「まだ終わってはおりませんな」ダフが答えた。「ところがわれわれはどうやら終わりまで話したようだ。つまり、誰かが嘘をついていたのですな」
そうだ、誰かが嘘をついていた。例えばライナ。それはわかった。直感的にわかった。でも理由はわからない。ライナは恐れているのだろうか? 伯父が暖炉脇から何かの合図を送ったのだろうか? 何も見えはしなかったけれど、わたしにはまったく見当がつかない。この人たちにはわたしの知らないことがたくさんある。マクソンは嘘をつけた。マクソンは地下鉄を使って大急ぎで帰宅することができた。いくら本人がそんな大衆的な移動手段を使ったことがないと言い張ったとしても。でもマクソンはそんなに賢くない。たぶん賢くなくてもよかった。たぶんラッキーだっただけなのだ。ヒューも嘘をつくことができた。でも勝手口から出入りしたのがヒューなら、糸のことを知っていたはずだ。糸を戻すことができた。わたしにそう思わせようとしているのでないかぎり……でもコートのことがある。伯父のコートだ。
「待って! コートよ!」わたしは叫んでいた。「コートがなくなって、また元に戻っていたの。それに入ってくる物音も聞こえた。ごめんなさい、ライナ」
「きっとほかの人よ」ライナはかたくなに言い張った。
「でも誰が?」わたしは声をあげる。「エファンズには伯父さんのコートは着れないじゃない。埋もれちゃうわ。ほかには誰もいないし」
「よいかな」ダフが言った。「状況そのものが不可能なのだ。完全に不可能だ。今までの話をすべて信じるならそうなる。ゆえに、誰かが嘘をついていたと確信せざるを得んのだ」
「それは――それはわかりますけど」
チャールズ伯父さんが腰を下ろし、足を伸ばした。「わたしのコートか。なるほど、……」
「昨日の夜は寒かった」J・Jがすかさず責め立てた。「コートが必要なほどにね。違いますか?」
ダフが長い腕を上げてさえぎった。「重要なのは――」冷静な口ぶり。「さらなる夜が更けてしまったことだ。それも危険な夜が。わかっているのは、危険なことだけでしかない」
「危険?」ライナが声を出した。
「わたしの言ったことはおわかりのはずですぞ。ヒュー・ミラーこそハーバート・グレイヴズであれば、マクソンとカスカートを危険に曝すことになる。部下が経歴を調べておるところです。ミラーがグレイヴズであれば、残されたのは今夜だけ、明日では間に合わないと覚悟しておるはずだ。
「マクソンが犯人であれば、やはりカスカートには今夜警戒が必要だ。なにしろ犯人は、遠からず見つかるかもしれぬ証拠がどこにあるか知っているわけですからな。さらにカスカートが犯人であれば……」
「ぼくは危険なのか」マクソンが声をあげた。「危険なのか。そうなんだ。ねえ、みんなで一晩中ここに座っていようよ? ぼくはそうするよ」
ライナがうめいた。
J・Jが言った。「ほかにどうすることもできないんですか? 誰が犯人なんです? あなたにはわかっている。そうでしょう?」
「見当はついている」
「教えてください。そうすればできることが――できることが――」
「いずれにしても護身対策を立てることはできる。わたしの推測を教える必要なないだろう。もうたっぷりと互いを疑いの目で見ている。違うかね? わたしはここで夜を過ごしてよいのですかな?」
「お願いします」ライナが答えた。
「ぼくもお願いします」J・Jが言った。「だめならベッシーを連れ出してください」
「ベッシーがこれまでにどんな悪行や善行をおこなっていようと」伯父が我慢しかねたように口を出した。「ベッシーは安全だ。それにヒューも安全だ。狙われているという事実もなければ、狙っている人物もいない。よいか、ガイかわたしなのだ。そういうことでよいのだな?」ダフがうなずいた。伯父の冷たい目が細められた。「わたしではない。わたしを罠にはめる方法でも見つけていれば別だがな」
