この翻訳は翻訳者の許可を取ることなく好きに使ってくれてかまわない。ただし訳者はそれについてにいかなる責任も負わない。
翻訳:東照《あずま・てる》
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アンジュ・ピトゥ

アレクサンドル・デュマ

訳者あとがき・更新履歴
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第十九章 三角形

 記録庫の戸口まで来ると、確かに紙が巨大な炎となって燃えていた。

 何ということだろう、人が勝利の後に望むのは、破壊なのだ。

 バスチーユの記録庫は荒らされていた。

 記録や図面の詰まった広い部屋には、百年も前からバスチーユに入れられた囚人たちの書類が雑然と仕舞い込まれていた。

 民衆は気が狂ったように書類を引き裂いていた。囚人名簿をずたずたにしさえすれば、囚人も法的に自由になると考えていたのだろう。

 ジルベールは中に入り、ピトゥに手伝ってもらって書類を光にかざし始めた。今年の書類は見つからない。

 ジルベール医師は冷静な人間だったが、真っ青になり、苛立って足を踏み鳴らした。

 この時ピトゥは争いの場には必ずいる類の少年を見つけた。ジルベールが繙いているのと同じような形と装幀の本を頭上に掲げ、火に向かい走っている。

 ピトゥは駆け出し、長い足で一気に追いついた。

 それは一七八九年の記録だった。

 言い争う必要はなかった。ピトゥは立役者として知られていたので、その記録が必要な囚人がいるのだと説明すると、少年は本を手放した。

「ほかのを燃やすからいいよ」

 ピトゥは本を開き、ページをめくって読み進め、最後のページまで来て探していた言葉を見つけた。

「本日、一七八九年七月九日、G氏収監、哲学者、文筆家、極めて危険。収監に際しては極秘のこと」

 ピトゥは本をジルベールに届けた。

「どうぞ、ジルベールさん、探しているのはこれですよね?」

 ジルベール医師は本をつかんだ。「そうだ、これだよ」

 そうして先ほどの文章を読んだ。

「後は命令したのが誰なのか探すだけだ」

 余白に目をやる。

「ネッケル? 僕を逮捕させたのが我が友ネッケルだって? こいつは確かに驚いた」

「ネッケルが友人?」人群れから尊敬の声があがった。その名が人々に何某かの影響を与えていたのを思い出されたし。

「そうさ、友人だとも。ネッケルは僕が投獄されたとは知らなかったに違いない。ともかく会いに行かないと……」

「会うって何処にです?」ビヨがたずねた。

「ヴェルサイユだよ!」

「ネッケルさんはヴェルサイユにいませんよ。亡命しました」

「何処に?」

「ブリュッセルです」

「娘さんは?」

「そいつぁわかりません」

「サン=トゥアンの別荘にいるよ」と声がした。

「ありがとう」ジルベールは相手が誰なのか確かめもせずにお礼を言った。

 それから書類を燃やしている連中に向かって言った。

「みんな、書庫には歴史が必要とする暴君の告発もあるはずだ、こんな風に滅茶苦茶にするのはもうやめてくれ。バスチーユは跡も残らぬほど粉々にしてくれていい。でも書類や記録には敬意を払ってくれないか。その中には未来を照らす光があるんだ」

 その言葉を聞いた者たちは脳みそを絞ってそれを反芻した。

「先生の言う通りだ」幾つもの声が応える。「破壊はやめろ! 書類はみんな市庁舎に持って行くぞ!」

 五、六人の同僚と中庭に入り込んでいた火消しが、引きずっていた放水器のホースを火に向けた。アレクサンドリア図書館の猛火のように一つの世界の書類を貪り喰らおうとしていた火は消し止められた。

「それで、いったい誰の請願であなたは逮捕されたんですか?」ビヨがたずねた。

「それを知りたいんだがわからない。名前は空白だったよ」

 ジルベールは少し考えてから、

「でもきっと見つけてみせる」と言った。

 該当ページを破り、四角く折り畳んでポケットに入れ、ビヨとピトゥに声をかけた。

「行こう。もうここですべきことはないよ」

「出ましょうか。とは言え、口で言うほど簡単じゃなさそうだ」

 なるほど中庭に押し寄せていた野次馬が入口に殺到し、門が塞がれていた。というのも、入口にも囚人たちがいたのだ。

 ジルベールを含めて、八人の囚人が救出されていた。

 ジャン・ベシャード、ベルナール・ラロッシュ、ジャン・ラコレージュ、アントワーヌ・ピュジャード、ド・ヴィート、ソラージュ伯爵、タヴェルニエ。

 最初の四人はさして重要ではない。手形偽造で告発されていたが、如何なる証拠が挙げられたわけでもないので、恐らく告発は虚偽であったのだろう。バスチーユにはまだ二年しかいなかった。

