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翻訳:江戸川小筐
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さあこい、マクダフ!

シャーロット・アームストロング

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第十二章

 わたしは電話機の場所をたずね、エレンが教えてくれるあいだにコーヒーをすすった。数分後、ライナの部屋からプラザ七‐九二〇三にかけていた。エレンの話では、ライナは階下でアトウォーターさんと「いろいろ検討している」そうである。金曜の習慣なのだ。ライナには会いたくなかった。こう言ったライナ。「わたしたちが毎日友人を殺してまわってるなんて想像はしないでね」ライナにも伯父さんにも、J・Jのほかは誰にも会いたくない。

 女の子の声がした。「もしもし」

「ジョーンズさんは? J・J・ジョーンズさんはいらっしゃいますか?」

「ジョーンズは外出しております。恐れ入りますが、どちらさまでしょうか?」優しく事務的な声がどん底まで突き落とす。

「ベッシー・ギボンといいます」

「はい、ギボンさまですね。伝言がございます。ウィスコンシン九‐七六五六まで電話するようにとのことです」

 礼も言わずに電話を切ると、大急ぎでウィスコンシン九‐七六五六を呼び出した。

「はいはい?」

「J・J・ジョーンズさんは?」

「ここにはいませんね。ちょっと待って。お名前はギボンですか?」

「ええ。ええそうです」

「なるほどそうですか。J・Jからです。ウィッカーシャム五‐八八九四に電話するように」

 勢いよく受話器を置いてもう一度電話をかける。

「もしもし?」

「ジョーンズ。ねえ……あの、J・J。J・Jなの?」

「ぼくだよ。ほかの誰でもなくね」力強く陽気な声。「大丈夫かい?」

「起きたばかりなの。わたし――」

「知ってるとも。寝坊助め。もっと早い時間に電話したのに、家の人が言うには――」

「ねえJ・J。どこにいるの?」

「いてほしいところならどこにでも。落ち着けよ、ベッシー」

「ここにいてほしいのに」不満をぶつけた。

 一瞬、回線が音を立てた。「どこかで会おう。いいかい、できるだろう? 外に出てタクシーを拾うんだ。西四十八丁目にあるレストラン『マックス』まで。運転手は知ってるから。そこに着いたら中に入ってぼくを待っててくれ」

「四十八丁目。ねえ、あなたもそこに行くの?」

「今から行くつもりだ。ダフも一緒にね。お金はあるかい?」

「ええ」

「一人でもちゃんと来られるね?」

「たぶん大丈夫」

「いや待て。彼氏も連れてこいとダフが言ってる」

「彼氏なんかじゃ――」むっとして言い返す。

「いいから連れてくるんだ」忍び笑いが聞こえた。

「ねえJ・J、どう思う?」

「あとで話すよ。来るのは嫌かい?」

「嫌なわけないじゃない!」

「左右を確認せずに道路を渡っちゃだめだよ。道に迷ったら警官に聞けばいい。知らない人とおしゃべりをしないこと」

「やめてよ!」

「財布は身につけておくこと。運転手にはチップをあげて。十セント貨ダイムでいいよ」

「すぐ行くから」ぴしゃりと言った。「市販の服に着替えたらね。あなたはその雑貨屋さんで準備でもしといて」

 J・Jはまだくすくす笑っていたけれど、わたしは電話を切った。それでも気分はよくなっていたので、きれいに見えるよう入念に着替えを済ませた。ヒューは部屋にいなかった。三階には誰もいない。二階でも誰にも会わなかった。一階のホールにも誰もいない。リビングに行ってベルを鳴らしエファンズを呼んだ。

 エファンズが現れた。「今から出かけるから、お昼は外で食べてくると思う。ミラーさんがどこにいるか知らない?」

 エファンズは目をぱちぱちと瞬かせた。「かなり早い時間にお出かけになったかと存じます。ギャスケルさまのお屋敷にでございます。その……はい……おそらく何か問題が――」

