この翻訳は翻訳者の許可を取ることなく好きに使ってくれてかまわない。ただし訳者はそれについてにいかなる責任も負わない。
翻訳:東 照
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ジョゼフ・バルサモ

アレクサンドル・デュマ

訳者あとがき・更新履歴
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第百三十三章 裁判

 フリッツは正しかった。サン゠クロード街にやって来た来客たちの態度は、もはや平和的でも友好的でもなかった。

 馬に乗った五人の男が馬車を護衛している。陰気で横柄な顔つきをした五人は、完全武装して、閉めた門を見張りながら、主人の帰りを待っているようだ。

 馬車に坐った馭者と二人の従僕は、外套の下に狩猟用ナイフと小銃を忍ばせていた。つまりサン゠クロード街に現れた者たちは総じて訪問というよりは軍事遠征に赴いたような気配を漂わせていたということになる。

 斯かる恐ろしげな連中が夜中に押しかけて来たことに気づいて、当初、フリッツはただならぬ恐怖に襲われた。門の小窓から覗くと護衛がいて、どうやら武装しているらしいとわかった時には、中には入れるまいと頑張ったものの、疑う余地なき合図という、来訪者には中に入る権利があるという証拠を見せられては、もはや抗うことは出来なかった。その場を支配するや余所者たちは手慣れた軍人のように戸口を固め、その間、敵意を隠そうともしなかった。

 中庭や通用路を塞ぐ従者もどきや、応接室に陣取る支配者もどきが、朗報だとはフリッツにはとても思えなかった。呼び鈴をけたたましく鳴らしたのにはこうした事情があった。

 バルサモは驚きも見せず何の心積もりも持たずに応接室に足を踏み入れた。訪問者たちに失礼のないようにと、フリッツによって部屋には然るべく明かりが入れられていた。

 バルサモが姿を見せても五人とも立ち上がらず椅子に腰を下ろしたままだ。

 この家の主人であるバルサモは、五人を見回して丁寧にお辞儀をした。

 その時になってようやく五人も立ち上がり、重々しく挨拶を返した。

 バルサモは五人と向き合うように椅子に坐ったが、奇妙な椅子の並びには気づいていないのか、或いは気づいていないふりをしているようだ。五つの椅子は古代の裁判と同じく半円形に並べられ、裁判長が二人の陪席を従えている。そしてバルサモの席は裁判長の正面、つまり評議会や法廷で罪人が坐る位置だった。

 初めに口を切ったのはバルサモではなかった。別の状況ならばそうしていたであろうが、衝撃のあまり放心状態から抜け切れておらず、目には物が見えていなかったのだ。

「どうやらわかっておるようだな」裁判長が、つまり中央に坐している代表者が声をかけた。「ぐずぐずしておるから、探しに行くべきかどうか話し合っていたところであったぞ」

「俺にはわからない」とだけバルサモは答えた。

「こうして向かい合っているのは、罪人の立場と態度をわきまえているからだと思っておったが」

「罪人?」バルサモは呆然として呟き、肩をすくめた。「俺にはわからんな」

「ではわからせて見せよう。難しいことではない。顔は青ざめ、目は翳り、声は震えているではないか……聞いているのか?」

「もちろん聞いているさ」つきまとっている幻影を振り払おうと、バルサモはぶるぶると首を振った。

「最高議会からの先の通達は覚えているな? 結社の支援者の一人が裏切りを目論んでいるという通達だ」

「多分……ああ……違うとは言わない」

「良心が揺り動かされおるようだな。だが、正気になってもらわねば……倒れてもらうわけにはいかぬぞ。はっきりと答えてもらおう。状況は抜き差しならぬ。納得できるような明確な説明をしてもらおう。こちらは予断も敵意も持ってはおらぬ。我々は法なのだ。法が判決を下すのは、判事が事情を聞いてからだ」

 バルサモは答えなかった。

「繰り返す。バルサモ、こちらは一度警告を与えた。拳闘士たちも殴り合う前には警告を受け取るものだからだ。これから公正ではあるが容赦のない武器で告発をおこなう。辯明してみよ」

