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翻訳:江戸川小筐
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さあこい、マクダフ!

シャーロット・アームストロング

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第八章

 マクドゥガル・ダフはリビングで待っていた。わたしたちもすぐに向かった。ダフは背が高く痩せぎすで、面長、薄い唇の大きな口をしていた。細くて骨張った手には、干涸らびているくせに温かみが宿っていた。

 J・Jが言った。「こちらがベッシー・ギボン」

「はじめまして」とわたしも挨拶する。

 長い手足が控えめにバランスを取って佇んでいた。ほどよく清潔な髪と同じ控えめな茶色になるまで着古した服装からすると、顔色は控えめだ。瞳は榛色、青でも茶でもない。まぶたは悲しげに目尻を覆っている。わかりきったものを見続けるのはうんざりだとでも言いたげに。

 翳りのある顔には、たいへんな苦労をしのばせるしわが刻まれていた。とはいえしわはそれほど深くない。時を経て、心の安らぎがしわを消してしまったかのようだ。幾つなのかわからないが、伯父と同じく若くはない。伯父と同じようなところばかりだ。

 そのうえ、一番の相違点こそが、同じような印象を与える一番の点なのだ。おかしな表現だけど、まるで両極端、好対照の、互いにかけ離れた部分が、一回りして反対側で再会したようなものだ。チャールズ伯父さんは逞しく厳つい百戦錬磨の強者である。老獪なファイター、覚醒した危険な手練れ。マク・ダフも数々の戦さを経ていたけれど、彼にとってはもう戦争は過去のものだった。知性だけでなく弱さと悲しみも刻まれている。その静けさ、その諦念こそが、彼の原動力であり、伯父と同じくまた違う部分なのだ。

 二人とも力に満ちている。だけどマク・ダフの力だけには伯父の力も及ばないことがわかった。

 もちろんこれは追々わかってきたことだ。

 J・Jとマク・ダフのあいだに座らされると、J・Jの……その……挨拶の温もりも冷めぬままに、マク・ダフの話を聞こうと顔を見た。

 なのに何も話さない。

 物言わぬ人というのは不気味なものだ。その人が支離滅裂でも慌てているのでもなければなおさらだ。「わたし、アメリカ史は何にも知らないんです」と口を滑らせた。ダフは微笑みはしなかったものの、悲しげな目尻が大きく開いた。一瞬だけ瞬いたように見えた。

「アメリカ史の話をしにきたわけじゃないだろう」J・Jがわたしの手をつかんだ。「やつが何を隠しているのか知っているというんなら別だけどね。さあ、マック。何が聞きたいんです?」

「実際にあったことだ」

 それでわたしは話し始めた。赤い駒のこと、伯父によってヒューが駒を見せざるを得なくなったこと、駒がテーブルに落ちたこと、その影響、抑えた圧力、敵意の再現。

「ちょっと待った」マク・ダフがさえぎった。声は穏やかですり切れ気味で低く、伯父の喉から出るオルガンのような響きはないが、同じような意味ありげ響きを持っていた。「聞いてないな、J・J」

「事実だけをほしがっていると思ってましたからね。この子が感じたと思ったことですよ、緊迫した雰囲気とか、部屋に満ちる悪意とか、そういったことは……」

「この子が感じた事実だ」

「この子があると思った事実ですよ。だけどぼくが証拠と呼んでいるものとは違いますからね」

「証拠か。事実を無視して証拠の話でもするかね? 感情は事実であると同時に事実の一要素だ。むしろ理性より大事だよ。あらゆる推理の裏に感情ありだ。あらゆる行動の中心に感情あり。証拠の話など聞かせてくれるな。解明の助けになることだけでいい」

「なるほど。だけどこの子は憎悪の気配を感じていますよ。どうやったら気配に憎悪が存在したなんてことを事実として理解できるんです? この子は若いしここに来たばかりだ、それに緊張もしていたんじゃないかな……」

「言いかえるなら、ミス・ギボンに感情があるという事実をわれわれは理解しなくちゃならんな。生けるものにはみな感情があるんだよ、J・J。誰もが彼らなりの見方で歪んだガラス越しに世界を見てるんだ」J・Jは不満の声をあげた。「薔薇色の眼鏡で世界を見たことがあるかね? 青色では?」