「そうなの。戻ってきたら西四十八丁目の『マックス』というレストランに来てくれるように言ってもらえる?」話を終えて手袋を振ると、エファンズが足早にドアを開けた。わたしは背を向けた。エファンズの顔では驚きと礼儀がせめぎ合っていた。冷たく輝く天候のなかへと、正面階段を駆け降りた。

 レストラン『マックス』は、窓に『女性専用席』と書いてある類の場所だったが、入口をくぐるまでもなくJ・Jの赤毛がぴょこりと動き、こっちにやって来た。わたしの腕をつかむと日除け帽が似合ってると言ってからマク・ダフのところに連れていった。壁際に座っていたマク・ダフは、長い足を片側に伸ばしてウェイターに迷惑をかけ、長い指を水の入ったコップにしなやかに巻きつけていた。こちらを見上げると、わたしが頼みさえすれば足を解いて立ち上がろうとでもいうように片足を横にし、あの独特の優しい笑みを見せた。

 わたしは息を切らせていた。「悪い状況でしょうか? 教えてください」

「わからないんだ」J・Jがテーブル越しにマク・ダフの隣にわたしを押し込むと、自分は反対側に陣取った。「朝一番に駆けつけて、話してくれたことはすべて聞き取ったんだけどね、それが話のすべてなのかどうかはわからない」

「ミラーは来るのかな?」ダフがたずねた。

「伝言を残しておきました。留守だったので」

「きっとまだ警官に事情を説明しているんだろうな。ミラーが死体を発見したことは知っているかい?」

「初めて知った。何にも聞いてないの」

 それから、恐れていた質問をした。「事件が起こったのは何時ごろ?」

「二時から三時のあいだだね」

「そんな」

 例によってダフは何もたずねなかったが、J・Jが言った。「全部話してくれるかい? なんでそれがまずいんだ?」

「昨夜の二時から二時半のあいだ、伯父が家にはいなかったことを知ってるだけ」J・Jがそっと口を鳴らした。それでもマク・ダフは座ったまま何も言わなかったので、信じてくれてないのだと確信した。納得してもらわなくては。だから起こったことすべてをありのままに話した。さきほどここに書いた通りだ。

「愉快な思いつきだな」話が終わるとJ・Jが鼻を鳴らした。ヒューが暗闇でわたしを抱きしめたのが気に入らないらしい。それはわかっている。それでも、マク・ダフに信じてもらうためにはすべて話すしかなかったのだ。「本当に愉快な思いつきだよ、そのドアのことなんか」

「確かに愉快だ」マク・ダフも同意した。興味を持ったようだ。マク・ダフの中の何かが琴線を揺り動かされたのだ。「なぜミラーは、伯父上が昨晩外出したと思ったのだろうな?」

「わかりません。でも間違ってなかった」

「糸は風で飛んだのかもしれないさ」J・Jはまだ不機嫌だった。「ただの糸くずじゃないか! そんなものに怯えて……死ぬほど怯えるなんて」

「でもコートのこともあるじゃない!」

 ダフが低く深い声を出した。「もう一度すべて話してもらおうか。何が起こったのか、糸がなくなっているのを見つけたときにどう感じたのかを、正確に。地下の階段と廊下の見取り図も書いてもらおう。カスカート氏がどうやって家に入り二階に上がったのか、それになぜ君たちが気づかれなかったのかを知りたい。」

