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映画の感想
本の感想

03/12/27 ネジ式ザゼツキー島田荘司
 いまさらながらに読みました。いくら年末は忙しいからと言って、島田荘司さんの新作長篇を積ん読にしていたのはただごとではない。
 最近の島田作品はタイトルが即物的だからちょっと残念、てところもあったんだけど、本書は発売予告の時からわくわくしていた。(読み終えてみれば本書のタイトルも、『アトポス』や「IgE」と同じ意味において即物的ではあるのだが。)

★良いところ
石岡&御手洗コンビ解消後、片方のみの出演作の中で、初めて心から面白いと断言できる作品ではないだろうか。コンビものの『山の手の幽霊』や『ロシア幽霊軍艦事件』は面白かったし。要するにわたしは、子供時代の御手洗譚や石岡(駄目人間バージョン)譚があまり好きではないようだ。
・以前よりアンチ島田荘司派からも好評を博していた、作中作の面白さは健在。暗くて怖い作中作が多い中で、本書のは活劇でありファンタジックだ。そういう意味では『水晶のピラミッド』を面白いと感じた人に勧められる。

★残念なところ
 本書全体の印象は『眩暈』を彷彿とさせる。だが『眩暈』では、古井教授と御手洗という、頭のいい二人によるディベートという形で推理が進められていった。その論理の応酬がスリリングで楽しかった。一方本書では、御手洗が一方的に推理し、ハインリッヒはいてもいなくてもどっちでもいい。その結果、『眩暈』では「論理×論理=幻想」という一粒で二度おいしい構図だったものが、本書では「幻想+解答=本格ミステリ」というすっきりとわかりやすい構図に変わった。
 『ネジ式ザゼツキー』島田荘司(講談社ノベルス)
03/12/20 'At the Sminary' Joyce Carol Oates
 これは一種の『The Catcher in the Rye』かな、と思って読み進めたところ、そんなにストレートにはいかないのが現代の物語、というところだろうか。思えばホールデンくんは素直なやつなのでした。大人への反抗も素直に口にできないことだってある。いや口や態度に出せないことの方が多いのかもしれない。

 修道院にいるピーターからおかしな手紙が来た。不安になった両親と姉は一路修道院へとドライブする。教会にはとり澄ました神像たち、無機質な礼拝者、小賢しげな神父の説明……。
 『Where Are You Going, Where Have You Been?: Selected Early Stories』Joyce Carol Oates
03/12/19 十二人の怒れる男
 名作映画のリメイク・テレビムービー。ジャック・レモンが主演なので逃さずBSを録画。もっとレモンの若いころの作品かと思っていたら、かなりおじいちゃん。1997年の作品でした。『晩秋』や『ラブリー・オールドメン』よりもあとなんだぁ。

 この作品は、最初に三谷幸喜さんのパロディ『十二人の優しい日本人』を観て、次にこのレモン・リメイク版『十二人の怒れる男』を観て、まだオリジナルを観ていないという、へんてこな見方をしてしまっている。しかし演出も脚本もほとんど変わってないそうなので、この「ジャック・レモンジョージ・C・スコット」VSオリジナル「ヘンリー・フォンダ」を比較すると、どちらかといえばこのリメイク版の方が面白そうかも。

 「無罪だと確信する」から無罪なのではなく、「有罪であることに疑問を持つ」から無罪だ、という推定無罪の原則を、頭ではわかっている。それでもやはり、ミステリとして見ると、「可能性」や「疑問」止まりではなく、180度くるりと反転させてほしかった、と思ってしまう。わがまま。
 『十二人の怒れる男』(ヘンリ・フォンダVer)
 『12人の優しい日本人』
03/11/28 辞書にない「あて字」の辞典現代言語セミナー
 講談社+α文庫。 タイトル通りの辞典です。 ↓古い訳を読んで、「漁夫《すなどりびと》」とか「常緑樹《ときわぎ》」とかいうルビについつい感嘆してしまい、ぱらぱらと再読してみました。

 泉鏡花は「豊肌」と書いて「ぽってり」と読ませる、だとか、志茂田景樹と西村寿行はふたりとも「はしる」を「疾る」と書いていたり、だとか、漱石は「仮病」を「偽病」と書いてるけどこのあて字の方がよっぽど「仮病」の何たるかを表わしてるな、とか、読んで楽しい辞典です。

 ところが楽しむだけにしか使えないかというとそうでもなく、ちゃんと辞典としても使えるんです。どういう使い方かというと、類語辞典としてけっこう重宝してます。たとえば「こんがらかる」をひくと――「混絡かる/困絡かる/交錯かる/紛糾る」などなど。最初の二つは音を活かした文字通りの「あて字」ですが、後ろの二つは意味を活かした「類語」だったりするんですよね。

