明くる日、アーサーとぼくが時間どおりに館に到着したときには、招待客は――全員が来れば十八人になるのだが――まだ数人しか来ていなかった。その人たちは伯爵と話していたので、ぼくらにはミュリエル嬢といくつか言葉を交わす機会が残されていた。
「あのずいぶんと頭の良さそうな人は誰だい? 大きな眼鏡の人だけど」アーサーがたずねた。「ここで会った覚えはないけれど?」
「ええ、新しい友人なの」ミュリエル嬢が答えた。「ドイツの方、だと思う。すっかり仲良くなったんだから! あんなに頭のいい人、見たことない――そりゃ例外が一人いるけど!」ミュリエル嬢が気を使ったのは、アーサーが誇りを傷つけられたように身体をこわばらせたからだ。
「その向こうに青い服を来た若い女性がいるだろう、外国人のような感じの男と話してる。あのひとも頭がいいのかい?」
「知らないわ。でも名ピアニストって話だから、今夜、演奏を聴けるんじゃないかしら。あの外国の人にお相手をお願いしたのは、あの人も音楽家だから。確かフランスの伯爵だったはず。それは素敵な歌声なのよ!」
「科学――音楽――声楽――これはまた完全無欠の顔ぶれを集めたものだな!」アーサーが言った。「なかなか光栄だね、こんな名士に会えるなんて。ぼくは音楽がそれはもう大好きなんだ!」
「でも完全とは言い切れないところがあって。あの子たちを連れていらっしゃらなかったんですね」ミュリエル嬢が今度はぼくに向かって話しかけると、「去年の夏、お茶に連れられてきた子たちのこと」と、またアーサーに向かって解説を加えた。「たまらなく可愛かった!」
「ほんとにそうです」ぼくも同意した。
「どうして連れていらっしゃらなかったんですか? 連れてくると父に約束なさってたのに」
「申し訳ないけれど、連れてくるのはどうしても無理だったんです」ここで言葉を止めたつもりだったのだ。それが驚いたのなんの、上手く説明できないのだが、自分自身が話し続けているのが聞こえたのである。「――けれど、夜にはここにやって来るはずですから」という言葉を口にしているのはぼくの声であり、どうやらぼくの口から出ているようだ。
「すごく嬉しい!」ミュリエル嬢は幸せそうに答えた。「あの子たちを友だちに紹介することができるなんて! いつごろになりそうですか?」
ぼくは沈黙に逃げた。正直に答えるならたわごとにしかならない。「今のはぼくの言葉ではありません。ぼくは言ってません、今のは嘘です!」だがぼくにはそんなことを打ち明ける勇気はなかった。「狂気」の評判を頂戴するのは難しくないだろうが、それを打ち消すのは驚くほど難しい。そんな口の利き方をしようものなら、「精神問診」状を発行されるのも極めて正当なことであるのは疑えまい。
どうやらミュリエル嬢は質問が聞こえなかったと思ったらしく、アーサーに向かってほかの話題を持ち出していた。だから時間はあった。驚きの衝撃から立ち直る時間――あるいは一瞬の〈あやかし〉状態から目覚める時間――どちらにせよ。
ふたたび周りの物事が現実に戻ったように感じたときには、アーサーがこんなことを言っていた。「どうにもならないんじゃないかな。数に限りがあるのは確かだし」
「そう思いたくはないけれど。でも誰かがメロディを思いついても、もう最近では新しいメロディではないものね。『最新の曲』と言われていても、子どものころに聴いた曲を思い出すようなものばかり!」
「その日が来るのは間違いない――世界がこの先もずっと続くのなら――」アーサーが言った。「ありとあらゆるパターンの曲が、ありとあらゆるパターンで真似されて作られることだろうね――」(ミュリエル嬢は悲劇の女王然と手を握りしめた)「もっと悪いことに、ありとあらゆるパターンの本も書かれてしまうんだ! 言葉の数には限りがあるんだから」
「作者にはあまり影響がなさそうだね」ぼくも言ってみた。「『どんな本を書こうか?』と言わずに、『どの本を書こうか?』と自問するんだろうけど。言い回しが違うだけだよ!」
ミュリエル嬢が賛同の笑みをくれた。「でも正気を失くした人なら、新しい本が書けるんじゃありません? もとからまともな本が書けないんですから!」
「真理だな」アーサーが言った。「それでもやっぱり終わりは訪れるよ。狂気の本にも限りがある。狂人の数にも限りがあるからね」
「しかるにその数は年々記録的に増えとりますからな」威張りくさった男が言った。ピクニックの日にショーマンを自任していた男だ。[*1]