 わたしは描いて見せた。ダフの悲しげな顔は変わらないままだった。

「では今度は転んだことだ。ヒューが転んだ音は、閉め切ったドアの向こうで寝ている人間の目を覚ますほど大きかったのか?」

「でも伯父さんは寝てなかった」わたしはそう言った。「絶対に寝てなかったと思うんです。なんとなくだけれど」

「ほかには目を覚ました人はいないのだね?」

「はい。でも転んだのは二階だったし。伯父さんは……二階にいるので」

 J・Jはげんなりとしていた。「あの家にはいない方がいい。いいですか、マック――」

「まあ待て。ミラーが来た」

 ヒューは疲労と心労でひどく青ざめやつれて見えた。絶望したような視線をこちらに向けると、はずした眼鏡を拭きながら腰を下ろした。彼の目はぐったりと落ち込んでおり、眼鏡をかけた人が眼鏡を外すとよくあるように、元気なく見えた。

「何を食べるかね?」ダフがメニューを突き出した。「ミラー、君には酒が必要だな」

「お酒は飲みません。でもランチなら。あのおすすめ品をもらいます。それと柔らかいものを」

「ソース・オ・ディアブルはつけるかね?」

「ソースはないでしょう? 白身魚には」

 J・Jが言った。「お嬢さんにハム・エッグ、オレンジ・ジュース、コーヒー、トースト、アップル・パイを――アイスクリームは好きかい? ぼくはチキン・サラダ・サンドイッチをもらおう」

 ダフはスープを注文した。

「ぼくもスープをください。ほかに噛まなくていいものを」そう言うとヒューは眼鏡をかけて寄りかかった。「ソース・オ・ディアブルを」

 伯父のことを考えているのがわかった。マク・ダフもそうだ。「話を聞きたくて待っていたのだ」

 ヒューは水をすすって顔をしかめた。

「そうだ、ヒュー。歯は大丈夫なの?」

「おかげさまでだいぶよくなりました。刺激を与えなければ大丈夫です。エファンズの薬はよく効きますよ」

「エファンズにもらったの?」

「朝の三時に起こして、薬をもらいました。素晴らしい人ですね」

「いい人だわ。エファンズというのは伯父の執事です」わたしはダフに説明した。

「執事が痛み止めを調合しているのか?」ダフの口調には、心ひそかに馬鹿らしいと思っているような、いらいらした響きがあった。

「違うの。夕食のときにエファンズも薬を使っていたんです」マク・ダフは無表情のままだったので、わたしは話を続けた。エファンズに言ったこと、エファンズが言ったこと。

「それで君は朝の三時に起こしたのか? 別れたのは何時だ?」

「アリバイですか? 四時くらいだったと思います。四時過ぎでしょうか」ダフの眉が三ミリ上がった。ヒューの方は何としてでも納得させようとしているのがわかる。「エファンズとは知り合いですし、歯がじんじんしていたんです。それに、薬が効き始めると椅子の上で眠りこけてしまったんです。親切にも部屋まで送ってくれたのが、四時半ごろだったのだと思います。そうは言っても運ばれている最中に目が覚めていたとは言い切れませんから、エファンズに聞いてみてください」

「三時で充分だ。ベッシーの話とも合う。三時までという下限はどうやって割り出したんだ、J・J?」

「医学的な証拠ですよ」J・Jが眉をひそめた。「もちろん推定ですがね」

「ベッシーからはお聞きになりましたか?」ヒューの言葉に、二人はうなずいた。「そのことに加えて、ほかのことも……」声は途切れ、片手で絶望的な仕種をした。

「何のこと? ほかのことって?」

「知らないんですか?」

始めから始めて、お終いになるまで続けたまえ、しかるのちやめればよろしい」ダフがあの魅力的な笑顔を見せた。少しだけ気持がほぐれた。

 ヒューがスプーンで音を立てた。「わかりました。約束していた仕事があったので、今朝ギャスケルのところへ行ったんです。ウィンベリーの件でした。顧客を流してもらいたがっていたんです。と言いますか――」ヒューの声に倦んだような苦みが混じった。「つまり、カモの名簿のことです。住んでいた場所は知っていますか?」

