょっと幻想的で静穏な雰囲気のいい作品。冴えない男が自分の中の欲望・願望に気づく話と言ってしまえば身も蓋もないんだけれど、語り口・筆致が「ポリー・モーガン」みたいな幽霊譚を思わせて○。そのせいで“もう一人の自分”ドッペルゲンガー譚ぽくもある。 |
「」(Dark Knowledge)
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「百番目の物語」(My Hundredth Tale) コッパード自身を思わせる小説家ジョン・フリンが問わず語りに語る、幼い頃の思い出、自分にとっての書くという行為、恋、恋、恋。
『The Collected Tales of A. E. Coppard』収録作でいえば、「The Cherry Tree」「The Presser」にもジョン・フリン(John Flynn)が登場する。おそらく作者の分身なのでしょう。しかしこのジョン・フリン、やたらと恋多き男です。自伝的人生訓的恋愛譚。
魅力的なタイトルにかける期待が大きかっただけに、ちょっとがっかり。コッパードの青春小説はけっこうすばらしいのですが、人生論的な物語はいまいちなのです。 |
「郵便局と蛇」(The Post Office and the Serpent)
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『郵便局と蛇』(国書刊行会)[bk1・amazon]に邦訳あり。 |
「」(The Idle Frumkin)
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「ゴラン」(The Gollan)
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『幻想文学』第63号[bk1・amazon]に邦訳あり。 |
「」(Wilt Thou Leave Me Thus?)
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