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翻訳:東 照
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プロジェクト杉田玄白 正式参加テキスト

シルヴィーとブルーノ完結編

ルイス・キャロル


第四章
犬の王様

「手つないだったよ」ブルーノがぼくの横に駆け寄って、何も聞かないのに答えてくれた。

本当に嬉しそうに見えました!」シルヴィーも反対側からつけ加えた。

「よし、じゃあすぐにでも発った方がいい。でもハンターさんの農場にはどう行けばいいんだろう」

「この小屋の人はきっと知ってるわ」シルヴィーが言った。

「うん、きっとそうだ。ブルーノ、聞きに行ってくれるかい?」

 走り出しかけたブルーノを、シルヴィーは笑って引き止めた。「ちょっと待って。まずは姿が見えるようにしなくちゃ」

「そして声が聞こえるようにも、だね?」ぼくがたずねると、シルヴィーは首にかけている宝石をつかんで、ブルーノの頭上で揺らし、目と口に触れさせた。

「そうですね」シルヴィーが言った。「前に一度声が聞こえるようにしたのに、姿が見えるようにするのを忘れちゃったことがあったんです! ブルーノはそのままキャンディーを買いに行っちゃって。だから店員さんがものすごく怯えてしまったんです! 『大麦アメを二オンスください!』という声が宙から現れたように聞こえるんですもの。それからカウンターに一シリングがチャリンと落ちたんです! それで店員さんから『姿が見えないけど?』と言われたブルーノは、『ぼくが見えるかどうかはたいちたことじゃないでそ、お金が見えてればいいんだから!』と答えました。だけど店員さんは、姿の見えない人にアメは売れないって言うんです。それでわたしたちはしかたなく――これでよし、ブルーノ、もういいわよ!」。そこでブルーノは走っていった。

 待ち時間を利用してシルヴィー自身も姿が見えるようにした。「困るじゃないですか。人間に会うときに、一人が見えるのにもう一人が見えないと!」

 一、二分して戻ってきたブルーノは、ずいぶんとがっかりしていた。「いっしょに友だちといっしょだったんだけど、ごきげんななめだったんだ! いったいだれだって訊くから『ぼくブルーノ。こちらの人々たちはだれでつか?』と答えたの。そしたら『こっちは腹違いの弟、そっちは腹違いの妹。もうこれ以上はいらないよ! 消えちまえ!』って言われた。だから『シルヴィーがいないと、ぼく一人だけじゃ消えれないもん!』って答えといた。それで『うっかりな人々たちをそんなふうに寝そべらせておくのはよくないよ! すごくにだらしないもん!』て言ったら、『俺に話しかけるな!』と言われて、外に追い出されて、ドアを閉められちゃったんだ!」[*註1]

「ハンターさんの農場がどこにあるのか聞かなかったのね?」シルヴィーがただした。

「質問するだけの余裕がなかったんだもん」とブルーノが言った。「部屋がまんぱいだったから」[*註2]

「三人で部屋がまんぱいなわけないでしょう」とシルヴィーが言った。

「でもそうだったんだ」ブルーノも負けてはいない。「あの人でほとんどまんぱいだった。あんなすごくに太った人だったの――転ばせれないくらい」

 ぼくには話の流れが見えなかった。「太ってるか痩せているかにかかわらず、どんな人でも転ばされることはあるだろう」

あの人は転ばせれないね」ブルーノが言った。「たてよりよこの方があったんだから。そんなだから、寝転ばってるときの方が立ってるときより背がたかいんだ。だからもっちろん転ばせれないね!」

「ここにも小屋があるよ」とぼくが言った。「今度ぼくが道を聞いてくるよ」

 今回はなかに入るまでもなく、戸口に立っている女性が赤ん坊を抱きながら、立派な身なりの男性と話をしていた――見たところ農場主であるその男性は――町に出かける途中のようだった。

「――それにがあるときだがね。最悪らしいじゃないか、おたくのウィリーは。そう聞いているぞ。酒があるといかれちまうそうじゃないか!」

「十二か月前ならあいつらのこと嘘つき呼ばわりしてやったんだけどね!」女性はがっかりした声をだした。「でもわかるわけないもんね!」ここでぼくらを目にして息を飲み、あわてて家に戻ってドアを閉めてしまった。