「ぼくもそこに行ってきた」J・Jが答えた。「また立派なところじゃないか。独り暮らしだったんだろう?」

「ときによりけりです」ヒューが答えた。「来客がいるときもありましたから。ですが昨日の夜は誰もいませんでした。いちばん新しい人はフロリダにいるようです」

「来客、か」J・Jが言った。「もちろん女だな」

 ヒューはうなずき、わたしにショックを与えまいとでもするように、急いで先を続けた。「ベルを鳴らすと、家政婦が中に入れてくれました。家政婦がいるのは日中だけです。七時半に自分の鍵を使って家に入ったそうです。リビングには近寄りもしなかった、と言っています」

「たぶんそうなんだろうな」J・Jが言った。「ぼくが到着したときにもまだカッカしていたよ」

「それで、ギャスケルは一階と二階を使っていました。ウィンベリーと同じく、上の階は人に貸していました。といっても借家人はもういませんが。リビングは裏手に当たります。その向こうには小さな庭があります。ぼくがベルを鳴らしたのは九時かそこらでしたが、そのころブリンクリー夫人は朝食の準備をしていました。急いで掃除をする気はないようでしたね。それはともかく、ギャスケルはまだ降りてきていないけれど、約束をしていたのなら自分が上に行って呼んでくると言われたので、ぼくは待っていることにしました。家政婦が上に行っているあいだ、ふらりとリビングに立ち寄ったところ……見つけたんです」

「場所は?」ダフがたずねた。

「安楽椅子です。椅子が背中に乗っかっていました。争ったあとがあって、足を高く上げて身体を丸めていました。ナイフが……おそらく心臓に。血だらけでした。あんなに……」頭を抱えたヒューの手は震えていた。「ナイフはウィンベリーのものでした。大事にしていた肉切りナイフです。それに気づいたので、警察にもそう伝えました」

「年代順に続けてくれ」ダフが言った。「それから?」

「それから、ぼくはブリンクリー夫人に大声で喚いていました。彼女を中に入れないようにしておいてから、警察を呼びに行きました。これで警察を呼ぶのは二度目ですよ」

「時間は?」

「九時十四分です。ぼくが到着したのが九時……十一分だった……そのくらいです」

「続けてくれ」

「また別の赤いパチーシ駒がありました」ヒューは疲れたように続けた。「それはもう話しましたっけ?」

 J・Jがわたしの手をぎゅっと握った。「ちょっと待って。いや、それは知らなかった。まあひと息つかないか。その水を飲んじゃえよ、ベッシー。ちゃんと飲まなきゃ、お尻ぺんぺんだ。よし、話があるんだ。昨夜の一時半ごろ、ギャスケルのところにやってきた男の目撃情報がある。同じ人物が一時四五分に出てきたのも目撃されている。だけど――ええと――その男はすぐあとにまた舞い戻ったそうなんだ。その後は男の姿を見ていない」

「誰なんです?」ヒューがたずねた。

「目撃者のことかい? 窓からぼんやりと通りを眺めてた天然系の女の子さ。あんないかれた子はいないね。あんな証言じゃあガーネットもぼくも納得できない。だけどその通りだった可能性はあるんだ。そして、その通りだったとしたら、伯父さんはアウトだ。問題はね、その子によると――これについては信じるね――その子は人生と芸術について深く考えていたんだそうだ。つまり目撃者の時間感覚はあまり当てにできない。しかも途中でトイレが我慢できなくなっている。その間に男がまたすぐに外に出てきた可能性はある。どう頑張っても人を殺せるだけの時間はないけどね。ああ、真理はそのうちはっきりするとも。それにぼくは信じてる。うまく聞き出す時間はあったからね。手を洗いたくて仕方なくなったのが一時五二分だったそうだ。どうだ! すまない、ベッシー」

