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翻訳者:wilder
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森林探偵ノーヴェンバー・ジョー

ヘスキス・プリチャード


第三章


ビッグ・トゥリー・ポーティッジの犯罪





 私が一緒に行きたがるのを疎ましく思っていたのか、最初のうちは原始的かつ露骨な方法で私を追い払うつもりはなかったのか、よくわからないでいた。
 後日、憶測はどちらも間違っていたと保証してくれたが、そう言っているあいだも遠くを見つめており、私としては半信半疑のままだった。
 だがいすれにしても、ノーヴェンバーについて行くというのが厄介な、それはもう厄介なことなのは間違いない。私は手ぶらでジョーは荷物を背負っているというのに、驚異的なスピードで森の中を進んでいた。
 やや前屈気味に腿を動かしている。だが藪と木々の茂みの中を、一度も立ち止まらないどころかためらいもせず、少しも休まず前に進んだ。私はと言えば何とかあとについて行ったものの、流れの速い川岸にたどり着くころにはすっかり疲れ切り、これ以上道行きが続くようなら匙を投げざるを得なかったに違いない。
 ノーヴェンバーは荷物を降ろし、私に待つように合図すると、下流の方に歩み去ったが、何のことはないカヌーとともに戻ってきた。
 私たちはすぐに乗り込んだが、残念ながら私は旅の残りのことをほとんど思い出せない。船首に向かって擦るようなせせらぎの音、川岸の樺や杜松ねずに吹く風、私はすぐに眠ってしまった。カヌーがビッグ・トゥリーの岸に着いて初めて目が覚めた。
 ビッグ・トゥリー・ポーティッジは有名なキャンプ場で、ブリストンやハーパーの材木場とセント・アミエル村に挟まれ、どちらからも同じくらい離れていた。水際から三十ヤードもない空き地に古い焚き火の痕が黒く見える。私たちはカヌーから、悲劇の現場のすべてを見た。
 太い木組みの小屋が、大きな樅が枝を拡げたその下に建っている。地面にはそこら中に空き缶やゴミが散らばっている。小屋の前の空き地を見ると、焚き火の燃えさしのそばにある青い切れ端が目に入った。目が光になれてみると、それは大きな人の姿に変じた。仰向けに倒れ、青いシャツが風に揺れていたのだ。被害者ヘンリー・リヨンの死体を見ていたということに衝撃を受けた。
 シャツにジーンズと森林官そのものの姿でカヌーの中に立ち上がっていたノーヴェンバーは、静かに現場を観察していたが、岸を見つめながらまた岸を離れあちこちと漕ぎ始めた。ややあって岸にカヌーを着けた。
 私は指示に従ってカヌーに残り、連れの行動を見守っていた。初めに死体を注意深く調べ、次に小屋の中に消え、出てくるとしばらく川の方を見つめて立っていた。最後に私に上陸するよう声をかけた。
 ノーヴェンバーが死体の方を振り返るのが見えた。岸に上がると、もじゃもじゃの赤い髭、空を見上げる恐ろしく青い顔に気づく。死因は簡単にわかった。弾丸が首の根元に穴を空けていたのだ。そばの地面には、何か小さく鋭い物体で空けられたような穴がある。
 私は探偵の腕を試してみようという気になった。小屋に行くと、一枚の毛布と二枚の剥ぎたての毛皮、広げられた荷物を発見した。外に戻って地面をくまなく慎重に調べた。ふと顔を上げると、どこか険しく楽しそうな面持ちをで私を見ているノーヴェンバー・ジョーに気づいた。
「何を調べてるんです?」
「犯人の手がかりだよ」
「無理ですよ」
「どうして?」
「犯人は何も残しませんでした」
 私は地面の穴を指さした。
「発見者の木こりです――ブーツのスパイクですよ」ノーヴェンバーは答えた。
「その木こりが犯人でないとどうして言える?」
「リヨンの死後何時間も経ってからここに来たからです。木こりの足跡とリヨンのを較べてください……かなり新しいでしょう。違いますよ、旦那、そんな馬鹿な話はない」