 残りはソラージュ伯爵、ド・ヴィート、タヴェルニエ。

 ソラージュ伯爵は三十前後の陽気で激しい人物だった。解放者を抱きしめ、勝利を讃え、囚人生活を物語った。父親が手に入れた封印状によって、一七八二年に逮捕され、ヴァンセンヌに入れられた後、バスチーユに移送され、判事に会うことも一度も取り調べを受けることもなくそこで五年を過ごした。二年前に父親が死んだが、誰にも思い出してはもらえなかった。バスチーユが占拠されなければ、誰からも忘れ去られたままだった可能性もある。

 ド・ヴィートは六十歳の老人だった。取り留めのない言葉をおかしな抑揚で発音していた。飛び交う質問に答えて、逮捕されたのがいつのことだったか、何の罪で逮捕されたのかわからないと言った。覚えているのはサルチーヌ氏の親戚だったということだけ。牢番のギヨン(Guyon)もその言葉を裏書きした。サルチーヌ氏がド・ヴィートの独房に入り委任状に署名させたのを見たことがあったのだ。だが本人はそのことを完全に忘れていた。

 タヴェルニエは一番の年寄りだった。サント=マルグリット島に十年幽閉され、バスチーユに三十年囚われていた。御年九十、髪も髭も真っ白。目は闇に慣れてしまい、今ではぼんやりとしか見えなかった。人が入って来ても、何が起こっているのか理解できなかった。自由なのだと言われても首を横に振り、バスチーユが陥落したのだと言われてようやく口を利いた。

「はてさて、ルイ十五世やポンパドゥール夫人、ラ・ヴリリエール公爵は何と言うでしょうなあ?」

 タヴェルニエはド・ヴィートのように頭がおかしくなったわけですらなく、惚けていたのだ。

 解放された囚人たちが喜んでいるのは見るも恐ろしい風景だった。喜びの声は復讐を叫び、怯えにも似ていた。十万人の怒号ひしめく喧噪を浴びて息も絶え絶えになっている囚人もいた。バスチーユに入れられてからというもの、二人以上の人間の話し声を同時に聞くことは絶えてなかったので、見えないところから聞こえる柱時計のチクタクする音や怯えた鼠が引っ掻いたり走り抜けたりするカリカリする音を伴った、湿気でたわむ木材や巣を張る蜘蛛の目立たないゆったりとした音にしか耐性がなかったのだ。

 ジルベールが姿を見せた時には、熱狂した人々の提案で、囚人たちを担ぎ上げようという流れになっていた。

 ジルベールは嫌がったが、逃れる術はなかった。ビヨやピトゥと同じく、既に有名人となっていたのだ。

「市庁舎へ!」という声が響き渡り、ジルベールは二十人近い男たちに持ち上げられた。

 ジルベールがいくら抗おうと、ビヨとピトゥがいくら勇敢に拳を振り回そうと、役には立たなかった。喜びと熱狂のせいで何も感じなくなっていた者ばかりだった。拳で殴られようと槍の柄で殴られようと銃床で殴られようとも、勝者にとっては穏やかな愛撫に等しく、陶酔を強めただけに過ぎなかった。

 そんなわけだからジルベールは御輿に担がれざるを得なかった。

 この場合の御輿とは真ん中に槍の突き立てられた卓子のことであり、この槍にもたれかかれるようになっていた。

 バスチーユからサン=ジャン拱廊まで波打つ人の頭の海をジルベールは見下ろした。人の流れは、槍、銃剣、あらゆる種類、あらゆる形状、あらゆる時代の武器のただ中に、囚人たちを運んでいた。[*1]

