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翻訳者:wilder
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森林探偵ノーヴェンバー・ジョー

ヘスキス・プリチャード


第一章


アンドリュー卿の助言



 私、ジェイムズ・クォーリッチがケベックからモントリオールにやってきたのは、一九〇八年初秋のことだった。そのころ私は重要な取引に関わっていたのだが、困難な交渉の末どうにかうまくいく見込みがついた。到着から数日後、高名な神経科医でありマクギル大学で講師をしている旧友アンドリュー・マクラーリック卿と夕食を共にした。
 ほかの客が帰ってからも、いつも三十分ほどそのまますごしているのだが、このときも卿は最後の一人を送り出してから振り向いて、新しい煙草を選んでいる私に気がついた。
「ジェイムズ、煙草を吸ってもよかったんだったかな」
 私は笑った。
「勘弁してくれ、アンドリュー。君の習慣には慣れたが――」
 卿は火を付けた私を見た。「今のうちに楽しんでおきたまえ、そのうちに楽しめなくなるよ」
「今夜は一段と厳しいね。どうしたんだい?」
「ジェイムズ、新しい鉱山の合併のことで新聞は持ちきりだ、君が仕切ったんだろう、成功は確実だな。だが本当に健康を犠牲にするほどの値打ちがあるのかね?」
「いつもどおりだけど」
「どこも?」
「ああ、まったくいつもどおり」
 アンドリュー卿は眉を上げ、輝く目を向けこう尋ねた。
「普段通りに眠れるかい?」
「まあ眠れないけど」私はいやいや認めた。
「食欲は?」
「知らないよ」
「ったく、ジェイムズ! 立つんだ!」ぶつぶつ言いながら診察を始め、すぐに休暇を取るべきだという結論に達した――手紙や電報も届かない森の中でしっかり体を休めろというのだ。
「それがいい! そういうことだ!」アンドリュー卿がまとめた。「鉱山の調査も報告も忘れるのが一番だ、自然の中で鹿狩りでもするんだな。オフィスに架かっている鈴のついた角はどのくらいあったかな?」
「五十九インチ」
「それなら六十のを撃ってこいよ」
「君の言うとおりだよ」私は言った。「仕事から離れられるほんの短期間のあいだ何度も狩りに行ったからね。気分を変えるのにこれ以上のものがないのはわかっている――だが悪いことにガイドのノエル・トリボネットがリューマチで寝込んでて、一緒に行ける状態じゃないんだ。なにしろ、また森に行けるほど元気になるかどうかも疑わしいんだ」
「それならほかの人間を頼もうか?」
「すまない、でもノエルを訓練するのに苦労したからな」
 アンドリュー卿はふたたび黒く輝く目を向けると、かすかに笑みを浮かべた。
「ノーヴェンヴァー・ジョーを訓練する必要はないと請け合おう」
「ノーヴェンヴァー・ジョー?」
「ああ、知っているのかい?」
「そうなんだよ。何年か前、メイン州でトム・トッドと一緒だったころ皿洗いをしていたんだ。まだ子供だったな」
「どう思った?」
「判断する機会がなかった。トッドはキャンプに連れて行ってばかりだったからね。でもこれだけは覚えてるよ。森の中を歩いていて吹雪にあったときのことだ、トッドと少年はこれからどうするか意見が食い違ってね」
「ジョーが正しかったんだろう?」
「うん。トッドはそれが気に入らなかった」
「トム・トッドは有名人だろう? 小僧にやりこめられるなんて気に入らないに決まってる。そうか、十年前の話だな。ジョーは二十四になったよ」
「いいガイドかい?」
「一番だよ。大陸一さ」
 最大級の賛辞に驚いてしまった。アンドリュー卿という人は大げさなところなどない人間なのだ。
「そんなに?」
「本当のことさ。ジョーの体が空いていれば一緒に行ける。間違いなく六十インチの角が生えた鹿を撃てるだろう」
「手が空いてるとは思えないな。狩猟シーズンの始めだってことを忘れてる」
「わかってるさ。だがブリットウェルに雇われてたはずだ。去年だよ。最近ブリットウェルは忙しいから、今年の秋はキャンプに行けないのは明らかだ。だがまだ問題がある。ノーヴェンヴァー・ジョーは地元警察と契約を結んでいるんだ」
「警察と?」私は繰り返した。
