『三橋一夫ふしぎ小説集成1 腹話術師』三橋一夫
三橋一夫。戦前戦後の探偵小説作家ということであれば、城昌幸([bk1][amazon])や渡辺温([bk1][amazon])の名を思い出す。後者二人の作品がショート・ショートの名で呼ばれるのに対し、三橋作品が和製ファンタジーと呼ばれるのは単に長さの問題なのだろうか。
確かに城作品は読み返してみると意外なほどファンタジー色が薄い。純然たるファンタジー「絶壁」などは別にして、多くは当時の〈探偵小説〉の主流に近い内容の文章なのだ。では渡辺温はどうか。「兵隊の死」などはファンタジーと呼べそうな作品ではあるが、文体がまぎれもなく星新一に連なるショート・ショートの文体だ。乾いてもいないけれど湿ってもいない。暖かくも機械的な文章。
ところが三橋一夫の文章は探偵小説のものともショート・ショートのものとも違った。おおざっぱな印象で羅列するならば、川上弘美([bk1][amazon])、小沼丹([bk1][amazon])、内田百けん……。夢と現実の境界が曖昧な、ユーモアのある作品群。
「ふしぎ小説」とはよく言ったもので、たとえば上に挙げた川上弘美のある種の作品を形容するにはぴったりの言葉だろう。無論三橋作品にもぴったりの言葉だ。兎としゃべり、鏡の中の世界に生き、池に映った空に昇天する――まぎれもなく、当時唯一の和製ファンタジー作家だったのだ。
「腹話術師」――デビュー作。どの短編集でも巻頭に収録されているのはしかしそれだけの理由ではあるまい。自他ともに認める代表作でしょう。イタリアという外国が舞台になっていることで、著者のファンタジックな特性が最大限に活かされている。
「猫柳の下にて」――うってかわって比較的オーソドックスなタイプの怪談。
「久遠寺の木像」――アンドロギュヌス的(男女の両性ではなく、相対する人間の性質を有しているという意味で)な理想像。でも実は、見方によって違った印象を与えるいうのは、つまり人間そのものということ。
「トーガの星」――「トーガの星」――何の根拠もないのに「星になった」と信じるしかない状況に追い込まれてしまった直助の心情が哀れ。『虚無への供物([bk1][amazon])』とか『エンリーコ四世([bk1][amazon])』とかに通ずる、観念による行動。
「勇士カリガッチ博士」――室生犀星の『蜜のあはれ([bk1][amazon])』や川上弘美の諸作を連想させるような設定で語られる、ダメ人間の再起の物語。
「白の昇天」――実はタイトルの意味がわかりません。白って? 初出タイトル「稲妻」も同じく不明。
「脳味噌製造人」――『ドリアン・グレイ([bk1][amazon])』の変形。タイトルのセンスが他の作品と比べて浮いているが、内容は間違いなくふしぎ小説。
「招く不思議な木」――「ゾワラ」この言葉だけで一気に引き込まれる。“忘れがちな大切なもの”の物語。
「級友「でっぽ」」――ミステリ短篇。プロバビリティの犯罪。といっても「赤い部屋([bk1][amazon])」というよりは「目羅博士([bk1][amazon〉])」風。
「私と私」――『ジキルとハイド』のような善と悪ではない変身譚というか分身譚。「久遠寺の木像」とあわせて著者の人間観を表わしていると思う。
「まぼろし部落」――ファンタジー作家による自作解説のような作品。
「達磨あざ」――「まぼろし部落」のあとにこれを読むとよくわかる。痣を見たかったから見えてしまった。
「ばおばぶの森の彼方」――プラスであれマイナスであれ、いまいる“此処”からの脱却を描いた作家なのだろう。プラスとは先へ進むことであり、マイナスとは逃亡にほかならない。
「島底」――なんともはや「猫柳の下にて」の語り手の転生した姿にも見えるではないか。
「鏡の中の人生」――自作解説ともいえる「まぼろし部落」をファンタジーとして描いた作品といえそう。
「駒形通り」――「まぼろし部落」とあわせて著者の思想がもっともわかりやすい形で現れている作品。
「親友トクロポント氏」――ファンタジー「勇士カリガッチ博士」を解体解説。
「死の一夜」――「級友「でっぽ」」と同じく呉警部登場のミステリ短篇。ミステリ部分より、解決後の警部夫妻の会話こそ本編の魅力。
「歌奴」――ふしぎ小説ばかりを収めたこの短編集の中で本編と「泥的」だけは普通小説。感涙の人情話。
「泥的」――国威発揚的な作品に思えてしまうのだがはたしてどうなのだろう。そんなこととは無関係に「父を思う」小説なのか。泥的にも父はいるわけだし。
「帰郷」――これこそ国威発揚的。というのは僻目だろうか。
「人相観」――「歌奴」から「戸田良彦」までの流れの中に本編が挟まっているのがうまい仕掛けです。普通小説だと思って読むじゃないですか。
「戸田良彦」――本短編集中の異色作。普通小説とも言い難いがふしぎ小説でもない。
---------------------------------------
『やさしい嘘』(Depuis qu'Otar est parti...,2003年,仏・グルジア)