「そういうことなら」アーサーが答えた。「九割の人間が狂人になれば」(アーサーはひどくナンセンスな気分になっているようだ)「精神病院を本来の目的のために使うのは難しくなるだろうな」
「とはつまり?」威張り屋がかしこまってたずねた。
「正気の人間を避難させるんです!」アーサーが答えた。「ぼくらは精神病院に閉じこもることになるでしょう。狂人たちは外に出て思いのままに。おかしなことをやり始めるでしょうね。鉄道の衝突事故は日常茶飯事、蒸気機関はボンボン爆発し、町のほとんどは焼け落ちて、船はほとんどが沈没してしまいます――」
「人類の大半が死に絶えてしまう!」威張り屋は見るからにお手上げだと当惑していた。
「そうなりますね」アーサーが頷いた。「待っていればいずれ狂人が正気の人間より少なくなります。そうなればぼくらは外へ。狂人たちは中へ。物事は正常な状態に元通りです!」
威張り屋はひそかに眉をひそめて唇を噛んだ。腕を組んで、このことをじっくり考えようとしていたようだ。「からかっているんだ!」ついに痛烈な不快感をあらわにしてつぶやくと、すたすたと立ち去った。
そうこうするうちに招待客が到着したので、ディナーの開始が告げられた。アーサーがもちろんミュリエル嬢をエスコートした。嬉しいことにぼくの席はミュリエル嬢の向かいだった。険しい顔つきのおばあさんがいて(会ったこともないし名前も知らなかった。例のごとくに自己紹介があったのだが聞き損ねてしまい、いくつかの名前が合わさった名前らしきものが耳に入っただけだった)、その人が晩餐の話相手となった。
ところがおばあさんはアーサーのことを知っているらしく、あれは「議論好きの若者」だとぼくに小声で打ち明けた。アーサーはアーサーで、おばあさんから頂戴した性格評のとおりに振る舞う気が満々のようだった。「あたしはね、自分のスープで乾杯するつもりはありませんよ!」(これはぼくに打ち明けたのではなく、関心を惹こうとしてその場にいる人たちに投げられた言葉だった)。アーサーはただちに戦いを挑んでおばあさんにたずねた。「スープがご自分のものになったのはいつからでしょうか?」
「これはあたしのスープですよ」おばあさんはキッとなって答えた。「あなたの前にあるのは、あなたの」
「それはそうです」アーサーが言った。「だけどあなたのものになったのはいつですか? 皿に入れられる瞬間までは、この家のものでしたよね。テーブルに並べられているあいだは、言うなれば給仕の持ち物だったはずです。それが運ばれたときぼくのものになったのでしょうか? それともぼくの前に置かれたとき? それとも口を付けたときでしょうか?」
「ほんとうに議論好きな若者だわ!」おばあさんの言葉はそれですべてだった。だが今度はみんなにも聞こえるように言っていた。その場にいる人々にも知る権利があると感じたのだろう。
アーサーはいたずらっぽく笑った。「一シリング賭けてもいい。あなたの隣の『著名な弁護士』さんにも」(大文字で始めたいことを言葉で表現することは確かに可能なのだ!)「答えられないでしょうね!」
「あたしは絶対に賭けたりしません」
「たった六ペンスレートのホイストでも?」
「絶対にですよ! ホイストには問題ありません。でもホイストにお金を賭けるなんて!」おばあさんは身震いした。
アーサーからいたずらっぽさが消えた。「ぼくにはそうは思えません。カードゲームに少額を賭けるのは、社交界がこれまでに社交界としておこなってきたなかでも、一番道徳的な行為ではないでしょうか」
「どうしてそうなるの?」ミュリエル嬢がたずねた。
「そのおかげでカードというのが、ごまかしが利くようなゲームとは一線を画しているからだよ。クロケーがどんなにか社交界の風紀を乱しているの考えてごらん。貴婦人たちは初めからごまかしをおこなっている、ひどいものさ。見つかってもただ笑うだけで、ただの冗談だと言うんだから。でもお金を賭けていればそんなのは問題外だ。ペテン師のことを洒落だとは解釈してもらえない。ゲームのテーブルに着いて友人たちをごまかしてお金を巻き上げても、それで冗談にはならないよ――階段から蹴り落とされるのを冗談だと思うのなら別だけどね!」
「殿方がみんなあなたみたいにご婦人のことを悪く考えているんでしたらね」隣の席のおばあさんが憎々しげに言った。「きっと――きっと減ってしまいますよ――」どうやってせりふを締めくくろうか悩んでいたようだったが、結局は「新婚旅行が」という差し障りのない言葉を選んだ。