「いろいろわかってるようだね、わかったことを聞かせてくれよ」
「リヨンは一昨日の午後にここに来ました。上流に仕掛けた罠を見に来たんです。ここには少しのあいだしかいませんでした。小屋でパイプに火をつけているところに、呼んでいる声が聞こえた。外に出て、岸に突っ込んだカヌーの中に一人の人物を見た。犯人はリヨンを射殺し――何の痕跡も残さずに――始末しました」
「なぜ確信できる?」どれ一つとして思いつかなかった私は尋ねた。
「パイプに火がちゃんと点いていませんでしたからね、なのに表面は黒ずんでいた。死体のそばにありましたよ。小屋には使ったばかりのマッチが一本ありました。殺人犯は下流から来て不意を打ったんです」
「なぜ下流からと言える?」
「だって、上流から来ていたらリヨンには小屋から見えたはずです」ノーヴェンバーは何とも我慢強く答えた。
「カヌーから撃たれたと言うのかい?」
「向こう岸から撃つには川幅がありすぎます。それに、カヌーを岸に着けた跡がある。ちぇ、これは優秀な森の民の仕業ですよ。自分の手がかりを一つも残していかなかったんだから。だけどあきらめませんよ。こんな人間は捕まえなくちゃ……やかんを沸かしましょう」
 私たちは死者を小屋に横たえると、ふたたび陽光の下に戻り、川原の石の中に作った焚き火を囲んで腰を下ろした。ノーヴェンバーは正真正銘森林流の紅茶を淹れてくれた。煮込むことで茶葉から濃さと苦さを引き出すのだ……。ジョーが次に何をするのかわからなかった。なにしろ殺人犯を捕まえる可能性はほとんどないように思われる。死の一撃を発射するあいだ葦の中にカヌーを突っ込んだ跡が岸にあるだけで、ほかには何の手がかりも残さなかったのだから。私はその考えを口にした。
「そのとおりです」ノーヴェンバーが言った。「森の暮らしに慣れている奴の犯罪です。ハンの木立ちに潜む山猫よりも捕まえるのは難しいですよ」
「ひとつわからないことがある。犯人はどうしてリヨンの死体を水底に沈めなかったんだろう? うまく隠せただろうに」
 若き森林管理官は川を指さした。浅瀬の急流が黒い岩の頭で泡を立てている。
「川は信用できない。流れが急なので、死体が岸に打ち上げられる可能性が高い。そうなれば、カヌーに死体を積み入れたまま引き上げるようなものです、手がかりを残してしまう。ええ、犯人は自分が正しいと思うことをやったんです」
 私は主張の真意を理解し、頷いた。
「何よりも」ジョーは続けた。「この川を往き来する人などほとんどいない。リヨンは骨になるまであの空き地で眠っていたかもしれないんです。木こりがひょっこり足を踏み入れるという偶然さえなければね」
「それなら犯人はどこに逃げたのかな?」
「わかりません。だけどとにかく、今頃は八十マイルは先でしょうね」
「追跡するかい?」
「いえ、まだです。まずは犯人について何か見つけなきゃ。でもねえ、旦那、あなたが重要視しなかった事実があるんですよ。これは計画的な犯行です。殺人犯はリヨンがここでキャンプするのを知っていました。偶然に出会った確率なんて百に一つです。殺人犯は下流から尾けてきた。そうだ、リヨンが直前にキャンプした場所を見つければ、もっと何かわかるかもしれないな。それほど遠くではありません。だって荷物はコンパクトなものでしたからね。ほかに毛皮も背負っていたわけだし……。うん、とにかく手がかりはそれだけです」
 というわけで私たちは歩みを進めた。ノーヴェンバーはすぐにリヨンの足跡を見つけ、ビッグ・トゥリー・ポーティッジから廃道までたどり、森の小径のあいだを真西に引き返した。正午から午後一杯かけて歩いた。栗鼠がチーチー鳴き、唐檜トウヒのあいだから挨拶する。山鶉ヤマウズラが空き地で羽を打ち付ける。白い尾を振りながら赤鹿が小径を横切ったこともあった。森の中にこぼれる赤やオレンジの陽光の中に飲み込まれるように消えた。