 おもしろいのは芥川の「老若各」で「おのおの」、露伴「烏黒」で「まっくろ」、尾崎紅葉「勃起々々」で「むくむく」、鴎外「四阿屋」で「キオスク」(そりゃ確かにキオスクには「あずまや」って意味もあるんだろうけど、現代の目から見ると何だかなあ)……。 
 『辞書にない「あて字」の辞典』現代言語セミナー(講談社+α文庫B12-1)
03/11/26 'INSPIRATION!' Joyce Carol Oates
 〈霊感〉、とはいいつつも、完全な無から創り出されるものなどない、ということです。まずはマン・レイらシュールレアリストを引き合いに出して〈霊感〉を定義。そしていよいよ作家の〈霊感〉に――。

 ヘンリー・ジェイムズは本の虫でもインドア派でも何でもなく、社交に出ては噂話を仕入れていたそうです。ただし全部は聞かない。半分だけ聞いて、想像力を駆使して残りの部分を創作したものが、一つの作品となったとか。

 イェイツは、たった一行だけを思いつき、それを何度も何度も繰り返し続け、やがてその一行に言葉を継いで偉大な作品をつくったとか。
 アイザック・ディネーセンの作品は当時「底が浅い」と言われたが、実話に基づくものだったとか。
 ジョーン・ディディオンは一枚の写真から霊感を得て小説を完成させた、とか。
 ジョン・ホークスは書けなくて苦悩していたが、あるときどこかのおっさんから噂話を聞いて、霊感を得たとか。

 ジェイムズ・ジョイスは学生時代から「ひらめき」と呼ばれるメモを書き留めていたとか。

 『フランケン・シュタイン』を書いたメアリ・シェリーは、寝つかれない夜に落雷を幻視して霊感を得たが、それがフランケンシュタインの怪物の物語になったのは、メアリが若く未婚のままシェリーの子を産み、一人は夭逝していたことと無関係ではない、とか。

 ヘミングウェイとフォークナーはとにかく何度も書き直しまくった、とか。

 「Running And Writing」からもわかるとおり、作品を書くという行為を、オーツはかなりアクティブな行為だと位置づけています。まだ読んでいませんがこのエッセイ集には「Reading As A Writer」という章もあるので、オーツが「読む」という行為をどう位置づけているのか読むのが楽しみです。
 『The Faith of a Writer: Life, Craft, Art』Joyce Carol Oates
03/11/23 イノック・アーデンテニスン
 幡谷正雄訳。「物語倶楽部」のテキストを拝読。今さらながらに初めて読みました。キャロルを訳したりしているくせに、テニスンの詩を読んだことなかったんです。

 面白かった。詩の感想にしてはヘンな言い方かもしれないけど、面白かった。

 『伊勢物語』第二十四段「あらたまの年の三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕すれ」と、『雨月物語』「浅茅が宿」を足したものに、『ロビンソン・クルーソー』をトッピングしたような作品。これぞ古典。すべての物語のエッセンスが詰まっている。

 古い訳だから七五調で訳してあって、ともするとリズムに乗せられて意味を取り損ねるくらいの名調子。「黒白も分かぬ」と書いて「あやめもわかぬ」とか、「愛情」と書いて「なさけ」とかいう読み方が味わい深い。鏡花も読みたくなってしまった
03/11/23 'Running And Writing' Joyce Carol Oates
 あたしは走ること書くことのプレッシャーやもやもやをふっきっています、子供のころ外で走り回って遊んだことが今の作品に役立ってます。――というだけなら普通のエッセイなんだけれど……自分のことだけじゃなく、コールリッジもシェリーもディケンズもホイットマンもみんな歩いていた、と大見得を切る。確かに体を動かした方が脳の回転も早くなるだろうし、外に遊びに出る方が経験も豊かになるだろうけど、ディケンズは夢遊病だよ、散歩と一緒にしちゃいかんでしょう。

 ご本人が、「わたしは子供のころ経験した事実しか書けない」みたいなことを仰っているが、それが逆に、エッセイを読んでいても小説を読んでいるのと同じような印象を覚えて面白い。
 『The Faith of a Writer: Life, Craft, Art』Joyce Carol Oates
03/11/20 ドニー・ダーコ

 今さらながら。WOWOWで観ました。こんなすごい映画なのに、存在すら知らなかった。2002年日本公開の映画ってことは――去年の夏はいったい何をやっていたっけか? 『遠い空の向こうに』のジェイク・ギレンホール主演、『卒業』『明日に向って撃て!』のキャサリン・ロスがめちゃくちゃ久しぶりに出演、ってだけでも、絶対みたい映画のはずなのになあ。
 ハッピーエンドじゃないのに見終わったあとすがすがしく感じる、てところは、同じくWOWOWで観た『トマ@トマ』を思い出した。ふむ。WOWOWも捨てたもんじゃない。

 〈過去に戻る〉んじゃなくて〈過去に戻す〉みたいなタイム・トラベル観が好きです。後ろを振り返って過去を後悔するのではなく、前を向き続けたまま過去にトリップする、明日から過去が始まる、みたいなタイム・トラベル。
 兎に導かれる救世主、なんてどこか『マトリックス』みたい。救ったのは、家族と恋人だけという、すっごくミニマムな世界だけど。けれど、救ったのがちっちゃな世界だけに、すべて妄想青年の妄想内の世界の話だ、と否定的に見る人もいるだろうな。こんなのを思い出した。