パリにでかせぎに出ていたグルジア人の息子が事故死してしまった。母親を悲しませないために、娘たちは息子からの手紙をでっちあげ……。
このあらすじだけでも充分〈やさしい嘘〉なのだけれど、最後の最後の〈やさしい嘘〉が感動的。しかもそれが強い説得力を持っています。有無を言わせない、そしてほかには考えられない完璧な嘘。
ちょっとわがままっぽく描かれていた人物像も、このシーンのためには必要だったのかな、と納得。やさしいだけの性格ではこの嘘はつけないもの。
知らない俳優ばかりだったんですけれど、おばあちゃん・娘・孫みんなそれぞれが魅力的な演技でした。特におばあちゃんと孫がかっこよかったです。
---------------------------------
『天の声・枯草熱』スタニスワフ・レム
長篇二つのカップリングだというから、短めの長篇二作かと思っていたら、細かい字でみっちり二段組みでした。特に『天の声』。読んでも読んでもページが先に進まない……。めげそうになりました。
つまらなくはないんですけどね。何て言うんでしょうか。すごく頭がよくて哲学的なご隠居が論理的だけど主観的にえんえん人生論を語るのを聞いているといえばいいのか。志ん生の話なら何時間でも聞けるけど、上岡龍太郎は30分でゴメン、みたいな。
それはともかく内容は、というと、次の引用がすべてを言い尽くしています。
マスターズ・ヴォイス計画は、いわゆる〈星からのメッセージ〉と称されるものの全面的な研究であり、それと同時にその解読の試みでもある。
ものすごく下世話に言えば宇宙人からのメッセージをめぐる話です。で、それが老数学者の一人称でつづられた手記の形を取っているわけです。で、この数学者がいたるところで名言を披露します。
たとえばこう。「たいていの者は、さんざん追従を聞かされたらだれだってよろこんで飲みくだすものだと思っている。(中略)ほめることができるのは――それを言うためには――上から下へであって、下から上へむかってではない。」
あるいは――「(憲兵隊の)副官たちがなぜそういうこと(引用者註:酔ったような状態に陥って殴ったり蹴ったりすること)をせざるをえなかったかということまでは理解できた。彼らは犠牲者たちを憎悪することで、己をごまかしていたのだ。そして、残忍なことをしないでは、憎悪をかきたてることができなかったのだ。」
またあるいは――「懐疑主義とは、とめどなく顕微鏡の倍率を上げていくのに似ている。つまり最初は鮮明だった像も、しまいにはぼやけてしまう。極限まで小さい対象は見ることができないからだ。それが存在することはただ推測するしかない。」(※これなどは『枯草熱』にも同じような表現が使われていたことからすると、レムお気に入りのレトリックだったのでしょう。)
これはこれで作品にとって重要な部分も含まれているのですが、「科学的考察」と「人生訓」が入り乱れているため、「科学的考察」が架橋にさしかかったところで「人生訓」が顔を出したりして、読書の流れが中断されてしまいました。
一方――「科学的考察」だけでできているのがカップリングの『枯草熱』です。
中年男ばかりが犠牲になる連続怪死事件の真相を探るべく、自ら囮の実験台になった男の一人称。というわけで余計なことなど考えている暇はありません。考察に考察を重ねて謎を解決しなくてはならない。
前半こそ雰囲気も状況もミステリアスで、何が起きているのか皆目見当がつきませんが、後半からは打って変わって考察、考察、考察。前半はハードボイルドSFみたいなちょっと幻想的でウェットな雰囲気がありましたが、後半は一転本格ミステリです。それも新本格。
惹句には「確率論的ミステリ」なんて書かれていたので、どんな小難しい内容なのかと身構えていたのですが、読んでみれば何のことはない新本格ミステリでした。京極堂みたい? 山口雅也でも殊能将之でもとにかくそういうペダンティック系のミステリを読み慣れている方なら恐るるに足らず、です。
『枯草熱』は一気に読めますが、『天の声』はひと息では難しいので、数時間ずつ何日かにわけて読んだ方がいいかも知れません。
------------------------
『シティーハンター』第2巻 北条司
★★☆☆☆
あぶなくもう少しでジャンプ王道のバトル漫画になるところ。ユニオン・テオーペが手を引いてくれたので路線変更。そして路線の変更とともに、リョウが香にもっこりすることもなくなったのでした。
ジャンプコミックス版の目次は「将軍《ジェネラル》の罠!」「悪党にはなにもやるな!」「危険な家庭教師」。
しかし路線変更第一弾が……。シリーズ中でも一、二を争う不出来映え。竜神会会長のスケ番娘をボディーガードするはめになったのだが――という内容なのだけれど、シチュエーションから雰囲気まで徹頭徹尾コメディ・オンリー。試行錯誤? 結局3巻収録の次作では、一瞬だけ男臭いハードボイルドに戻るのですが……。ま、そうやってだんだんとハードボイルドとコメディとロマンスがバランスよく混ざり合ったカッコイイ作品になってゆきます。
次巻以降おもしろくなるので心配なし!
