〔翻刻〕
或日ゆふぐれかたに内へまいらんとせられける時、見もしらぬおとこのまなこゐかしこげにてたゞ人ともおぼえぬ來て云、「『つれ\/゛に侍て雙六をうたばや』と思給に、『そのかたきおそらくは君ばかりこそおはせめ』とおもひよりてまいりつるなり」といへば、中納言あやしうおもひながら、「こゝろみむ」と思心ふかくして、「いと興あること也。いづくにてうつべきぞ」といへば、「これにてはあしく侍ぬべし。わがゐたる所へおはしませ」といへば、「さらなり」とて、ものにものらずとものものもぐせず、たゞひとりおとこにしたがひてゆくに、朱雀門のもとにいたりぬ。
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〔現代語訳〕
ある日の夕暮れ刻に参内しようとなさっていると、常人とも思えぬ恐ろしげな目つきの見知らぬ男が訪れた。「退屈しておりますため、双六でも打ちたいものだと考えたのですが、その相手はあなたを措いてはいらっしゃらないだろうとひらめいて伺ったのです」と言う。中納言は不思議に思いながらも、「やってみようではないか」と思う気持が強くなり、「なかなか面白い。どこで打とうか」とおたずねになった。「ここでは都合が悪いでしょう。我が家へいらっしゃいませ」と男が言うので、「異存はない」とおっしゃり、車にも乗らず供のものも従えず、たった一人で男についてゆくと、朱雀門の下にたどり着いた。
〔画像〕
(上図)
室内の長谷雄と男。長谷雄は束帯姿で、まさに参内しようとしていたことをうかがわせる。男は狩衣に烏帽子と、貴人のもとを訪れるにはかなりの軽装。退屈だから双六でもやりたいというだけの理由で、相手の事情も考えず当代随一の頭脳のもとを訪れる図太さを、この服装にも見るべきか。
戸口の男は何者か不明。靴を履いているし、袴ではなく指貫を履いているようだし、赤い袷か単を身につけているので、下っ端の従者ではないことは確か。顔つきはまだ若そう。怪しい男のことを覗いて見張っているのか、参内に遅れてしまうと気遣っているのか。
(下図)
右から左へと歩いていく途中。右端が長谷雄。外を出歩くときは裾を帯のわきに挟むのだと、wilderはこの絵を見て初めて知った。なんだか微笑ましい。
これは朱雀門への道行きである。朱雀門といえば大内裏の玄関口。なのにその近くはこんなに庶民的な風景であるのかと意外だった。これではまるで江戸の貧乏長屋ではないか。無論、この絵巻が出来たのは鎌倉時代頃なので、それは差し引かなければいけないのかもしれないけれど。