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翻訳:江戸川小筐
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さあこい、マクダフ!

シャーロット・アームストロング

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第十三章

 J・Jとわたしはタクシーの道中ずっと手を取り合っておしゃべりに興じていた。少なくともわたしは楽しかったし、J・Jもそうだと思っていた。ヒューは一言も口を利くことはなかった。その機会もなかったのだ。わたしは気の毒になった。それほど陰鬱に殻に閉じこもり、不安げに押し黙っていた。J・Jが明るく寛大な人だったので、怯えて身をすり減らし感情的にならないヒューが、相対的に堅苦しく生真面目に見えてしまう。もちろんJ・Jは音を立てて爆ぜる火花だったし、わたしは家から逃げ出すつもりも隠れるつもりも安全圏にいるつもりもすべてを失うつもりも断じてなかった。J・Jの落ち着きのたまものだ。彼に言わせるとわたしの落ち着きの問題だそうだが。わたしたちはあれこれ言い合った挙句、話のまとまらないないまま伯父の家に到着した。

 エファンズがドアを開けてくれるまで、ヒューはわたしたちから少し離れて立っていた。邸内になだれ込むと、J・Jとわたしは不意に黙り込んでしまった。この家に入ると幸せなやり取りもふっとんでしまうのだろうか……三人とも気が塞いでしまった。押し黙ったまま中に入ると、リビングからはっきりと話し声が聞こえてきた。

「ライナ……ねえ……」請うような口調。「あいつは役立たずだったじゃないか?」

 ライナの声にはうんざりしたような響きがあった。「そんな言い方やめて、ガイ。何になるの――」

 エファンズが雷の如き咳払いをした。「エリザベスさま!」うわべだけ快活な、忠誠心あふれる大声。「ライナさまがお探しでした! ヒューさまのこともでございます!」わたしたちは何も言わなかった。

 ライナの声がためらいがちに途切れ、結局こう結ばれた。「あなたのことなんて信用してないのに」

 急ぎ足の足音が聞こえ、ライナが戸口に現れた。淡いリーフ柄のドレスと、大きな白い襟飾り。百二十五ドルあればミシンで即日仕上げてくれるようなタイプ。十七歳にだって見えた。きらびやかな金のイヤリングと地味なドレスの豪華な細工さえなければ。目はまっすぐにJ・Jに向けられていた。「あら、ジョーンズさん! よくお越しくださいました」

「そうですか?」J・Jの声が不自然にうわずっている。

「ええ。みなさんどうぞお入りになって。ガイ、こちらはジョーンズさん」ライナはくるりと振り返り、彼らがもごもごと挨拶しているのをさえぎった。「ガイが教えてくれたんです。また別のパチーシの駒が、ギャスケルさんの死亡現場から見つかったんですってね。どなたか教えてくださらない? 本当のことなんですか?」

「間違いありません」J・Jの声はもとに戻っていた。聞くとほっとする。「少なくとも――」

 ヒューが口を挟んだ。「本当です。この目で見ました」

 ライナは下唇を噛みしめた。

「君に嘘はつかないよ、ライナ」ガイは二人称代名詞にかすかなアクセントを置いていた。「どうだい?」

「ジョーンズさん」ライナの声には決意がこもっていた。「マクドゥガル・ダフと連絡を取ることはできますか?」

「大丈夫でしょう」J・Jは続きを待った。

「それじゃあ聞いてもらえますか。ここにいらっしゃるよう頼んでほしいんです」

「何のためなのさ、ライナ?」ガイがたずねた。「どうしてそんなこと……?」

「どうして? はっきりさせたいからに決まってるじゃない」冷やかにわたしたちを見つめていた。「チャールズは罠にはめられたってことを」

「罠にはめられたですって!」ヒューだった。驚きの声をあげた。「何があったにせよチャールズに限ってそれはありませんよ」

 ライナが頭ごなしに噛みついた。「ほかにどんな説明があるの? わかってるの?」

 ヒューがわかっていたにしろわからなかったにしろ、わたしにはわかった。きっとそうだ。ライナは知っている、疑っている、不安を覚えてもいる。何かせずにはいられないのだ。彼の安否が不安なのだとごまかしてでも。そうでなければわざわざマク・ダフに頼んだりはしまい。その実、マク・ダフが真実を見つけ出すと信じているのだ。真実ほんとうの真相を。なんて頭がいいんだろう。悲しいくらいに頭がよかった!

