1911 | The Innocence of Father Brown 『ブラウン神父の童心』 | |
・トリックと名言の金字塔。ブラウン神父は、エラリー・クイーンにより、ホームズ、デュパンと並ぶ名探偵の一人に数えられる。なかでも本書は『ホームズの冒険』『ポー短編集』『アブナー伯父の事件簿』とともに短篇ミステリの指標と讃えられた。 | ||
邦訳 | (1)『ブラウン神父の童心』(創元推理文庫)中村保男訳[bk1・amazon] (2)『ブラウン神父の無知』(ハヤカワ・ミステリ)村崎敏郎訳(品切れ) (3)『名探偵コレクション・ブラウン神父』(集英社文庫)に「飛ぶ星」収録、二宮磬訳[amazon] (4)『グレート・ミステリーズ ブラウン神父物語』(嶋中文庫)に「青い十字架」「秘密の庭」「奇妙な足音」「見えない人間」「折れた剣」収録、田中正二郎訳[bk1・amazon] (5)『世界推理小説大系10 チェスタトン』(東都書房)に「青い十字架」「奇妙な足音」「飛ぶ星」「見えない男」「イズレウル・ガウの面目」「サラディン公爵の罪悪」「神の鉄槌」「アポロの眼」「三つの兇器」収録、宮西豊逸訳。(絶版)。 (6)このサイト→「奇妙な足音」wilder訳 htmlファイル。 |
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あまりにも有名な「犯人は創造的な芸術家だが、探偵は批評家にすぎぬのさ」という一言がヴァランタンによりつぶやかれる作品であります。 ブラウン神父とヴァランタンの頭のよさはよくわかるのですが、フランボウのユニークな頭のよさが本編では活かされていないのが残念です。フランボウが過去に起こしたユニークな犯罪こそ作品中でいくつも紹介されていますが、肝心の青い十字架を盗む方法というのが割りとオーソドックスなのです。フランボウの活躍は「奇妙な足音」と「飛ぶ星」まで待つことになります。 なぜ神父を探偵役にしたのかという理由の一端が(ブラウン神父自身の台詞を通じて)明らかにされています。 所持している訳本を読み比べてみました。創元版(中村訳)・嶋中版(田中訳)・東都書房版(宮西訳)。宮西訳は問題外です。わたしの翻訳みたい。形容詞や副詞や接続詞を文脈に沿って訳し分けずに辞書の訳語を宛てているだけ。日本語になってません。 |
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首の切断ミステリであり、広義の密室ミステリであり、という贅沢な作品なのですが、あまりに犯人のインパクトがありすぎてそれ以外をほとんど覚えていなかった。読み返してみると、異常な動機なのですね。犯人による被害者の首の扱い方がものすごく大胆というかぞんざいというか……。 |
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ふたたびフランボウが登場。「青い十字架」で紹介されていたとおり、フランボウの犯罪というのは、軒先の牛乳壜を置き換えることで在庫を持たずに牛乳屋をやって大もうけしたとか、旅行者を罠にかけるために町内の番地をすべて塗り替えたとか、大胆でユニークな犯罪ばかりなのですが、本編も大胆かつユニークきわまりないものです。
「もし読者諸君が……」と語り出される冒頭が印象深い一篇。これから何が始まるのかとわくわくさせてくれます。 ◆htmlファイルで読む→「奇妙な足音」 |
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フランボウ最後の事件。ブラウン神父やフランボウ自身が言うとおり、天才的で美しいフランボウ一世一代の芸術的犯罪です。私見では、ブラウン神父譚には、本編や「青い十字架」「ペンドラゴン一族の滅亡」など、事件と物語が同時進行する作品に優れたものが多いように感じます。 本編が初めて雑誌に発表されたのは実は、「三つの兇器」を除く「神の鉄槌」(Storyteller, 1910.11)〜「サラディン公の罪」(Cassell's, 1911.5)より後です。つまりリアルタイムで読んだ当時の読者にとっては、本編は一連の作品の前日譚というかたちだったのですね。 |