 だがこの荒海に流されていたのは囚人たちだけではなかった。固まって島のように見える別の集団がいた。

 ローネーを連れ出した集団だ。

 囚人たちを囲んだ集団と同じように熱に浮かされたような叫び声が聞こえていたが、こちらは歓喜の叫びではなく殺意の叫びだった。

 ジルベールのいた高さからは、この残酷な光景がはっきりと見えた。

 解放された囚人のうちでただ一人ジルベールだけが正気を保っていた。五日間の捕囚生活など物の数ではなかった。バスチーユの暗がりに於いても目の光が消えることも衰えることもなかった。

 戦いが辛いのは続いている間だけだ。命からがら炎から逃げ出して来た人間は、敵に寛容になるものだ。

 だがこうした大きな暴動が起こると、フランスではジャックリーの乱から今日に至るまで、戦いを恐れて遠く離れている群衆や、騒ぎに刺戟された群衆が、真っ向から戦いに参加しようとはしなかった癖に、勝利がもたらされてから血を求めてこそこそと自分の役割を見つけようとしていた。

 見つけたのは復讐という役回りだった。

 バスチーユを出てからの司令官の歩みは拷問の始まりだった。

 エリーがローネーの命を預かり先頭を歩いていた。制服を着ていたことと真っ先に火に飛び込んだことが認められていた。手にした剣の先には、ローネー氏がバスチーユの銃眼から差し出し、マイヤールが手渡した手紙が突き刺さっている。

 エリーの後ろには国税の番兵が鍵を持ってついて来た。次に旗を持ったマイヤール。そして一人の若者が銃剣の先に突き刺して誰からも見えるようにしているのは、勅令の名のもとに多くの涙を流させたバスチーユの制札である。

 その後ろには司令官が、ユランを含め三、四人に付き添われていたはずだが、怒れる拳やきらめく剣や揺れ動く槍に隠れて見えなかった。

 この集団の隣を併走するように、大通りからセーヌ川に通じるサン=タントワーヌ街の大路を、殺気を帯びて進んでいるのは、最上級曹長ロスムを連れ出していた集団だった。ご覧になった通りロスムは先ほど司令官の意向に逆らった際には、抵抗の意志が堅い司令官に従うしかなかった。

 ロスムは優しく誠実な素晴らしい男であった。ロスムが就任してからバスチーユの辛さは改善されていた。だが民衆にはそのことを知るよしもない。立派な制服のせいで司令官だと勘違いされてしまった。当の司令官はサン=ルイ勲章の赤綬をもぎ取り、何の飾りもない灰色の服を着ていたために、安全な疑いの中に逃げ込み、本人を知る者たち以外には気づかれずにいた。

 ジルベールが暗い目つきで見下ろしていたのはこうした風景だった。身の危険を孕んだこの大波のさなかでさえ、その落ち着いた観察眼が失われることはなかった。

 バスチーユを出たユランに呼ばれて、もっとも信頼できる忠実な友人たちと、この日もっとも勇敢だった民兵たちと、四、五人の男たちが集まり、司令官を守ろうという高潔な目的に協力しようとした。公正なる歴史が刻むところによれば、その中に三人の男がいた。アルネ、ショラ、ド・レピーヌ(Arné, Chollat et de Lépine)である。

 この三人がユランとマイヤールの後から、誰もが死を願う男の命を救おうとしていた。

 周りにはフランス近衛聯隊の擲弾兵が集まっており、三日前からお馴染みとなったその制服は、人々にとって崇敬の的であった。

 高潔な者たちの手に守られればローネー氏も殴られることからは免れたが、罵りや脅しから逃れることは出来なかった。

 ジュイ街の端まで来ると、バスチーユからの行列に合流していた五人の擲弾兵は、残らずいなくなってしまった。人々が昂奮に駆られてか、或いは殺戮を望む者たちが意図的に、一人ずつ路上から連れ出してしまったのだろう。一人また一人と数珠玉が外れるようにいなくなるのがジルベールには見えた。

 この時からジルベールは悟っていた。こたびの勝利は血で汚されることになる。御輿代わりの卓子から抜け出したかったが、鉄のような腕に捕えられてどうすることも出来ない。仕方がないのでビヨとピトゥに司令官を守るように伝えると、二人とも全力で人波を掻き分け、司令官のところに行こうとした。