人は一生に一度くらいはシャーロック・ホームズになれることがある」(小森収)
決定的な試練や選択に直面したひとは、自分が世界の中心に来たと感じるものだ。しかし、世界の中心はここにない。世界は君など眼中にない。」(巽昌章)
 ――この映画を観て、どちらの感想を持つかは、見た人次第。

 あまりにも感動したので、見終わってしばらく経ってから、ほかの人の評価も気になってネットを覗いてみると。……う〜ん、デヴィッド・リンチと比較してしかもリンチの方が上、みたいな評価が結構あった……それは違うだろ!と思う。 「マクベス殺人事件」じゃないんだからさあ。『マクベス』や『異邦人』はミステリとして凡作だ、エラリー・クイーンの方が上、みたいなこと言われてもね。

 どうでもいいけど、やっぱりジェイク・ギレンホールは山崎まさよしに似ている、と、いつも思う。
 『ドニー・ダーコ』(ポニー・キャニオン)
03/11/19 ハヤカワ、クリスティ文庫創刊

 ハヤカワの〈大きなサイズ文庫〉といえば、『ダニエル・キイス文庫』で失敗し、『epi文庫』で成功した、という印象があるのだけれど、さて今回は――と楽しみにしていたのだが。店頭に並んでいるのを見ると……失敗だな、今回は……。

 『ダ・ヴィンチ』12月号の特集によると、今回の新創刊に当たって専門のリサーチ会社に依頼して全国区のアンケートをとったんだそうです。で、その結果が、クリスティの読者には30代〜50代の女性が多い、と。彼女たちの「意見もずいぶん参考に」した結果、なんとできあがった装幀はハーレクイン! まさか『謎のクィン氏』とひっかけてるわけじゃないだろうが……。 担当編集者いわく「非常に満足しています」。

 うわーこれじゃデュ・モーリアの二の舞じゃないか! 営業的には売れ線を狙うのは当然なんだろうけども。

 心配なのは編集部長の言葉。「クリスティーは、現存する代表的なトリックのほぼあらゆるパターンを考え出した作家ですからね。」おいおいおい……これがミステリ専門店の編集部長のセリフなんだもんなあ。「チェスタトンは〜」とか、あるいは「カーは〜」(「クイーンは〜」)とかならまだわかるけど……。

 ただしこの編集部長、「トリックのことを抜きにしても、その時代の風物や生活描写にも敏感で、登場人物がとても活き活きとしている。」とも仰ってます。自覚的なのか無自覚なのかわからないけど、ミステリ専門店がクリスティをミステリ作家としてではなく、風俗作家として(はからずも)正しく再評価しようとしているのが面白い。
 『そして誰もいなくなった』アガサ・クリスティー文庫80
03/11/16 'Demon' Joyce Carol Oates
 この文章を書こうとして、〈五芳星〉という単語を変換できないことに気づく。むむむ……『広辞苑』にも載ってないのか。とーぜん〈六芳星〉もなし。そんなマイナーな単語かな? 水木しげる『悪魔くん』のイメージがあるから『ファウスト』原典にも魔方陣は出てくるものだと思いきや、手元の邦訳ではそんなシーンないんですね。でも五芳星は安倍晴明も使ってるんだから、あと何年かしたらATOKやMS-IMEでも変換できるようになるんじゃないかという気もする。(「スカパー!」や「モー娘。」「ドラえもん」が一発変換できるんだから、「五芳星」くらい変換してくれ〜)
 首に蛇の形をした痣のある少年。あだ名は「悪魔」――だが成長するにしたがい痣は薄れてゆき、やがてすっかり消えてなくなった。祈りが通じたんだ、これで幸せに暮らせる……ところがある朝、鏡をのぞくと、目の中に五芳星の形をした染みができていた。――悪魔の印だ!――このままじゃだめだ、この印さえなくなれば神さまから祝福されて幸せに暮らせる……そう信じた少年は台所の包丁を手にし……。
 『The Collecter of Hearts』Joyce Carol Oates
03/11/11 'First Loves' Joyce Carol Oates
 「From "Jabberwocky" To "After Apple Picking"」という副題がついてます。"The Faith Of A Writer"(『一作家の信念』)というタイトルのエッセイ集より。紹介文を読むと、若き作家へのオーツからのアドヴァイス云々……みたいなことが書かれていたので、これはもしかすると『アリス』をテクストにしたオーツの文章読本みたいなものかな?と期待して取り寄せてみた。
 'My Faith As A Writer' とか 'To Young Writer' とかいう章には〈作家の心得、心意気〉のようなことが書かれていたが、この「最初のお気に入り:『ジャバウォッキー』から『林檎もぎのあと』まで」は比較的普通のエッセイに近いものだったので、期待とは違う結果となってしまいやや残念。

 年齢も文化も家庭環境も自分と同じだとしか思えない、自信家で無鉄砲な少女が、自分なんかより何倍も好奇心が強く、夢や悪夢に直面しても平然としているというのは認めざるを得なかった。というアリスについての一文が微笑ましい。

