「夕飯の時間だ」ダフが言った。
「待って」わたしはホールに出てエファンズをつかまえると、早くともあと三十分は夕食はいらないと伝えた。戻ってみると、ダフが話をしていた。
「では仕事は?」
「彼の研究室で働いていました。地下の玄関側にあります。新化粧品の開発に参入するつもりだったようです。製法を開発するのがぼくの仕事でした。難しい仕事じゃありません。望まれていたのはいい香りと高級感のある外見だけでしたから。成分については何も言われませんでした。化粧品の計画に取りかかる前には、乾燥野菜スープの仕事をしていました。秘書のようなこともしていましたけれど、秘密はほとんど自分のなかにしまっておく人でしたね」
「君の住処はそこかな?」
「ええ、中庭に面した内部屋です。彼のオフィスは表側で、寝室は裏手にありました。誰かを招待したことは一度もありませんでした」
「よし。働き始めてどのくらいになる?」
「二年です」
「その前は?」
「ミネソタにいました」ヒューが答えた。「製粉会社の工場で働いていました」
「卒業したのはどこの大学の化学学科を?」
「卒業はしていません。ウィスコンシン大学に二年だけ。事情があってそれ以上は通えなかったんです」つらそうな口振りだった。大学生みたいに見えるのにも納得がいく。それはちょっと色褪せて古ぼけて疲れ気味で、薹が立っているけれど、キャンパスにいてもまったく違和感はないだろう。
「ありがとう」ダフが言った。「よし、君たち三人とも初めから話してくれたまえ。カスカート氏の言動のどこに怪しい節があったのか。起こったことは何か、あるいは起こった可能性があるのは何なのか。君たちが心配しているのはいったい何なのか?」ダフは腰を据えて話を待った。誰もが無言のまま座っている。わたしは途方に暮れてしまった。彼の方から話してくれると思っていたのだ。
「そうですね」J・Jが咳払いをした。「……うん……」
「ささいなことなんです」わたしが答えた。
「彼があそこに行ったんじゃないかと心配してるんです」ヒューが言った。マク・ダフは何も言わない。わたしは困り果て頭を悩ませた。
ヒューが続ける。「ウィンベリーはこの家を十二時半に出ました。寄り道するから帰宅が遅れることは誰もが知っていたはずです。十二時四〇分以降に、カスカートさんがここにいたと証言できる人はいないと思うんです」
「そうなんです」わたしも続いた。「お開きになったときにエファンズも下がってしまったし。エレンはとっくに寝室でした。コックは地下から上がってくることはありません」J・Jが目をむいた。「エファンズに聞いたんですけど」
「すごいじゃないか」J・Jが話す番だった。「ええとですね、十二時四五分ごろ交差点でタクシーを拾って、ブロードウェイ一〇八丁目の交差路で一時〇五分ごろに降りた男がいるんですよ。右手の指が曲がっていたそうです。タクシー・ドライバーの証言ですけどね。まさにカスカートもそうなんですよ」
ヒューがあえぎをもらした。「そんな……! 知ってたんですか?」わたしは悲しげにうなずいた。「そのころですよ」興奮気味に続ける。「ウィンベリーが帰ってきた物音が――」
「一時〇八分ごろですね」J・Jがメモを見て口を挟んだ。「家と部屋に入った。鍵を使って。ピーター・フィンの証言。声を掛けられてそれに答えています」
「帽子と外套は脱いでいたようです」ヒューが続けた。「ですがオフィスからは出ていなかったようです。一時十五分にピーターが、もう一人が鍵を使って入ってくる音を聞きました。ぼくは鍵を失くしてしまったんですが、この家の煙草入れで見つかりました。だけどそんなところに置かなかったことは確かです」
「エファンズは鍵を見かけなかったって言ってるの」わたしは言った。「だから……たぶん…チャールズ伯父さんが見つけたんじゃないかしら」
「というわけでタクシーの男は――」ふたたびJ・Jが話し始めた。「――伯父さんであり、ヒューの鍵を使ってウィンベリーの部屋に入り、ウィンベリーの銃で持ち主を殺したのではないか。銃は手の届くところにあったし、ありかを知っていた可能性だってありますからね。銃声は一時十六分。十六分ごろじゃありません。きっかり十六分です」
「カスカート氏は部屋に入り、ウィンベリーを射殺。それから何を?」
「それから赤いパチーシ駒を死体の胸に置くんですよ」J・Jがつぶやく。