 幸運なことにリヨンの足跡は簡単にたどれた。ノーヴェンバーが立ち止まったのは、長い間隔を空けて北か南から小径が大きな貨物道に合流した地点だけだった。だが小径を一つ一つたどって行き、ついに追っている足跡が木立の中に続いているのを見つけた。倒木や苔の中を一マイル進むと、背の高い草が一面に黄色く生い茂ったよどみのそばにある空き地に出た。水面の大部分を睡蓮の葉が覆っている。
 水際に沿ってたどると、足跡はビッグ・トゥリー・ポーティッジから流れていた川の土手に戻っていた。そしてすぐに私たちは人気のないキャンプ地にたどり着く。
 まず目に入ったのものに、私は興奮で叫びをあげた。樅の枝で作られたベッドが二つ並んでおり、同じテント地の小屋のそばに据えられていた。ノーヴェンバーは正しかった。リヨンは死ぬ前夜、誰かとキャンプしていたのだ。
 私はノーヴェンバーを呼んだ。まるで事件から遠く離れているような落ち着いた根気と態度が、仮面のように剥がれ落ちた。不気味なほど素早くキャンプを調べている。
 私がいることなど忘れてしまったに違いない。経験したことのない大捕物に興奮して興味津々にそこからここへとついて行っても、ジョーは仕事に没頭していた。今や犯人は獲物であり、どうやらどんな獣よりも危険だった。だが私はがっかりすることになる。見たところではジョーは手がかりも不自然なものも見つけられなかった。
 初めにベッドの材料である樅の重なりを手に取ったが、何も見つからないようだ。それからすばやく振り向くと焚き火の燼灰に屈み込むと、黒こげの薪を一つ一つ調べていた。その後、池からやや離れた、おびただしい枯れ木の柱が立っている沼地まで続いているはっきりした足跡をたどっていった。近くにある無数の切り株が、キャンプした人物がどこで焚き火の薪を切ったのか示していた。
 切り株を近くで眺めると、ノーヴェンバーはすばやくキャンプ地に戻り、あらゆる方向に残された足跡を追って十分ほど費やした。それからふたたび焚き火まで戻ると、燃えさしを一つ一つ慎重に手に取っていた。そのときはジョーがなぜそんなことをするのか想像も出来なかった。だが理解してみると、その理由というのがほかのあらゆる行動が一度説明されてしまえば単純かつ明白なのと同様なのであった。
 人はキャンプをあとにする前に、持っていく必要のないものや持っていきたくないようなつまらないものを、本能的に火の中に投げ込むようだ。火は普通消えている。森でキャンプする人間の第一原則は、火を燃やしたまま立ち去ってはいけない、というものだからだ。燃えさしから森林火災を引き起こす可能性がある。
 ノーヴェンバーはすでに木の大部分をより分けていた。炭の一つを手にしたとき、息の詰まったような叫びをあげるのが聞こえた。
 私はそれを手に取り調べてみた。真っ黒焦げだが、一方が削られ、もう一方が尖っているのが見て取れた。
「いったいこれはなんだい?」私は困惑して尋ねた。
 ノーヴェンバーは微笑んで答えた。「証拠ですよ」
 私は、ついに手がかりを見つけたことに喜んだ。なにしろそれまでは、キャンプはほとんどヒントを与えてくれないと思っていたのだから。だがそれでも私には、このごく自然な状態の削った唐檜の切れ端が、私たちをどこまで導いてくれるのか理解できなかった。
 ノーヴェンバーはまたしばらく調べていたが、鉈を手に取り薪を割り、火にくべた。いつも持ち歩いているやかんを火にかけ、朝の一杯のために惜しげもなく茶葉を一つかみ加えて煮出している。
「ねえ」ジョーが燃えさしの端をパイプにつけたところで私は言った。「このキャンプは役に立ったかい?」
「少し」ノーヴェンバーは答えた。「あなたはどうです?」
 極めて真剣に尋ねていたのにもかかわらず、裏に皮肉を秘めているのではないかと疑ってしまった。
「二人の男が一つテントの下で眠ったことは理解できたよ。あの沼地で焚き火の薪を伐ったこと。それから、一日か二日ここにいたってことも」
「一人はここに三日間いました。もう一人は一晩です」ノーヴェンバーが訂正した。
「なぜそう言える?」
 ノーヴェンバーは焚き火の向こうの地面を指さした。