 「不安を呼び起こすものに笑いを引き起こされるのが子供の感覚であると、独身を通したキャロルの子供的自我が本能的に理解していた」という、乱暴なんだか説得力があるんだかわからない意見もおもしろい。
 『The Faith of a Writer: Life, Craft, Art』Joyce Carol Oates
03/10/31 '■' Joyce Carol Oates
 ほんとはタイトルは黒い長方形なんですが、変換できん。
 タイトルにひかれて読んでみた。幼い日の記憶によぎる黒い影■――読者の前にはそれが黒い影=伏字という形で示される。読んでいる人間にも、語り手と同様に目の前に■が現われる、というわけ。伏字をも文字として使う、という発想が面白い作品。その手法が単なる小手先の実験などではなく、必然なのだ。
 幼い日の記憶――思い出そうとすると目の前に■がよぎり、どうしても思い出せない記憶がある。日曜日に遊びに行ったお金持ちのおじさんの家は、見たこともないほど大きく立派で美しかった。自動で開く扉、ピンクに輝く車寄せ、たくさんの窓……なのに中に入ると狭く肌寒い。おじさんの様子も何か変だ。いとこのオードリーやおばさんは、おじさんを怒らせないよう戦々兢々としている。海に行こうと言い出したおじさんの機嫌を損ねないように、水着に着替えていると……。
 『The Collecter of Hearts』Joyce Carol Oates
03/10/21 'The Hero As Werwolf' Gene Wolfe
 人狼(狼男)とは怪物ではなく一種族なのである。という設定からして人狼というより吸血鬼っぽいのであります。前半部分、被害者の女性(死人)との会話なんてもろ吸血鬼小説です。後半の悲劇的タッチも狼男よりも吸血鬼にこそふさわしい。なんか耽美ーだ。
 しかし女の子の人狼の名前がジャニーなのはともかく、主人公の名前がポールってのはなんだかな。
 『The Island of Doctor Death and Other Stories: And Other Stories』Gene Wolfe
03/10/13 'The Poisoned Kiss' Joyce Carol Oates
 〈ショート・ショート〉とは言っても日本におけるショート・ショートとは違って、別に〈落ちのある作品〉という意味ではない。けど。
 本当に短い。本にしたら2ページくらいだろか。どことなくトマス・バーク「オッターモール氏の手」と乱歩「赤い部屋」を合わせたような印象を持ちつつ読み進めていくと……。邦訳のある「パラダイス・モーテルにて」を読んだときには、――この訳は違うのではないか? あまりにぶち切れヤロー過ぎる。もっと山田詠美の「姫君」とか村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』みたいな感じで訳すべきじゃないのか?―― と思ったものでしたが、やっぱりこういう肌触りのある作家なんだなあと納得。
 『The Poisoned Kiss And Other Stories from the Portuguese』Joyce Carol Oates
03/10/11 'Alien Stones' Gene Wolfe
 ジーン・ウルフ異邦の小石」。異なる文化の接触を描いたこの作品、「Alien」とはもちろん「異星人の」なのですが、ここはやはり「外国人の」→「異なる文化の」と捉えたい。
 サルを檻に入れて観察しようとした科学者が、観察穴から覗いたとき向こうに見えたものは、こちらを覗いているサルの目だった「計算」という言葉の語源はラテン語の「小石」、初めは小石を使って数えていたという二つの印象的な挿話が、そのままズバリ「異なる文化の接触」のキーになります。
 未知の宇宙船と遭遇した〈グラディエーター〉船長ドウ。調査に行ったまま戻ってこない〈通心者〉ヤングメドウ氏。宇宙船は無人。乗員は、ヤングメドウ氏は、どこへ行ったのか? 行方を追うドウ船長と〈通心者〉ヤングメドウ夫人の前に現われた真実とは?
 『The Island of Doctor Death and Other Stories: And Other Stories』Gene Wolfe
03/10/02 さよならをもう一度
 古い映画はタイトルを眺めているだけで楽しい。『おかしなおかしな大追跡』『お熱いのがお好き』『暗くなるまでこの恋を』『雨の中の女』『明日に向って撃て!』……。名訳・名邦題・珍訳・珍邦題……。実はこのうち、『お熱いのがお好き』と『さよならをもう一度』は原題そのままなのだ。「Some like it Hot」と「Goodbye Again」。
 何が言いたいかというと、この映画はたとえ『グッバイ・アゲイン』というカタカナタイトルで公開されたとしても、名タイトルになってただろうな、と。原題そのものに力がある。

 イングリッド・バーグマン主演。共演はイブ・モンタンとアンソニー・パーキンス。
 イブ・モンタンが嫌な大人の男。アンソニー・パーキンスが馬鹿な若い男。あいだで揺れる中年女性イングリッド・バーグマン。そして一時は馬鹿だけど一途な若い男に惹かれるけれど、結局は嫌なずるい大人の男を選ぶ……う〜ん、現実だぁ。
 現実だけどリアルじゃないのか何なのか、リアルさを追求しただけのつまらない作品でないことは確か。原作がサガンなんですね。ふうん、そう言われると納得するような。