「どうして伯父さんがアウトなんです?」ヒューがたずねた。「その男は誰だったんですか?」

「知らない男だった。背が高かったと言っている。背の高い人はたくさんいるからね。でも誰が……」

「ガイ・マクソンに決まってるじゃない」わたしは声をあげた。「マクソンとギャスケルは一緒に伯父の家を出たんだから。覚えてない?」

「あり得るね。来たのはガイだし、出たのもガイだ。だけどガイはどちらも否定しているし、舞い戻ったりもしなかった。だけどギャスケルと一緒に帰宅したのが殺人犯だとすれば、伯父さんはアウトだ」

「マクソンにはアリバイは?」

「曖昧なのがね。ホテルに二時〇八分に到着した。歩いていたそうだ」

「裏付けは?」

「クラークが彼と話をしている」

「二時〇八分」ヒューが言った。「それならアリバイは成立しますね」

「そうかね?」ダフが声をあげた。

「だってギャスケルが殺されたのは二時以降なのでしょう」

「それはどうやって証明されているのかね?」

 ヒューはため息をついた。ウェイターが料理を運んできた。わたしの注文をテーブルいっぱいに広げ、残りを端に並べると立ち去った。

「その目撃者は、戻ってきた男と出ていった男が同一人物だと言っているんですか?」ヒューがたずねた。

「ああ、そこが問題だね」J・Jが答えた。「残念だけどその子は何の助けにもなりゃしない。頭を使うことを知らないんだ。確かにそう思ったんだろうけど、思ったことを証明してやれる人なんてどこにもいやしない。二時の件はどうなってる? 知ってるかい?」

 ヒューは最初が肝心とばかりに説明した。「ギャスケルの家には石油式の暖房があって、自動温度調節器サーモスタットには時計がついているんです。ここまではいいですか?」

「問題ないよ」J・Jがサンドイッチを頬張っている。

「夜中に暖房を切るためには、設定時刻になると自動的に切れるように時計をセットしておくんです。朝に再点火させるときも同じです」

「うん、それは知ってるよ」

「それで、ギャスケル家のタイマーは、午前二時にセットしてありました」

「ずいぶん遅い時間だな、なぜだろう?」

「ぼくもそう思います。ところが今朝伺うと、時計は床の上でばらばらに壊れていました」

「なぜそうなったのだ?」ダフが静かな声で穏やかにたずねた。

「格闘の際に叩き落としたのでしょう」

「それは部屋のどこにあったのだ?」

「ギャスケルの椅子があった後ろの壁際です。横には本棚がありました。犯人がナイフを前に突き出せば、椅子が後ろにひっくり返って、ギャスケルは壁に投げ出されたはずです。おそらくその際に時計にぶつかったのでしょう。まず間違いありません」

「そのまま放っておかれたら時計は動くじゃないか」J・Jが言った。

「それはありません。ガラスが割れて針が曲がっていましたから」

「まあいい」マク・ダフが言った。「もうわかった。だがそれでも時刻は割り出せる。暖房が消えるか寒くなるかしていたのではないかな」

「ええ、そうなんです。家は寒かった。温度計は十五度を指していました。サーモスタットが十五度にセットされていたんです。時計が壊れる前にタイマーが作動していたんですよ」

「つまり争いがあったのは午前二時過ぎというわけか」J・Jが考え込むように口を開いた。「そうでなければ、家は一晩中昼間みたいに暖かかったはずだものな。だけどサーモスタットなんて手で動かせるだろう?」

「時計が動けばできるとは思いますが」

「犯人は設定ボタンやタイマーに気づいたのでは? だとしたら、時刻を混乱させようと手動で十五度にセットすることだってできただろう?」

「できたでしょうね」ヒューはゆっくりと口にした。「やり方を知ってさえいれば。考えつきさえすれば」

「ねえどういうこと?」わたしは声を出した。「もっとゆっくり説明してよ」

 マク・ダフが説明してくれた。「時計には異なる二つの機能がある。一つは時計として時刻を告げ、一つはタイマーとして時刻をセットする。今の話の場合だと、目覚ましベルが鳴るのではなくサーモスタットのスイッチが押されるのだが。時計が壁にぶつかり壊れたのだが、何時の出来事なのかわからない。しかしながら午前二時以降に起こったことだと推理はできる。タイマーがいじられておらず、サーモスタットのスイッチが別の手段で押されていないとしたらの話だが。J・Jが困っているのは、殺人犯が捜査員を欺くために手動でサーモスタットを動かした可能性があるからだ」