 バルサモが身動き一つせず冷静でいるのを見て、陪席たちは驚いて顔を見合わせたが、やがて裁判長に目を戻した。

「聞いているのか、バルサモ?」

 バルサモは肯定の印に頷いた。

「つまり誠実にして寛大なる同志の名に於いて、警告を与え、尋問の目的をあらかた知らせることはしたのだ。警告を受け取った以上は心して聞くがよい。

「警告を伝えた後、結社は裏切り者として告発された人物の足取りを見張るために五人の会員をパリに放った。

「手に入れた情報が間違っていることはまずない。情報の経路は知っての通りだ。巷間に紛れた忠実な間者や、物事に潜む確かな徴や、余人にはまだ知られぬ自然界の組み合わせから読み取れる兆しや暗示。今回は我々の一人が幻視を目にした。無謬の男だよ。そこで警戒を怠らず、貴下を見張っておったのだ」

 バルサモは焦りどころか話を理解している様子すら見せなかった。

「貴下のような人間を見張るのは容易ではなかった。貴下は何処にでも入り込んだ。敵が何処に居を構え、何処で権力を行使していようと乗り込んだ。結社が目的達成のために授けた莫大な天然資源を意のままにした。だが貴下への疑念はくすぶっておったのだ。リシュリュー、デュバリー、ロアンといった敵を自宅に招き入れているのを見てからのことだ。それから、先日プラトリエール街で開かれた集会がある。貴下は逆説を巧みに駆使して演説をおこない、この世から一掃すべき救いようのない連中におもねり、交流を深めながら、それは役を演じているのだと説得してしまった。我々としては意図のわからぬうちはそうした行動も尊重し、良い結果が出るものと期待しておったのだ。だがもたらされたものは失望だった」

 相変わらず身動きもせず狼狽えもしないバルサモを見て、裁判長は苛立ちに襲われた。

「三日前、五通の封印状が発行された。訴えたのはサルチーヌ氏だ。署名が済むとすぐに宛名が埋められ、同日、パリに住む五人の忠実な間者のところに送られた。五人は逮捕され、連行された。二人はバスチーユの奥深くに、二人はヴァンセンヌの地下牢に、一人はビセートルの監禁部屋に放り込まれた。こうした事情は知っておるか?」

「いいや」バルサモが答えた。

「貴下が王国の権力者と知り合いであることを考えれば、それは解せぬな。しかしさらに解せぬことがある」

 バルサモは続きを待った。

「サルチーヌ氏が五人を逮捕するには、五人の名前をはっきりと記した覚書を目にしている必要がある。一七六九年に、貴下が最高議会から預かった覚書だ。しかもその五人の新会員を迎え入れ、最高議会から承認された地位を授けたのは、貴下自身ではなかったか」

 バルサモは記憶にないといった仕種をした。

「では思い出させて進ぜよう。五人にはそれぞれアラビア文字のコードネームが与えられた。貴下が預かった覚書を読めば、この文字が新会員の名前と頭文字に対応しているのだ」

「そうかい」

「覚えはあるな?」

「好きなように考えてくれ」

 裁判長は四人に対し、この告白をよく覚えておくように目顔で告げた。

「ではその覚書――知っての通り一枚しかない、五人の同志を危険にさらしかねないその覚書に、六人目の名前が記されていたことは覚えているか?」

 バルサモは答えなかった。

「その名は、フェニックス伯爵!」

「なるほど」

「五人の名前が封印状に記されていたにもかかわらず、貴下の名前が宮廷や官廷で敬意を払われ、大事にされ、愛しまれているのはどういったわけだ? 監獄行きが五人に相応しいなら、貴下も同じではないか。何か言うことはあるか?」

「何も」

「ふん! 言い訳の見当はつく。名も無い同志には容赦がないが、大使や権力者の名前には敬意を払うのが警察のやり方だと言いたいのであろう。それどころか警察は疑いもしなかったと言うつもりであろう」