「わかった、わかりましたよ」

「わかったわ」わたしもつぶやいた。ちょっと前まで薄緑色の暗闇に塗られた吹き抜けを、どういうわけか恐れていたことを思い出していた。

「そもそも誰もがあるがままの世界を見ているとでも?」

ぼくがものの見方に左右されていると言いたいのなら、筋違いですよ。この子が他人の感情を読みとれるっていう話をしてるんですから」

「読みとれるとは思わんのか? 奥さん連中のことを考えてみたまえ。一人の男と――そうだな、十年間としておこう――結婚している連中が、旦那が怒っているのか喜んでいるのか、はたまた何かに怯えているのか、一ブロック先からわからないとでも? 目の前にいるのに睫毛一本からでも読みとれないとでも? ふん、具体的な根拠を唱えることはできなくとも、旦那が何を考えているのかはちゃんとわかっとるんだよ。逆もまたしかりだ。いいかね、共感とは何だ? 他人の気持の実態を受け入れることにすぎない。それだけだ。赤の他人ではそうはいかないというのかな。しかし、俳優という人種はわれわれには赤の他人であるのに、気持が伝わってくるだろう。名優であればな。それにだ、嫌悪や敵意というのはもっとも見破りやすい感情だよ。その反対もしかりだ。そうは思わんか」とからかうように続けた。「二人の人間が愛し合っていたり惹かれ合っていたりすれば、誰だってわかるだろう? 説明書きでもぶら下げてもらわなけりゃ、二人が恋人同士だと気づかないのか?」

「参りましたよ」J・Jはふたたび髪の生え際まで真っ赤になった。「O・K。わかりました」

 マク・ダフが微笑んだ。今まで見たなかでも最高の笑顔だった。悲しげな顔も不思議なほど明るくなり、内気な感情が見え隠れし、疲れた仮面の向こうに永遠の若さと最高に強固な希望が顔を覗かせ、わたしはたちどころに参ってしまった。からかわれていたとしても気にならない。うれしいのは、互いにピンときたことに気づいてくれたことだ。気づいてくれたことで、いっそうその感情が強まった気がする。

「だけどいったい、これが事件と何の関係があるんです?」J・Jが言った。

「人の行動というものは――」マク・ダフが説明する。「感情に左右されるのだ。偉大な知性による判断過程などは、あとで自らを欺いたにすぎん。ウィンベリーの殺害は何者かの感情により引き起こされたのだよ」

「つまり発作的ではない殺人などないと?」

「発作的でない殺人は、謀りごとの一部、ゴールを目指した謀りごとの計画的段階として行われる。だが謀りごと自体は人の欲望と衝動によって、人の感情によって引き起こされるのだ。結構じゃないか。ここに何者かの感情が大っぴらに転がっているようなものなのだからな。部屋の雰囲気にすぎないがね。あまり簡単に忘れないことだ。無論ミス・ギボン自身の感情も考慮したうえで、そいつがどんな感情なのか、誰の感情なのか確かめようじゃないか。重要なことだからな」