「わかりました」

「待てよ」J・Jが口を挟んだ。「あるいはタイマーの方をいじったってことはないのかな? 午前二時の設定をいじることはできないのかい?」

「無理みたいですね。警察はそう言っていました。壊れ方から見て、できないだろうと」

「そうか、それなら超特急で行動して二時のアリバイを作ったんだ」

「どうして? 全然わかんない。どうなの?」

 マク・ダフの目がふたたびきらめきかけた。「J・Jはずいぶんと頭が冴えている。そのうえ的確だ。真夜中に時計がぶつかって壊れたとしよう。二時に暖房が切れるように時計がセットしてあることに、殺人犯は気づいた。だが設定を変えることはできない。そこで犯人は手で暖房を切った。時計の落ちたのが作動してからのことに見えるだろう。二時のアリバイを作ることができれば、犯人は安泰だ。間違いない。設定時刻に気づき、捜査を攪乱しようと手で暖房を切るやつならば、二時のアリバイが必要なことにも気づいていたはずだ」

「実際にそうしたんでしょうね」ヒューがつぶやいた。「きっとそうです。今わかりましたよ」

 J・Jの咳払いにヒューが振り向いた。

「気を悪くしないでほしいんだけどね」J・Jは努めて明るく口にしていた。「君がベッシーの部屋をノックしたのは二時だっただろう?」

「と言うより、しばらく叩き続けていましたよ」ヒューの声には嫌気が差していた。

「この子が正確にいつ目を覚ますかなど、むろん知りようがない」ダフがコメントした。

「そうですよ」ヒューはダフに感謝するように振り向いた。

「ふむ。まあそうだろうね。さて。伯父さんは二時のアリバイがない。マクソンも二時のアリバイがない。君は二時に確固たるアリバイを持つことを予測しようがなかった。こうなると時計の証拠は問題なさそうだな。いずれにしても、殺人が行われたのは二時以降という事実が導かれるね。理に適ってますか、どうですか?」

 この推理がどれだけ説得力があるか確かめでもするように、J・Jはマク・ダフを片目で見やった。ダフはピカピカのティー・スプーンを指先に乗せてバランスを取っている。「理に適っている」あまりにそっけなかった。ところがヒューは興奮してまくし立てた。

「ぼくらは何をすればいいんでしょう? ぼくは警察に渡してきました。つまり、警察が赤い駒を保管しています。今度は駒を置いてきたんです。ウィンベリーのナイフだということも知られました。ぼくがしゃべったからです。だけど、事件を結びつける第一の駒があったことを打ち明ける気にはなれないんです。赤い駒の正体や、どこにあったものなのかも、しゃべった方がいいんでしょうか? すべてを警察の手に委ねてしまった方がいいんでしょうか?」