「それどころか」と言ったアーサーの顔には、いたずらっぽい笑みが戻っていた。「みんながぼくの理論にしたがうだけで、新婚旅行――まったく新しいタイプの新婚旅行の数は――記録的に増えるでしょうね!」
「新しい新婚旅行のこと、聞かせてくれる?」ミュリエル嬢が言った。
「Xという男性がいるとします」アーサーはいくぶん声を大きめにした。六人の人間が耳を傾けていることに気づいたのだ。そのなかには「ミステル」もいる。複合姓のお隣さんの反対側に座っていた。「Xという男性がいて、Yという女性にプロポーズしたいと考えています。Xは『体験版新婚旅行』を申し込みました。それは受け入れられ、すぐに二人の若者は付添い人役のYの大叔母と一緒に――ひと月の旅行に向かいました。月夜の散歩、二人きりの会話、そうやって四週間でお互いの性格を適宜見積もることができるんです。ありふれた社交界の制限のもとで何十年会っていてもできないほどに。あとは戻ってきてから、Xが最終的な決断をするだけです。Yに重大な質問をするか否か!」
「十中八九は、縁を切るという決断するでしょうな!」威張り屋が断言した。
「ですから十中八九」アーサーも唱和した。「不幸な結婚は避けられることになり、どちらの関係者も悲劇から救われることになるんです!」
「本当に不幸な結婚ってのはね」おばあさんが言った。「十分なお金がないからに過ぎないんですよ。愛なんて後付けです。お金が差し当たって必要なんですよ!」
その言葉はそこにいる人々に一般論として問いかけられた。即座にその意見に賛成する者も何人かいて、しばらくはお金が話題の中心になった。その話題は断続的に続いているうちに、やがてデザートがテーブルに並べられ、使用人たちが部屋から退がり、テーブルのまわりでそれが実行されている最中に伯爵がワインに取りかかっていた。
「昔ながらの習慣を守っているとは喜ばしいですね」ぼくはそう言ってミュリエル嬢のグラスを満たした。「またこうした穏やかな気持ちになれるとは思わなかった。給仕が部屋を退がって――話を聞かれているような気にもならず、肩越しにしょっちゅう皿を突き出されることもなく談笑できるんですから。ご婦人にワインを注ぐこともできるし、欲しがっている人たちに皿を手渡すこともできるだなんて、これ以上に社交的なことがあるだろうか!」
「そういうことでしたら、あの桃をこちらに取っていただけますか」恰幅のいい赤ら顔の男性が声をかけた。我らが威張り屋氏の向こうに座っている。「さっきからずっと欲しいと思っていたものですから――斜めになって――しばらくそうしてましたよ!」
「そうなんです、ちょっとした思いつきなんです」ミュリエル嬢が答えた。「給仕にデザートのワインをきちんと運ばせるための。例えば給仕ときたら、いつだって間違ったタイミングで配るんですから――そんなの出席者全員にとって不幸なことですもの!」
「まるっきり来ないよりは間違っても来た方がいいさ!」アーサーが言った。「どうぞお取りください」(これは恰幅の言い赤ら顔の男に言ったのだ。)「禁酒主義者ではないでしょうね?」
「もちろん禁酒主義者です!」男は壜を押しのけた。「イギリスではほかの食品と比べ、二倍近くのお金が酒に使われてるんです。このカードをご覧ください」(しかるべき資料を持ち歩かない好事家などいるだろうか?)「色分けされた線が、それぞれの食品の消費高です。上位三つをご覧ください。バターとチーズに三千五百万、パンに七千万、酒類に一億三千六百万! 私なら、国中の酒場を閉鎖させますな! そのカードをどうぞ、モットーをお読みください。酒場こそ金の墓場なり!」
「反・禁酒主義カードをご覧になったことは?」アーサーは何食わぬ顔でたずねた。
「いや、あるものですか!」赤ら顔は乱暴に答えた。「どんなものですか?」
「おおかたこんな感じですよ。色分けされた線も一緒です。ただ、『消費高』の代わりに、『売上高』、モットーは『金の墓場』じゃなくて、『金の成る木』なんですよ!」
赤ら顔は渋面を作ったものの、どうやらアーサーのことを相手をするに値せ…ずと考えたようだ。そこでミュリエル嬢が参戦した。「ご意見をお持ちなのでしょうか? みんなが実際に禁酒主義者になることで効果的に禁酒主義を広められるような実例が?」
