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土蜘蛛草紙
―つちぐもざうし―
其の十二
〔翻刻〕
この物ちからつよくしてかへりて害をなさん〔とす〕。大盤石をけ〔○〕かさむがごとし。天照大神〔正八幡宮〕に祈念す。「我朝は神國なり。神はくにをまぼり給。くにはまた帝のぼ〔ママ〕うしむをもてお〔ママ〕さむ。われはまた〔臣として〕しかも〔王孫〕なり。われ十ぜんのよけいの〔家〕にむまれい〔ま〕この〔物〕を見る〔に、畜〕生なり。ちく〔類〕は〔極悪〕むけむ破かいむざむのゆへ〔ママ〕に、この〔道〕に生をうく。しかも國にわづらひをなす。人のあだとなる。〔我〕すなはち帝をまぼる〔兵〕なり、くにをおさむるかたてなり。汝したがはざらん」といひて両人ゑいとひくに、はじめあらそ〔う〔ママ〕〕こヽろありと云へどもはやくしたがい〔ママ〕てのけさまにたうれぬ。頼光釼をぬきて首をはぬ。つな腹をあけてむとするに〔○の〕なかばの〔程〕にふかくきれたるきず〔在〕。頼光板敷〔まで〕きりとを〔ママ〕すところの疵なり。「〔抑〕なに物ぞ」と見るに、〔山くも〕といふ物なり。けむのきりめより死人の首千九百九十ぞいでたる。やがてかたはらをさかすに七、八の子どもの〔勢〕なる小蛛いくら〔と〕いふことをしらずはしりさは〔ママ〕ぐ。
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〔現代語訳〕
この物は力が強く、抵抗して害をなさんとする。大盤石を揺るがそうという勢いである。天照大神、正八幡宮に祈念する。「本朝は神国なり。神は国を守り給う。国はまた帝の傍臣により治まる。我はまた臣としてしかも王孫なり。十善の余慶の家に生まれ、今この物を見るに、畜生なり。畜類は極悪無間破戒無惨のために、この世に生を受けた。しかも国に患いをもたらす人の仇となる。我は帝を守る兵なり。国を治める片腕なり。服従するがよい」と云って二人が「えい」と引き出すと、はじめのうちは戦おうとしているようだったが、すぐに屈服し、あおむけに倒れた。頼光は剣を抜いて首を刎ねた。綱が腹を開けようとしたところ、中程に深い切り傷がある。頼光が板敷まで切り通した際の傷である。「いったい何者であったか」と確かめると、山蜘蛛という妖怪であった。剣の切れ目から、死人の首が一九九〇も出てきた。すぐに脇腹を切り裂くと、七、八歳の子どもくらいの大きさをした小蜘蛛が、数え切れぬほど走り騒いだ。
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〔解説〕
【十善】――「十戒を守り、十悪を犯さぬこと」
【余慶】――「善行の報いとしてうける幸せ」
※天皇は、前世に十善を修めた報いとして、天子として生まれるといわれていた。頼光は実際に清和天皇の子孫ではあるが、ここはそういう狭い意味ではなく、臣民はすべて神の裔であり帝の裔であるというくらいの意味か。
〔画像〕
『百怪図巻』に登場する「牛鬼」は、石燕『画図百鬼夜行』のものとは違い、〈牛〉型ではなく〈土蜘蛛〉型の妖怪として描かれています。頼光伝説には同話・類話が多く、「土蜘蛛退治」譚と「牛鬼退治」譚が混同された結果なのではないかということです。
『百怪図巻』牛鬼 | 『画図百鬼夜行』牛鬼 |
※ちなみに、『百怪図巻』『画図百鬼夜行』その他の絵巻に登場する「わいら」という、姿と名前しか残っていない妖怪も、わたしには土蜘蛛=牛鬼と同じく、虫の妖怪に見えます。 前足のかぎ爪といい、牛鬼の構図を左右対称にすればわいらの構図になるところといい。 どの図にも下半身は描かれていないそうです。あえて「描かなかった」のだと仮定すれば、「下半身がない(見えない)」というのがこの妖怪の属性なのでしょう。「下半身が見えないという属性を持つ虫」といって思い浮かんだのは、「蟻地獄」でした。 蟻地獄というと神社の境内にいるイメージがあるので(ものすごい思い込みだなあ)すが、神社にいるなら寺にもいるだろう。ってことで、「元興寺」→「がごぜ」という妖怪がいるように、「わいでら」とかいうお寺があって、「わいら」になったんじゃないかとかかってに想像してます。蟻地獄の伝承とか伝わってる寺社ってないのかな。 |
『百怪図巻』わいら |
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