「やめてくれよ」マクソンが言った。「ぼくは帰りたくない。一人になりたくない」
ヒューが不機嫌そうに口を開いた。「ぼくがそれほど安全だとは思えません」
ライナが言った。「これからどうすればいいんですか、ダフさん?」
マクソンが言った。「ぼくは帰りたくない。一人になりたくない」
ダフが慎重に口を開いた。「ここで夜を過ごすことはできるでしょうが。それでは解決にはなりませんぞ」
「ぼくはどうすればいい」マクソンが言った。
「なぜ帰らなんのです」ダフはなおも続けた。「家にいれば免れることが――」
「いやだ。帰りたくない。ここから出た途端、二人のどちらかがどちらかを殺して、ぼくに狙いを定めるんだ」その声は狂気じみていた。「ぼくは帰りたくない。一人になりたくないんだ」
そのとき伯父がふたたび立ち上がった。「君たちは好きなようにしたまえ。この家は君たちのものだ」声はまるでレイジーな音楽。「だがライナとわたしは二人でベッドにさがるつもりだ」
ライナの顔が青ざめ、次いで赤くなった。かぎりなく動揺しているようだ。罠にはまった無力な動物のように、きょろきょろと頭を動かした。隠すよりも早く、目にはショックが満ちていた。
マクソンが耳障りな声をあげた。「女を連れ込むのか!」
チャールズ伯父さんは馬鹿にでもするように頭のてっぺんから見下ろした。「わたしの家だ」一言だけ。「わたしの妻だ」
「われわれもベッドにさがるとしますかな」ダフが努めて明るい声を出した。ライナが見上げると、ダフは微笑んだ。優しい勝利の微笑み。これにはライナも驚いて茫然としてしまったようだ。「ここにはどんな部屋があるのですかな、ミセス・カスカート? ベッシーの部屋は?」
「ベッドが二つ」わたしは答えた。「わたしも一人はいやだ。ねえエレンはだめですか……? なんだか懐かしい感じがして」
「わかった、エレンだな」伯父がベルを鳴らしてエファンズを呼んだ。
「ほかに、四階には第二客室があります」ライナは説明を続けた。「そこは二人用。それからヒューが使っている小部屋があります。ヒューは一人きりね」
「今夜は別です」ヒューが言った。「一人じゃない。誰かぼくを見張っていてくれませんか」
「四階に移ってJ・Jと相部屋になりたまえ。J・J?」
「すみませんね」J・Jが答えた。「ぼくはベッシーのドアの前で頑張っていますよ。ベッシーのいるところならどこへでも」
「それなら、ミラーが使っていた小部屋を使いたまえ」
「ぼくもベッドに入らなきゃいけませんか?」
マクソンが割って入った。「ぼくが四階の部屋で同室するよ」
「わたしが決めたのだ」ダフが言った。
「ぼくを一人にすることを? 一人になりたくないって言ったじゃないか」
「ぼくだってそうです」ヒューも言った。
「ぼくが君のアリバイ証人だ、ミラー。君がぼくのアリバイ証人。今夜ぼくを殺したら、自分の首を絞めることになるんだからね。そんなことをするとは思えない。だから君を恐れてはいないよ」マクソンの視線が伯父に移された。「それにもしダフとジョーンズが廊下を見張ってくれるなら……」
ダフが答えた。「よいでしょう」
「ぼくもあなたを恐れてはいません」ヒューはマクソンに向かって言ったのだが、誰に向けた言葉なのかわたしにはわからなかった。
わたしは自問してみた。眠れる人なんているのだろうか? 眠れるような人なんているだろうか? ベッドに入るなんてばっかみたい! だけど全員でここに座って夜を費やすという選択肢を考えてみたら、きっと朝には発狂してしまうに違いない。でもとにかくわたしたちは時を費やさなくてはならないのだ。ダフが時を欲しているのだから。
ダフも家を見て回りたがった。そう言うと、伯父がエファンズに案内するように告げた。エファンズは痩せ細り怯えているように見えた。「かしこまりました、カスカートさま。恐れ入ります。ダフさま、こちらでございます」