-----------------------------
『妖怪文藝〈巻之壱〉 モノノケ大合戦』東雅夫・編
最初に発売案内を見たときは、「妖怪文藝」とはなんぞや? と思いましたが、つまるところ「妖怪小説・エッセイ等」のアンソロジーです。
「月は沈みぬ」南條範夫――これぞモノノケ大合戦。忍法帳のように、異能の者たちがそれぞれの特殊能力を尽くして戦う娯楽絵巻。軽いけど各妖怪の特徴をきちんと捉えているのがポイント。
「河童将軍」村上元三――バローズの火星シリーズみたい。「河童の大元帥カーター」。
「妖恋魔譚」藤原審爾――サービス精神旺盛。しかし詰め込みすぎでそれが裏目に。要は一匹の妖怪を倒すために、入れかわりたちかわり戦う物語。
「狐の生肝」石川淳――さすが石川淳、ではあるのだが、『火の鳥 太陽編』的とでもいうべきラストは納得いかん(〈モノノケ大合戦〉の一編として読んでしまうと)。
「荒譚」稲垣足穂――第一話、稲生物怪録。第二話、灰屋のおっさんの話。第三話、まとめ。今まで読んだ稲生物怪録の話の中では一番おもしろくはあった。ここまでが特集「モノノケ大合戦」。
「牛を殺すこと」入澤康夫――ここからは「文藝妖怪名鑑」。劈頭に詩を掲げるのはよくあることだが、よりによって「件《くだん》」というマイナーな妖怪を選ぶのがマニアック。そもそもこのアンソロジーの企画自体がマニアックだからいいのかな。
「川姫」土屋北彦――民話の聞き書き。「キャラキャラ笑う」という表現が一読忘れがたい。
「小豆洗い」龍膽寺旻――日夏耿之介主宰の「サバト」掲載作だけのことはある傑作。雰囲気が石川淳っぽい。妖怪縁起譚。
「覚海上人天狗になる事」谷崎潤一郎――漢文の引用が半ば以上を占める。いくら何でも……。
「ぬらりひょん」水木しげる――見る目さえ持っていれば現代でも妖怪を見ることはできるという好個の例。妖怪を見るには霊感がなくともよいのです。
「からかさ神」小田仁三郎――掌編《コント》的妖怪譚。なかなかに味のある。
「すなかけばば」別役実――『もののけづくし』より。笑いとことば遊びと批評精神を駆使した〈づくし〉シリーズの特徴がよく出ている一編だと思います。
「轆轤首」石川鴻斎/小倉斉・訳――『夜窓奇談』より。漢文ゆえに敷居の高かった古典的名著の現代語訳が先ごろ出版されたとは言っても、価格的にはまだまだ敷居が高い。アンソロジーに収録してくれるのはありがたい。
「雪女」今江祥智――創作民話風ファンタジーとはむべなるかな。妖怪の特徴を殺したり作りかえたりせずに、物語を創作するというのは意外と難しいと思うのだが、これはよくできていると思う。
「猩猩」野上豊一郎・編――能(謡曲)台本。台詞だけなのでかなりそっけない。「妖怪がいたよ」「信じてくれてありがとう。お礼だよ」というだけの話になってしまった。当たり前だがやはり「観るもの」ということなのでしょう。
「豆腐小僧」京極夏彦――狂言台本。うまい。狂言は「附子」しか知らないのに、あーわかるわかる、って感じ。「野暮と化物は箱根から先(=江戸っ子は粋なやつしかいねぇのよ)」という江戸語も知ることができてお得。
全体として見ると、やはり短篇で「大合戦」というのが無理あります。石川淳と稲垣足穂の作品を「大合戦」の方に入れるのはやはりこじつけ、個々の作品として楽しみましょう。けっこう妖怪は好きな方なんだけれど、既読は「すなかけばば」しかなかったのでうれしい。
-------------------------------------
『シティーハンター』第1巻 北条司
このころはまだハードボイルド色が強かった。平気で人も殺すしね(ホントはそれが本職のはずなんだけど……)。絵柄には合っていたかもしれない。ちょっと骨太な感じで。好みでは10巻代〜20巻代くらいの絵柄が好きなのだけれど、1巻の内容にはこの絵柄がぴったりだと思う。
ジャンプコミックス版の収録作は「栄光なきテンカウント!」「BMWの恐怖」「闇からの狙撃者!」「恐怖のエンジェルダスト」「素敵な相棒!」の五編。
わたしは絵柄や内容から、勝手に『シティーハンター』を3期に分けてたりします。骨太絵柄の第一期(一桁台の巻)、ピークの第二期(10巻くらい〜20巻代後半)、リョウと香の関係をどうまとめようか模索している第三期(〜最終巻まで)。
