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翻訳:江戸川小筐
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さあこい、マクダフ!

シャーロット・アームストロング

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第四章

 わたしの家でなら、誰かがコーヒーを淹れていただろうし、たぶん夜明けまで慰め合ったり話し合ったりしていただろう。なのにこの家は静まりかえっていた。わたしは気を落ち着けてベッドに潜り込んだ。空想が恐ろしい小径をさまよい出すと、おやすみ代わりに「ばっかみたい!」とつぶやくことにしている。目が覚めて朝日の中でもう一度その豪華な部屋を見たときもそれを覚えていたので、エレンが朝食をお盆に載せてドアから入ってきたときにも、はっきり声に出して「ばっかみたい!」と言ってみた。

 すでにウィンベリー氏のことを聞いているふりをすべきかどうか迷ったけれど、すぐにエレンがその話をしてくれたので、それほど長く迷わずに済んだ。「新聞に出てるんですけどね。お読みになるよりお聞かせした方がよいと思ったんですよ」

「恐ろしいことね」ゆうべのエファンズと同じことを言った。「どうやって殺されてたの?」

「撃たれているのを発見されたと書かれてますね。ほんとうに恐ろしいことですよ。ご主人さまは何が起こったのか確認しに行かれました。ウィンベリーさまはよくこちらにいらっしゃってましたから。ほんとうにしょっちゅうでした」

「警察は来たの?」

「こちらにでございますか? ほんとに、なんだって警察がそんなことを?」

「わからないけど。でも昨夜ここにいたんだから」

「確かにおりました。エファンズはそう申します。それをお忘れなく」

 たずねてみると、ライナは遅くまで寝ていたそうだ。エレンが出ていくと、わたしは新聞記事を読んだ。あっさりとした記事だった。

 昨夜一時過ぎ、ハドソン・ウィンベリー(58)がオフィスで撃たれているのが発見された。発見時ウィンベリー氏は床に倒れており重態。現場は東一〇八丁目六〇九番地一階フロア。発見者はビルの管理人ピーター・フィン(62)。ウィンベリー氏はこの改築ビルのオーナーで独身。

 これで全部だった。僧正は死んだ。もうあの銀髪も、なまっ白い丸顔も見ることはないのだ。少なくとも、あの四人がパチーシをすることは二度とない。

 わたしは時間をかけてゆっくりと着替えをした。十時半ごろ、エファンズがドアをノックした。「不都合がございませんでしたら、ミラーさまが階下でお待ちしております」

「すぐに行くって言ってくれる?」何かあったのだろうか。

「図書室においででございます」エファンズはそう言ってから立ち去った。正直なところ好都合だったので、もうちょっと時間をかけてから下に降りた。

「すみません」わたしを見るなりヒューはそう言った。「こんな早い時間に。だけど話しておきたかったんです。その……お聞きになりましたか?」顔には昨夜よりも生気が感じられた。衝撃のあまりしゃきっとなったみたい。だけど不安げにも見えた。