「まず、一人目はあそこでテントを張りました」途方に暮れた体の私を見て哀しむように言葉を継いだ。「ここ二日のあいだは西風でした。だけどその前は風は東から吹いていた。だから一晩目は風に背を向けてテントを張ったんです。それから新しいテントの場所ですが、ベッドの一つはもう片方より枝が新しい」
 不愉快なことに、馬鹿げたほど明白なことに聞こえる。
「ほかにも私が気づかなかったヒントがあるんじゃないか」
「あなたが口にしなかったことならいつくかあるかもしれませんね」ジョーは慎重に答えた。
「何だい?」
「リヨンを殺した男は、小柄で力持ちです。町に戻らず森でしばらく暮らしていました。ぼくらが〈トマホーク3〉と呼んでいるような鈍い手斧を持っています。先週ヘラジカを射止めました。読み書きが出来ます。心乱れて殺人の前夜を過ごしました。それからたぶん、信心深いタイプでしょう」
 ノーヴェンバーが穏やかな低い声でこんな詳しいことをよどみなく口にしたので、私は驚いてジョーを見つめた。
「だけどそんなことどうしてわかるんだ?」私はとうとう口を開いた。「全部正しけりゃあ、奇跡だよ!」
「犯人を捕まえたときに――捕まえることが出来たらだけど――そのときにまだ聞きたいと思ってくれてるなら、教えますよ。もっと確実なことが一つだけ、リヨンのことをよく知っている奴だってことです。あとの仕事はセント・アミエルで待ってます。リヨンが住んでた町ですよ」
 私たちはビッグ・トゥリー・ポーティッジに戻り、翌晩には到着できるようにそこからカヌーでセント・アミエルまで下った。町まで約半マイル、ノーヴェンバーは岸に上がりテントを張った。それから私たちは歩き出した。一度も訪れたことのない場所で、川沿いに散らばる村落だと気づいた。店が二軒と、これまで見た中でもかなり小さい教会が一軒ある。
「良ければ手伝ってください」大きい方の店の前で立ち止まるとノーヴェンバーが言った。
「もちろん良いけど。何だい?」
「ぼくがあなたのガイドをしているんだと思わせるんです。ぼくらは足りなくなった食べ物や小物を買いにセント・アミエルに来たんだって」
「わかった」計画通りに私たちは店に入った。
 ひなびたセント・アミエルや周辺地方のニュースを知るためにノーヴェンバーがどんな遠回しな話をしたのか説明しようとは思わない。ジョーが何をしたかったのか正確にはわからなかったし、情報を得ようとしているとは夢にも思わなかった。注意力散漫で無関心な聞き手を完璧に演じていたのだ。どうやら地方警察には今のところ木こりの口を閉ざす手段があるようで、リヨンの死をほのめかす情報はまだ地元にも届いていなかった。
 村にいない人物が五人いるということがだんだんとわかってきた。そのうち二人はフィッツとバクスターのガード兄弟、遠くまで罠を仕掛けに出ている。残りの人物は、リヨンの義父ハイアムスン、プロのガイド兼ハンターのトマス・ミラー、そして最後に、ヘンリー・リヨン自身である。先週の金曜日に罠を仕掛けに発ったという。ほかの面々はみな三週間かそこら留守にしており、リヨンを除けばみなカヌーで発っていた。リヨンはカヌーを売ってしまったので歩いていった。
 それから気づかぬほど少しずつ、話題はリヨンの妻のことに移っていった。夫婦は結婚して四年で、子供はない。妻は村一番の美人で、その魅力に勝てる者などいなかった。留守中の人物のうちミラーとフィッツ・ガードのふたりは、リヨンの妻に求婚したことがあり、リヨンの結婚以来、ミラーとリヨンは仲が悪かった。弟ガードは乱暴者で、兄の言うことしかおとなしく聞かなかった。
 以上が、ノーヴェンバーが買物をすませ、店を出るまでに聞き出したことである。
 店を出るやいなや、私は勢い込んで尋ねた。「どう思う?」
 ジョーは肩をすくめた。
「何人か知ってるのかい?」
「全員」
「一番仲が悪いのは――」
 ノーヴェンバーは私の腕をつかんだ。黄昏の中を近づいてくる男がいる。通りかかったところでジョーが声をかけた。
「こんちわ、バクスター! 戻ってきてたんですか。どこに行ってました?」
「上流にまっすぐ」