「まだ死体にはなっていなかった」マク・ダフが指摘した。「瀕死の男だ。言い残したのが『見いへん』という言葉。どうしてカスカートを見たことがないなどと言ったんだ?」
「変装」とわたしが言った。
「カスカートをかばうためですかね?」J・Jが考えを口にした。「どっちのアイデアもありそうにないな」
ヒューは何も言わなかった。
「続けよう。なぜなのか聞かせてくれ。自分の持ち物である赤い駒を置き去りにして、自分に疑いを向けるのはなぜだ?」
「カスカートさんを指しているとは限らないんじゃないでしょうか」ヒューが言った。「駒を三つ窓から投げたのをベッシーに見られているのはわかっていたでしょうから」
「駒を窓から投げた理由は何だ?」
言葉につまる。
「そのときは……ウィンベリーの嫌がらせに腹を立てたんじゃないかと思ったんです。二度とゲームなんかするもんかって。あと、きっと負けたのもしゃくだったのよ。たいてい勝ってばかりだったみたいだから。ちょっと子どもっぽいけど。どうなんだろ。でも三つとも負け駒だったわけだし」
「ほかの駒に手を伸ばしたりはしなかったのか?」
「どういうことですか?」
「わからんか。駒をすべて投げ捨てるつもりだったのかもしれんのでは? 途中で邪魔が入らなければ」
「そうなのかな……。わたしが声をあげたらこっちを見ていたけれど」
「そうだとしても、駒の利用法を考えていたとしたら」ヒューが慌てて口を挟んだ。「だとしたら……いえ、そもそもベッシーがいることにずっと気づいていたんでしょうか」
「利用法とは何だ?」
「象徴です」
マク・ダフは興味を持ったようだった。「何の象徴だ?」
「誰もがペッピンジャーだと勘違いしたじゃないですか」みんなもう答えはわかっているでしょうと言いたげな口振りだった。
「カスカート氏とウィンベリー氏のあいだに、ペッピンジャーに関わるどんなつながりがあったんだ?」マク・ダフがたずねた。「十年以上前に売られていたありきたりの飴だろう」
「大人気でしたよね。言いかえるならブーム、流行。キャッチコピーがあったでしょう。ペッピンジャーをなめて、みんな
「いつのことだ?」
「一九――」
「そういえば思い出した」わたしは声をあげた。「とつぜん販売中止になって、それから見かけなくなっちゃったんだ」
「そう、それでお終いでした。ところが伯父さんは痛手をこうむったりはしなかったんです。ウィンベリー、ギャスケル、マクソン、カスカートの四人全員が、ペッピンジャーのもともとの販売人でした。彼らは製法を買い上げ、ひたすら製造にはげみました。ところが――ウィンベリーからはっきり聞いたわけではないのですが、総合してみると――ウィンベリーとギャスケルは、政府が手を入れるという情報をどういうわけか受け取っていたようなんです。そこで二人は理由も言わずにほかの二人に売りさばきました」
「カスカートとマクソンは貧乏くじを引かされたってわけか」とJ・J。「ご親切なことじゃないか」
「ところがカスカートはうまく免れたんですよ。ぎりぎりになってマクソンに売りさばいたんです」
「揃いも揃っていい玉だね」
「倒産後、マクソンの再建にはむしろ気前よく力を貸したんじゃないかとは思ってるんですけれど」ヒューは顔をしかめていた。「マクソンはまだ若すぎて、社会のスピードについていけなかったんです。カスカートは最終的にはほぼすべてを、換金可能な財産に変えることができました。ウィンベリーとギャスケルの分を安く買って、高く売りさばいたわけですよ。マクソンに対するカスカートの遣り口を知ったほかの二人は、自分たちはけちな儲け方をしてしまったと思ったことでしょうね」
「ひどいもんだね」J・Jが言った。
「なのに四人は友だちだと思われてるんだ……」わたしはつぶやいた。「ねえ、そのときから敵同士になったんだとしたら……?」
「人によっては敵とも友だちとも同じように仲良くなれるものじゃないかな」J・Jが説明してくれた。「どうです? 動機が見つかりましたよ」
「月並みだな」マク・ダフが答えた。
「でも――」わたしは異を唱えた。「ウィンベリーはとんでもなく嫌な奴だったもの。だから憎悪……」
「昨日の夜に臨界点に達したのだとすると」ここぞとばかりにヒューが言った。「ありえますね」
「そう思う?」
「そう思いますよ」ヒューはひたむきに答えた。「そう思います。長いあいだ憎みつづけている相手がいるとしましょう。ずっと以前から、どうしてやろうかと考えていたのかもしれません。いつか刺激を受ければ我慢が出来なくなるものですよ」