 アンソニー・パーキンスやはり名優だと実感。『サイコ』にさえ出演しなければ、きっと今ごろ名脇役とか言われていたに違いないのに。『サイコ』だってなかなか演技達者なんですけどね。さわやか青年のイメージで売ってた俳優さんがさわやか青年の役で登場。ところが実はそのさわやか君が……という話だから。
 イブ・モンタンはどうしても好きになれない。こういう役しかしないんだよなこの人。ジョン・ウェインもジョン・ウェインな役しかやらなかった人だけれど、同じく好きになれない人の一人。個性が強すぎるんかな。

 イングリッド・バーグマンはかっこいい。個人的にはクール・ビューティと聞いて思い浮かべるのはローレン・バコールではなくバーグマンだ。と思っていたのだが、バコールがいかにも堂々と偉そうに歩くのに比べると、バーグマンは意外とせかせかしたおばさんみたいな歩き方だった。市川悦子みたいな歩き方。ちょっとショック。
03/09/08 ミステリーズ!』Vol.2
 待望の第二集! 島田荘司さんの連載が延期してしまったのは残念だが。フットレルの未訳作もいいが、『樽』を初めて読んだときにその〈新しさ〉に大騒ぎしてしまった身としては、石上三登志さんのエッセイがよかった。今後もこの「国内ミステリ中心+海外もの1」というバランスを続けていってほしいな。
 『ミステリーズ!』Vol.2(東京創元社)
03/08/19 フラッシュ! 奇面組』第二巻
 相変わらず面白い!というのはひが目でしょうか。おそらく「ジャンプ」より低年齢向けの雑誌連載なのでちょっと物足りないところもありますが。
 『ハイスクール!』の頃のエピソードを焼き直した話は、以前のコピーでは許されず脱線して暴走はできず、とやや押さえ気味でしたが、新しいエピソードは羽目外してます! 完全に奇面組です!
 TOKIOの城島さんやモー娘。のかおりんが「リーダー」と呼ばれてるのがうらやましいくらい、奇面組が好きでした。
 『フラッシュ! 奇面組』第2巻
03/08/10 「金々先生榮花夢」戀川春町
 金村屋金兵衛といういかにも貧乏くさい名前の田舎ものが主人公。なんだか餅屋の宣伝みたいに幕を開ける。餅花の解説である。しかも金兵衛は餅花ではなく粟餅を注文する。きっと当時の人もつっこんだに違いない。餅花じゃないのかよ。つっこみながら思ったのだ。餅花っておいしそうだな、今度食べに行こうかな、と。
03/08/08 「ミュージック」シオドア・スタージョン
短編集『海を失った男』より
 スタージョンの文体はちょっと苦手です。それはともかく。
 このテーマの作品は星の数ほど書かれたけれど、〈音楽〉と結びつけたものはなかったんじゃないでしょうか。そのせいでこの作品は果てしなくリアルな社会風俗小説になっています。もちろんそれを「現代人の心の病巣をえぐる」とかいう紋切り型で表現して、チープな作品だと述べることも同時に可能です。でもイメージだけですけど『レオン』のゲーリー・オールドマンみたいじゃありません? 音楽といかれぽんちって組み合わせは。
 しかしまた〈僕〉はここで戸惑うことになります。かつてモンスターはモンスターとしてだけ存在していました。〈サイコ〉な〈モンスター〉というのは気色悪い。なんというか、怪物の正体が宇宙人だったというあの某大家の作品の居心地の悪さに似て(あれはさらなる大家へのオマージュではあるんですが)。
 というわけで幻想ホラー小説「ミュージック」でした。
 『海を失った男』シオドア・スタージョン(晶文社)
03/08/07 透明人間の納屋島田荘司
 「かつて子どもだったあなたと少年少女のための」というのがキャッチコピー。てことはジュブナイルかあ。それに御手洗ものじゃないしなあ。
 なんて思っていたのですが、書店で実物を手にとった瞬間、買おう!と決意していました。
 一部布装。変形箱入り。ページを開くと扉と目次ページには半透明の箔押し印刷(蛍光塗料っぽい)!
 一読。全然少年少女向けじゃない。人間くさすぎ(どろどろ)。でもそれは言い方を変えれば人間ドラマということなので、『異邦の騎士』とか『奇想、天を動かす』とかが好きな人にはお勧めです。
 この作品には二つの〈透明人間〉トリックが出てきます。印刷所の真鍋さんのトリックと、人間消失トリックです。前者のトリックは、真鍋さんという人物の人柄を象徴する、この作品を成り立たせるになくてはならないトリックでした。たとえトリック自体は他愛ないものだとしても。
 問題は人間消失トリックです。一歩間違えれば「どんどん橋、落ちたになりかねないような大胆なもの。でもこの時期にこのトリックを読めたことを嬉しく思います。こういう形の〈最先端〉もあるんだなあと。時代が違えばまさに「どんどん橋」だったでしょう(いや「どんどん橋」を批判しているわけじゃなくて)。
 そしてまたこのトリックは見方を変えるとまさに少年少女向けだったりもするんです。だってこれほとんど海野十三とか江戸川乱歩テイスト(ネタバレになるかもしれないから伏字)じゃないですか。
 人によっては「子供だまし」だと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、全体として良かったですよ。