「フィッツも戻ってきました?」
「いや。罠のところにいるよ。何か用かい、ノーヴェンバー?」
「ええ、けど待てないな。ヘラジカは見ました?」
「ちっとも――赤鹿だけさ」
「それじゃあ」
「またな」
「はっきりしました」ノーヴェンバーが言う。「ぼくが信じてるように今のが本当のことなら、ガード兄弟はリヨンを撃ってません」
「なぜ?」
「ヘラジカを見かけなかったと言ってたでしょう? リヨンを殺した犯人は最近ヘラジカを仕留めたばかりだとぼくは言ったはずです。残りはミラーとハイアムスン――だけどミラーじゃない」
「確かなのか?」
「何から何まで確かです。第一ミラーは六フィート以上あって、リヨンと過ごしていた男より六インチほど高い。ほかにも理由が。店員が何て言ってたか聞いてたでしょう、リヨンとは話をするような仲じゃなかった。だけどリヨンを撃った男は一緒にキャンプして――並んで横になったんです――話さざるを得ないでしょう。だからミラーではない」
 冴えた推理には真実の響きがある。
「ハイアムスンはリヨンよりも上流に一人で暮らしています」ノーヴェンバーが続けた。「もうすぐ戻ってきますよ」
「罪を認めて逃げ出していないかぎりはね」私はほのめかした。
「それはないでしょう。自白したも同然です。いえ、正しいことをしたんだと信じて、何も恐れていませんよ。もう戻ってるころでしょう。川上と村のあいだをうろちょろしているわけがない。居残るのは簡単かもしれないけれど、誰もまだ解決の糸口すら知らないのだから。今晩行って確かめましょう。だけどまずはキャンプに戻ってお茶を一杯」
 ハイアムスンの小屋に出かけるころには、激しく荒れ狂う夜になった。小屋へ続く森の小径を進むあいだ、ノーヴェンバーが〈真実の夜〉と呼ぶ霰や雪が顔に打ちつけた。
 無言で歩むあいだじゅう、この二日間の出来事が繰り返し繰り返し私の心に去来した。一緒にいる男が敏腕な探偵であることはすでに確実に理解していたが、一番肝心な部分、すなわち犯罪者の特徴を再構成したと言うところの演繹術についてはまだ確認されていないのである。
 漆黒の闇とは言えなくともほぼそれに近い。とうとう目の前に建物がぼんやりと現われて、かすかな光がドアの下から漏れている。
「ハイアムスンさん?」ノーヴェンバーが声をかけた。
 答えはなく、ドアを開けこぢんまりとした木造の部屋に入ると、テーブルの上にランプがほんのりと燃えていた。ノーヴェンバーはランプを強めて辺りを見回した。荷物が手をつけられないままに床の上に置いてあり、銃が片隅に立てかけられている。
「戻ったばかりだ」ノーヴェンバーが解説する。「まだ荷物が解かれてない」
 中を調べると、手斧が幅広の巻き紐の中に突っ込まれていた。ノーヴェンバーは取り出した。
「刃に沿って親指を押してみてください。なまくら? そうですか? でもリヨンが鋭い手斧で薪を割ったのと同じくらい深く薪に打ち下ろしたんですよ。大力なんです」
 話しながら忙しく荷物の中身を器用に調べていた。詰め込まれていたのは何枚かの衣類、お茶と塩、その他の備品多々と、聖書。最後に見つかったものにノーヴェンバーは驚かなかった。なぜそんなものがあるのか私には綾のないままなのに、ノーヴェンバーは推測していたらしい。だが普通の人間には見えない多くのことがジョーには明白なことなのだと、私にもわかり始めていた。
 荷物の中身に気が済むや急いで元に戻すのに忙しかった。私はと言えば、小窓から外を覗いた拍子に、森の中に明かりが動くのを見て、ノーヴェンバー・ジョーの注意をひこうと叫びをあげた。
「たぶんハイアムスンだ」ノーヴェンバーは言った。「ランタン片手に戻ってきたんです。暗がりに隠れてください」
 ノーヴェンバーが閉じたドアの暗がりに身を潜めている間に、私はそうした。私のいる場所からは、窓越しに室内に光が届くほどにランタンがゆっくり近づいているのがわかる。次にドアが押し開けられて、男の重たげな呼吸が聞こえた。