マク・ダフが「感情というものだ」と言ってうなずいた。
「ぼくは恨みを抱いちゃいないけれど」J・Jが言った。「恨みというものが少しずつふくらんでいくのはわかりますね」
誰もが無言だった。わたしは必死で考えた。
「でも――」ついにひらめいた。「ペッピンジャーのことなら、マクソンにも動機があるんじゃない?」
「そうだな!」とJ・J。
「それにマクソンなら、赤い駒を手に入れるチャンスがあったもの」そう指摘する。「そうでしょ? 伯父が階上に現れたころまで、ライナと立ち話をしていたんだから。もしかしたら、駒が落ちてきたとき窓の下にいたかもしれないし。問題は、きっとアリバイがあるってこと」
「心配無用」J・Jが言った。「ないんだな。帰宅して眠ったそうだよ。ホテルに滞在。誰も確認できないだろう?」
「ホテルの従業員は?」
「ちっちゃな安ホテルなんだ。確認できたとは思えないね」
「だけどそれだと――」ヒューが口を挟む。「カスカートさんはなぜ電話に出なかったんでしょう?」
「一回目のこと?」
「一時五〇分でした。一時十六分に町中にいたと考えれば、ここに戻れたか戻れなかったかくらいじゃないでしょうか。二時ごろには戻ることができたと思います。ですから……」
「仮にカスカートがクロだとして――」マク・ダフが口を開いた。「教えてくれ。なぜ電話は二回しか鳴らなかったのだ?」
「なんですって?」
「たった二回だけだった」
ヒューが振り返った。「それはですから、ぼくが電話を切ったからですよ。部屋にいるなら……それに、真夜中でしたし。迷惑をかけたくは――」
「眠っていることだって考えられる。人を起こすには時間がかかるものだ」
「そんな。ぼくはそうはしませんでした。何となくですけれど、まだ眠ってはいないと思ったからです。たぶんいろいろあってぼく自身が眠れる気分じゃなかったからだと思います。ああ、すべては取り越し苦労だったのに。カスカートさんはここにいたのに、部屋を横切る前にぼくが電話をきってしまったのかもしれない。ぼくのミスです! 確かに床についていた可能性だってあります……眠っていた可能性だって……馬鹿でした!」
「伯父さんは靴を履いてたわ」わたしは弱々しい声を出した。「椅子でうとうとするような人だとは思わない。ううん、思えない……」
「つまるところは取り越し苦労ではなくなるわけか」考え込むようなJ・Jの声だった。「三十四分でここに戻って来られた可能性もあるかな。そんな夜中じゃ楽勝だったろうな。どう思います、マック?」
マク・ダフは笑みをもらした。「今のが疑うに至ったささいなことというわけか。そうだな? だが今のところはここにいたともいなかったとも言える。理解できんのはウィンベリーが言い遺した言葉だ。犯人を知らないと言いたかったのであれば、犯人はカスカートではない。変装は考えなくてよい。復讐するときには、自分が誰であるかやなぜ殺すのかを相手にわからせるものだ。それゆえの赤い駒、だと考えたのではなかったのか。両天秤はなしだ」
「『見いへん』」ヒューがつぶやいた。
「きっかり四語」
「たったそれだけ」
J・Jが口にした。「『銃を手に取るのは見いへんかった』って言いたかったんじゃないのかな」
「なぜ? 明かるかったのに?」
「明かりはついていました」ヒューが答えた。
「見いへん人や。とんと見いへん人やった。見いへん人やあるさかい……」J・Jのつぶやきは立ち消えた。
「待ってください」ヒューだった。マク・ダフは相手から言葉を引き出そうとしているかのように、何のそぶりも見せずに待っていた。「馬鹿げてるかもしれませんが。ウィンベリーは眼鏡をかけていました。ぼくと同じように。ピンと来ないかもしれませんが、寒いところから暖かい部屋に入ると、眼鏡が曇るんです。見えるようになるまでしばらくかかるんですよ」
「眼鏡は身体の上に乗っかってたのかい?」J・Jがたずねた。
「ええ、そうでした。あおむけで、足は投げ出されていましたが。眼鏡は無事でした」
「それはたいしたことではあるまい」ダフがぽつりともらした。「倒れたときにそうなったんだろう。『見えへん』と言うべきところを『見いへん』と言うのが、ウィンベリーの口癖だったのではないか?」
「そう言えば!」声をあげていた。「パチーシをしていたときも、しょっちゅうそう言ってたもの」
「珍しいことじゃない。どうだね?」
