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ファンタスマゴリア〜幽幻燈記〜

ルイス・キャロル

訳者あとがき・更新履歴
作家略年譜・作品リスト

第一篇
出逢ひ


冬のある晩、九時半のこと、
寒くてうんざり、ひどい雨。
家に戻れど、飯には遅い、
煙草とワイン、それにおやつが、
書斎で帰りを待っている。

書斎の中がなんだかおかしい、
何か白いのが揺らめいて
暗がりの中、そばにたたずむ――
絨毯用の箒だろうな
うっかり女中の忘れ物。

ところがじきにまさしく〈もの〉が
ぶるぶる震えてくしゃみした。
言ってやったよ、「おいおい君っ!
ちょっと不作法はなはだしいぞ。
できれば静かにしてくれよ!」

「風邪ひいちゃって」〈もの〉がしゃべった、
「あそこに上陸した時に」
えっと驚き目を凝らしたら、
まさに目の前、真っ正面に、
チビの幽霊が立っていた!

ファンタスマゴリア「幽霊が立っていた」

目が合うとすぐ彼は震えて、
椅子の裏側に身を隠す。
「どうやって来た? それにどうして?
こんな照れ屋は初めて見るよ。
出ておいで! ほら震えないで!」

「来た方法も、理由の方も、
いっさい残らず話します。
でも」(と一礼)「お見受けすると
かなり機嫌が悪そうですし、
すべてを嘘だと思われる。

「怖がっている理由について、
言わせていただけますならば
われら幽霊、あらゆる点で、
人が闇夜を恐れるように、
明るいところを恐れます」

「君がそんなに怖がっている
言い訳にしてはつたないね。
出たくなったら幽霊は出る、
ところが人は幽霊たちの
たっての見舞いを拒めない」

「怖さのあまり震えますのは
おかしなことではないでしょう?
あなたが悪い人かも知れず。
でも穏やかな方に見えるし、
出てきた理由を申します。

「失礼ながら、家というのは、
暮らしております幽霊の
数にしたがい分類します。
(住人などは、石炭・薪に
負けないくらいに価値がない)。

「去年の夏に越してきたとき、
一幽霊の家でした、
新入居者を迎えるために
力を尽くす幽鬼のやつに
もしやお気づきになったかも。

「邸などでは恒例ですが――
ところがどっこい安下宿。
なにしろ部屋が一つきりだと、
愉快なことも少ないものの、
妥協しなければなりません。

「当の幽鬼は三度でさらば――
それから取り憑くものもなし。
言伝すらもないままなので、
やりたいのなら誰でもいいと
耳に入れたのもひょんなこと。

「言うまでもなく空き家に入る
第一候補は幽鬼です。
幻妖、悪魔、精霊、小人――
上手くいかずば、知己の中から
優しい悪鬼を呼んでくる。

「幽鬼が曰く、場所が低い、
あるのは腐ったワインだけ。
かくしてまずは、この幻妖の、
出番となったわけなのですが、
断わることなどできません」

「きっとみんなは最適任の
やつを選んだに違いない。
だが四十二歳しじゅうにのぼくのところに、
こんな坊やを送り込むとは、
あまり誉められたものじゃない!」

「お思いほどに」彼が答えた、
「わたしは若くはありません。
実は岸辺の鍾乳洞や、
いろんな場所であれこれ試し、
経験を多く積んでます。

ファンタスマゴリア「岸辺の鍾乳洞」

ですがわたしは屋内だけは
ついぞ経験がございません、
あわてたあまり、みんな知ってる
儀式作法の五大規則を
すっかり忘れておりました」

ぼくはみるみるこのチビ助に
深い同情を寄せだした。
とうとう人と出会ったために、
飛び上がるほどギョッと驚き
おどおどがくがく怯えてる。

「まあとりあえず、幽霊だって
しゃべるとわかって嬉しいよ!
どうか座って。おそらく君も
(ぼくと同じく飯がまだなら)
一口二口ほしいだろ。

「一見すると、君は何かを
食するようには見えないが!
どうか話を聞かせてほしい――
全部すっきり話してくれよ――
さっき言いかけた五原則」

「感謝! 追々お話しします。
なんともかんとも運がいい!」
「何を食べたい?」ぼくはたずねた。
「親切心に大いに甘え、
鴨肉一切れ、お恵みを。

「ただ一切れを! でもそのほかに
肉汁一滴くれますか?」
座って彼をそっと見つめた、
だってこんなに白くて揺れる
ものを見たことは初めてだ。

ファンタスマゴリア「親切心に大いに甘え」

ますます白くなるようだった、
ますます霞んで、ゆらゆらと――
暗闇の中、瞬き始め、
始めましたる物語こそ
〈立ち居振る舞いの五原則〉。


"Phantasmagoria" Lewis Caroll, 1869 --CANTO 1 の全訳です。


Ver.1 05/08/30
Ver.2 05/09/20

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[訳者あとがき]

 まずは底本について。Prometheus Books 版の“Phantasmagoria”を使用しました。マーティン・ガードナーによる序文と註釈つきだからです。註釈といっても『詳注アリス』のようなものではなく、簡単な語釈といったようなものです。

 本作品の内容が幽霊の身の上話ということで、序文には、キャロルが本作品発表の十数年後に心霊研究協会に入会したこと、精神・神秘関連の蔵書がたくさんあったこと、超能力や念力は信じていたけれど交霊や幽霊屋敷には懐疑的だったこと、等が記されています。

翻訳について。
 『シルヴィーとブルーノ完結編』作中の詩を訳したときは、訳文でも韻を踏んでみたりしたものでした。だけど何だかつまらなし詩ができあがってしまったので、今回はやり方を変えて、リズム優先で訳してみました。リズムといっても、句切れと音数を固定させただけですが。
 各行8/7/8/8/7音節の五行一聯の原文を、邦訳では各行7・7/8・5/7・7/7・7/8・5音の五行一聯に置き換えました。当然ぴたりとズレなく訳せるわけもなく、簡潔につづめて訳したり引き伸ばしたりした箇所もあります。
 原則としてことば遊びは日本語に置き換える方針で訳しています。もっとも「長い尾話」のように過不足なく訳せるものなどそうはありませんので、たいてい意味の方が犠牲になってます。

 幽霊諸氏の名前も、字数にあわせてむりやり日本語に訳しております。
 ghost幽霊・霊《ゴースト》/phantom幻妖《ファントム》/specter幽鬼/goblin悪魔/elf精霊/sprite小人/ghoul悪鬼《ゴウル》/koboldコボルト/brownie座敷童/fairy森の妖精/pixy妖精《ピクシー》/fay仙女/banshee泣き女/fetch夜叉/kelpie水虎/poltergeist騒がし霊/double離魂霊(病)/leprechaun靴小人《レプラコン》/bogy鬼/Knight-Mayer無念夜警

 挿絵はアーサー・B・フロスト。個人的には『アリス』のテニエル、『シルヴィーとブルーノ』のファーニス、『スナーク狩り』のホリデイ以上の画家さんだと思います。テニエル描く帽子屋もかなり魅力的ですが、フロスト描くチビ幽霊も負けていません。


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