本巻収録の最初の二編には香も登場しないし、依頼人もシリアスな事情を抱えた人たちなので、芯からハードボイルド。ところが1巻以降の一桁台の巻は、女子高生だのボディーガードだのと、かしましくなって……。そういう人たち相手にシリアスな台詞をしゃべってもちょっとクサくて。骨太の絵柄ではギャグも生きず……。第二期以降ではそこらへんもだんだんと進化してくるのですが。
そんなわけで、のちの『シティーハンター』とは作品の性格こそ違いますが、ハードボイルドに特化した本巻は、第一期のなかでは白眉だと思います。
-----------------------------
『シャーロック・ホームズの冒険』特別編
●オリジナル(「正典」)の雰囲気よりはかなりユーモア色が強いので、ホームズファンというよりはワイルダーファン向け。ではあるけれど、随所にシャーロキアン的ネタが織り込まれているあたり、ホームズファンにも充分に楽しめます。マイクロフトが貧相なのがちょっと残念。
●ワイルダー作品はもともと伏線を大事にしているものが多いだけに、ミステリ映画としてもしっかりしている方だと思います。依頼人との話の中でさらりと銅の指輪に触れているところなどは、うまいなぁと感じました。
●見終わってからふと連想したのですが、ホームズのマイペースぶりにいちいちツッコミを入れるワトスンというこの映画の探偵コンビ像は、ドイルの原作というよりは、島田荘司氏の御手洗と石岡コンビに似ていたかも。
●これぞ特典映像!です。どうでもいいような特典映像付DVDが多い中、このDVDの特典は買って損なし、まぎれもない特典映像です。クリストファー・リーのインタビューはともかくとして。
まず編集担当者へのインタビュー。撮影当時、ワイルダー作品らしいおしゃれなラストシーンを監督に提案してみたけれど、まったく相手にされなかった、なんてエピソードは(彼のアイデアが果たしておしゃれなのかどうかは別として)ワイルダーファンにはうなずけます。「完璧な人などいない」、「それはまた別の話」等々……。カットされたシーンについて話してくれているのも嬉しい。
次いで、公開用にカットされてしまった幻のシーン4篇。さすがに全シーンは残っていないので、ほとんどはスチールと台本と音声を切り張りしたものなのですが、最後の一篇「裸のハネムーン・カップル殺人事件」は映像がまるごと収録されています。残念ながら音声は残っていないようなのですが、日本人にとっては英語音声をヒアリングするよりも英語字幕を読む方が内容を理解しやすいんじゃないかと思うのでかえってよかったかも。このシーンを見ると、映画全体がもともと持っていた雰囲気というのが伝わってきます。かなりコメディ色の強い楽しい雰囲気の映画だったようです。全篇見てみたかった。
------------------------------------
『怪盗対名探偵 フランス・ミステリーの歴史』松村喜雄
これは面白い。類書がないだけに、今でもこのジャンルの通史かつ入門書として高い価値を有しています。あまりに本格ミステリ寄りの著者の体質が気になりはするけれど。
でもフランスにはもともと本格ミステリなんて少ないから、紹介しているのはミステリ作家ですらないヴェルヌだったりデュマだったりするわけです。彼らの作品中から、むりやりミステリ味のある作品を紹介してます。たとえばヴェルヌだったら『八十日間世界一周』の日付トリック(?)だとか『地底旅行』の暗号だとか。もっとも著者によればむりやりでもなんでもなく、フランスの作家はたいてい「フィユトン」という新聞連載の通俗犯罪小説の影響を受けているので、その影響のうちのミステリ部分が顔を出していても当然ということらしい。
本書前半はこの「フィユトン」というキーワードでフランス文学史を通観するという流れで書かれています。時代の古い順から各作家の作品が並べて論じられているわけですが、こうして並べられてみるとかなり説得力があります。