「ということは、ウィンベリーは前が見えなかったのかもしれません。きっと言いたかったのもそういうことなんですね」ヒューが答えた。
「では殺人犯がウィンベリーの帽子と外套を脱がし、撃ったあとできちんと掛けておいたのはなぜだ?」
「ええとどういうことですか? ちょっと待ってください」J・Jがたずねた。
「眼鏡の曇りはどのくらい続くものなんだ? 一時〇八分から一時十六分までか?」
「そんなわけはありません」ヒューが穏やかに答えた。「馬鹿げてます。馬鹿げてますよ……」
「ウィンベリーの目が一時十六分に見えなかったのであれば、帰ってきたのは早くてもせいぜい一時十五分だろう」ダフが言った。
「二番目の男だったの?」わたしは声をあげていた。
「ウィンベリーは……それじゃやっぱり……てことは……ええと、一時にクラブを出てるんですから、一時十五分に到着するのは妥当な時間ですね」J・Jはそう言ってわたしの手に触れた。
「では帽子と外套の問題だ」ダフがすぐさま問いつめた。「犯人が移動させる時間はあったのか?」
「ピーター・フィンが腹を決めるのに時間がかかりましたから」J・Jが答える。「間違いなくありましたね。ピーター・フィンが表のドアにたどり着いたころには、ホシはちょうど通りの先に逃げていたんですよ」
「それがホシだとしてだ」ダフが改めて整理する。「いいか。指の曲がった謎の乗客が降りたのは――」
「一時〇五分でした」ヒューが声をあげた。「ちょうど部屋にやって来たころじゃないですか、最初に入ってきた人は――」
「一時〇八分だね」J・Jが答えた。「ぴったりだ」
「つまり犯人が銃を手にして待ち受けるだけの時間はたっぷりあった」
「ウィンベリーが眼鏡を曇らせやって来たのが一時十五分でしょ。その直後に撃たれてる」
「どのように倒れていたのだ?」
「ドアに足を向けていました」
「倒れた状態のままだと考えていいんだな?」
「でしょうね」J・Jは立ち上がると、倒れて見せた。映画のように。膝を崩し、身体をひねるようにねじると、さっきまでは背中を向けていた方向に顔をやりながら、あおむけに倒れ込んだ。
「やめてよ。さっさと起きて。縁起でもない!」
「だが帽子と外套はなぜなんだ?」ダフが問いつめる。「理由を説明できる者はいないのか? おそらく犯人は、ウィンベリーが口をきけることには気づかなかった。すでに死んだと思ったはずだ」
「自分が二番目の訪問者だと思わせたかったってわけですか」J・Jが答えた。
「目的は?」
「ごまかすためです」ヒューがおずおずと口にした。「タクシー・ドライバーのことや、曲がった指のことを。指を隠すのを忘れていたことを思い出したんじゃないでしょうか? ドライバーに気づかれて、この辺りの交差点と結びつけられる可能性に思いいたったんです。この辺りと結びつけられたくなかったんですよ。カスカートさんではなかったとしても、この近くに住んでいる人だということでしょう。だから時間をごまかそうとしたんです。ドライバーがその乗客を、しばらくあとで部屋に入った殺人犯と結びつける可能性は低くなりますから」
「しばらくと言うには短い時間だな」J・Jが言った。
「ええ、確かにあまりうまい出来とは言えません。でもぼくらは考えることもなかったでしょう。指の曲がった男が一時〇五分から一時十五分までどこにいたのかと」
「うん、そうだった」J・Jが断言した。「まったく考えてなかったな」
「ふん、使い古しのトリックだ」マク・ダフがつぶやいた。「しかしタクシーの乗客が半ブロック歩くにしては長い時間をかけていたことには気づかなかったな」
「ドアの陰で待ち伏せだって何だってできたってわけか、何てこった」J・Jがうんざりしたようにぼやいた。
「もうぼくにはわかりません」ヒューが音をあげる。「推測ばかりです」
「ずいぶんと凝り性じゃないか、われらが犯人は」マク・ダフは考え込んでいた。「細かいアイデアにあふれている。最後にやって来たにしろ、最後にやって来たと思わせたがっていたにしろ、だ。そのころ君はどこにいた?」
「ぼくですか?」ヒューはびっくりしたようだった。「そうですね。一時〇五分には……はっきりとはわかりませんが、乗り換えたバスがちょうど出発したころだと思います。一時十五分ごろに百十番街の角で降りました。ドラッグストアに寄ったので、家に着いたのは一時二二分です」
「間一髪じゃないか」とJ・J。
「間がなさすぎますよ」顔をしかめる。「どちらかといえば最初に来た人物が犯人であってほしいですね」