「そういうことなら『マックス』から帰ってしまう前に電話した方がいいな」J・Jが言った。おそらくこれで問題は解決する。「それでいいんですね?」

「お願いします」ライナは冷やかに答えた。「電話はここにありますから」

 J・Jが部屋を横切って電話に向かうと、ライナが疑問を口にした。「本当のことを教えて。パチーシの駒だけじゃないんでしょう? ベッシー、マク・ダフが昨日やって来たのはなぜなの? だってもし……もし違うのなら」ここで口ごもった。

「お願いライナ」わたしはいつでも叫び出していただろう。「わたし怖かったの。ヒューも……わたしたち……J・Jも……みんな……マク・ダフも知ってる」

「聞かせてほしいの」穏やかな非難。「お願いだから教えて」

「ベッシーが何を聞かせてくれるというのだ?」

 当の本人だった。駱駝毛のコートを来たその人、頬の傷、伯父の両目があった。ライナは素早く果敢に頭を上げた。「殺人事件の話をしていたの、チャールズ。あなたが疑われているって考えたことはあって?」

「無論だ」伯父が答えた。戸口にいるとますます大きく堂々と見えた。

「考えたくもない」投げ遣りな口調。「マクドゥガル・ダフがここに来た理由を聞いていたの」伯父のはねた眉が心持ち下がった。「ベッシー――この青年の――誰かがマク・ダフの知り合いなんですって。チャールズ、協力が必要よ。こんなの……ほっとくわけにはいかないじゃない!」

 伯父が穏やかに答えた。「わたしなら自分で身を守れるよ」

「今度はだめ」ライナが声をあげた。「もうだめよ。二人が死んだあとでまだそんなことを。次はあなたかも……」

「死体が雨あられと降り注ぐとでも?」内心では可笑しくて笑い転げていたのかもしれない。「いいだろう」と大きな肩をすくめた。「それで気が済むのなら。あとでここに来てもらうといい」

「ありがとう、チャールズ」と言ってからライナは、話を中断して受話器を持ったまま待機していたJ・Jに話しかけた。「夕食のあとで」

「なるほど、おもてなしせねばなるまいな」伯父はライナに向かってわずかに頭を下げさえした。「九時でいいかね? 七時まではオフィスにいる予定だ」

「ありがとう」ライナの目は伯父の顔に注がれていた。

「そのあいだはわたしも安全だろう」伯父の柔らかな声に、わたしの背筋に震えが走った。「心配することはない」

「心配」という言葉が出るとは! 立派なコートを着てここに立っている、大きく力強く鋭く自信たっぷりな伯父は、身の安全を心配することとは世界で一番縁遠い人物だったし、本人もそれは自覚していたはずだ。「いいね?」伯父が喉を鳴らした。「それから、七時までだ」

 ライナも繰り返した。「七時までね」興奮も去り、力の抜けた声だった。ライナは椅子に腰を下ろし、両目に拳を当てた。マクソンがうなり声をあげてマントルピースに歩き始めた。ヒューは両手を見下ろしていた。J・Jが話している。「九時で大丈夫ですか、マック? カスカートさんはそう言ってます。ええ、もう行っちゃいました……オフィスに。問題ありませんね。よしきた、わかりました」

 J・Jがわたしの隣にやって来て、「万事オーケーです」と肩越しにライナに声をかけたが、ライナはぴくりともしなかった。「よしベッシー、マックが呼んでるんだ」緑色の瞳が澄みわたり、わたしの心を読もうとしていた。