これはたとえば日本の近代小説は講談の影響を多かれ少なかれ受けているというのに似ているのだと思う。『怪奇小説傑作集』の解説で東雅夫氏が、日本の怪奇小説と講談の関係を論じてらっしゃいましたが、講談をキーにすると、これまで見たこともないような、一見ひっちゃかめっちゃかな文学史ができあがりそうなので、面白そうだと感じたものです。
本書で取り上げられているのも、上述のデュマ、ヴェルヌのほか、ヴィドック、ボアゴベ、ルルー、シュオッブ、ルブラン、カミ、ルヴェル……と、わかるようなわからないようなラインナップ。
それにしてもルルーの作品は『黄色い部屋』にしても『オペラ座の怪人』にしても面白いと思ったことはなかったのだが、こうして「フィユトン」というキーワードで論じられてみると、面白そうに見えるから不思議です。
魅力的ではあるものの他人からの借り物データの羅列と感想エッセイに終始していた乱歩の正続『幻影城』とくらべても、レベルが高いミステリ評論集。
--------------------------
「The Cherry Tree」A. E. Coppard(1922)
これぞコッパード! 出だしがいいよね。町は騒ぎに包まれていた。誰もが不安になった。数週間前に殺人があったばかり――叫びが聞こえた。「このガキんちょ!」
機関車好きのおじさんというちょっと変わった人物が登場するのもコッパードっぽくていい。
ハートフルな掌編です。
-----------------------------
『明治大正翻訳ワンダーランド』 (新潮新書) 鴻巣友季子
鴻巣氏の翻訳がらみのエッセイ集。ということで読んでみたのですが、翻訳「小説」(史)についての話と「翻訳」そのものについての話が半々といったところです。
「翻訳」そのものについてもっと筆を割いてほしかったなァ。新書という性質上やむを得ないのだろうけど。
引用によって、明治大正翻訳の名調子が一部味わえるだけでもよしとしよう。
------------------------------------
『あなたが名探偵』泡坂妻夫・他
ミステリ専門誌『ミステリーズ!』に連載されていた犯人当て小説の単行本化。本誌では見事犯人を当てた読者に著者サイン色紙が当たるという企画だったため、サインほしさに泡坂妻夫・麻耶雄嵩両氏の問題編については考えに考えたものでした。万に一つの可能性でまぐれ当たりもあるかもしれないから、何でもいいから応募したかったのだけれど、けっきょくまるで見当もつかず、涙を呑みました。
やっぱり推理小説は推理クイズとは違うな……_| ̄|○
こうして単行本にまとめられてしまうと、読もうと思えば問題編と解答編を続けてひと息に読めてしまうので、よっぽどの推理マニアじゃないかぎりわざわざ推理しないとは思うけれども。
実際わたしは、大ファンの泡坂・麻耶両氏の作品こそサインほしさに考えましたが、他の作品の場合は、問題編を読んでしまうと次号の発売まで気になってしょうがないから、解決編が出版されてからまとめて読もう or 単行本にまとまってから読もうという怠惰な考え。
そして実際に読めばとーぜん一編の短編なわけで、だから犯人当てという趣向とは別に結局は作風の好き嫌いになってしまった。麻耶◎、泡坂○、西澤●、小林△、法月△、芦辺▲、霞▲といった感じ。これは出来不出来とはまったく無関係。たとえば法月作品より麻耶作品の方が好きというただそれだけです。
黒い装丁がカッコイイ。
------------------------------------
「だいあろおぐあきらめに似て照る月は言葉の海を笑つてゐるのさ」紀野恵
昔のフォークソングには、英単語をひらがなで表記したものがありました。中島みゆき「りばいばる」、井上陽水「はーばーらいと」……。この歌が歌っているのも、そんな時代の景色でしょうか。果てしない対話を、月があきらめ顔で笑っております。あるいは、あきらめたような対話を、月が笑っています。
「ダイアローグ」とは、『広辞苑』によれば「話。問答。特に、劇・小説などの対話部分。」とのこと。であれば月とはペーパー・ムーン。言葉の海とは台詞の海。作り物の月が、作り物の言葉を笑っています。
フォークソングの時代とは、メッセージの時代。メッセージはあふれ、でも変えようとして変えられなかった時代。やがて言葉だけが残り……。