 どうやら初めハイアムスンは私たち二人に気づかなかった。というのも私たちの存在を初めに告げたのは、ノーヴェンバーの「こんばんは!」だった。
 ランタンが音を立てて落ち、手にしていた男は咄嗟にぜいぜいとあえぎ後ろにさがった。
「誰だ?」と叫ぶ。「誰――」
「ハル・リヨンの使者」
 そんな絶大な効果をもたらす言葉を聞いたこともない。
 ハイアムスンは怒声を浴びせ、次の瞬間とっくみあいになっていた。
 私は加勢しようと飛び出したが、それでもなお力強い男を組みするには二人でも容易いことではなかった。二人で押さえつけながら、わたしは初めてその灰黒い顔を見た。口は嘲りに広げられ、にらみつけた目には恐ろしい意志があった。だが訪問者に気づくと一変した。
「ノーヴェンバー! ノーヴェンバー・ジョー!」
「立って!」ハイアムスンは立ち上がった。「いったいどうしてあんなことをしたんです?」ノーヴェンバーは静かに尋ねたが、今や静けさには脅威が宿っていた。
「何をだって? 俺は何も――俺は――」ハイアムスンは黙った。ことがはっきりとして、彼は口を開いた。「ああ、嘘は言わん。俺がハル・リヨンを撃ったんだ。そうさ、もう一度やれってんならもう一度やってやるとも! 俺がやった最高の行いさ。ああ、そうだ、だが本に書いてあるぞ。『人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。』」
「なぜやったんです?」ノーヴェンバーは繰り返した。
 ハイアムスンが目を向けた。
「言おうか。ジェニーのためさ。あいつはジェニーの旦那だった。いいか! ハル・リヨンを撃った理由はな。先月の初めから、俺はジャコウネズミの罠を仕掛けに森に行ってた。一か月くらい経ってからかな、今みたいに俺は戻ってきた。いつも戻ってきて最初にするのは――ジェニーに会いに行くことだ。ハル・リヨンはいなかった。もしいれば、復讐のため歩き回る必要もなかっただろうさ。だがどこにもいなかった。熊の罠を見にビッグ・トゥリーに行ってたんだ。だが出かける前の晩、あいつはジェニーと喧嘩した。ジェニーを殴り――あいつが殴ったんだ――歯が一本欠けていた――拳が当たった場所だ」
 最後の一言を吐き捨てたとき目に燃えていたほどの怒りを私は見たことがなかった。
「ジェニーは五十マイル四方で一番かわいい顔をしている。ジェニーは歯を俺から隠そうとした――知られたくなかったんだな――だがかわいそうな顔は一面腫れ上がって、痣だらけ、白い歯のあいだには隙間があった。少しずつわかってきたよ。リヨンが手を出したのは初めてじゃなかった、いや、三度目でも、四度目でもなかったんだ。ジェニーを見た瞬間、俺はあいつを追う決心をした。約束させようとしたんだ、そう、誓わせようとしたんだ、聖書に掛けて、二度とジェニーに手を出さないと。もし誓わなければ、ジェニーに手を出せないところにやるつもりだったさ。罠のそばのよどみでキャンプを張ってるあいつを見つけて、ジェニーを見たこと、誓わざるを得ないことをあいつに言ってやった……誓わなかったんだ! 告げ口したらどうなるか教え込むためまた殴るつもりだと言いやがった。それからあいつは横になって眠った。今でも不思議だ、あいつは俺を恐れてなかった。だが物静かで敬虔な奴だと思っていたんだろうな。
「俺はずっと眠れずに起きていた。それ以上我慢できなかった。起きあがると荷物から蝋燭を取り出し、燭台に据えて道しるべとして聖書を調べた。こんな言葉を見つけた。『汝鉄の杖もて彼らを打ち破らん。』銃のことに決まってる……。それから俺は明かりを消し、眠り、夢を見た。
「次の朝リヨンは早起きだった。前の日に剥いだ毛皮が二、三枚あったが、ジェニーにお仕置きしにまっすぐ帰るつもりだと言う。俺は寝転がったまま、はっきりしたことは何も言わなかった。あいつの決心は固かった。一日じゃ戻れないことはわかっていたから、ビッグ・トゥリーで野宿するはずだと俺は確信していたんだ。あいつは歩きだったから、俺はカヌーでできるだけ先を急いで、追いつくとずっと辺りを離れなかった。日も低くなると、あいつに見られないように川岸に屈み込んだ。おんぼろ小屋に入ったあいつの名を、俺は呼んだ。俺の声に気づいて悪態をつくのが聞こえたが、顔を見せたときが死ぬときだった。俺は岸には上がらなかった。跡を残さないようにな。絶対に安全なはずだった。あんたに捕まったが、ジェニーのためなら気にもしてないよ。俺は正しかった。だけど自分の父親が殺人犯だなんて言われたくはないだろうな……。これで終わりだ」