「そうだな」J・Jもうなずいた。「どうなんです?」

「まだ何とも言えんな」ダフが答えた。「そのナイフのことを話してくれ。カスカートが手に入れるチャンスがあったと言いたいのだろうね?」

「その通りですよ。それにぼくにもチャンスはありました。むしろぼくの方が。だけどぼくがそんなことをする理由がありません」

「動機か。ふむ。前回と同じだな」

 みんな押し黙ってしまった。わたしはJ・Jの袖口をぎゅっとつかんでいた。

「しかしだ」ダフが穏やかに言葉を続けた。「今回、憎悪が限界に達したのは何が原因かね?」

 J・Jがつぶやいた。「ああ、わかりません。いったん動き出したからには、二人とも殺っちまった方がいいと思ったのかもしれませんね。毒を食らわば、です」

「その言葉に、おそらく何某かの事実があるのだろう」ダフも同意した。

 だけどわたしは、ヒューが何か言うのを待っていた。でも何も言わない。そのことが心に浮かんだのは、わたしだけのようだ。

 わたしは恐る恐る口を出した。「もしかしたら……ライナですか。昨日の夜、外に連れ出してたんです、ギャスケルが。みんな嫉妬していたんじゃないでしょうか」

「嫉妬か! またお決まりの……」J・Jは疑わしげだ。

「ぼくもそうは思いませんよ」ヒューが椅子をずらした。「それは違うと思うんです、ベッシー。これがガイ・マクソンだったと言うのなら……」そこから先は絶対に口にしたくないようだった。

「ではカスカート氏がマクソンに嫉妬している可能性はあるわけだな?」ダフの言い方では、嫉妬の有無が紛れもない事実として扱われていた。それはそうだ。考えてみればわかる。

「ええ」わたしがヒューの代わりに答えた。「きっとそう。ライナはまだ若いしすごく可愛いんだもの。彼も若いし。マクソンのことだけど。だから二人が……そうだ、マクソンは昨日すごく怒っていました」

「マクソンには動機がある」ダフがたずねた。「というわけか?」

「マクソンにはアリバイがありますよ」J・Jが口を挟んだ。「二時にギャスケルを刺し殺したとしたら、二時〇八分に帰宅することはできなくなる。サーモスタットが信用できるとしての話ですがね。トリックだとしたら二時のアリバイはなくなります」

「地下鉄の八番街線はどうなんだ?」

「そいつがありましたね。うまいことに。そうですよ。ちくしょう」

「ほんとにうますぎますよ」ヒューが聞き取れないほどの声でつぶやいた。

「そうはいってもね」J・Jが力を込めた。「言っておくけど、マクソンがそれで何かしたとは思っちゃいないよ。通りの向こうのお嬢さんが、戻ってくるマクソンを目撃したとも思っちゃいない。マクソンがそこに戻ってきたとも思っちゃいないんだ。きっと目くらましか何かだよ。それと、ベッシーはカスカート邸から出るべきだ。夜中にそんなふうにうろつくなんて感心しないね」J・Jはヒューをにらんでいる。「言いたくないけどね。君たちが昨夜何をしたのかを、奴が知っていたらどうするんだ? 知っていたとしたら? 可能性はある」

「わかってます」ヒューは青ざめていた。

「ベッシー、ぼくにはきみを預けておく独身の伯母さんなんていないけど、でもちくしょう、誰かの伯母さんなり何なりを見つけられなくても、あの家からきみを連れ出すつもりだ……」

「無理よ!」わたしはあえいだ。「どうするっていうの?」

「無理かどうかはすぐわかるさ」

「ぼくにはあまり――」ヒューが言いかけた。

「いいかい。ぼくはこの子と結婚する」とJ・Jが宣言した。「だめなら部屋の入口で眠る。獰猛な犬を六頭買って守らせる。ちくしょう、牢屋に入れておきたいよ。ねえマック、カスカートの手の出せない場所にかくまっておけるなら……」

 マク・ダフが答えた。「ガーネットは事件もないのに行動できんよ。する気もないだろう」

「でも事件はある。そう言ってるじゃないですか。法律なんてものに興味はありません。理屈にすら興味はありませんね。彼が犯人ですよ。今ぼくが心配しているのはそれだけです。彼は無実だと誰かが明らかにしてくれないかぎりはね。わかってます。わかってますよ。でもぼくはこの子マイ・ガールの話をしてるんだ!」