「だいあろおぐ」「あきらめ」とひらがなが続くせいで、上の句には得体の知れない気色悪さがあります。見知らぬ国の呪文のような、意味の解らぬ不思議な言葉。さらに、続く「に似て照る」の部分もひらがなに直してみると、「ににててる」と「に」と「て」がダブっていっそう異様な感じがします。すべてつなげると「だいあろおぐあきらめににててる」。ますます呪文めいてきました。
けれど実際には、「ににててる」の部分は漢字です。呪文ではなく意味の通る言葉。「だいあろおぐあきらめに似て照る」という文字列が――「だいあろおぐあきらめ」という呪文から、「ににててる」という呪文に続くかと思いきや、「に似て照る」という意味の通る文章へ――と変幻してゆきます。
呪文のような言葉の海のなかで、紙の月だけが、月としての意味を持って存在しています。あたかも笑っているかのように。
2005/11/18 『宇宙舟歌』ラファティ
船乗りの話ときて面白くないわけがない。『スナーク狩り』しかり『白鯨』しかり。『海底二万里』や『月世界旅行』を加えてもいいかもしれない。
未知への冒険、大いなるものとの戦い。冒険物語の本質がここにあります。トム・ソーヤーだったりガルガンチュアとパンタグリュエルだったりガリバーだったりするわけですが。
ロードストラム船長は無鉄砲もいいところ。とにかく突き進むのみです。窮地に陥っても、おれは英雄なんだと自らに言い聞かせれば瀕死の状態から生き返るし、地獄に連行されれば思っていたよりハードじゃないと文句を垂れるし。
『オデュッセイア』を下敷きにした大暴走。笑いと冒険の神話的ホラ話です。
ぼーけんばっかだね。
男の世界って感じ。わたしはあんまり好きじゃないな。
ぼく、このロード・ストーンさんって好きだな。
ロードストラムよ。ロードストーンじゃないわ。
ねえ、なんでストーンさんは死なないの?
英雄だからよ。
ふうん。じゃあ、ぼくもえーゆーになるよ。チルヴィーを食べなきゃいけないのはつらいけど。
そんなことしなくていいの。
だってストーンさんは食べてるじゃない。
2005/11/13 『どんがらがん』アヴラム・デイヴィッドスン
アヴラム・デイヴィッドスンの短編集が出ましたね。
むしろ殊能将之の編んだ短編集が出たというべきでしょうね。
待ってください。そりゃあぼくはデイヴィッドスンという名前は聞いたことがなかった。殊能将之編というのに惹かれて購入したのも事実ですよ。でも解説を読んだかぎりじゃ、いろいろ受賞しているし、エラリー・クイーンの代作もしているそうじゃないですか。純粋にデイヴィッドスンの作品集が出版されることを待ち望んでいた人もいたと思うな。
クイーンの代作が『第八の日』。『幻想と怪奇』に収録された「エステルはどこ?」も不思議な小説です。ですから変な作家だというのはある程度予想できました。しかし『黄金の13』所収の「物は証言できない」だけしか読んでいない方は目を回したでしょうね。これは端正なミステリでしたから。
「あるいは牡蠣でいっぱいの海」が収録された『ヒューゴー賞傑作集』は絶版ですし、『幻想と怪奇』も最近までは手に入りませんでした。『第八の日』の解説では、デイヴィッドスンの名前はおろか代作のことも触れられていません。だから、デイヴィッドスンといっても多くの方にとっては「物は証言できない」の作家だったといっていいと思います。
するとほとんどの人が目を回した。
おそらくデイヴィッドスンを期待した人は。でもあなたみたいに、殊能将之編に惹かれて読んだ方たちは……。
そうか。ある意味、最初っからヘンなのを期待して読むわけですね。期待通りでしたよ。それも、変な小説ばかり書いていたのではただの変人ですが、ほら話からシリアスなものまでバラエティに富んでいました。短編集というより一人アンソロジーですね。
枠にとらわれずに書くから、結果的にさまざまなタイプの作品ができあがるし、結果的にヘンとしか言い様のないものができあがるのでしょう。SF・幻想文学・ミステリの各ジャンルで賞を受賞しているという経歴が端的に表わしてますよ。
ふうん。「そして赤い薔薇一輪を忘れずに」なんかは、幻想的な雰囲気が、ミステリとしての伏線になってますよね。幻想的だからこそ、あの動機による行動に説得力があるわけで。