※余談ですが、冒頭、砂浜で星を見ているシーン、泡坂妻夫さんの「ルビーは火」を連想しちゃいました。あれも名作です。
 『透明人間の納屋』島田荘司(講談社ミステリーランド)
03/07/31 殺人目撃者
 『殺人目撃者』というタイトルから何を連想しますか? 私はウールリッチみたいなサスペンスを連想しました。
 
バーバラ・スタンウィック主演。ビリー・ワイルダー『深夜の告白』にも主演していて監督が大いに褒めてました。ウールリッチ&ワイルダー(勝手な連想ですが)とくればいやがうえにも期待は高まります。
 しょっぱなから殺人シーンいきなりです。起承転結も何もありません。当然のごとく
いきなり殺人を目撃し、いきなり警察に通報します。こんな映画見たことない――よくわからぬなりに興奮しました。
 そして――なんだか間抜けな刑事が登場。やがて目撃者犯人精神科医もそろいもそろって登場人物全員間が抜けていることが判明します。刑事は隣の部屋の死体に気づきません。目撃者は自分は夢を見たと納得しかかります。犯人は策を弄しすぎてバレバレです。
 そして目撃情報を信じなかった刑事は、売れない作家(犯人)の著作が被害者の家に置いてあったというただそれだけの理由で作家が犯人だと確信します。
同じ指紋がある確率は何百億だかに一人の割合です。売れない作家の著作を持っている確率もそんなものだと判断したのでしょうか。
 ちっともウールリッチじゃありませんでした。不思議な面白さはあったけどね。
03/07/30 探偵小説十戒」ロナルド・ノックス
 古本を整理していてついつい読み耽ってしまうというお決まりのパターンで読み返してみる。
 これって『空想非科学大全』じゃん。って思った。ヴァン・ダインが書いた「探偵小説二十則」てのは完全にヴァン・ダインの驕りから生まれた「〜しなさい」という〈規則〉なんだけれど、ノックスさんのは洒落ですね。
 「ヒーローはたった数分で地球を守らねばならない!」――もちろんこんな規則を誰かが決めたわけじゃなくって、空想科学のヒーローにはなぜかこういう設定が多いなあ、というのを抜き出して検証した作品なわけですけど、まったく同じことがノックスの十戒にも言えるんじゃないかと思う。
 ノックスは法則を決めたのではなく、既作品から法則を抜き出したお洒落でお茶目なおじさんにすぎないのだ。
 「探偵小説には、中国人を登場させてはならない」――ノックス自身が「なぜなのか定かではない」と述べているこの珍法則も、怪しい中国人が登場する駄作がそのころ多かったことを茶化して法則化しているのだとしたら納得できる。
 「ワトスン役の知能は、読者の平均的知能より低くなければならない」――ワトスン役が頭悪すぎ、とはよく聞かれる批判ですが、ノックスさんは批判はせずに、これが「空想探偵小説」の法則なのだー、とつっこんでくれたのでした。
 50年早すぎたね、ノックスさん。
 『空想非科学大全』柳田理科雄(メディアファクトリー)
03/07/15 「放屁論」風來山人(平賀源内)
 もともと古典は好きなのだけれど、最近は江戸に凝ってます。てなわけで風來先生。これはマジなのか最後まで洒落なのか。気宇壮大いや奇異壮大。終わってみれば社会批判になっちゃうところがすごい。
ニンジン飲み込み喉を詰まらす間抜けがいれば、ふぐ鍋食べて長生きをする男もいる。一度で父なし子を孕む女もいれば、毎晩遊女を買って鼻の無事な奴もいる。ひどいもんだけど、あヽ運命かな。
 源内先生曰く、糞は肥料になるけれど、屁はした人がすっきりする以外に何にもならぬ役立たずだそうな。「神武以来初めての芸だ」という源内先生の褒め方がサイコー。
屁っぴり男の精神」などというと、坂口安吾のエッセイ「ラムネ氏のこと」を思い出してしまった。あれも冒頭では小林秀雄三好達治おちゃめっぷりがサイコーだったが、最終的にはあれよあれよと「ラムネ氏の精神」なる社会批評に変幻している作品でした。(←宮沢章夫もエッセイ『よくわからないねじ』でおんなしこと言ってた)
 ※「ラムネ氏のこと」収録『白痴・青鬼の褌を洗う女』坂口安吾(講談社文芸文庫)
03/07/08 『半身』サラ・ウォーターズ
 表紙の絵画に惹かれて買いました。有名だったんですね。澁澤が愛していたそうです。クリヴェッリ「マグダラのマリア」
 肝心の中身はというと、やや少女趣味かつ「霊感体質気味=ヒステリー」の貴婦人という語り手がどうにも馴染めませんでした。
 同じ創元のシャーリー・ジャクスン『たたり』の主人公も「霊感体質気味=ヒステリー」の女性でしたが、あれはかなり感情移入してしまったんだけどなあ。まああれはホラーですが、どちらの作品も「霊感ヒステリー気味」という設定が物語の重要な伏線だし、その主役に読者がのめり込めば込むほど仕掛けが効いてくる、という作品だけに、語り手に馴染めなかったのは残念。
 おかげで見え透いた話に見えてしまった。(暴言)
 シライナも、もう少し神秘的な雰囲気でもよかったと思うんだけどなあ。なんかあまりにも普通の女の子っぽく感じませんでした?
 『半身』サラ・ウォーターズ(創元推理文庫)
03/07/01 仇討三態菊池寛
ちくま文学の森6『思いがけない話』より
 〈菊池寛〉という作家は思い込みの激しい正義漢というイメージがある。そのイメージからして、〈仇討〉というものに肯定的であるのに違いない、という先入観をもって読み進めました。
 そのように読んでみると、一見〈思いがけなさ〉という点ではありきたりに見える「その三」のエピソードが、また違って見えてきます。
 これは嘉平次に対する罰なのだ、と。〈仇討〉をおろそかにした者に対して、神たる作者がくだした一つの罰。「その一」に見える、仇討をあきらめた者、その仇の浅ましさ、「その二」に見える、仇討を果たせなかった者と果たした者の悲しみ、それに対して「その三」には唯一しあわせな〈仇討〉が見られる。一見「その三」は、嘉平次に対する皮肉と、仇討に対する皮肉が二重写しになっているように見えるものの、実は皮肉でも何でもなく素直にこれが書きたかったんじゃないかと勘ぐってしまう。だってトリなんだもの