「なぜ?」
「一時〇八分にはバスに乗っていたことを警察は知ってますから。だけど二番目の男が来たのは、ぼくがバスを降りた時刻に近いんですよ。ちょっと近すぎてあまり気分がよくありません」
「どんな人だって――」J・Jが慎重に口を開く。「一分くらいの思い違いはするだろうし」
「それですよ。だからできれば最初の男が犯人であってほしいんです」
「おそらくそうだろう」マク・ダフが言った。「J・J、もうそろそろお邪魔せんかね」
「だけどどうなったんです?」
マク・ダフは立ち上がっていた。「知らんね。はっきり言っておく。誰が何をなぜしたのかなど、そんなに早くわかるものではない。そうであればいいがね」
「続けるつもりですよね? それが心配なんですよ」
「ギャスケルが怯えていることは責めはせん。だが奴はまだ何か知っている。それほど多くはないかもしらんが、危険について隠していることがある。である以上、われわれにできることはない。一人きりで考えたいのだ。すでにわかっていることを反芻してみたいし、知りたいことがいろいろある。とりわけ関係者のことだ。それにペッピンジャーの取引も」
「ぼくに言ってください」J・Jが名乗りをあげた
「ああ、そうなるかな。頼む」そこでこちらを振り向いて――「はっきりさせておくが、本当にまだわからないのだ。何の光名も見えない。何の手がかりもない。君もわたしと同じことを知っているはずだ。説明しなかったささいな思いつきが二つだけある。わけがあって今は説明せんが。もしかすると同じことを思いついているかな」
「だったらチャールズ伯父さんは……?」
「カスカート氏が殺人犯だという証拠はない。残念ながら無実だという確実な証拠も見つからないがね。ではおやすみ」
「もう教授ではないんですよね?」今さらながら確かめたかった。「今は探偵なんでしょう?」
「ただのアマチュアだ」
「J・Jが言ってました。厚い壁の向こうまでお見通しだって」
「それは無理だ。だが人間の本質を見通せることはある」
「ぼくはそう言いたかったんですよ。壁の多くは人でできているんだから。ベッシーもアメリカ建国者たちの話を聞いてみるといい」
「ベッシーは歴史と探偵を結びつけることなどしまい」
「たぶんそうね」
ダフは長い足を震わせ、どこか夢見がちに話を始めた。「歴史を学んで何を得るかね? 歴史上の一連の出来事。わたしが好きなのは、その理由に思いを馳せることだ。歴史は変えられぬ。いかに突飛であり得ない出来事であっても、確かに起こったことなのだ。だから思い浮かべればよい。それもしっかりとな。実際にあったことなのだから。人間というものは、かつてと同じことを繰り返す。そこが面白いところだな」
J・Jがにやりとした。「確かに面白かったですよ。歴史の2Bクラスは退屈することがなかった」
「しばらく練習してみればよい。どんな人間が愚かで恐ろしいことをしでかすものなのか、思い描くのだ。そのうちコツがつかめてくる」
「う〜ん……でもアメリカ史っていつも退屈だったし」
「気にするな」J・Jがそう言った。「古き良き時代の話さ」
「教えていたのは興味深いところばかりだった」ダフは打ち明けるように話を始めた。「経済拡張力ではなく人間の話ばかりしていたな。彼らはどう感じていたのか。英雄がどのように妻と添い遂げ、それが戦略にどう影響を及ぼしたのかを知る方が、生没年を覚えるよりも面白いと考えていたからだ」
J・Jが言葉をかけた。「はるかに教育的でしたよ。長い目で見ればね」
マク・ダフの目に光るものが見えた気がした。「それはともかく、有能なアマチュア探偵になるために学んでいたのだ」
「面白いお話でした」ヒューが言った。「そうだね、ベッシー? 探しているものがあるとすれば、それは人間を見抜ける人だ。あなたならできるはずです、ダフさん」
「そう願おう」どこかぎこちなかった。「おやすみ、ミラーさん。おやすみ、ベッシー」
J・Jが卒業指輪をはめたわたしの指を強く握ってささやいた。「頑張るんだ。元気を出して。何かあったらプラザ七‐九二〇三に電話してくれ」
「プラザ七‐九二〇三」二人が帰るときも、何度もくり返していた。
Charlotte Armstrong『Lay On, Mac Duff!』CHAPTER 9 の全訳です。
Ver.1 07/06/17
[訳者あとがき]
detective という言葉をここでは取りあえず「探偵」と訳しておきました。