「ハンターさんの農場がどこにあるか教えていただけませんか?」ぼくは家から引き返してきた男性にたずねた。

いただけますとも、旦那!」その男性はにかっと笑い、「あっしがそのジョン・ハンターでございますよ。半マイルもありゃしません――家は一軒しか見えませんからね、あそこのカーブを曲がったところでさぁ。女房がなかにいるはずですよ、あいつに用があるんでしたら。それとも、あっしのこともお探しでしたか?」

「すみません」ぼくは言った。「ミルクをもらおうと思ったんです。奥さんと話した方がよさそうですね?」

「ああ。そういうのあいつの仕事だ。それじゃあ、ご主人――かわいいこどもらも、じゃあな!」そうしててくてくと歩いていった。

「『こども』って言うのが正しいのにね、『こどもら』じゃなくてさ」とブルーノが言った。「シルヴィーはこどもらじゃないもの!」

「私たち二人のことよ」シルヴィーが答えた。

「ちがうよ!」ブルーノはなおも言い張った。「だって『かわいい』って言ってたもんね」

「それはそうだけど二人とも視野に入れてたのよ」とシルヴィーも言い返した。

「うん、それだから、二人ともかわいいんじゃないって見っかったに決まってるよ!」ブルーノも言い返した。「もっちろんぼくはシルヴィーよりずっとぶさいくさ! あの人はシルヴィーのことを話してたんだよね、あなたさん?」ブルーノは肩越しに叫びながら駈け出していた。

 だがブルーノは返事を聞くことなく、とっくにカーブの向こうに消えていた。追いついたときには、門によじ登ったブルーノがまじまじと牧草地に見入っていた。馬、牛、子山羊が仲良く草を食んでいる。「お父さんおウマさん」ブルーノがつぶやいた。「お母さんはウシさん。その二匹の子どもがコヤギの子ども、ぼくの世界じゃ見たことないくらいふっしぎな景色だなあ!」[*註3]

「ブルーノの世界か!」ぼくは考え込んだ。「その通りだな、どんな子どもも自分たちだけの世界を持っている――いや、それどころか、どんな人間だってそうじゃないか。そこにこの世のすれ違いの原因があるのだろうか?」

きっとあれがハンターさんの農場ね!」シルヴィーが坂の上にある家を指さした。荷馬車道をたどったところにある。「この道にはほかに農場は見えないもの。仰ったように、もうすぐですね」

 ブルーノが門をよじ登っているあいだ、確かにそんなことを考えはしたが、口にした覚えはなかった。だがシルヴィーはどうやら正しかった。「降りるんだ、ブルーノ」ぼくは言った。「門を開けてくれよ」

「ぼくらもいっしょのほうがいいよね、そうでしょ、あなたさん?」牧場に入ったときにブルーノが言った。「ひとりだったら、あのおっきな犬にかまれるかもしれないもん! こわがることはないからね!」ブルーノはささやきながら、ぼくを励まそうとぎゅっと手を握った。「あれはもうけんじゃないから!」

「猛犬ですって!」シルヴィーが馬鹿にしたように繰り返したとき、その犬が――大きなニューファンドランド犬が一頭――ぼくらを迎えに牧場から駆け出して来て、ぴょんぴょんと円を描くようにかろやかに跳ね始めると、やがて歓迎の合図に嬉しそうに短く吠えた。「猛犬ねえ! ほら、まるで子羊みたいにおとなしいじゃない! まるで――ほらブルーノ、そうでしょ? まるで」

「ほんとうでますね!」ブルーノが一声叫んで飛び出し、犬の首に腕をまわした。「かわいいなあ、ワンちゃん!」二人ときたら、これほどまでになでたり抱きしめたりしたことはなかったろうと思えるほどだった。