残されたわたしたちは全員で部屋にとどまっていた。全員が部屋にとどまり、目を開けて、同じ部屋に集まり、見張り合っているかぎり、わたしたちは安全なのだ。でも誰かの頭のなかでは、たった今も計画が形作られているかもしれない。だけどどうやって朝までに何かをやれるというのだろう? 間違いなく、今夜人を殺しながら逃げることなど誰にもできない。でもすでに二人も殺した人間は、もはや何も気にしないのではないだろうか? 逃げる気などなく、仇が死ねばそれでよいのでは? 玉砕相手では、防ぎようがない。だけどダフが見張っているはず。見張っていることはわかっている。
このなかの誰が、今夜犯人の隣で寝るのだろう? 少なくとも犯人の頭が、枕の上でのたくり、もだえ、掻き乱されるのだ。
ダフがいないあいだ誰もしゃべらなかった。J・Jがわたしに腕を回し、顎がときどき髪にこすれた。ヒューは椅子に丸まって絨毯を見つめている。マクソンはズボンの折り返しから埃を取り除いていた。ライナは目を閉じたままだったが、息はあがっていた。伯父は紙マッチを手に――指の曲がった手に――乗せ、ときどき放り投げては受け止めており、掌で乾いた音を立てていた。
ようやくダフの戻ってくるのが聞こえた。ポケットに手を入れ、背を丸めて戸口に立っていたが、落ち着きと鋭さを帯びていたし、視線は顔から顔へと飛び回り、一人一人個別に鋭い警告を与えていた。「どうやら何者かが手筈を整えているようです。何がなくなっていたかお知らせすべきでしょうな。カスカートさん、あなたの拳銃が鏡台になかった。どこにあるかご存じですかな?」
「いいや」
ダフは肩をすくめた。「探しても役には立たんでしょうな。ご存じのように、こうした家にはわかりにくい隠し場所がいくらでもあるものだ。ミセス・カスカート、睡眠薬がいくつかバスルームから消えていました。エレンによれば、箱は一杯に詰まっていたそうですな。確かですか?」
「ええ。昨日見ましたから。昨日はちゃんとありました」
「それが今はなくなっている。第一客室のペーパーナイフも、今はなくなっていた。見た覚えはないだろうね、ベッシー?」
「ありません」
「そうだろうとも。地下室から小さな手斧がなくなった。エファンズのガウンの紐がどこにも見あたらなかった」
エファンズの歯が鳴り、顎が震えた。「コックは存じません……わたくしも存じては……」
「ずいぶんと意味ありげなコレクションだな」伯父が物憂げな声を出した。「そのペーパーナイフは心配いらん。なまくらだ」と言ってあくびをした。
「申し上げておきますぞ」ダフは穏やかに告げた。「もっとも安全であるのは、離ればなれにならぬことです」
誰一人何も言わなかった。吹き抜け側の引き戸が大きく開いており、彼岸から吹き荒れる死の風を感じた。でも馬鹿げているのはわかっていた。なにしろ死の意思はここにあるのだ。誰かの頭に閉じ込められている。マクソンの狭苦しい頭蓋のなかに、ヒューのなめらかな淡い髪の下に、伯父の広い額の頭骨の裏に。
伯父が火箸をつかんで火のついた薪を絶え間なくひっくり返し始めた。ばらばらになればそのうち火は消えてしまう。「このままここで徹夜をしても、互いに死ぬほど退屈するだけだ。恐ろしい顛末だな。来なさい、ライナ。寝酒はそこだ。欲しければ飲みたまえ」
ライナは笑みを浮かべて立ち上がったが、目は閉じかけたままだった。「みなさんは道をご存じ?」そう言うと、目をつぶったままのおかしな歩き方でドアに向かった。
わたしたちは二人ずつ上に向かった。ダフは立ったままそれを見送っていた。誰も寝酒を飲もうとはしなかった。
J・Jが寝室の戸口でエレンにわたしを引き渡した。
ベッド脇にはホット・ミルクの詰まった魔法瓶が置かれていた。口はつけなかった。
Charlotte Armstrong『Lay On, Mac Duff!』CHAPTER 17 の全訳です。
Ver.1 07/07/07
[訳者あとがき]