「新聞で読んだだけなの。ほかにも何かあったんですか?」

 ヒューはもどかしげに首を振った。「ぼくには質問する権利はないけど、ただ……」と唇を噛む。

「どうしたの?」

「どう始めればいいんでしょうね。誤解されたくはないので」

「誤解なんてしないわよ」わたしは驚いて声をあげた。

 ヒューは何歩か進んでから振り向いた。「ぼくが帰ったあとで何が起こったんです?」

「しばらく残っていたけど、三十分くらいかな、もっと短かったかもしれない。あとは帰っただけ。何も起こらなかった」

 「何かありませんでしたか」ヒューはこちらを見ずに話を続けた。「そのあとでカスカートさんが外出したのを匂わすようなことが?」

「気づかなかったと思う。気づきようがないもの。ライナと二人でけっこう長いあいだおしゃべりしていたから――」

「ライナと?」

「ええ」

「そうなのか」それからなかばつぶやくように言った。「すると伯父さんはあの人と一緒ではなかったんだ」

 わたしは聞こえなかったふりをしたけれど、顔を赤らめる間もなかった。「どのくらい話してたんです? いつごろまで?」

「一時十五分。たしか」

 ヒューは片方の手で絶望的な仕種をした。「伯父さんがどうしていたかわかればなあ。何も聞いてないのはたしかなんですね? これから事情をお話ししましょう」

 わたしは怖くなった。「電話が鳴ったあとで伯父さんの声を聞いたわ。たまたまそのとき……聞いていて……」

「電話が聞こえたんですか!」まじまじと見つめるのでどぎまぎする。

「よく眠れなかったの。ええ、聞こえた。というか、電話だと思ったけど」

「伯父さんの部屋でしたか?」

「場所はわからないけど」

「いや、きっとあそこあたりですよ」

 わたしは窓の反対側にある、広い図書室のドアを見た。

「伯父さんの部屋はあの裏なんです」

「あそこなの? だったらわたしの部屋の下だわ。ベルは下から聞こえていた」

「電話が聞こえたのは一回だけじゃなかったでしょう?」何かがわたしの答えにかかっているような言い方だった。

「ええ。一時五〇分に一度。それから二時にもう一度」

 表情が変わり、どこかがっかりしたように見えた。まったく違う顔になっていた。

「一時五〇分には誰も電話に出ませんでした。二回ともぼくがかけたんですが」

「誰も出なかった?」わからない。

「番号を間違えてつながれたのかと思ったんです。でも今のお話を聞くと、番号は合っていたようですね」

「たぶん寝てたのよ」と言ったあとで思い出した。

「どうしました?」ヒューがわたしの表情を読んですぐにたずねた。

「ベッドに入っていたはずないわ。だって靴を履いたままだったもの」

「どうしてわかるんです?」今度はゆっくりとたずねた。

「ドアのところで耳を澄ましていたら伯父さんがやってきて、ライナと、それからエファンズにも話してたの。ウィンベリーさんのことを。あなたから……電話で話を聞いたあとに。なんでこんなことばかり知りたいの?」

 ヒューは胸ポケットに手を入れて何か引っぱり出した。ためらったあとで指を開いてみせた。

「なんだ、ペッピンジャーじゃない」小さなころに売られていた、甘くてスースーする飴だ。「子どものとき以来。もう作ってないのかと思ってた」

「違います。キャンディじゃない。伯父さんのパチーシ駒ですよ、間違いありません」

 わたしはばかみたいにその赤い円盤を見つめていた。

「これがどういうことなのか具体的にはわかりません。見つけたのが……ウィンベリーの死体の上だったんです。このことはいっさい口にしていません。管理人もペッピンジャーだと思ってたので、警察には伝え忘れてました……今のところは」

「だけど……チャールズ伯父さんは赤い駒を窓から投げ捨てていたのに」

「何ですって!」

「見たの。駒を三つ、あの窓から投げ捨ててた。アルコーブのあるところ」

「いつです?」

「昨日の夜」

 ヒューはぐるぐると歩きまわった。「おかしな頼みですが……箱を確かめるべきですよ」

「箱って?」

 アルコーブに出ていたヒューは、伯父がパチーシ一式を仕舞ってある棚から箱を取り出した。箱を開けると、わたしも右隣に行って二人で数えた。中には赤い駒が三つ、緑と青と金色の駒と一緒に入っていた。箱の中の三駒とヒューの手にある一駒は確かによく似ている。

「どういうことでしょうね」ヒューが顔をしかめた。「伯父さんは家から出たはずです。だってそうでしょう? 伯父さんが窓から投げ捨てた駒を、ほかの人がどうやってここに戻しておけるんです?」

「わかんない。いったいどういうことなの? 出かけていたらどうだっていうの? どこに行ったと思ってるわけ? パチーシが元で人を殺す人なんているわけないじゃない。ばっかみたい!」容赦なかった。

 ヒューが微笑んだ。「もちろんですよ。もちろんばかげてますとも」と言ってパチーシ一式を片づけた。「きっと何の意味もありませんよ」

 だけどわたしは言い聞かせていた。赤い駒は自分で歩いたりしないのだ。

 おそるおそるたずねてみた。「あなたはわたしよりもいろいろ知ってるんでしょう……」

「知っていることは始まりからすべてお話ししますよ。座ってください。お話ししましょう」ヒューはソファに――昨日のあのソファに――しばらく頭をもたせかけていた。疲れているように見える。「きっとぼくがおかしくなったと思いますよ」と言って目を閉じた。