でも「そして赤い薔薇」や「すべての根っこに宿る力」はともかくとして、ミステリと呼べる作品には比較的手堅いものが多いんですよね。「物は証言できない」「ラホール駐屯地での出来事」「眺めのいい静かな部屋」など。そりゃまあ、つじつまがしっかりしていないとそもそもミステリになり得ないんですが。
ひるがえってSFやホラーのうち、「尾をつながれた王族」「サシェヴラル」「グーバーども」の三篇はさしずめ変な生物博覧会の趣があります。「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」もここに加えていいかな。「ゴーレム」もそう。
SFはアイデアかプロットか、という論争がかつてありました。アイデア派の人たちも、これには文句をつけられないでしょうね。もちろん単なるアイデア倒れでもありません。「尾をつながれた王族」はアイデアだけで書いてもじゅうぶん面白いと思うのですが、書き方にも工夫が凝らされています。
「ナポリ」「すべての根っこに宿る力」「ナイルの水源」「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」あたりは結構ハードな幻想小説でした。
こうしてみると、一編一編は比較的まともな作品ですよね。表層ジャンルがてんでばらばらなので不思議な作家に見えますが、ミステリならミステリ、ホラーならホラー、と大まかなジャンルごとに読み直してみれば、どれもそのジャンルでの傑作です。ただ、それをすべて一人で書いてしまうところが普通じゃない。
もちろんヘンとしか言いようのない作品もありますがね。「ゴーレム」や表題作「どんがらがん」などはそうでしょう。
いろいろな作品があるだけに、個々の作品によって好き嫌いが分かれそうです。ぼくは「物は証言できない」「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」「そして赤い薔薇一輪を忘れずに」が読めただけでも★★★★★ですね。
ルイス・キャロルのファンにはファンタジー好きよりも数学好き・ロジック好きの方が多いようです。『シルヴィーとブルーノ』でも『ルイス・キャロル詩集』でもなく『もつれっ話』が復刊されました。
挿絵は『ファンタスマゴリア』と同じくアーサー・フロスト。でもフロスト氏、人間を描くのは苦手なようです。幽霊たちはあんなにも魅力的に描いているんですが。
それにしても訳者の柳瀬氏は超人です。『アリス』一冊ならともかく、本書を日本語にしてしまうんですから。
『謎のギャラリー』の続編。ということで、以前から『謎ギャラ』はじめいろいろな媒体で触れていた作品がいくつかまとめられています。北村氏の紹介を読んで以来、読んでみたかったんだけど探す気力のなかった人はこれでまとめて読めるわけです。そういえば〈リドル・ストーリー〉「その木戸を通って」も『日本怪奇小説傑作集』に収録されましたね。
「盗作の裏側」「神かくし」「二世の契り」などなど。「フレイザー夫人の消失」は『ミステリ十二か月』でというよりも『続幻影城』か何かで読んだのが記憶に残っていた。
ジャン・フェリーの「虎紳士」は傑作だけど、当方幻想文学好きゆえに、ここで紹介されなくともいずれ別のところで読む機会があったかもしれない。そーゆー意味では岸本佐知子「夜枕合戦/枕の中の行軍」が掘り出し物。本書がなければ出会えなかった傑作です。肌触りは全然違うんだけど、内田百けんみたい。夢と現実のあわいとか人を食ったようなユーモアとか。
読む機会がないといえば奥泉光「滝」もそう。作品の質とは別に好き嫌いがあってどうしても苦手な作家なのだ。でもやっぱり読むと傑作なんだよなァ。山奥で変な宗教とかいうと麻耶雄嵩『鴉』とか京極夏彦とか連想してしまうんだけれど、これは三島的というかなんつーか、健全(?)な鍛錬。実際『剣』なのだそうだ。いや、でも麻耶の『あいにくの雨で』も連想してしまった。少年たちの駆け引きという点で。ただワタシが麻耶好きなだけですね。