「ああ。特殊な経験の範囲内にありそうな事件の手助けをするんだ。正直なところ、私が人を殺したとしたら、一番捜査させたくない人間だね」
 私は笑いを漏らした。
「捕まえられると思ってるのかい?」
「印とか証拠を残していれば、そうなるだろう。熟練かつ細心の観察者だ。シャーロック・ホームズの専門が、狩人の毎日だったのを忘れるなよ。観察と演繹はジョーの生活において切っても切れないものなのさ。文字通り追うように読むんだ。森の地面がページだ。森で犯罪が起これば、これが役に立つんだ」
「どうやって?」
ジェイムズ、考えたことがないか、多方面に渡る犯罪の被害やその発覚を取り囲む環境がまったく違うものだったら、と? 現場が都会から離れていたり、人里離れた荒野の田舎だったら? 都会の真ん中では犯行が行われている数時間のうちに、大きな犯罪がいくつも発覚しているんだ」
「探偵は痕跡が新しいうちに犯人を追跡できるというのかい?」
「ああ、だが森ではまったく違う。自然は犯罪者のよき協力者さ。様々な方法で協力している。悪事の発見を送らせることもよくあることだ。木の葉や雪で痕跡を覆う。雨で足跡を洗い流す。何よりも、果てしない逃げ場所を与えるんだ。一定のあいだ暗闇を届け、犯人はきっちり遠くまで先に進める。広野の生活とは言うなればすばらしさと優しささ。だが影もある、そこでは森はまったく違った顔を見せる」
「そう考えると驚きだな、森で犯罪が起きると犯人は無事に逃げているのか」
「大事な点を忘れている。知っての通り私の専門医学はある点で刑法の境界線上と密接に関わっている。この森林犯罪の問題は、不思議なほどとりこにするんだ。いろいろな裁判を見てきたが、今まで見た中で最も危険な証人とは、ノーヴェンバー・ジョーのような男だよ、つまりは無学と言っていい森番さ。森番の証言は恐ろしいほど単純な質のものだ。反論できないほどそれはもう詳しく証言する。高らかに真実に光を当てる。これは心が空想のようなもので曇らされないという事実に負うところがあると思うね。推理小説を読んだりしないんだ。実体験さ。大打撃を与えるありのままの事実を提出するんだ」
 私はアンドリュー卿の話を興味深く聞いていた。卿の正確で明確な知性が、容易なことでははっきりした意見に左右されないことを知っていたからだ。
「何年かのあいだ」卿は続けた。「私はこの問題を研究し、個人的に一番やりたいことは、仕事中のノーヴェンバー・ジョーを見る機会を得ることだけになった。都会育ちの人間には、朝露の中に続いているぼやけた足跡だけしか見えない。森に住む人間は、足跡から何かを知る。だがノーヴェンバー・ジョーはある意味では時に私を打ちのめすほどの驚くべき正確さで、足跡を付けた人物を再現するんだ」
「興味を持つのもわかるね」微笑みながら私は言った。
「その通りなんだ。科学的観点から見て、環境が生み出した完璧な産物だと考えている。繰り返すが、森の犯罪を解き明かす技量と計り知れぬ感覚を使うノーヴェンバーを見ることが一番の楽しみなんだ」
 私は煙草の先に火をつけた。
「負けたよ。週末までには準備しよう。どこに行けばジョーに会える?」
「そのことなら、ボースのサイレント・ウォーターにあるハーディング農場で連絡が取れると思うよ」
「手紙を出す」
「必要ない。気が向いたときだけしか手紙を取りに行かないんだ」
「なら、電報を」
「一番近い電報局でも二十七マイルのところに住んでる」
「それでも届けてくれるだろ」
「たぶんね。だが寂しい田舎には配達員もほとんどいそうにない」
「それならハーディング農場に行って、口頭で旅の手配をするよ」
「それが一番いいだろう。とにかく、できるだけ早く森に行く方がいい。それに、その方がジョーを捕まえる確率が高い。ジョーは人見知りの気があるからな」
 私は立ち上がり家の主と握手した。
「ジョーによろしく伝えてくれ」卿が言った。「あの若者が好きなんだ。じゃあ、がんばってくれ」




"November Joe: detective of the woods" Hesketh Prichard -- Chapter I 'Sir Andrew's Advice' の全訳です。


Ver.1 03/06/11


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