「何も言うつもりはない」

「名誉よりも自尊心を取るつもりか。五人の名前は警察には知りようがないのだ。最高議会が貴下に預けた内々の覚書を読まずして、どのように知り得たというのか……覚書は貴下が小箱に仕舞っておいたはずだ。そうであるな?」

「ああ」

「先日、女が小箱を手に家から出て来た。目撃した見張りが尾行すると、たどり着いたのはフォーブール・サン゠ジェルマンにある警察長官の邸であった。その時点で不幸を根源から絶つことも出来た。小箱を取り返し、女を捕まえれば、すべては平穏無事に治まったことであろう。だが我々は掟に従うことにした。同志が大義のために人知れぬ手段を用いた場合、それを尊重しなくてはならぬ。見たところその手段が裏切り行為や軽率な行動に見えたとしてもだ」

 バルサモはこれに同意したように見えたが、あまりに目立たぬ仕種だったので、それまで微動だにしなかったという事実がなければ、誰もその動きには気づかないところだった。

「その女は警察長官のところに行き、小箱を手渡し、すべてが明るみに出た。そうだな?」

「完全にその通りだ」

 裁判長が立ち上がった。

「この女は何者であったか? 貴下に身も心も熱烈に捧げ、深く愛しているこの美しい女は? 才気に優れ狡猾で臨機応変な闇の天使のように、男を助け悪事を成功に導くこの女は? ロレンツァ・フェリチアーニというのがその女だ、バルサモ!」

 バルサモは絶望の咆吼を洩らした。

「納得したか?」

「結論を聞かせてくれ」

「まだ終わってはおらぬ。女が警察長官の邸に入ってから十五分後、今度は貴下が入って行った。女が裏切りの種を蒔き、貴下が報酬を刈り取りに来たのだ。女が従順な召使いとして悪事を実行し、貴下が汚い仕事に手際よく最後の一仕上げを加えたのだ。ロレンツァは一人で出て来た。貴下は女を切り捨て、一緒に歩くような危険を冒したくなかったのであろう。貴下が意気揚々と出て来た時にはデュバリー夫人と一緒だった。デュバリー夫人がそこに呼び出されたのはほかでもない、貴下の口から手がかりを得られると信じていたからだ。貴下はそれと引き替えに報酬を得ようとしていたのだろう……そのあと貴下はこの娼婦の四輪馬車に乗り込んだ。エジプトの聖マリアと船に乗った渡し守のように。我々を破滅させる覚書をサルチーヌのところに残しておきながら、自分を破滅させかねない小箱は我々の手に入らぬよう持ち去ったのだ。ありがたいことにすべてお見通しだ! 神の光は然るべき時に我らと共にあるのだ……」[*1]

 バルサモは何も言わずに一揖した。

「結論を言おう。二人は有罪だという報告がもたらされた。共犯者である女の方は、恐らくそうとは知らずに罪を犯したのであろうが、我らの秘密を暴露して計画に支障をもたらしたのは間違いない。次は親方マスターであり大コフタである貴下だ。輝かしい光という存在でありながら、裏切りが目立たぬように女の背後に隠れるような卑劣な行為をおこなった」

 バルサモは青ざめた顔をゆっくりと上げ、尋問が開始された時から胸に温めていた炎を瞳に燃やして一同を見据えた。

「女を告発する理由は?」

「かばうつもりなのであろうが、貴下が何よりもこの女を愛していることは承知している。この女こそ科学と幸福と運命の才器であり、何にも増して得難い逸材なのだということも承知している」

「お見通しというわけか?」

「その通りだ。貴下を攻撃するなら本人ではなくこの女を狙う方が効果的だということもわかっている」

「続けてくれ……」

 裁判長は立ち上がった。

「判決を申し渡す。ジョゼフ・バルサモは裏切りの罪を犯した。誓いに背いた。ただしその科学智識は豊富であり、結社にとって役に立つ。今後バルサモは、背いた大義のために生きよ。バルサモの方からは同志を捨てたつもりでも、バルサモは同志と共にあるのだ」