※しかしまあ『真珠夫人』がヒットしちゃいましたね。菊池寛はこういうのを予測していたんだろうなあ。本来であればとんちんかんな予測のはずなのだが、予言にしてしまうところが菊池寛のパワーか。
03/06/20 「響き」ナボコフ
 『ナボコフ短編全集 I 』より。
 ひたすらかっこいい。青くて若くてセンチメンタルと言われようが、よいものはよいのだ。残酷なくらいがよいのだ。愚かなくらいがよいのだ。
ぼくは君の背中を、君のブラウスの市松模様を見守っていた。階下のどこからか、たぶん中庭からだろうか、農婦の野太い声が聞こえてきた。「ゲロシム、ほら、ゲロシム!」 そして突然、ぼくにはこの上なくはっきりとわかったのだ。この世界が何世紀にもわたってずっと花咲き、萎れ、回転し、変化してきたのは、ひとえにこの瞬間に、階下で鳴り響く声と、絹のような君の肩甲骨の動きと、松の板の匂いを組み合わせ、溶け合わせて、一つの垂直な和音を生み出すためだった、ということが。
 『ナボコフ短篇全集 I 』(作品社)
03/06/19 「蚊取湖殺人事件・問題編」泡坂妻夫
 新創刊の雑誌『ミステリーズ』より。一番正解に近かったひとにサイン色紙が当たる犯人当て小説。
 泡坂さんの作品は、非常に伏線の張り方が上手いので、伏線をたどっていけば逆に簡単にわかるのではないかと思ったのだが甘かった。そんなわけないよね。さっぱりわからん。

 
  