「お願いだから話を続けて」とはっきり伝えた。

 ヒューが目を開けると、眼鏡の奥がきらめくのが見えた。「ぼくが帰ったのは何時でした? 十二時一〇分ごろでしたね? マジソン街まで歩いてドラッグストアでサンドイッチを買ったんです。それから五番街まで戻ってバスに乗りました。五番街を走っている、一一〇丁目行きのバスです。ブロードウェイ一一〇丁目の角で降りると、ほんの数ブロック先がウィンベリーのところです。ぼくらはそこに住んでました。本来ならぼくが先に家に着いているはずだったんですが、バスが故障してしまったんですよ。ぼくにとっては運が良かった、ある意味ではね。だけど先に帰っていたとしたら……」ヒューはぼんやりとして、話すのを忘れているように見えた。

「続けて」

「そうですね。しばらく待っていたんですが、原因が何であれ修理できないとわかると、みんな別のバスに乗り換えて出発しました。それで遅れたんです。角でバスを降りたのは、一時十五分ごろだったと思います。二ブロック先のドラッグストアに寄って煙草を買いました。部屋のベルを鳴らしたのが一時二二分でした。そうピーターは言ってますし、ぼくもそう思ってます。ドアは玄関からウィンベリーのオフィスに通じていて、オフィスは通りに面した正面側にあります。ピーターが開けてくれたのがそのドアです。彼が見つけたあとでした……死体を。いや違うな、ウィンベリーがちょうど死んだところだったんです。ピーターが見つけたときにはまだ生きていました。部屋の真ん中辺りの床に倒れていて、胸を撃たれていました。ピーターによれば、上でドアの開くのが聞こえたそうです。地階に住んでいるので。暖房などを管理しています。それからぼくの研究室も。それも下にあるんです。ウィンベリーが帰ってきたのが聞こえたそうです。初めに表のドアの音がして、次にオフィスのドア。用がないかとたずねたのですが、ウィンベリーはぶつぶつと言い訳をして中に入ったそうです。一時過ぎのことでした。帽子と外套は脱いで掛けてありました。少ししてからまたドアの音が聞こえたそうです。初めに表のドア、次にオフィスのドアです。ぼくが帰ってきたのだと思ったそうです。ところが直後、銃声が聞こえました。すぐには上に行けなかった。老人でしたし、何よりショックを受けていましたから。だけど現場に着いたときにはオフィスのドアは開いていて、ウィンベリーが床に倒れ、銃が落ちていたそうです」

「何か言い遺したの?……亡くなる前に何か話せたの?」

「ええ、そうなんです。『見いへん』。ピーターが聞き出せたのはそれだけでした」

「てことは、知り合いではなかったのね」

「どうしてです?」

「そう言おうとしてたんじゃないの? きっとそう。『見いへん人やった』って」

「そう思いますか? でもおかしなことに、銃はウィンベリーのものだったんです。オフィスに保管していました。海賊なんだと言っておいたでしょう。いくつか後ろ暗い取引に巻き込まれていたんです。ぼくの仕事とは無関係ですが。ありがたいことに。とにかく銃を持っていた。ドアを入ったところにある書類棚の一番上の引き出しに仕舞ってありました。どっちにしろドアからそれほど離れてはいません」

「その……誰かは変装していたのかもしれない」

 ヒューがこちらを見た。「そんなことは考えもしませんでした」

「だってウィンベリーさんは、犯人が誰だかわからなかったんでしょう……」

「どういうことです?」

だって。だって見いへん人やって言い遺してるじゃない。でもちょっと待って、犯人は銃の置き場所を知っていたんだわ。そんなに素早く起こったのなら。銃を探し出して撃つまでは……きっとあっという間だったんでしょ?」

「ええ。ぼくもそれには気づいていました」

「続けて」

「そうしましょう。ええと……ぼくがウィンベリーさんを見たところからでしたね。ピーターは聞こえた音のことを話し続けていました。ぼくが外套を押しやったら何かが落ちたんです。赤い駒でした。ピーターはペッピンジャーがどうとか言ってましたが、ぼくは駒をポケットにすべらせました。何か理由があってウィンベリーさんが持ち帰ったものだと思っていたんです」