 テーブルの端に座ったノーヴェンバーの均整のとれた顔は険しかった。しばらくのあいだ何も言えなかった。つとハイアムスンが立ち上がった。
「覚悟は出来てる。だが警察に引き渡す前にもう一度ジェニーに会わせてくれ」
 ノーヴェンバーはじっと見つめた。「ジェニーとは何度だって会えますよ。野蛮な旦那がいなくなった今や、ジェニーはひとりぼっちだ。あなたと暮らしたがってるはずです」
「つまり……」
 ノーヴェンバーは頷いた。「警察が自分たちで捕まえることができるのなら、そうさせます。でもあなたが履いている鹿革の靴を燃やすつもりがあるなら、その可能性はぐっと減るでしょう。ヘラジカを撃ったのはいつです?」
「今週の火曜日。靴がすり減ったんで、森用に修繕したんだ」
「わかってます。毛が抜けていましたから。ビッグ・トゥリーの先のキャンプ跡地で見つけました。それでヘラジカを撃ったことがわかったんです。燭台も見つけました。これです」ポケットから、私を悩ませていた小さな棒きれを取り出して振り向いた。
「こっち端は地面に刺すため尖っています。反対端は削れている。樺の樹皮で蝋燭を固定するためです。さあ革靴も一緒にストーブ行きです」ノーヴェンバーはストーブの扉を開け荷物を突っ込んだ。
「秘密を知ってるのは三人だけです。ぼくがあなたなら、四人に増やそうなんて思いませんね。ましてやそれが女性ときては」
 ハイアムスンが手を差し出した。
「あんたはいい人だ、ノヴ」
 数時間後、最後にお茶を飲もうと焚き火の前に腰を下ろしていた私は言った。
「北にあったリヨンのキャンプを調べたあとで、犯人について七つのことを教えてくれたね。なぜわかったのか説明してくれたけれど、三つだけ残っている」
「どの三つです?」
「その一、ハイアムスンが村に戻らずしばらく森の中で生活していたとわかった理由は?」
「革靴がすり減って、鹿の生革で継ぎを当てていたからです。足跡から明白です」
 私は頷いた。「では犯人が信心深く、夜に心乱れていたと言えたのはなぜ?」
 ノーヴェンバーがパイプを詰めていたため少し待った。「犯人は眠れなかった。だから起きて燭台を削っていた。明かりがほしかったのは何かを読むために決まっています。では何を? それに心乱れてないのだとしたら、なぜ真夜中に読もうなんて気になるでしょう? では心乱れているときには、どんな本を読みたいと思うでしょう? それに、猟師百人に一人は、ほかのどんな本でもなく、運ぶのは聖書です」
「なるほど。だがなぜ真夜中だったとわかる?」
「どこで燭台を削ったかわかりますか?」
「いや」
「ぼくはわかる。暗闇の中ナイフで削ったから、二箇所削り損なってます。すばらしい質問でした」
「君の答えもね」
 ノーヴェンバーがやかんの下の燃えさしを掻き回し、あくびをしながら振り返ったジョーのりりしい顔を炎が照らした。
「うん!」そう言った。「だけどハイアムスンさんなりの事情があってよかった。あの人が朝日の見えない場所に閉じ込めるかと思うとやりきれなかったですからね。そうじゃありませんか?」




"November Joe: detective of the woods" Hesketh Prichard -- Chapter III 'The Crime At Big Tree Portage' の全訳です。


2003/08/04 Ver.1
2003/08/05 Ver.2






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