「もちろんです!」赤ら顔が答えた。「ほら、ここにぴったりの実例があります」新聞の切り抜きを広げ、「禁酒家の投書です、読み上げますよ。編集長殿。私は以前、適度にお酒をたしなんでおりましたが、知り合いにたいへんな酒豪がおります。『酒を断て。体を壊すぞ!』と申しましたところ、『おまえも飲んでるじゃないか。なぜ俺だけが?』と言われました。そこで私は申し上げたわけです。『その通りだが私は止め時を心得ている』と。すると彼は顔を背け、『おまえの好きなように飲めばいい。俺にも好きなように飲ませてくれ。出て行ってくれ!』と言ったのです。そこで悟りました。折り合いをつけるには、私は決して酒を飲んではならないと。それ以来、私は一滴も飲んでおりません!」
「さあ! これをどうお思いになりますか?」勝ち誇ったように周りの人々を眺めていた。そのあいだに切り抜きが手から手へと回されてその目で確かめられていた。
「不思議ですねえ!」読み終えたアーサーが声をあげた。「この投書を目になさったのは、先週の朝早くじゃありませんか? 不思議なことに、似たようなものがあるんですよ」
赤ら顔が好奇心を募らせた。「どこでそれを?」
「読みますよ」アーサーはポケットから紙切れを何枚か取り出し、一つを開くと読み上げた。「編集長殿。私は以前、適度に眠りをたしなんでおりましたが、知り合いに眠ってばかりの男がおります。『眠りを断て。体を壊すぞ!』と申しましたところ、『おまえも寝ているじゃないか。なんで俺だけが?』と言われました。そこで私は申し上げたわけです。『その通りだが私は朝起きる時間を心得ている』と。すると彼は顔を背け、『おまえの好きなように眠ればいい。俺にも好きなように眠らせてくれ。出て行ってくれ!』と言ったのです。そこで悟りました。折り合いをつけるには、私は決して眠ってはならないと。それ以来、私は一睡もしておりません!」
アーサーは紙を折りたたんでポケットにしまい、切り抜きの方を送り返した。誰も笑おうとはしなかったが、赤ら顔は見るからにかんかんになり、ぶうぶうとうめいた。「似ているといっても、区別できないほどじゃありませんね!」
「お酒をたしなむ程度の人なら、ものの区別がつきますからね!」アーサーが落ち着いて答ええると、このときばかりは鹿爪らしいおばあさんすら笑いを洩らした。[*2]
「それはそうと夕食会を申し分のないものにするには、まだまだ足りないことがたくさんあるわね!」ミュリエル嬢が話題を変えようとしているのがありありとわかった。「ミステル! 夕食会を申し分ないものにするにはどうすればいいかしら? 何かお考えがありますか?」
老人がぼくらを見回して笑みを浮かべると、大きな眼鏡がさらに大きく見えた。「申し分のない夕食会ですか?」と繰り返した。「第一に、主催者がうまく仕切ることですぞ!」
「それはもちろんなんですけど!」ミュリエル嬢が朗らかに合いの手を入れた。「でもほかには、ミステル?」
「この目で見てきたことしか話せませんからな」ミステルが言った。「私自身の――いや私が訪れた国のことしか」
それきりまるまる一分ものあいだ黙りこくって、天井をじっと見つめている――それがひどく夢みるような顔つきなので、夢の世界に行ってしまったのかとどきりとした。そういう状態こそが普段通りのようにも思えたのだ。だが一分後には思い出したようにまた話し出した。
「だいたいにおいて夕食会が失敗する理由は、不足ですな――肉の不足に、酒の不足、会話の不足」
「イギリスの夕食会でおしゃべりが絶えるなんて聞いたことがありませんよ!」ぼくは言った。
「失礼ですが」ミステルがうやうやしく答えた。「『おしゃべり』とは申しておりませんぞ。『会話』と言ったのです。天気や政治、噂話のような話なぞ、我々のところでは話題にはなりません。そんなものは退屈するか議論になるかですからな。会話に必要なのは、興味と新鮮味のある話題なのです。いろいろ試してまいりましたから保証つきですぞ――『活動写真』、『野生動物』、『移動客』、『口が回る』。もっともこの最後のは小さな集まりにしか使えませんが」
「四つに分けて説明してくださいな!」ミュリエル嬢は興味津々のようだ――そのころにはほかの人たちも同じだった。ミステルの演説を少しでも耳に入れようと、話をやめてテーブルに着き、顔を突き出している。
「その一! 『活動写真』!」ミュリエル嬢が澄んだ声をあげた。