「部屋に戻って待っ、待ってる」

 ささやくように声をかけられた。「もう全部知られてるけど、いいかい、間違っちゃだめだ。戸締まりはしっかりしてくれるね。約束だ。そしてスーツケースに荷造りを」わたしはうなずいた。「すぐ戻ってくるよ」

「マク・ダフも?」

「それより先に」と言うと顔を近づけた。「それじゃあ、ベッシー。また戻る」そうして頬にそっとキスをして、耳元でささやいた。「七時を過ぎたらうろちょろしているから、ときどき窓から外を見てくれるかい」

 J・Jが行ってしまうと、ヒューも階上に退がりたがるそぶりを見せたけれど、ライナが引き留めていた。わたしのことも引き留めたがっていたのだろうけど、もうたくさんだった。三階に舞い戻り、今度は椅子を二脚使ってできるかぎりしっかりと戸締まりをし、窓にもすべて錠を下ろしてから、顔にコールド・クリームを塗り、靴を脱いで、服を着たまま眠りに落ちた。

 目が覚めると薄暗かった。目が覚めたのはなぜだったのだろう。六時半過ぎだった。チャールズ伯父さんが部屋に戻る予定まであと三十分たらずだ。まだ戻っていなければの話だけど。わたしたち、J・Jとわたしが伯父の言葉を鵜呑みにしたのはなぜなんだろう。これじゃあまるで、伯父が好きな時間に自宅に戻ることができないみたい。戻ることもできなければ戻る可能性もないと言うつもりだったみたい。わたしはベッドから抜け出して裏手の窓から身を乗り出した。真下の部屋に明かりがついているかどうかは見えなかった。わからない。何も聞こえもしなかった。けれどずっと下の方から明かりがぼんやりと煉瓦を照らしている。わたしは暗闇で身震いすると、ランプに手を伸ばした。

 スイッチを入れた瞬間、中庭で何かが動いた。見られている? 丸見えのはずだ。床に膝をついて、窓敷居の下まで這っていけないだろうか。そのあいだも目は離さずにいた。

 男は薄明かりに向かって移動していた。はためいたコートの、ラグラン型の袖と襟にようやく気づいた。それが上下している。帽子を取って暗闇に突き出し、わたしに振って見せた。馬鹿みたいに振り回しているのを見ると、伯父はまだ帰宅していないのだろう。さもなきゃJ・Jだってあそこに立ってあんなふうに帽子を振り回したりはしないはずだ。

 目を惹くつもりなのか、突然両手をあげた。何かを伝えようとしているらしい。わたしは座り込んだ。J・Jは太腿を叩いている。足を上げて指さしている。

 足だ。マク・ダフの足代わり。わたしはなるべく大きくうなずきを送った。

 次にJ・Jは椅子に座ったように膝を曲げると、見えないハンドルを回し始めた。ハンドルの操作を繰り返す。片側に帽子を引っ張るように、頭を引っ張るしぐさをした。唾を吐いた。また何度もハンドルを動かす。

 車だ。何か車のこと。わたしはうなずいた。ただし控えめに。

 J・Jは身体を伸ばして困ったように辺りを見回した。それからまた膝を曲げて、片手でおかしな動きをしながらハンドルを動かすしぐさをした。まったくわからないので首を横に振った。J・Jは降参したように大げさに肩をすくめるや、自分の手を指さした。目を凝らしたところでは小指を差している。その指を高く上げて揺らしながら指さすと、激しく首を振り否定のしぐさをした。

 伯父。伯父、ではない。伯父は、違う。伯父は、していない。伯父、ではなかった。何か伯父と否定に関することなのだ。

 けれどわたしは肩をすくめた。

 するとJ・Jは両手を差し出し指で二つの丸を作ると、双眼鏡のように目に当て、食堂の窓の方に顔を向けた。食堂の窓を指さすと、もう一度双眼鏡のしぐさをし、力強く自分の胸を指さした。それからものを食べるしぐさをすると、ふたたびすべてを繰り返した。