「だけど、そうじゃなかった」

 ヒューは考え事をしているようにしばしわたしを見つめていたが、ようやく話を続けた。「すぐに警察を呼びました。到着したのが一時三五分です。警察に聞かれたことを答えていたので、一時五〇分になってようやく現場を離れて角のドラッグストアに行き、ここに電話することができました。伯父さんに事件を知らせようと思ったんです。誰も出ませんでした。しばらく時間をつぶしてからもう一度かけると、今度は伯父さんが出ました」

「警察はどう考えているの?」

「それは事細かに訊かれましたよ。なにしろ分刻みですから。銃撃された正確な時刻を特定したようです。どうやって突き止めたのかわかりませんが。一時十六分だそうです。ぼくがバスからドラッグストアに向かっていたころですね。もしかすると店のなかだったかもしれません。でもはっきりとはわかりません。店員は時刻を覚えていませんでした。だけど警察はバスを調査したんです。運転手が覚えていました。ぼくが言ったとおりの格好の女性が乗っていたことを」

「そうなんだ?」

「おかしな格好をした人だったからよかったものの、そうじゃなければ気づいていなかったと思います。黒人でね、大きなつば広帽に裾の長い夜会服、チェック柄をした男物のジャケットを羽織っていたんです。ぼくみたいな男でも、いやでも気づきますよ」

「そんな格好じゃね」

「運転手の話だと、バスをブロードウェイの角に停めたのは遅くとも一時十五分だったそうです。それで助かりました。とにかく警察は満足したように見えました。本当のところはわかりませんが」

「命を狙っていた人たちがいたに違いないわ。ウィンベリーさんが後ろ暗い仕事をしていたというのなら。そうだったわよね?」

「そうですね」声の調子が変わっていた。「確かに、動機を持っていてもおかしくない人たちがいます」と言って立ちあがると、目の前をうろうろし始めたが、唐突にこう言った。「厄介なことに、鍵がなかったんです」

「鍵って?」

「ぼくはベルを鳴らさなきゃなりませんでした」

「どういうこと?」

「そのう……失くしてしまったんですよ。ポケットになかったんです。チェーンでほかの鍵と一緒にしてたんですが。ゆうべ家に戻ったらなくなっていて。だからベルを鳴らしたんです」

「それで?」まだわからない。

「わかりませんか? ピーターは、ウィンベリーが入ってきて鍵を使うのを聞いてました。その後もう一人の人間が入ってくるのも聞いていたんです。一時十五分に、鍵を使って」

「ほかに鍵はないの?」

「ピーターが持ってます。よくは知りませんが。わかっているのは、ぼくのがなくなったということです」

「ふうん、じゃあやっぱり落としたのね」

「ところが気がかりなのは、ここで落としたのかもしれないってことなんです」

「ここで!」

「まさにここ、この部屋です。ソファにはありませんでした。もう探しました」

「この部屋なの?」

「何分か向こうにも座っていたでしょう? でもそこにもありませんでした」

「エファンズには聞いてみた?」

「ええ。見てないそうです」

「でも落としたのはここじゃないかもしれない。なんで……? どうして……? そんな」

 少ししてからヒューが言った。「あなたは伯父さんのことを知らないんですよ。真の姿も彼の望みも」

「伯父さんが殺人犯だってことね。そう言いたいんでしょう」わたしは怒りを露わにしようとした。でもわたしは怯えていた。

「頼みます……そんなつもりじゃなかったんです。だけどわからないから……ゆうべのウィンベリーの振舞を見ていたでしょう。ぼくが伯父さんだったなら、絞め殺したいと思っていましたよ。それに……」

「嫌なやつだったもの。怒っていたに決まってる。でも殺したりなんか……」

「いや、そのせいではなく……」ふたたび歩み去ると、ポケットのなかで硬貨をじゃらじゃらと鳴らした。

「じゃあなんのせいなの?」

「自分でもわからないんです」と吐きだしたが、わたしの問いに答えたというわけではないようだった。「ただなんとなく。どうすればよかったのか教えてください……これを」

 手には赤い駒があった。

「わからない。わかるわけないじゃない。どうしてわたしに聞くの?」わたしは立ちあがって窓まで歩いていった。幅のある窓敷居には雑誌と煙草入れが置かれていた。見るともなくレースのカーテンを眺めた。