いったいどうやってここにきたんだろう?」ブルーノが言った。「聞いてみてよ、シルヴィー。ぼくはできないからさ」

 すぐに犬語の会話で盛り上がり始めたが、もちろんぼくにはちんぷんかんぷんだ。それでも、ぼくに目を光らせていた美しい生き物がシルヴィーの耳に何かささやいたときには、ぼくのことが話題になっているらしいということだけは想像できた。シルヴィーが笑いながら振り返った

「あなたが誰なのか聞かれたんです」シルヴィーが説明してくれた。「『友だちです』と説明したら、『名前は?』と聞かれました。『あなたさんです』と伝えたら、『わおっ!』ですって」

「犬語で『わおっ!』はどんな意味だい?」ぼくはたずねた。

「英語と同じです」シルヴィーが言った。「ただし、の場合はささやくような感じで、咳と吠え声の中間くらいですけれど。ネロ、『わおっ!』って言ってみて』

 ふたたびぴょんぴょん跳ねまわっていたネロが、何回か「わおっ!」と言った。シルヴィーの説明がきわめて的確だったことがぼくにもわかった。

「この長い塀の後ろには何があるんだろう?」歩き続けながらぼくはたずねた。

果樹園です」シルヴィーがネロに確認して答えた。「見て、塀から降りてる男の子がいる、ずっと向こう側のところ。牧場の方に走り出したわ。きっと林檎泥棒ね!」

 ブルーノがあとを追ったが、追いつけそうにないとわかってすぐに戻ってきた。

「捕まえれなかったよ!」ブルーノが言った。「もうすこし早く走りだすてたらなあ。ポケットがりんごでいっぱいになってだったよ!」

 犬の王様がシルヴィーを見上げ、犬語で何ごとか伝えた。

「まあ、もちろんその通りよ!」シルヴィーが声をあげた。「それを思いつかないなんてどうかしてるわね! ネロが捕まえておいてくれるって、ブルーノ! だけどまずはネロの姿を見えなくしておかないと」シルヴィーは急いで魔法の宝石を取り出し、ネロの頭の上で揺らしながら、頭から背中へと降ろしていった。

「それいけ!」ブルーノが待ち切れずに叫んだ。「追っかけるんだ、ワンちゃん!」

「まあブルーノ!」シルヴィーがとがめるような声を出した。「そんなにあわてて追いかけさせないで! しっぽを消してないのに!」

 そうしているあいだにもネロはグレイハウンドのように牧場に向かって駆け出していた。見える部分から推しはかったかぎりでは――長いふわふわしたしっぽが、流れ星のように宙を漂い――ネロはあっという間に泥棒小僧に追いついた。

「捕まえた、足を押さえたわ!」固唾を飲んで追跡を見守っていたシルヴィーが叫んだ。「もうあわてなくていいわ、ブルーノ!」

 そこでぼくらはゆっくりと牧場まで歩いていった。そこには怯えた少年が立っていた。これまでの「あやかし」体験のなかでも見たことがないような不思議な光景だった。少年は全身を激しく動かしていたが、左足だけは地面に固定されているように見え――足を押さえているものは目に見えなかった。もう少し近づくと、長くふわふわしたしっぽが慎ましやかに左右に揺れていた。少なくともネロにとっては、すべてが大がかりなゲームに過ぎなかったようだ。

シルヴィーとブルーノ完結編06

「どうしたんだい?」ぼくはできるだけ厳めしくたずねた。

「足がつっぱった!」盗っ人はうめきをあげた。「足がおっ死んじまったよ!」と言って、声をあげて泣きじゃくり始めた。

「さあ、いいかい!」ブルーノは少年の前に出て、有無を言わせぬような声を出した。「リンゴはあきらめてもらわなくちゃ!」

 少年はぼくを見たが、ぼくに干渉されてもどうということはないと判断したようだ。それからシルヴィーを見たが、こちらもどう見ても手強いはずはない。そこで少年は勇気を振り絞り、「あんたたちにはもったいないよ!」と挑発的に言い返した。

 シルヴィーが屈みこんで見えないネロを撫で、「もうちょっときつくして!」とささやいた。するとみすぼらしい少年が鋭い悲鳴をあげたので、犬の王様がすぐに言われたことを理解したのがわかった。