 わたしは手を叩いた。音を出そうとしたわけではなく、ジェスチャーで。夕食のあいだも見張ってくれるということなのだろう。うれしかった。

 するとJ・Jは両手を合わせて胸を張った。

 わたしも胸を張る。

 ドアに音がした。振り返って誰何する。エレンだった。わたしは振り返ってみたけれど、J・Jはすでに深まる闇に溶け込んでいた。

 エレンが来たのはドレスの着付けを手伝ってくれるためだったので、そうしてもらうことにした。J・Jがいるのはわかっていたから、着替えのあいだは部屋の奥から出ないようにしていたけれど、ブラインドを完全に降ろして明かりを閉ざしてしまう気にはなれなかった。たぶんライナがエレンをよこしてくれたのだと思う。なにしろわたし一人では卒業式のガウンさえ自分で着られなかっただろう。素敵なドレスなのだ。故郷のコックスさんが『ヴォーグ』の型から作ってくれたものだ。スカートの衣擦れを聞くのも、十六のゴアも、コックスさんが始終文句を言っていたどの縫い目も大好きだった。もとは白かったが、卒業式のあとで染めていたので今は淡い薔薇色だった。コールド・クリームも仮眠も、顔を傷めたりはしていなかった。もういつでも伯父と食事を取れる気分だ。着替えが終わると、髪に薄紅色のサテンの薔薇を一房をつけた。ちょっと大仰な気もする。

「とてもお美しいですよ、エリザベスさま。お母さまもお綺麗な方だったんでしょう?」

「ええ」寂しさがこみ上げた。「とてもきれいだった」

「お嬢さまもお綺麗でございますよ」力強くそう言ってくれた。「口紅もつけてごらんなさいまし」わたしは一本も持っていなかったので、エレンがこっそり貸してくれた。

 ドレスで盛装するには確かに助けがいる。わたしが自分のことを――つまり――高貴だとか何だとか考えていたとしたら、やはりお金持ちの男性と結婚して四六時中きれいに着飾りたいと思うものなのだろうか。それはともかく衣擦れの音を立てて部屋を出ると、廊下から吹き抜けを物憂げに見下ろしているライナがいた。可哀相。家の裏にJ・Jがいてくれてほっとした。たとえ金曜までは二十九ドル九十三セントしか持っていなくたっていい。ライナは黒いシフォン・ドレスを着ていた。深いカットに、てらいのない無地の服。きれいで可愛くて悲しげに見えた。一緒に階段を降りながら、一瞬だけ、髪から薔薇を取ってしまいたくなった。

 パーティーに行くわけではなく、階下で食事を取るだけなのだと思うと可笑しかった。ヒューはどこにも見あたらない。招かれていないのだろうか。階段のふもとで一緒になったチャールズ伯父さんに連れられ食堂に向かうと、テーブルの片端を三人で囲んだ。ライナが向こう、わたしがその反対側。夕食を取るのがびくびくだったのだけれど、楽しめるようになっていた。第一に、外にJ・Jがいるとわかっていたから、そのおかげで独りぼっちで豪華なあれこれと向き合っているわけではないという気持になれた。第二に、盛装したりといったあれこれが原因で、伯母と伯父にしてみれば姪と食事をしているのは当たり前なのだと思ってみたりもしたし、この特殊な家だってわりと普通なのだとひとたび感じてしまえば途端に楽しくなれた。今回のエファンズはさっそうと給仕をしていた。うれしそうなのがわかる。その場に主人夫妻がいて、仕事ぶりを見てもらうのがうれしいのだ。