「あなたのせいなんですよ」ヒューが後ろから近づいていた。「あなたがいなければ、なかば無意識にポケットに入れてしまったにしても、そのままそっとしまっておいたでしょう。いやそうじゃない、あそこに置きっぱなしにしておくべきだったんです。警察は伯父さんと結びつけたりしなかったでしょう」

あなたがしゃべらなければね」

「そうなんです。ところが、拾って隠しておいたことを白状すれば、理由も白状しなければならないでしょう。話すべきなんでしょうか。どちらがあなたのためになるのか。この家に危険があるのなら、ここにいるべきではありませんから」

 わたしは何も言わなかった。

「反面」細長い指で煙草入れを神経質にいじっている。「伯父さんに好意を持っていたり……ええと、親しみを感じているなんてことがあるのなら、嫌な気持になるようなことをするつもりがありません。だからあなたに聞いたんです」

「様子を見ない? 少しのあいだだけ。だって警察が間違っているかどうかまだわからないじゃない。不審者を探しているところかもしれない。とにかく」急いで続ける。「信じない。伯父さんは靴を履いたまま眠るのかもしれないし、エファンズが駒を見つけて朝のうちに戻しておいたのかもしれない。ウィンベリーさんがまっすぐ帰らずに自分で拾っていたのかもしれない。本当に知りたいっていうのなら……」

「あなたの話は」と安心したように言った。「どれも知りたかったことでした」

 だけどわたしはヒューの手を見下ろしていた。近寄って手を脇によけ、煙草入れを開いた。チェーンでつながれた鍵が二つ、なかに入っていた。わたしが取り出すと、ヒューが素早く手を伸ばし鍵をつかんだ。わたしたちは目を合わせた。

「意味があるとは限りません」

「わかってる」わたしは唾を飲み込んだ。「もちろん限らない」

「怖がることはありませんよ」少ししてからそっと声をかけられた。

 虫が知らせて振り向いた。伯父が戸口に立って微笑みかけていた。

「おはよう」わたしたちが二人きりなのを見てからかうように眉を動かした。視線の先が自室のドアの方にすばやく移動した。「話があるので帰らないでくれ、ヒュー。ウィンベリーの件は大変だな」

 多くの人間は、その場を立ち去ったあともどういうわけか、背筋や首のつけ根に他人の存在を明確に意識しているものである。ところが伯父が立ち去ったあとには、放り出されて忘れ去られたという印象だけが残った。伯父は自室に消えていた。

 ヒューに腕を取られて、極度の緊張が徐々に解けていった。逃げ出したかった。ささやく声が聞こえた。「駒を投げ捨てるのを見られたことを、わかっているんじゃありませんか? 見せるつもりだったんじゃありませんか?」

「あるわけない。ばかみたい。もう行かなきゃ」

「だけどやはり、見られたことがわかっているんですよ」

「やめてよ。あり得ない。ばっかみたい!」髪がなびくほど首を振った。

「すみません。心配だったものですから」

「気にしないで。ただ何も……何もせずに……様子を見てほしいの」

「そうしますよ」という声を聞いてから、わたしは逃げ出していた。


Charlotte Armstrong『Lay On, Mac Duff!』CHAPTER 4 の全訳です。


Ver.1 07/05/13
Ver.2 07/07/07

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[訳者あとがき]

 「Peppinger」という(おそらく架空の)商品が登場します。本文に飴と書いてある以上は飴なんでしょうけれど、具体的な印象がはっきりしません。日本語にすれば、キャンディというよりはドロップといった方がイメージが近いような気もします。原書の表紙イラストには、駒というよりはチップみたいなパチーシ駒が描かれています。そのイラストをもとにするかぎりでは、日本のお菓子で似たものというと、色つきの表面がつるつるしている長方形で平べったいガムですかね。食玩つきお菓子のおまけみたいなガム。

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