今はどうなった?」ぼくはたずねた。「さっきより足首が痛くなったかい?」

「もっといたくなるぞ、さらにいたく、さらにいたくなるんだ」ブルーノが重々しく宣言した。「リンゴを手ばなさないとそうなるぞ!」

 盗っ人はついに観念して、不機嫌な顔でポケットから林檎を取り出し始めた。妖精たちは近くで見張っていて、ネロに捕まっている怯えた少年がうめきをあげるたびに、ブルーノは嬉しそうに飛び跳ねた。

「これで全部さ」ついに少年はそう言った。

「ぜんぶじゃないよ!」ブルーノが叫んだ。「ポケットにまだ三つある!」

 ふたたびシルヴィーが犬の王様にささやくと――ふたたび盗っ人が鋭い悲鳴をあげ、またもや嘘つきが宣告され――残り三つの林檎が引き渡された。

「放してあげて」シルヴィーが犬語で話すと、少年は足を引きずって一目散に逃げ出した。ときどき屈んでこわごわと足首をさすっているところをみると、またもや「つっぱった」のかもしれなかった。

 ブルーノが戦利品を手に果樹園の塀まで駆け戻り、林檎を一つ一つ塀の向こうに放り投げた。「何個かは間違った木の下に行っちゃったよ!」ブルーノが息を切らしてぼくらのところに戻ってきた。

間違った木ですって!」シルヴィーは笑った。「どの木でも間違いようがないでしょ! 間違った木なんてものはありません!」

「それなら正しい木なんてものもないね!」ブルーノが叫ぶと、シルヴィーはその点を放っておいた。

「ちょっと待ってください!」シルヴィーがぼくに声をかけた。「ネロを見えるようにしなくちゃなりませんから!」

「だめ、やめてちょうだい!」ブルーノは今はやんごとなき背中に乗って、やんごとなき毛を手綱のようによじっていた。「こんなふうにしてもらえばそんなに面白いんだから!」

「それは面白そうだけど」シルヴィーもそれを認めて、先頭に立って農家に向かった。農場主の妻が立っていたが、奇怪な行進が近づいてくるのを見て混乱しているようだった。「どうやらめがねが壊れちゃったね!」そんなふうにつぶやくと、眼鏡を外してエプロンの隅でごしごしと拭き始めた。

 そのあいだにシルヴィーは急いでブルーノを馬から降ろし、それからおかみさんが眼鏡をかけ直すまでに陛下の姿を見えるようにするにはちょうどいい時間だった。

 今やすべてが通常通りだったが、おかみさんはまだ少し不安そうにしていた。「目が悪くなったのね。でも今はあなたが見えるわ! さあキスしておくれかい?」

 ブルーノはたちまちぼくの後ろに隠れてしまったが、シルヴィーが代わりに奥さんの顔に二人分のキスをして、ぼくらはそろってなかに入った。


Lewis Carroll "Sylvie and Bruno Concluded" -- Chapter IV 'The Dog-King' の全訳です。

Ver.1 03/04/03
Ver.2 03/06/21
Ver.3 10/12/15


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[註釈]
*註1 [うっかりな人々たち]。原文は「bits of people」。この部分はよくわかりません。「half-brother(異母兄弟)」と紹介されたので、「half」で「bits」な人たちだとブルーノが答えた、と捉えて、「腹違い」と紹介されて、「お腹を間違う」「うっかり」な人たちだとブルーノが答えた、と訳しました。[

*註2 [余裕がなかった]。「have room for 〜」で「〜するだけの余裕がある」という意味ですが、直訳すればもちろん「〜するための部屋がある/〜するだけの(空間的)余裕がある」になります。部屋が満杯で空間的な余裕がなかったので、質問する余裕もなかったんだと屁理屈をこねるブルーノです。[

*註3 [コヤギの子ども]。英語では「bull(牡牛)」と「cow(牝牛)」のように、動物の雄・雌・子供を区別する場合があります。山羊は「goat」で子山羊は「kid」なのですが、ブルーノは「little goat」と呼んでいます。[

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