「ふん!」バルサモは陰気に吐き捨てた。

「永久に拘束しておけば新たな裏切りから組織を守ることが出来るし、いろいろと役立つことをバルサモから手に入れることも出来るであろう。会員の一人一人にそれを手にする権利があることは言うまでもない。ロレンツァ・フェリチアーニに関しては、厳しい罰を……」

「待ってくれ」バルサモの声はいつにも増して落ち着いていた。「俺の抗辯を忘れてもらっちゃ困る。被告人には抗辯を聞いてもらう権利があるはずだ……たった一言でいい。証拠は一つだけだ。ちょっと待っていてくれたら、約束した証拠を持って来よう」

 五人が相談を始めた。

「ふん! 自殺されやしないかと心配しているのか?」バルサモが馬鹿にしたように笑った。「そうするつもりならとっくにやっていたさ。この指輪を開ければ、あんたたち五人をそっくり殺すことだって出来るんだ。それとも逃げられるのを恐れているのか? だったらついてくればいい」

「行って来い!」裁判長が答えた。

 バルサモはしばらく姿を消した。やがて階段を降りる重たげな音が聞こえて、バルサモが戻って来た。

 肩に担いでいるのは、強張り冷え切って色を失ったロレンツァの死体だった。白い手が床にだらりと垂れ下がっている。

「これが俺の愛していた女だ。俺の宝だった女、ただ一つの幸せ、俺の人生だった女さ。あんたらに言わせりゃ、裏切りを働いた女だよ。受け取るがいい! あんたらが罰するまでもない、神が裁いてくれたよ」

 そして稲妻の如き勢いで腕から死体を滑り落とし、判事たちの足許の絨毯まで転がした。冷たい髪と強張った手が、恐怖におののいていた五人に触れた。ランプの明かりの下で、白鳥の如く白い首の真ん中に、おぞましい傷口がぱっくりと赤く開いているのが見えた。

「さあ、判決を聞かせてくれ」

 判事たちは怯え切って悲鳴をあげ、目も眩むような恐怖に囚われて、恐慌を来して逃げ出そうとした。やがて中庭で馬がいななき、蹄を蹴る音が聞こえて来た。門の蝶番が唸りをあげ、やがて静寂が――重苦しい静寂が戻って来て、死と絶望のそばに腰を下ろした。


Alexandre Dumas『Joseph Balsamo』Chapitre CXXXIII「Le jugement」の全訳です。初出は『La Presse』紙、1847年12月4日(連載第133回)


Ver.1 11/12/10
Ver.2 25/07/06

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[註釈・メモなど]

・メモ

 

[更新履歴]

・25/07/06 Cinq hommes à cheval escortaient la voiture de voyage dans laquelle les maîtres étaient venus ; cinq hommes de mine altière et sombre, armés jusqu'aux dents, avaient refermé la porte de la rue, et la gardaient, tout en paraissant attendre leurs maîtres. 「hommes à cheval」は「馬丁」ではなく「騎乗した人」。「Cinq hommes à cheval」と「cinq hommes de mine altière et sombre, armés jusqu'aux dents」は同格。なので、「五人の馬丁が馬車を護衛しており、横柄で陰気な顔つきをした五人の使用人が完全武装して、閉じた門を見張っていた。そうやって主人たちを待っているようだ。」 → 「馬に乗った五人の男が馬車を護衛している。陰気で横柄な顔つきをした五人は、完全武装して、閉めた門を見張りながら、主人の帰りを待っているようだ。」に訂正。

・25/07/06 「」 → 「」

・25/07/06 「」 → 「」

 

[註釈]

*1. [エジプトの聖マリア]
 la pécheresse Marie l'Égyptienne エジプトの聖マリアは、キリスト教の伝承に見られる聖女。淫蕩な生活を送っていたが、十字架を見ようと聖堂に入ろうとしたところ、見えない力に拒否されたのをきっかけに、己の罪深き生活を悔い、荒野で祈りと修行に明け暮れた。[]
 

*2. []
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*3. []
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*4. []
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*5. []
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*6. []
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