 司令官を守っている者たちに助けが必要なのは事実だった。ショラは昨夜から何も口にしていなかったので、体力もなくなり、意識を失って倒れてしまったのを、すんでのところで抱き起こされ、踏みつぶされずに済んだのである。

 だがそれが壁の割れ目であり、堤防の裂け目であった。

 一人が割れ目から飛び込み、銃の銃身をつかんで振り回しながら、司令官の剥き出しの頭に喰らわせようとした。

 だが銃が振り下ろされるのを見たド・レピーヌが素早く飛び出して腕を伸ばしたために、銃は司令官ではなくド・レピーヌの額に打ち下ろされた。

 ド・レピーヌは衝撃に目を回し、血で目を塞がれ、よろけながら手で顔を覆った。目が見えるようになった時には司令官からかなり離されていた。

 ビヨが追いつき、後ろからピトゥがやって来たのは、そんな時であった。

 すぐにビヨはローネーが気づかれた理由に思い至った。一人だけ無帽だったのだ。

 ビヨは帽子を取って腕を伸ばし、司令官の頭にかぶせた。

 ローネーが振り向き、ビヨを認めた。

「ありがとう。だが何をしても私は助からない」

「とにかく市庁舎に行こう」ユランが言った。「そうすればどうにかなる」

「わかった。だがたどり着けるかな?」ローネーが答えた。

「神のご加護を信じて、とにかくやってみよう」ユランが言った。

 確かに希望はあった。市庁舎広場はもうすぐそこだった。だが広場には腕まくりした男たちが押し寄せ、剣や槍を掲げていた。バスチーユの司令官と最上級曹長が連れて来られたという噂が駆け巡っているのを聞いて、猟犬のように鼻をひくつかせ、歯を軋らせて、待ち受けていた。

 行列を目にした男たちが飛びかかって来た。

 ユランは一目で、今が一番危ない時であり、正念場であると悟った。ローネーを玄関の階段に上げるなり放るなり出来さえすれば、ローネーは助かっていたはずだ。

「俺だ、エリー、マイヤール。優しさがあるなら助けてくれ、みんな。俺たち全員の名誉がかかっているんだ!」

 エリーとマイヤールがそれを聞いて人群れに足を踏み入れたが、誰もが必要以上に協力的だった。二人の前に道が開き、二人の後で道が閉じた。

 二人はいつの間にか問題の集団から離れ、元に戻ることは叶わなかった。

 群衆は手に入れたものを見ると、努力を惜しまなかった。ローネーたちを囲むようにして、大蛇の如くとぐろを巻いた。ビヨは持ち上げられ、連れ出され、運び去られた。ピトゥもビヨと同じ大渦に巻き込まれた。ユランは市庁舎の一段目につまずいて転んだ。すぐに立ち上がったものの途端にまた倒され、今度はローネーも一緒に引きずり倒された。

 司令官はどこまでも司令官のままであった。最後の瞬間まで呻き声一つ洩らさず、命乞いすることもなかった。ただ一言、絶唱した。

「諸君が虎なら、せめて苦しませずに今すぐ殺してくれ」

 未だかつてこの頼みより迅速に実行された命令はなかった。直後、倒れたローネーを囲んで血に飢えた顔が覗き、武器を持った腕が振り上げられた。束の間、引き攣った手と突き立てられた刃のほかは何も見えなかった。やがて胴体から離れた首が、槍の先から血を滴らせて掲げられた。その顔には鉛色の蔑んだ微笑みが残されたままだった。

 これが始まりだった。

 ジルベールはこのすべてを見下ろしていた。今度もまた助けに行こうと身を躍らせたのだが、二百人の腕に阻まれていた。

 顔を背けてため息をく。

 目を開けて顔を上げると、最後に挨拶しようとしたかの如く、正面の窓にフレッセルがいて、選挙人に守られるようにして囲まれていた。

 血の気がなかったのは生者と死人のいずれだったのかと問われても、答えることは難しかろう。

 俄にローネーの死体が倒れている辺りでどよめきが起こった。死体を漁っていた者が、上着のポケットから市長が出した手紙を、ロスムが見せられたあの手紙を見つけたのだ。

 手紙には以下の文言がしたためられていたことを覚えておいでだろう。

『持ちこたえてくれ。パリの市民は徽章と約束で誤魔化しておいた。日が沈むまでにはブザンヴァル氏の援軍が向かうはずだ。 ド・フレッセル』

 おぞましい呪詛の言葉が、路上からフレッセルのいる市庁舎の窓まで、撒き散らされた。

 理由まではわからなかったが、その殺気を感じ取ったフレッセルは、後ろに飛び退いた。

 だがとっくに姿は見られて居場所は知られていた。人々が階段に殺到する。皆の気持が一つになっていた。ジルベールを運んでいた男たちも、怒りに吹き寄せられたこの波に遅れまいとして、手を離した。