03/06/18 街角の書店」ネルスン・ボンド
 『幻想文学66号』より。最近、好きな(好きそうな)作品はあとに取っておくようになってしまった。この作品も雑誌を買ったのは何ヶ月も前なのだが、今頃読みました。
 読み残しておいてよかった! と心から思える名作です。書かれない作品の本屋! 本好きの夢でしょうか、才能ない者の妄想でしょうか。作中に出てくる、「書かれない作品」のタイトルを見ただけで嬉しくなってしまうのは、本好きというより本執狂なのだろうか。アブナイアブナイ……。
 『幻想文学 66』特集:幻想文学研究のキイワード(アトリエOCTA)
03/06/11 『ダ・ヴィンチ』七月号
 表紙&インタビューが米倉涼子です。しょーじき米倉涼子ってきれいだともかわいいとも美人だともかっこいいとも名女優だとも思わないし、むしろあまり好きじゃなかったんですが、この写真を見るとさすが元モデルだなあ、と。名前を見ても顔と名前が一致せず、「誰? 米倉涼子って? しらなーい」と思ったくらい別人に写ってます。
 これがプロだな、って思いました。この人は本質的にモデルなんだな、って。米倉涼子のファンじゃない人にこそ見てほしいです。
 大げさかもしれませんが、いい映画を観たりいい音楽を聴いたりいい小説を読んだりしたときと同じような感銘を受けました。プロの業を見た、という感じです。
03/06/08 獲物ピーター・フレミング
 宮部みゆき編『贈る物語 Terror』の一編。「猿の手」「ゴーストハント」「人狼」は既読だったので、「オレンジは〜」に次いで二編目ということになる。
 フレミングという作家は初めてだったけど、「あきれるくらいゆっくり、丹念に読んでいるのか、それともぜんぜん読まないか、どちらかでしたね。ぼくの知るかぎり、第一巻を十一年も手にしていましたからね」というフレーズには見覚え(聞き覚え)がある。どこで聞いたんだろう?
 ミヤベさんが書いているとおり、モンスター御三家と言えばドラキュラフランケンの怪物狼男です。中学生くらいのころ、御三家の作品を読破してやろうと思ったものでした。
 ところが作家のフィクションであるドラキュラやフランケンとは違い、狼男には原作というものが存在しない。ものすごくがっかりしたのを覚えています。やっと探し当てた「人狼」も、「満月を見ると変身する」という属性を与えられた〈狼男〉の話ではありませんでした。
 さて、今回のこの話も満月を見て変身する〈狼男〉の話ではありません。が――。だいたい
ドラキュラってコウモリだけじゃなく狼にも変身できるんですよ。それじゃあ狼男の立場がないじゃないですか。ならいっそのこと、こうした〈人狼〉の話の方が、〈狼男〉の話よりも面白いというものです。
03/06/07 ポワゾン
 アイリッシュ『暗闇へのワルツ』の映画化。ってーことで期待して観たんだけれど、これじゃあ以前の映画化の『暗くなるまでこの恋を』の方がいいなあ。
 とにかく展開がたるい!の一言に尽きる。もともとアイリッシュの作品って破綻してるのを雰囲気やサスペンスでカバーしてるのに、この映画にはそれがない分、もろに破綻が目立っている。しかも独自の展開をつけ加えたせいで原作以上に破綻しているという恐ろしさ。
 お互い惹かれあったのだって、R-18のセックスだけが理由なのかい? 犯人自身が探偵のふりして聞き込みやってるのに、目撃者が誰も気づかないというのはホームズや『Xの悲劇』以来の〈
探偵小説の世界では、変装すれば絶対に気づかれない〉という暗黙のルールを忠実に守っているつもりなのだか?
 『明るい光へのワルツ』になっちゃってるのは映画ならではのご愛敬。
03/05/31 空想非科学大全柳田理科雄
 こーゆーのを待ってたんだー! うん、こうでなくちゃね。
 『磯野家の謎』みたいなシャーロキアン的研究を読んでも、揚げ足取りにしか見えなかった。自分にはしゃれを楽しむ余裕がないのかな、ホームズ原理主義者なのかな、なんて思ったものでした。
 だけど今は断言できます。シャーロキアンはユーモア感覚がない
 自分が楽しんでいるだけでなく、他人も楽しませよう、そういう感覚が大事です。
03/05/30 ミス・ブロディの青春
 マギー・スミスの若いころの映画。かわいがってて仲のよい教え子のうちの出来のいい子が、やがて自我に目覚めて反抗して、っていうパターンかと思いきや。〈保守的〉の反対が〈自由〉とは限らないっていう当たり前の事実に気づく。
 当たり前の事実のはずなんだけれど、でも『今を生きる』や、マギー・スミス自身出ている『天使にラブ・ソングを…』なんかを見ると、〈保守=悪〉ゆえに〈反保守=善〉と錯覚しがちなところもあるし。
 とか言いつつも、アメリカ映画ということを考えると、きちんとした社会派映画なのか、それとも単なる流行みたいなファシズム批判なのか、微妙なところ。
 マギー・スミスって意外とピーチクしゃべるんでびっくり。もっと若いころから落ち着いた感じの人かと思ってたよ。(いや、まあ、そりゃそういう役なんだろうけど)。
03/05/24 怪盗ニック登場』ホック
 とうとう文庫化! 泡坂妻夫さんのエッセイで知って以来、読みたかった! 『サム・ホーソーン』とは大違い! 面白い。モンキー・パンチさんが推薦するのもわかるなあ。
 ミステリは『コナン』しか読んだことないよ、って人にも、たぶん楽しめるんじゃないかと。当初「007に匹敵するキャラを」と考えていたという作者のねらいどおり、しっかりキャラの立ったエンターテインメイトしていて、本格にありがちな無味乾燥さがないから。それでもなおかつ本格原理主義作品。
 ハヤカワもいつの間にか、文庫の天の部分に短編のタイトルを印刷するようになったんだね。読み返すときにこれがあるとないじゃ大違いだから。
03/05/23 シベリア超特急
 とうとう見てしまった。今日見なきゃ一生見ないと思い。
 ときどき「あれ、ちゃんとしてるじゃん」って思うところがあってそこが不思議だった。
 WOWOW特別版とかいうことで、本編の始まる前にご本人が解説してらっしゃったが、「どんでん返しが2回あるので、最後まで見てください」って、
自分でネタばらししていた。あなどれない水野晴郎。
 しかししっかり〈ダメ監督〉とインプットされてしまった。今度『エド・ウッド』を観たときジョニー・デップの顔に水野晴郎の顔がだぶらないか不安。


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