「落ち着いてよ」とわたしが言った。ヒューはあっけにとられていた。

「冷静になりたまえ、J・J。それではガーネットに話すには充分とは――」

「ぼくを納得させたうえでいらいらさせるには充分ですよ」J・Jはちっとも落ち着いていなかった。「いいでしょう。教えてください。あなたはどうすれば納得するんですか!」

「われわれの知っていることは不充分だ。確認すべき点が山ほどあるし、やるべきことが山ほどある。しかし時間があるかどうか……」そう言うと黙りこくってしまった。深い瞑想のような沈黙。〈時間〉という言葉がわたしたちの耳で鳴り響き、沈み込んでいた。

「問題はベッシーを守ることだ」ついにJ・Jが声をあげた。「それが理由ですよ。それだけで充分だ」

「論理だよ、論理的にだ」とダフが諭す。「しかし前進はせねばなるまい。理解を重ね情報を集めなくてはなるまいな」

「まさかあなたがたは――」ヒューがたずねた。これまでそんなことを真面目に考えたことは一度もなかったのだろうか。「誰かがベッシーを襲おうとしているとでも?」

「誰もベッシーを襲うものか」J・Jが答えた。「ベッシーだって、殺人犯かもしれない人間と同じ屋根の下で過ごすつもりはないさ。言わせてもらえば、ぼくにはそれで充分だ」

「ほんとうに危険があると思ってるんですか?」

「危険だと?」ダフが言葉尻をとらえた。「むろん危険はある。毒を食らわばの原則に従っているのならばだが。しかしね、わからないのだよ」唐突に皿を遠くに押しやり、両手の置ける空間を作った。「チャールズ・カスカートとの会談を希望する」

「会いたいのなら、会いに行くことですね」J・Jが言った。

「それも一つの方法だが。この事件のことで招いてもらいたいのだ」

「ガーネット・サイドから攻めますか?」

「ベッシーの方からだ」

「それではベッシーがやっかいなことになる」

「しかしだね、ベッシーには、すでに事件のことで招いてもらっておる。目下の希望は許可をもらうことだけだ。そして関係者と話すことだ」

「何か手伝いますか?」J・Jは冷静だった。

「やりたいことをすべて探るには時間が足りない。そうだ、マクガイアに頼むことにする」と言ってわたしに微笑みかけた。「実際に何が起こったのかを解明する時間はない。かすかな痕跡をたどって時間と手間をかけ、徹底的に手がかりと目撃者を調べあげるには、時間がかかりすぎる。迅速な援護があれば、手に入れた証拠と、それに脳みそと想像力と直感を使うことになるだろう。とにかく手に入れてからだ。午後は、やれる範囲で調査に費やす。だが夜までにはカスカート氏に会っているはずだ」

「いいでしょう」J・Jが言った。「とにかくセッティングしますよ。カスカートと会う場所を教えてくれれば、ベッシーが連れ出しますとも。おいで、ベッシー。今すぐにでも家に行ってスーツケースに荷造りするんだ」

「でもそんなことできない」

「でもできるとも。荷物を持ち出して用意しておくんだ。念を入れて。スーツケースに入れてね。ジョークなんだ。笑ってくれよ、ちくしょう。ねえベッシー、ぼくは赤毛でわがままなんだ。だって子どもだからね。今できることはほとんどないよ。このトーストは食べるかい? それならぼくがもらおう。さあ行こう。マック、あなたはここに座って考えに耽るつもりですか?」

「そしてマクガイアを待とう」

「ミラー、君はどこへ?」

「部屋に戻ります。ほかに行くところもなさそうですし」

「タクシー代を三分の二、持ってくれるかい。よし行こう!」

 マク・ダフを汚れた皿のあいだに残したまま立ち去ったときには、彼はすでにどっぷりと物思いに沈んでいるように皿を見つめ、より分け、並べ替え、いっぷう変わった方法で問題に耳を傾けていた。


Charlotte Armstrong『Lay On, Mac Duff!』CHAPTER 12 の全訳です。


Ver.1 07/07/06

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