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翻訳:東 照
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プロジェクト杉田玄白 正式参加テキスト

シルヴィーとブルーノ完結編

ルイス・キャロル


第十三章
トトルズの言うことにゃ

 ミステルは写本を広げたが、驚いたことに、読むのではなく歌い始めた。部屋中に響くような豊かでまろやかな声だった。


「年に一千ポンドとは
それほど悪い額じゃない!」
トトルズ曰く。「その点、男は結婚で
得をすることもありなん!
『夫にゃ妻が必要』とは
適切な言い方だ。
女の人生で最高の喜び
これ!」とトトルズ(本気で言うことにゃ)。

新婚旅行も無事に終わり
新婚夫婦も家路についた。
お姑さんが同居して
二人の幸せに気を遣う。
「収入には余裕があるね。
その調子だよ!」(調子は上々)。
「だがこんな幸せは長続き
しないのでは!」とトトルズ(本気で言うことにゃ)

小さな田舎家を手に入れた――
コヴェント・ガーデンにもう一軒。
これがほんとの二世帯住宅
友人たちはそう呼んだ。
ロンドンの家も似たようなもの
(三百ポンドの家賃が入った)。
「人生とは愉快なゲームだ!」
と喜んだトトルズ(本気で言うことにゃ)。

「つつましい運命で満足さ」と
(ギュンター亭で言っていたものだが)
手軽な帆船を一艘買って――
手頃な猟犬を一ダース揃え――
ハイランド湖で魚釣り――
ヨットでぐるぐる回っていると――「『
オット!』と叫ぶゲール人の
声が聞こえる!」とトトルズ(本気で言うことにゃ)。


 ここで、眠りに落ちている真っただ中の人間が目を覚ますときのようにビクッと痙攣して、ぼくはようやく気づいた。ぼくをぞくぞくさせていた妙なる音楽の調べはミステルのものではなく、フランスの伯爵のものだった。老人は今も写本を調べている最中だった。

「お待たせしてしまい申し訳ない! 英語にできない単語がないか確かめておったところでしてな。もうすっかり準備できました」そうして次のような伝説を読み上げた。

「アフリカの中心にある都市がありました。旅行者がぷらりと訪れることなどまず滅多にないところで、住民は卵を買うのが習慣じゃった――卵酒が主食の地域の日課ですな――週に一度訪問してくる商人から買っておりました。我先に競って入札したものです。かくして商人が来た際にはいつも決まって熱狂的な競売とあいなり、籠に残った最後の卵一個なぞは駱駝二、三頭分かそこらの値段で売れたものです。ですから毎週毎週、卵は高くなりました。それでも住民は卵酒を飲み続けたが、自分たちのお金がどこに消えたのか不思議がっておりました。

「やがて額を寄せ集めて相談する日がやってきました。自分たちが何と愚かだったのかを悟ったのです。

「翌日、商人がやってくると、男が一人だけ進み出てこう言いました。『嗚呼、かぎ鼻の君、ぎょろ目の君、もじゃ髭の君、卵の山はおいくらです?』

「商人は答えました。『一ダース一万ピアストルならこの山をお譲りできますよ』

「男はひそかにほくそ笑みました。『一ダースピアストル、それ以上は差しあげません。おお偉大な父祖の末裔よ!』

「商人は髭をひと撫でこう言いました。『ふん! ご友人がたが来るのを待つとしましょうか』かくして商人は待った。男も待った。二人は一緒に待っていました」

商人

「写本はここで破れておりまして」ミステルはそう言って、写本を元のように巻き直した。「ですが我々の目を覚ますには充分でした。自分らがいかに愚かだったかを悟ったのです――奨学生を買うのは、無知な野蛮人が卵を買うのとまったく同じだと――そして馬鹿げた制度は廃止されたのです。それに加えて、あなた方から借用したあらゆる風習を廃止することができたらどんなによかったか! そうすれば当然の帰結をもたらさずに済んだのじゃが。だがそうはならんでな。我が国を滅ぼし、わしを故郷から追いやった原因は、――よりにもよって軍隊に――政治的対立の理論を導入したことでした!」

「たいへんすみませんが」ぼくは言った。「『政治的対立の理論』とはどういうことなのか説明してもらえますか?」

「すまぬものですか!」というのが極めて礼儀正しいミステルの返答だった。「話しをするのは何より楽しいですからな、それも相手が聞き上手ときては。ことの始まりは、ある政治高官が――長いことイギリスに滞在しておったのですが――当地の政治運営のあり方について報告をもたらしたことでした。それが政治的に不可欠だと(その政治家に言われて、わしらは信じました。そのときまでそんなものは知りもしなかったのにですぞ)。つまりあらゆる点あらゆる問題において、政党は二つであるべきだというのです。政治上、その二つの政党は、あなたがたが作るべき必要性を感じていたその二つの政党は、その政治家の語ったところによると、『ホイッグ党』と『トーリー党』と呼ばれておったとか」