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あまりにも有名なトリックで、クリスティやアシモフも応用しています。トリックに抵触することになるので詳しくは言えませんが、「他人というものは、こちらの言ったことに答えようとしない」という台詞をブラウン神父が口にします。この名言の道筋自体はものすごくリアリティがあって説得力があると思うのですが、そこからこういうセミ・ファンタジー((c)マーティン・ガードナー)を作りあげてしまうところがチェスタトンならではです。そこが、ブラウン神父の譬え話を(応用というより)そのまま利用したクリスティやアシモフとの決定的な違いでしょう。 トリック以外あまり覚えていなかったのですが、読み返してみると、被害者の体格がちゃんと伏線になっていたりする半面、死体を移動する必然性があまりないように感じたりもします。 ハムステッドのラックナウ荘の一階に、フランボウの事務所兼住居があります。 |
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これは最初に読んだときにはなんじゃらほいと拍子抜けしたものですが、泡坂妻夫氏が誉めていたので読み返してみたところ、奇妙なロジックという点では秀逸かなぁ、と。そこにあるものではなく、そこにないものを手がかりにするという推理方法が、気が利いていると思います。 神父は「グラスゴーでの仕事から一日だけ強引に暇をとって」城に滞在中のフランボウに会いに来ました。 |
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現在では古典的な、切り取られた紙に関する逆説と、殺害方法。それを「狂った形」という道具立てと関わらせることで「狂った心」とその改心というテーマをあぶり出しているように思いました。 マーティン・ガードナーによると、本書中で一番納得できない話だとのこと。以下ガードナーの主張の骨子。彼はごく普通の人間ではないか。「気立てのよい」とすら書かれている。チェスタトンは報告書の後ろの方で読者を納得させようと腐心してるけど。でもそもそも彼はどうして、見ず知らずの神父に報告書を書いてくれと言われただけで素直に従ったのか? 夫人と神父は何を話し合ったのか? 夫人は犯行計画や犯人を知っていたのか? それを神父に話したのか? だから神父は「蒼ざめ、悲痛味を帯びていた」のか? それを見て犯人はすべてが明らかになったことを悟ったのか? 神父はやってきた警察に真相を話したのか? マーティン・ガードナーは「見えない男」の註釈でも、“実際に誰にも見えなかったかどうか”という根本的な疑問には巧妙に触れずにおいて、「実際の袋はそんなに大きいのか」というところにこだわっていた。目のつけどころが面白い。 ブラウン神父は「セント・マンゴウのちいさな教会」の神父とある。 |
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「刑事に刑事を逮捕させた」フランボウのかつての手並みが事件を引き起こす遠因であるという点において、「奇妙な足音」や「飛ぶ星」等で明らかにされたフランボウの詩的な犯罪に惹かれた向きには感慨深い作品です。もっとも、フランボウのような美しい犯罪にはほど遠く、神父たちが恐れて逃げ出したほどの邪悪な犯罪です。ネタは黒澤明の某名作でもお馴染みの。 創元版の邦訳では訳し漏れていますが、本編にはブラウン神父の髪が「dust-coloured」すなわち薄いブラウンだという記述が見えます。 |
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本書短篇の収録順は連載順とは違うわけですが、その結果「狂った形」以降には比較的シリアスで暗い作品が並ぶこととなりました。そんな中において本編は魂の救済を描いて(殺人事件とはいえ)一服の清涼剤的役割を果たしていなくもないというのは牽強付会か。 このトリックは、さすがにわかったよ〜という人が割りと多いようです。でもタイトルとテーマと密接に結びついていて切り離せない、作品と一体となっているという点でいいトリックだとは思います。 |
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G.K.チェスタトン著 / 中村 保男訳 東京創元社 (1992) ISBN : 4488110010 価格 : ¥693 通常2-3日以内に発送します。 amazon.co.jp で詳細を見る。 オンライン書店bk1で詳細を見る amazon.co.jp で詳細を見る。 『世界の名探偵コレクション10 ブラウン神父』 |