「テーブルが丸い輪のような形をしておりましてな」ミステルが夢見がちな低い声で話し始めた。静かなのでそれでもよく聞こえる。「お客さんは、輪の外側だけではなく内側にも座っとります。席に着くには、下の部屋から螺旋階段を上ってくるわけです。テーブルの真ん中には小さな線路が敷かれておりましてな。輪になった貨車が機械でぐるぐる回るようになっております。それぞれの車両には、二枚の写真が背中合わせにもたせかけておるのですな。夕食のあいだに列車は二廻りいたします。一周したところで給仕が車両の写真をひっくり返して、反対側に向けるのですな。かくしてすべてのお客さんにすべての写真をご覧いただけるのです!」
ミステルが話をやめ、それまで以上に死んだような静けさが訪れた。ミュリエル嬢がびっくりしていた。「あら、こんなに静かなままなら針を落とさなくちゃならなくなるわね! 私の失敗です」(ミステルの魅力的な視線に答えて。)「自分の役目を忘れてました。その二! 『野生動物』!」
「『活動写真』は少し単調ですからな」ミステルが言った。「食事中には芸術ことなど話そうとしないものです。そこで『野生動物』を試してみました。テーブルには花を飾るものなのですが(それはこちらも同じですな)、花のなかにはいろいろなものが観察できます。こちらには鼠、あちらには甲虫、こちらには蜘蛛」(ミュリエル嬢が身震いした)、「あちらには雀蜂、こちらには蟇蛙、あちらには蛇」(「お父さま!」とミュリエル嬢が訴えた。「今のをお聞きになった?」)「であるからして、話題には困らないのです!」
「もし刺されたら――」おばあさんが言いかけた。
「つながれておりますから、ご安心を!」
おばあさんは満足そうに頷いた。
今回はぽっかり沈黙ができたりはしなかった。「その三!」とミュリエル嬢がすぐに発表した。「『移動客』!」
「『野生動物』にもマンネリしたときには」ミステルが続けた。「お客さん自身に話題を選んでもらうことにしました。退屈させないためにお客さんを変えるのです。テーブルを二重の円にいたしました。内側の円は絶えずゆっくりと回転しておりまして、むろん円の中心の床と内側のお客さんも一緒に回転させるのですぞ。こうすればすべてのお客さんが、外側のお客さんすべてと顔を合わせることになります。ときには困ったことに、ある人と話を始めて、別の人と話を終えることになりますが。だがあらゆるアイディアに失敗はつきものですからな」
「その四!」ミュリエル嬢がすぐに次に進んだ。「『口が回る』!」
「小さな集まりになら、もってこいのアイディアです。丸いテーブルの真ん中に、お客さんが一人入れるくらいの大きさの穴を空けておくのですな。そこに一番口の回る人を入れる。ゆっくりと回転させて、すべてのお客さんと顔を合わせるようにします。そうやってひっきりなしに楽しい話を続けてもらうのです!」
「どうだかね!」威張り屋がつぶやいた。「そんなに回転したら目が回りそうだ! 自分なら辞退させてもら――」ここでどうやら、その仮定がそもそも受け入れられないのではないか、と気づいたらしい。慌ててワインを飲み下して、むせ返った。
だがミステルはまたもや夢の世界に戻ってしまい、もう何も言わなかった。ミュリエル嬢の合図をしおに、女性たちが部屋をあとにした。
"Sylvie and Bruno Concluded" Lewis Carroll -- Chapter IX 'The Farewell-Party' の全訳です。
Ver.1 03/05/24
Ver.2 03/06/19
Ver.3 03/10/08
Ver.4 11/03/02
[註釈]
▼*註1 [ショーマンを自任]。正篇第17章「三匹の穴熊」より。ピクニックの参加者の一人。「厄介者」「雄弁家」「偉大なる男」。「その声はあまりになめらかで、単調で、朗々としていたので、ほかのどんな会話も締め出されてしまい、しかも何らかの非常手段でも講じないかぎり、いつ終わるともしれない講演を聞かされる羽目に陥るのではないだろうかと、一同をぞっとさせた。」[↑]
▼*註2 [ものの区別が……]。原文「"Your parallel doesn't run on all fours!" "Moderate drinkers never do so!"」。「on all fours」で「ぴったり一致して」「四つんばいで」の意。赤ら顔が「完全に(on all fours)同じじゃない」と言ったのに対して、アーサーが「たしなむ程度の酒飲みなら四つんばいに(on all fuors)なったりしないからね。へべれけの酔っぱらいじゃあるまいし」と切り返しています。[↑]