「ずいぶん昔のことだったんですね?」[*1]

「ずいぶん昔のことでした」ミステルは頷いた。「そしてこれがイギリスの国家運営方法でした。(間違っていたら訂正してくだされ。わしは旅行者が話したことを繰り返しておるに過ぎません。)この二つの政党は――昔から対立関係にあって――代わる代わる政権を執っておりました。そのとき政権を執れなかった政党は『反対勢力』と呼ばれていましたな、確か?」

「それで合ってますよ」ぼくは言った。「少なくとも議会を持つようになってからは、政党は二つあって、『与』と『野』に別れていました」

「ふむ、『与党』(という呼び方でよいのでしょうか)、『与党』の職務とは国民の福利厚生のために可能なかぎり全力を尽くすこと――戦争か平和かの選択、商業、条約、そういったことですな?」

「そのとおりです」

「そして『野党』の職務とは(旅行者がそう断言しても、初めのうちは信じられなかったのですが)、あらゆることを『与党』が実行するのを邪魔することでしたな?」

「政策を批判したり修正したりすることです」ぼくは訂正した。「国の利益のために尽くしている政府を妨害するなんて、非国者じゃありませんか! 我々は常に愛国者のことを偉大な勇者だと考えてきましたし、非愛国心を持つのは人間として最大の不幸だと考えてきましたよ!」

「ちょいとすみませぬ」老人は丁寧に断ってから手帳を取り出した。「旅人とやりとりしたことをここにメモしておりましてな。もしよろしければ、ちょっと記憶を確かめることにいたしましょう――あなたのご意見には完全に同意いたしますぞ――仰るように、人間として最大の不幸だと――」ここでミステルがまた歌い始めた。


だが嗚呼、人間として最大の不幸は
(哀れトトルズは気づく)『請求書だ』!
銀行残高がゼロになれば、
気分が沈むのもおかしくなかろう?
それでも、お金は流れ出すので、
妻はどうやりくりしているのやら。
「日に二十ポンド使ってるだと、
それで最低限?」と叫ぶトトルズ(本気で言うことにゃ)。

妻はため息。「この居間のこと
考えたこともなかったわ。
ママはその調子って言ってたし――
これがなきゃあたしたち何なのかしら。
おでこにつけてるダイヤのバンド――
ママが送ってくれたと思ってた、
ついさっき請求書が来るまでは――」
「このあま!」と叫ぶトトルズ(本気で言うことにゃ)。

哀れトト夫人はもう限界、
床にばたりと気絶した。
取り乱した姑が
介抱するが娘は起きず。
「早く! 箱から気つけ薬を!
しからないでジェイムズ、
欠点だらけでも、かわいい娘――」
「こいつが?」と唸るトトルズ(本気で言うことにゃ)。

「馬鹿だった」と叫ぶトトルズ、
「あんたの娘を妻にするとは!
かっこつけろと言ったのはあんた!
おれたちを破産させたのはあんた!
でも一つだけ教えてくれない
破産を防ぐ方法だけは――」
「そんな議論が何になるのさ?」
「黙れ!」と叫ぶトトルズ(本気で言うことにゃ)。


 またもやハッと目覚めると、歌っているのはミステルではない。ミステルはメモを調べ続けていた。

「友人の話はいたって正確です」いろいろな書類を読み込んだあとで、話を再開した。「『非愛国』とはその友人に出した手紙のなかでわしが使っておった言葉です。『邪魔する』とはその返事のなかで使われてた言葉ですな! 手紙の一部を読み上げてよろしいかな。

「『断言しよう』と書かれております。『非愛国的なのはきみの考えている通りだ。『反対勢力』のやるべき仕事とは、法で禁じられていないあらゆる方法で政府の活動を邪魔することだ。こうした取り組みは『合法的妨害』と呼ばれている。『反対勢力』が勝利の味を噛みしめるのは、国家の利益を図ろうとして政府がおこなっていたあらゆることが、自分たちの『妨害』によって失敗に帰したのだと指摘できるときなのだ!」

「ご友人の評価は完全に正確とは言えませんね」ぼくは言った。「それはもちろん反対勢力は喜んで指摘すると思いますよ、政府が自らの過失によって失敗した場合には。でも自分たちの妨害のせいで失敗したのを指摘したりはしませんよ!」