 ジルベールも市庁舎に入ろうとした。フレッセルの命を脅かすためではなく、守るために。正面階段を四、五歩上りかけたところで、後ろに強く引っ張られた。後ろを向いて振り払おうとしたが、見ると今回引っ張っていたのはビヨとピトゥだった。

「あれは何だ?」ジルベールは高いところから広場を見下ろしていた。「向こうでは何が起こっているんだ?」

 手を震わせてチクスランドリー街(Tixéranderie/Tixeranderie)を指さした。【現在のリヴォリ街。サン=タントワーヌ街の続きに当たる。】

「行きましょう、先生、行かなくては」ビヨとピトゥが急かした。

「何てことだ! 虐殺だ! 虐殺が起こってるんだ……」

 今しもロスム氏が斧で打ち倒されたところだった。怒りに駆られた民衆は、囚人を迫害していた利己的で残忍な司令官と、絶えず支えとなっていた優しい男を、取り違えてしまったのだ。

「そうだ、行かなくちゃ。あんな人たちに助けてもらったと思うと恥ずかしくなって来たよ」

「先生、落ち着いて下さい。あそこで戦っていたのは、ここで人殺しをしている奴らとは違う」ビヨが言った。

 だが、フレッセルを助けようとして上りかけていた階段を降りているまさにその時、円天井に押しかけていた人波が吐き出されて来た。その真ん中に一人の男がもがきながら引きずられていた。

「パレ=ロワイヤルへ! パレ=ロワイヤルへ!」人々が叫ぶ。

「そうだ、諸君、パレ=ロワイヤルだ!」その男も繰り返す。

 だが男の向かう先にあるのは川だった。パレ=ロワイヤルに連れて行くのではなくセーヌ川に引きずり込もうとしているかのようだった。

「また殺されてしまう! 何とか助けなくては」ジルベールが叫んだ。

 だが言いも終わらぬうちに銃声が聞こえ、フレッセルは煙の中に消えた。

 ジルベールは正義の怒りに震えて両手で目を覆った。許せなかった。あれほど偉大だった人々が、気高いままでいることも出来ずに、三つの殺人で勝利を汚してしまうとは。

 目から手を離すと、三つの首が三本の槍の先にあるのが見えた。

 一つ目はフレッセルの首、二つ目がロスムの首、三つ目がローネーの首だ。

 一つは市庁舎の階段に、二つ目はチクスランドリー街の真ん中に、三つ目はペルティエ河岸(quai Pelletier)にある。【現在のジェーヴル(Gesvres)河岸。ノートル=ダム橋とグレーヴ広場の間あたり。】

 その三点を結べば三角形が形作られていた。【※市庁舎と、チクスランドリー街の西端と、ペルティエ河岸の東端を結べば、ぎりぎり何とか直角二等辺三角形くらいにはなる。】

「そんな……! バルサモ! バルサモ!」ジルベールは嘆息して呟いた。「では自由を象徴するのが、こんな三角形だというのですか?」

 ジルベールはヴァンリー街(rue de la Vannerie)を走り抜けた。ビヨとピトゥも後に続いた。【現在のヴィクトリア通り(avenue Victoria)】


Alexandre Dumas『Ange Pitou』Chapitre XIX「Le triangle」の全訳です。


Ver.1 14/04/12

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[訳者あとがき]


 

[更新履歴]


 

[註釈]

*1. [サン=ジャン拱廊]。l'arcade Saint-Jean、サン=ジャン・アーケード。市庁舎と l'église Saint-Jean-en-Grève(サン=ジャン=アン=グレーヴ教会)を結ぶアーケード。l'église Saint-Jean-en-Grève は市庁舎と l'église Saint-Gervais Saint-Protais との間に位置していたが、革命で破壊される。
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*2. []
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