別の意味で読む機会がないのが塚本邦雄。全集高いんですよ。文庫なのにちゃんと旧字旧かななのが嬉しい。「作られたもの」かぁ。北村氏は「歌枕」と表現していたけれど要は「型」ということでしょう。それをマイナスだと信じる方もいらっしゃるということですね。「作られたもの」といえば本格ミステリなどは作られたものの極北みたいなもの。でもやっぱりそういう形でしか表現でき得ないものというのがあるわけで。
塚本邦雄全集のたった(?)半額で手に入るのが稲垣足穂全集。本書収録の一篇だけで果たして足穂の魅力が伝わるのかどうか心許ないところです。全集といわずとも、このジャンルの作家にしては比較的文庫にめぐまれているのでほかの作品も読んでみることをおすすめします。〈コメット〉なる称号にふさわしい掌編を残した作家です。
岸本佐知子を紹介してくれた功績だけでも★★★★★。
ジュール・ヴェルヌ『八十日間世界一周』の映画化。と思いきや、これはジャッキー主演のアクション・コメディ映画なのでした。中国のシーンなんてまるっきり趣味の世界。それだけにカンフー映画ファンには見ていて楽しいというか何というか……。もはや八十日間世界一周でも何でもないんだけどね。
やっぱりジャッキー・チェンたちのアクションは魅せる。アクションだけに限って言えば、『マトリックス』や何かのCGやワイヤーを使ったアクションよりも、ジャッキー・チェンの生身のアクションの方が見ていて何倍も面白い。
アメリカ版のジャッキー映画のなかでも、変にコメディに走りすぎずアクション主体で見せているだけに、よい部類だと思う。
『八十日間世界一周』という作品をアクション・コメディ化するという珍無類のアイデアに★★★。
コッパードの代表作の一つ。ということで期待して読んだんだけれど、ちょっとイメージと違いました。わりと普通の恋愛小説。
行商人のウィトロウは、あるとき荒野の一軒家を訪れた。そこには美しい母娘が住んでいた。娘に魅かれたウィトロウは、婚約者のある身にもかかわらず、週に一度はその家を訪れるようになったのだった……。
死化粧を施すシーンが幻想的。へんてこなおばあちゃん夫婦コンビも強烈な印象を残す。
コッパードが自選短篇集の巻頭に持ってきているくらいだから、かなりお気に入りの自信作だったのだと思う。純愛小説ですね。
蜂退治のシーンやさくらんぼ狩りのシーンは、「アラベスク――鼠」の回想シーンにも似た爽やかな印象を与える。ウィトロウの親戚が集まってがやがや騒ぐシーンの何気ない天気予報――これも「アラベスク」に出てくる農夫の会話っぽくもある半面、何やら『マクベス』の魔女の予言めいた趣もあった。そして最後。これは一種の通過儀礼なんだろうな、と思いつつも釈然としない。読み返してみると新たな発見があるかも★★★。
ダイアン・キートン&ウディ・アレン主演。
もう何よりもダイアンの魅力です。意外とこういうコメディ作品への出演って少ないから、それだけでも嬉しい。芯から楽しんでるって感じのダイアンに、神経質まるだしのウディ・アレンが入れる細かいツッコミの数々が無性におかしい。
それは映画としての面白さというよりは、会話やキャラの面白さなのかもしれないけれど、でもこんなところがウディ・アレン映画の魅力だと思う。
「あなたって意外と勇敢なのね」
「意外とは失礼だな。僕くらい勇敢な人間はいないぞ。よし、今夜は弱虫お断わりのレストランに行こう」
ミステリー的にはまるで納得できないけれど、ダイアン&ウディのコンビ復活を祝して★★★★。
『裏庭』を読んで以来その理屈っぽさから梨木作品を敬遠してはおりましたが、気になる作家ではありました。というわけで本書を読んでみれば、これは傑作ではありませんか!
本書が傑作になった所以はただ一つ。理屈を「説明する」のではなく、「構成として組み立てる」という形をとっているから。
短篇といってもいいような短さだけど、本質的に短篇作家なのかも。
はやく『家守綺譚』が読みたい(文庫化待ち遠しい)期待を込めて★★★★★。
コウコは、寝たきりに近いおばあちゃんの深夜のトイレ当番を引き受けることで熱帯魚を飼うのを許された。夜、水槽のある部屋で、おばあちゃんは不思議な反応を見せ、少女のような表情でコウコと話をするようになる。ある日、熱帯魚の水槽を見守る二人が目にしたものは――なぜ、こんなむごいことに。コウコの嘆きが、おばあちゃんの胸奥に眠る少女時代の切ない記憶を呼び起こす……