「さようですか?」ミステルは穏やかに答えた。「ではこの新聞の切り抜きをお読みしましょう、友人の手紙に同封されていたものです。当時『反対勢力』の党員だった政治家が演説をおこないまして、その公開演説に関する記事の一部です。


「『閉会に当たって、取り組みの成果に不満を持つ理由などないという考えを氏は表明した。あらゆる点で敵に勝利を収めたが、追求は続けられなければならなかった。混乱をきたし失意にある敵を追撃するだけであった。』」


「さてこの演説者が言っていることは、あなたのお国の歴史のどのあたりに該当するとお考えでしょうかな?」

「そうですね、前世紀には幾度となく戦争で勝利を収めましたからね」ぼくはブリテンな誇りに燃えて答えた。「あまりに多すぎて、当時のどの戦争のことなのか、万に一つも見当がつきません。でも一番ありそうなのはインドだと言っておきましょう。おそらくその演説がおこなわれたころに暴動がほぼ鎮圧されたのだと思います。さぞかし素晴らしく、雄々しい、愛国的な演説だったんでしょうね!」ぼくは興奮のあまり叫んでいた。

「さようですか?」ミステルの声は優しく哀れむようだった。「だが友人の話では、『混乱をきたし失意にある敵』とはそのとき政権を担っていた政治家たちのことを言っているに過ぎず、『追求』とは『妨害』のことを言っているに過ぎないそうじゃ。して『敵に勝利を収めた』とは、国家によって権限を与えられた職務を政府が執りおこなっているのを、何でもいいから邪魔することに『反対勢力』が成功したということだとか!」

 どうやら黙っているのに越したことはない。

「初めのうちこそ奇妙に思えたものじゃが」礼儀正しいミステルは、ぼくが口を開くのではないかとしばらく待ってから、話を続けた。「いったんその考えを身につけてしまうと、我々はあなたがたのお国にそれは敬意を払っておりましたので、生活のあらゆる面にその考えを導入いたしました! それが終わりの始まりだったわけです。我が国は二度と立ち直りませんでした!」そうして哀れな老紳士は深いため息をついた。

「話題を変えましょう!」ぼくは言った。「どうか悲しまないでください!」

「いや、いや!」ミステルは元気な顔を見せようとしていた。「この話を終わらせてしまいましょう! そのあとはですな、(我々の政府が役立たずになり、必要な法律が機能しなくなったあとのことです。そうなるのにも長い時間はかかりませんでしたが)、『栄光の英国式対立原理』と呼んどるものを農業に導入いたしました。富農の方々を説得いたしましてな、農作業員を二つの党に分けて、互いに対立させたのです。政治政党と同じように『与党』と『野党』と呼びならわされました。『与党』の仕事は、耕作、種まき、それに必要なことなら何でも、一日のうちにできるだけやり遂げることでした。夜にはやり遂げた分だけ給料をもらっておりました。『野党』の仕事は『与党』を邪魔することで、邪魔した分だけ給料をもらうわけです。農場の経営者たちは、給料の支払いが以前の半分だけでいいことに気づきました。だが仕事の量が以前の四分の一だけになったことには気づかなかったのです。ですから初めのうちは誰もがすっかり乗り気で導入しておりました」

「それでその後は――?」ぼくはたずねた。

「はあ、その後はそれほど乗り気ではありませんでしたな。またたく間に、ことはお約束の繰り返しに陥ってしもうた。仕事はまったく成し遂げられなくなりました。とどのつまりは『与党』の手には給料が入らず、『野党』がごっそりいただいておりました。経営者たちは、すべてがおじゃんになるまでは何も気づきませんでした。ごろつきどもは行動を示し合わせて、給料を山分けしておったのです! そのあいだじゅう、おかしな光景が見られたものでした! たとえばですな、一人の農民が鋤に二頭の馬をつないで前に進もうと努力しているのをよく見かけましたが、そのあいだ野党の農民が鋤の反対側に三頭のロバをつないで後ろに進もうと全力を尽くしておったのです! 鋤はどちら側にも一インチとて進みません!」

「ですが我々そんなことはしませんでしたよ!」ぼくは声をあげた。

「つまりは我々ほど論理的ではなかったわけですな」ミステルが答えた。「ときには馬鹿の方がよいことも――失礼! 特定の誰かをあてこすったわけではありませんぞ! すべてははるか昔の出来事なのですからな!」

ほかの方面では対立原理が成功したんですか?」

皆無でした」ミステルは率直に認めた。「ほんのわずかのあいだ商業の分野で試みられたくらいでです。店員の半数が忙しく商品を包んだり運んだりしようとしているのに、残りの半分がカウンターに広げようとしているのを目にしては、どんな店主も導入しようとはしませんでした。世間はそんなこと望んでおらぬそうじゃて!」