 そのうえ、伯父は機嫌が良かった。人間味もあった。大きくなったわたしを見るように話しかけ、大事なことのようにわたしを話題にし、わたしが喜ぶような魅力的な話をたくさんしてくれた。映画館についての内部情報にはもちろんわくわくした。伯父は言葉でわたしを虜にしてしまった。それに気がつくまでに、無意識のままにとりとめのない話を続けていた。伯父が殺人者かもしれないなんてことは忘れかけていた。打ち解けるような、好きになってしまいそうな、それでいてすべては伯父にそう仕向けられたのではという不安もぬぐえない、不思議な気持だった。

 ライナはきれいで優しかったし、ところどころで打つ相づちもかわいかったけれど、別人だった。わたしと二人きりのライナとは、同じではない。微妙に違う。

 わたしたちは女優の話をしていた。きれいな人たち。「でもライナはすごくきれい。女優よりもずっときれい」

 伯父がはねた眉を心持ち上げた。「そうだな」と素っ気なく言った。「ライナはたいそう綺麗だ」

 ライナが喉をごくりと動かした。目を伏せたまま静かに座っていたけれど、それが見えた。「しかし」伯父が話を続けた。「ライナが舞台に立ちたがっているとは知らなかった。それともそうなのか?」伯父の声は瑞々しい好奇心にあふれていた。今までほんとうにそんなことを一度も考えたことがなかったのだろうか。

「女優なんて無理よ」ライナは目を伏せたまま控えめに答えた。

 伯父は微笑んだ。秘密を知ったときのような、一瞬の笑み。「ではベッシーなら……? この子はたいそう可愛い」

「かわいいなんてとんでもありません。そんなこと! わたしそんなに……」ちょうどそのときライナの目が、振り向きかけた伯父の顔を見つめているのに気づいた……そう、苦悶と言うべきだろうか……その目には苦悶があった。わたしは急いで目をそらした。

 突然ライナが明るい声を出した。「ベッシーはかわいいわ。でしょ、チャールズ?」違和感の原因がわかった。ライナは演技している。チャールズ伯父さんがそばにいるとそうなるのだ。別人になるのはいつも、伯父がそばにいるときだ。

「それにね、将来はきっと美人になると思う!」そう言うと今度は、こともあろうにJ・J・ジョーンズのことでからかい始めた。わたしが知ったことすべてがJ・Jに筒抜けだったかと思うと、狼狽のあまりそれ以外のことは考えられなくなってしまった。

 チャールズ伯父さんは話には加わらず、口を閉じてしまった。ちょうどそのときエファンズがコーヒーを持ってきた。コーヒーが出されたところで伯父がぴしゃりと告げた。「エファンズ、ブラインドを降ろしてくれ」

 エファンズがブラインドをばさりと降ろし、窓にカーテンをかけてしまうと、途端に心細くなった。コーヒー・カップを口唇につけたまま降ろすことが出来なかった。それでもチャールズ伯父さんを見なくてはならない。見つめられているからだ。それはわかっていた。

「夜中にコーヒーを飲んでもかまわないかね?」穏やかな声。「眠れなくならないか?」

 冷たい視線はわたしを離れた。「おまえの頼んだ探偵がもうすぐやって来る」と冷やかにライナに告げた。「階上に行こうではないか」そうして先頭に立って食堂から出ていった。食事中にあった和やかな親睦の泡沫は、ぐちゃぐちゃにされたクリスマスの飾りのように、はじけて消えて打ち捨てられた。

 ライナとわたしは一言も言葉を交わさなかった。ただ伯父について階上に向かった。図書室にはガイ・マクソンとヒューがいて、ヒューは暖炉のそばで爪を噛み、ガイは雑誌越しに軽蔑したような目を送っていた。嵐の前の積雲のように、ふたたび空気が不穏に包まれた。伯父がなかに入ると、二人が立ち上がった。三人とも背が高く、不安と敵意を帯びている。ライナは迷子のように戸口に立ちすくんでいた。三人がこちらを見た。伯父は腹を立てているようだ。階下でベルが鳴った。

