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 作品紹介
1851 Ange Pitou 『アンジュ・ピトゥ』
 ・『ある医師の回想』第三部。マケ共作。バスチーユ〜。
邦訳 このサイト→html で読む

 孤児のアンジュ・ピトゥは、アメリカ帰りの医師のはからいによりヴィレル=コトレのおばのもとで暮らしていた。農夫ビヨと娘カトリーヌは孤児のピトゥにも優しかった。だが1789年のある日、ビヨの家で医師の著作を読んでいると、危険思想の自由主義者だと疑われて憲兵に逮捕されそうになり、ピトゥはパリに逃げ出した。医師からの大事な預かりものを憲兵に奪われたビヨも、ピトゥを追ってパリに向かう。パリに到着した二人を待ち受けていたのは、練り歩く市民に向かって発砲するスイス人衛兵の姿だった。国民思いの大蔵大臣ネッケルが罷免されたのだ。折りしも医師がバスチーユに投獄されたことを知ったビヨは、パリ市民とともにバスチーユに向かう。カミーユ・デムーランが演説をし、マラーが市庁舎に現れた。バスチーユは陥落した。助け出された医師は、監獄の記録を調べ、自分を投獄させた人物が何者なのかを知った。一つにはそのために、また一つには王制を覆すために、医師は国王付きの侍医になろうとヴェルサイユに向かった。革命の事実を知り、また医師の思想に感化されたルイ十六世は、飽くまで王権にこだわる王妃をいさめるのだった。

 

 ・とうとうバスチーユ襲撃、革命の始まりです。本書から新たな登場人物アンジュ・ピトゥがお目見えします。始めの数章は落第生ピトゥの学校や日常生活が描かれており、守銭奴のおばやピトゥの密猟など、これまでとは趣ががらりと違っています。ですがそんな田舎にも、時代の波は押し寄せていました。農夫のビヨは、アメリカ独立にも関わった医師の影響で、毎週納屋で自由思想の勉強会をしていたのです。本書前半の主人公は、事実上このビヨといっていいでしょう。何しろパリに着いてからのビヨは、バスチーユ襲撃の音頭を取っているといってもいいくらいなのです。恩師である医者をバスチーユから救うため、という個人的な理由が、バスチーユ襲撃という歴史的事実に重ねられて、あれよあれよと時代が動いてゆきます。ビヨはほとんど勢いだけで行動しているようにも思えるのですが、史実でも計画的なものではなかったバスチーユ襲撃の、ノリや勢いまで伝わってくるようでした。

 医師の正体をもうちょっとあとまで隠しておいたほうが面白かったんじゃないのかな?と思うのですが、デュマは第一章でほとんど正体をばらしてしまってます。もともと新聞小説だったことを思えば、最初にばあんと衝撃を与えておいて、え?どういうこと?と真相が知りたくて先へ先へと読ませてしまうという作戦だったのかもしれません。実際わたしも、どういうことなのか事情が知りたくてどんどん読み進めてしまいました(^_^)。これがまたどこまで読んでもぜんぜん説明がないんです。まんまとデュマの術中にはまってしまったようです。

 舞台となっている時代が時代なので、前二作と比べるとマリ=アントワネットに対してかなり厳しいところが増えています。その一部はルイ十六世によって口にされるというのが、ルイ十六世=無能というイメージの定着してしまった一時期の目から見ると新鮮で面白いところです。

 あの有名な「暴動ではなく革命でございます」の台詞を(「暴動」に当たる単語が「révolute」ではなく「émeute」ではありますが)、意外な人物が口にしていたりもします。

 てっきりカリオストロ伯爵って悪役かと思っていたのですが、もしかすると革命の立役者扱いなのでしょうか? 悪役がひどいことをやるのはともかく、本書の登場人物のようにヒーロー顔してひどいことするのにはものすごく違和感があるのですが。



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