「まあそうでしょうね」

「さよう、我々は何年間か『英国式原理』を試みました。そして最後には――」ミステルの声がにわかに小さくなり、ささやきに近くなった。やがて大粒の涙が頬を転がり落ち始めた。「――最後には、我々は戦争に巻き込まれたのです。激しい戦闘でした、数では敵を上回っておったのですが。だが誰に予想できますかな、兵の半数だけが戦って、残りの半数が退却することなど? 結果は壊滅的でした――完敗です。これが革命を引き起こし、政府のほとんどの人間は追放されました。わし自身は『英国式原理』を強く推進したかどで反逆罪に問われました。財産はすべて没収され、そして――そして――追放の憂き目に遭ったのです! 『害を及ぼしたからには、こころよく国を去るつもりだろうね?』と言われました。心臓が張り裂けそうでしたが、出国せ…ざるを得ませんでした!」

 もの悲しい声が嘆きに変わった。嘆きがシュプレヒコールに変わる。シュプレヒコールは歌になった――だが今度はミステルが歌っているのか、ほかの誰かが歌っているのか、ぼくにははっきりしなかった。


「害を及ぼしたからには、快く
荷物をまとめて出て行くつもりだろうな?
二人なら(あんたの娘と息子なら)
仲良くやれるが、三人だとそうはいかぬ。
俺たちは節約を始めるよ。
変化が必要なら、編み出すさ。
だからこっちのことには
手を出すな!」と叫ぶトトルズ(本気で言うことにゃ)。

 音楽はいつの間にか消えていたらしい。ミステルはまた普通の声で話していた。「もうひとつ教えてくだされ。お国の大学にですな、三、四十年も在籍している学生がいたとして、それでも試験をするのは三、四年目の終わりに一度だけだと考えてよろしいでしょうかな?」

「そのとおりでしょうね」ぼくは認めた。

「すると実際には、学歴の初めに試験していることになるのですぞ!」老人はぼくにと言うよりむしろ自分に向かって口にした。「つまりですな、早めに――というべきでしょうが――早めに教えた知識を忘れずに覚えているという保証がどこにありますか?」

「何もありません」ミステルの勢いに戸惑いながらぼくは認めた。「その点をどのように保証していらっしゃるのですか?」

「三、四十年目の終わりに試験をすればよいのです――初めにではありません」ミステルは穏やかに答えた。「そうすれば平均的に言って、知識は初めのころの五分の一ほどになるのですが――忘却というのはごく一定の割合で進むものですから――そうすれば、忘れたことがもっとも少ない者が、もっとも多くの栄誉と奨学金を得るのです」

「ではその必要がなくなってからお金を渡すんですか? 人生のほとんどを無一文で過ごすことになりませんか!」

「そんなことはありませんぞ。その学生が小売店に注文を出します。小売店は四十年のあいだ、ときには五十年のあいだ、その店の裁量で注文を受けつけるのです。やがて特別奨学生になることができれば――お国の奨学生に五十年で支払われるのと同じ額が、一年で支払われるのですから――かくして学生は借金をそっくりと、それも利子つきでたやすく返済することができるというわけですな」

「だけど特別奨学生になれなかったとしたら? そんなこともよく起こるでしょう」

「よく起こりますな」ミステルもそれを認めた。

「店はどうするんですか?」

「それに応じて処理いたしますな。驚くほどの無知や馬鹿であると思われる場合には、それ以上の販売を拒否することもあります。肉屋に牛肉や羊肉の販売を止められてしまってから、科学や語学をいくつも復習し始める学生がどれだけ必死なのか見当もつかぬでしょうな!」

「試験官はどんな人ですか?」

「あふれる知識を持った、入学したての若者です。不思議な光景だと思われるでしょうな。ほんの小僧っ子がそんな大人たちを試験しているのを見れば。自分の祖父を試験することになった学生を知っておりました。双方にとって何とも痛ましいところがありましたな。老紳士ときたらすっかりはげ上がって――」

「どのくらいはげ上がっていたんでしょう?」なぜこんな質問をしたのか見当もつかない。自分が馬鹿になってしまったようだった。


"Sylvie and Bruno Concluded" Lewis Carroll -- Chapter XIII 'What Tottles Meant' の全訳です。

Ver.1 03/07/11
Ver.2 03/07/17
Ver.3 11/04/15


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[註釈]
*註1 [ずいぶん昔の]。ホイッグ党とトーリー党は17世紀〜19世紀初頭にかけて存在した政党です。[

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