 わたしはできるかぎり詳しく説明した。覚えているかぎりを繰り返した。この本に書いたとおりだ。

君はどのように感じたのかね?」

「ええと……隅に座っていて」

「いい子だ。誰かの気を引いたりはしなかったんだな。内気なわけではないね?」

「それはまあ。興味津々だったんです。それはすぐに怖くなりましたけど」

「部屋には誰が?」

「ウィンベリー、ギャスケル、マクソン、チャールズ伯父さん、ヒュー、わたしです」と指を折った。

「では午後にまた感じたとき部屋にいたのは?」

「ウィンベリーはいなくて」身震いした。「ギャスケル、マクソン、チャールズ伯父さん、ヒュー、ライナ、わたしです」

「なるほど」思案げにつぶやいた。「それでは、その感情が霧散したのはいつだ? 消え去ったのは?」

「昨夜、ライナが帰ってきたときです。違うかな。その後も漂っていたと思うけど、ライナに気を取られてしまったので。はっきりとはわからないわ」

「特定の人物が部屋を出たとき霧散したりはしなかった?」

「みんなが帰るころにはそんなこと頭から抜け落ちてました。それに、ヒューは別ですけど、みんなほとんど同時に帰りましたから」

「今日の午後は?」

「ほんの一瞬でした。そのときはパニックになってしまって」

「二度の機会には異なる要素が存在するな。赤いパチーシ駒だ」

「ほんとだ。何で気づかなかったんだろう。何かあると思ってたの。ヒューも知ってるけど」伯父が赤い駒を燃やしたこと、その匂い、それがふたたび図書室から匂ってきたことを話した。マク・ダフは何も言わなかった。「でもヒューは何か知ってる。ここに泊まってるの。伯父がそうしろって。いま降りてきたところ。J・J、わたし絶対に……」

「この子はどうやって君の胸中の嫉妬を読みとったのかな、ふむ?」

「やめてください。要点は聞きましたよ」J・Jが言った。「そんな状態で何者かを呪っているのは誰だと思ってるんです?」マク・ダフはわずかに肩をすくめた。

「ギャスケルは怖がっていました」わたしは去り際のギャスケルのおかしな態度を伝えた。

「それは恐怖という感情を持つまいということか?」

「そうじゃありません。怯えるつもりはないっていうニュアンスでした」

「いい子だ」

 嬉しさのあまり喉を鳴らしてしまったかもしれない。どんな子にも言っているセリフではないとわかったからだ。飲み込みのよさを褒めそやすタイプの人たちがいる。つまり、話の内容をわたしが理解しているのはわかっている、という彼らの考えをわたしが知ったとしたら、意気も揚がろうし鼻も高くなろうということだ。

 マク・ダフはまったく動きも見せず音も立てずにしばらく椅子に座っていた。長い指先がしなやかな腕からぶら下がっている。組んだ足の先には反対足の足首が延びている。各パーツごとにばらばらになりながら全体像はそっくり留められていられる人を見たのは初めてだった。