 どんなものでもいい。マク・ダフと伯父の対面を見てみたかった。きっと、脅威的な力と確固たる肉体のぶつかり合いになるはずだ。実現したときに結果がどうなるのか、はっきりと答えられる人などいないだろう。なのにわたしが求めていたのは、きらきらと輝くJ・Jの緑の瞳と軽やかな手の温もりだった。

「車のことだとはわかったんだけど」わたしはささやいた。「でも頭の回転が悪くて」

「タクシー・ドライバーだよ。唾を吐いたのは見えなかったかい?」

「見えたけど――」

「気にするな」

「大事なことだった?」

「それはわからない」

「外にいてくれて心強かった」

「ここにいてってことだろ?」

「外と言ったのだ」伯父が口を挟んだ。「君の命令かね、ダフ。今夜、家の裏で見張らせていたのは?」

「違いますな」ダフは動じず、焦りも不安も苦闘もくたくたにしおれるような、深い平静を保っていた。惑いのない人間には何もできない。その平静を破ろうとして伯父の力が衝動的に波打ち、次いで戦略的退却を受け入れた。

「知っていたはずだ」非難の響きはなかった。

「さようですな」

「どうやって」愛想よくと言っていい口調で、今度はJ・Jにたずねた。「なかに入ったのだ?」

「ぼくが巡回中の警官を知っていて、警官はダフを知っていて、ミセス・アトウォーターは警官を知っていたんですよ。人のつながりというやつですかね」J・Jが楽しげに答えた。「ずいぶん楽しそうな食事でしたよ」

 伯父は笑い出した。「殺人犯でも見えたかね?」

「どうでしょうね。見えたかもしれません」

 ライナが慌てて口を挟んだ。「ダフさん、夫は事件の容疑者なんでしょう? 何か起こる前に助けてほしいんです……あなたに依頼しようと思ってます」

 マク・ダフは目に見えぬ程度に頭を下げた。

「うむ、そうだ。そのために集まったのだ」伯父が言った。「ウィンベリーとギャスケルの殺害犯をきみが見つけ出してくれることを、妻は期待している。請求書はわたしに送ってくれればいい」

 息を呑む音だけが宙に漂った。声を出すものは誰一人いなかったが、誰もがそうしたかったはずだ。

 ダフが口を開いた。「状況をご理解いただいているのでしょうか」

「無論」口は引き結ばれていたのに、伯父はあざ笑っているようにも見えた。

「よいでしょう」ダフは穏やかに答えた。「ここには一堂揃っておるようですな」

 ダフが暖炉に斜めになるよう椅子に座り、伯父もその向いに同じように座った。J・Jとわたしはダフの右隣のソファ。ライナとマクソンは伯父の左側に。ヒューがマクソンとわたしのあいだで人の輪を閉じた。準備は整った。

 ガイ・マクソンが気難しげな声を出した。「さあこい、マクダフ。待ったの声を初めにあげた奴が地獄に堕ちるのだ!

 J・Jの手が発作的にわたしの手に重ねられた。ダフの長い顔がますます長くなる。嫌気を抑え、滑稽にも味気ない苦難に耐えている様子がひどくおどけて見えたので、わたしはもう少しで声をあげて笑ってしまうところだった。

「痛み入りますな、マクソンさん。しかしそこは『奴こそ』のはずですぞ」

 暖炉の薪が崩れ、人が「しーっ」と声を漏らすような音を立てた。誰一人音を立てなかった。


Charlotte Armstrong『Lay On, Mac Duff!』CHAPTER 13 の全訳です。


Ver.1 07/07/06

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[訳者あとがき]

 シェイクスピア『マクダフ』からの引用は、前後の文脈に合わせるために、翻訳者諸氏の既訳を使わずに、新たに訳しております。そもそもタイトルである『Lay On,Mac Duff!』も、『かかってこい、マク・ダフ!』とか『来るがいい、マク・ダフ!』とか訳すべきものなのでしょうけれど、タイトルとしての座りを考えて『さあこい、マクダフ!』にしていることをご了承ください。

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