「君たちの望みは――」ようやくマク・ダフが口を開いた。「実の伯父チャールズ・カスカートが殺人者なのか無実の伯父なのかを証してほしいということだな」

「その通りです」J・Jが二人分の返答をした。

「捜査料金は誰が払ってくれるんだ?」と言った顔はしかし微笑んでいた。

 J・Jも言う。「そんなお金はいらないよ。ぼくらを気に入ってくれたんならそれでいい」

 きまりが悪かった。「お二人にそんなことをしてもらう理由がないわ……」

「二人とも大いにあるんだよ、いいかい」J・Jが手を強く握った。「マク・ダフはあっという間にきみを気に入った。睫毛の一本からでも読みとれたよ」

「この子の顔はおしゃべりだ」マク・ダフはわたしがいないかのような口を聞いた。「しかし、ものを見る目は素晴らしい」

「そうですよ。もちろんそうです」

「腰を落ち着けて考えればよい。安上がりだ。足がないならどのみち腰を落ち着けて考えることになる」

「そいつは願ったりです。お忘れですか、このぼくには両足ともに揃ってるんです」

「関係者に会わなくては。だがさしあたっては、頼みがある、ベッシー」

「喜んで」みんながベッシーと呼んでくれるのはうれしい。

「簡単なことだ。考えてはいかん。わたしが名前を挙げたら、その人物について一言でコメントしてほしい。どんな人間か。どんなことでもいい、頭に浮かんだことをだ」

「わかりました」わたしは姿勢を正した。

「頭を戻して。足も楽にしたまえ。ウィンベリーだ」

「腐敗」と答えると、J・Jが笑いを漏らした。「なまっちろくて、嫌な奴」

「ギャスケル」

「嫌な奴。それに頑固

 マク・ダフはうなずいた。「よし。執事だ」

「ええと、従順。それを誇りにしています」

「マクソンは?」

「癇性。神経質。過敏。とんま」わたしは目を閉じた。「危険」

「ライナは?」

「ええと、ライナは。輝き。内なる光」

「ヒュー・ミラー」

「真剣。生真面目。一途」

「チャールズ伯父さんは?」

 何も言えなかった。

「チャールズ伯父さんは?」マク・ダフがまったく同じ声音で繰り返した。

「力。強大。強大な人。わたし、あまりよく……」

「わかった。J・J・ジョーンズは?」

「正直で優しい」眠くなってきた「賢くて優しい」

「マク・ダフは?」

「えっ、あなたのこと?」ぱっちりと目が開いた。「戦いと終焉」

「いい子だ」

「輝く日の宮」J・Jがつぶやいた。「それがぼくか、へえ?」だけどわたしに手を触れた彼はうれしそうだった。「これは何です? 催眠術ですか?」

「この子はまだここに慣れていないから、極めて感じやすく鋭敏なのだ。ありがとう。さあ、個々の事例について――」

 誰かが廊下にいて、階段をこする足音がした。

「初めに、電話のベルについて頼む。何回鳴ったかね?」

「二回です。一度目のときは、二回でした」

「では二度目には?」

「一回でした」

「一度目と二度目の間隔は?」

「十分」

「印象かね時計かね?」

「時計を見ました」

 J・Jが立ちあがった。顔に驚きと喜びが浮かび、感心しているようにも見える。振り向くと、青いドレスに緋のショール姿のライナがいた。ステンドグラス色のせいで、教会の窓から抜け出したスタイルのいい聖母マリアのように見える。わたしはJ・Jの方に急いで向き直ったけれど、彼の目から悪戯っ気は消えていた。きれいだと思っているに決まってる。ライナは実際美しいのだ。誰だってそう思うはず。

「伯母です」わたしはささやいた。「ライナ、こちらはマク・ダフさんとジョーンズさん」

 ライナはキュートな頭を下げた。マク・ダフは立ちあがっただけでまったく何もしなかった。その沈黙ゆえに、名前を呼ばれたようにライナが顔を向ける。「マクドゥガル・ダフさんではありません?」彼は頭を下げなかったのに、下げたような気がした。「まあ」と言ってひと息ついた。「ごめんなさい。ベッシーがお知り合いだとは知りませんでした」

「この子も知らなかったでしょうな」マク・ダフは愉快げだ。「われわれはウィンベリー氏の死について話し合っていたところです」

「そうなんですか」ほんのわずかに眉間にしわが寄った。

 ここでライナの後ろからヒューが現れたので、みんなに紹介した。

「夕食は出来てるわ、ベッシー。あなたもヒューもいつでもどうぞ。わたしは……これから出かけてくる」ライナはためらいを見せたが、マク・ダフにも声をかけた。「夫にお会いするのでしょうね」

 マク・ダフは何も言わない。

「ベッシーのお友だちが、あなたをお連れしてくれてよかったわ」ライナは挑むように言葉を続けた。

 マク・ダフは海のように穏やかだった。「できたらカスカート氏にお会いしたい」

「ええ」心なしかそっけない。「できたらあなたのことお伝えしておくわ」ダフの沈黙には否定で答えなくてはと思ったのかもしれない。ライナは不機嫌に続けた。「笑っちゃう。夫が関係してると思ってるなんて。どんな形であれこんな……こんな馬鹿げたことに」

 マク・ダフの態度は、取り乱したと呼ぶべきものだったかもしれない。つまり、そのとき現れたのはほんのわずかな反応にすぎなかったのではあるけれど。「人殺しが馬鹿げてるなんて言うつもりはないのよ」ライナの声が潤んでいた。「でもチャールズだなんて馬鹿げてる! わかるでしょ?」

 これだけ取り乱したライナは初めてだった。ここには感情がある、でもどんな?

「ありがとう」マク・ダフが言った。ライナは落ち着きを取り戻した。廊下からエファンズが声をかけた。「ギャスケルさまです」白い胸をふくらませた、これまで以上に蛙じみた短躯が現れた。ライナは彼を誰にも紹介しなかった。すばやくショールをすべらせると、「失礼します」と冷やかに会釈して立ち去った。褒めそやす蛙の声の波が、航路のようにあとを追った。

「ひゅうっ!」J・Jが声をあげた。「とんでもない美人だなあ!」

「そう言ったじゃない」ちょっとむっとする。

 ヒューが口を挟んだ。「ライナは混乱してましたよね? どうしたんだろう……」

 またも胸にきざした恐怖の震えを止めようと、わたしはJ・Jの腕に手を伸ばした。


Charlotte Armstrong『Lay On, Mac Duff!』CHAPTER 8 の全訳です。


Ver.1 07/06/09

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