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翻訳:東 照
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ジョゼフ・バルサモ

アレクサンドル・デュマ

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第七十七章 寓話

 ジャン・デュ・バリー子爵がチョコレートをがぶ飲みして伯爵夫人に嫌な顔をされたあのリュシエンヌの小部屋で、ド・リシュリュー元帥がデュ・バリー夫人と軽食を摂っていた。デュ・バリー夫人がザモールの耳をもてあそびながら、花模様の織り込まれた繻子の長椅子の上にゆっくりと無頓着に寝そべり、様々な姿態を取るたびに、この老臣は(悲しいかな!)感嘆の声をあげていた。

「おやおや!」老婆のようにしなを作った。「髪が乱れますぞ。ほらほら、鬢の毛がほつれておるし、ミュールも脱げました」

「ふふ! そんなの気になさらないで」ザモールの髪を気まぐれに引き抜き、すっかり横になると、真珠貝に乗ったウェヌスのように、さらに蠱惑的にさらに美しく見えた。

 ザモールはどんな姿態にも見向きもせず、怒りに顔を染めた。伯爵夫人はそれをなだめようと、ポケットに入れておいた砂糖菓子ドラジェをテーブルに置いた。

 だがザモールは口を尖らせ、自分のポケットをひっくり返して砂糖菓子を床にぶちまけた。

「あら、悪い子ね!」伯爵夫人は足を伸ばしていたので、爪先が黒ん坊の長靴下と触れそうになった。

「堪えて堪えて!」老元帥が声をあげた。「殺してしまいかねん」

「どうして気に食わないものを片っ端から殺してはいけないのかしら? 今日は残酷な気分なのに」

「ほ、ほう! ではわしも嫌われておりますかな?」

「あら、まさか。一番の友人ですもの、大好きですわ。でも実際あたくしって馬鹿みたいね」

「馬鹿みたいな気分にさせた原因は病気ですかな?」

「もううんざり。思ってもいないくせにおべっかを使うのはやめて下さいな」

「伯爵夫人! どうやらあなたは馬鹿なのではなく無智なのではありませんか」

「いいえ、あたくしは馬鹿でも無智なのでもありません、あたくしは……」

「さあ、仰って下さい」

「あたくしは怒っているんです、公爵閣下」

「ああ、なるほど」

「驚きまして?」

「いやいや、とんでもない。お怒りになるのももっともです」

「あなたのことで怒っていることがあるんですの」

「わしのことで怒っていることがあると?」

「ええ」

「それはいったいどのような点でしょうか? 歳は取りましたが、あなたに気に入られるためにはどんな努力も惜しみませんぞ」

「それはね、何の話なのかわかってもいないってことですの」

「そんなことはありますまい!」

「あたくしがどうして苛ついているかご存じ?」

「ええ、ザモールが中国製の噴水を壊したからでしょう」

 気づかないほどのかすかな微笑みがデュ・バリー夫人の口元に浮かんだ。だがザモールは告発されたことに気づいてしおらしく頭を垂れた。びんたや爪弾きの雲に覆われて空が翳っているのを見て取ったようだ。

「そうなんです」伯爵夫人はため息をついた。「公爵閣下の仰る通りですわ、あなたったら本当に駆け引き上手ですのね」

「よく言われます」リシュリュー氏が控えめに応答した。

「あら、言われなくても見ればわかりますわ。きっとあたくしの悩みもたちどころに見抜いてしまわれるんじゃないかしら。たいしたものね!」

「仰る通りです。ですがそれだけではありませんぞ」

「あら!」

「まだほかにも見抜いていることがあります」

「ほんと?」

「はい」

「どんなこと?」

「昨日の晩、あなたは陛下をお待ちしていらっしゃいました」

「何処で?」

「ここです」

「いいわ、それで?」

「陛下はいらっしゃいませんでした」

 伯爵夫人は真っ赤になって肘を起こした。

「まあ!」

「しかしですな、わしはパリから到着したばかりなのです」

「証明できますの?」

「ヴェルサイユで起こったことがわかるわけはありませんが、しかし……」

「公爵閣下ったら、今日は思わせぶりばかりですのね。始めたからには終わらせて下さいな。さもなきゃ初めから何も言いっこなしです」

「あなたは楽に話せましょうが、わしの方は少しくらい休ませて下さい。何処まで話しましたかな?」

「ええと……『しかし』までです」

「ああ、そう、そうでした。しかしわしは、陛下がいらっしゃらなかったことだけではなく、どうしていらっしゃらなかったかも知っておるのです」

「あなたは魔術師なんじゃないかと、あたくし常々思っておりましたわ。でも証拠がありませんの」

「ふむ、ではその証拠をお見せいたしましょうか」

 伯爵夫人は思っていた以上に話に引き込まれ、ザモールの髪をかき回していた白く細い指を頭から離した。

「お願いします」

「領主殿がいても構わないのですか?」

「お行き、ザモール」伯爵夫人が命じると、黒ん坊は喜び勇んで寝室からホールまで飛び跳ねて行った。

「これでいい」リシュリューが呟いた。「しかしこれですっかり白状しなくてはなりませんな?」

「まあ、ザモールのお猿さんが邪魔でしたの?」

「本当のことを口にするには、何人なんぴとであろうと邪魔なものです」

「ええ、何人でもというのはわかります。でもザモールは人かしら?」

「盲でも聾でも唖でもないのですから、人でしょう。目と耳と口がある相手なら誰でも、つまりわしのすることを見ることが出来、わしの言うことを聞いたり繰り返したりすることが出来、わしのことを密告することが出来る者なら誰でも、人の名で呼ぶことにしております。そういうことにして、続けたいと思います」

「ええ続けて下さいな、お願い」

「喜んで、とは申しませんが、とにかく続けるつもりです。さて、陛下は昨日トリアノンをご訪問なさいました」

「プチの方? グランの方?」

「プチです。王太子妃殿下と腕を組んでらっしゃいました」

「まあ!」

「王太子妃殿下はご存じのように魅力的な方です……」

「そうね」

「こちらではお父さま、あちらではお祖父さまと甘えられては、お優しい陛下には抗うことも出来ませんから、散歩の後には夕食を摂り、夕食の後には軽く賭け事をなさっていました。というわけで……」

「というわけで――」焦れったさのあまり青ざめたデュ・バリー夫人がその言葉を引き取った。「というわけで、陛下はリュシエンヌにはいらっしゃらなかった、そう仰りたいのね?」

「残念ながらその通りです」

「そういうこと……。陛下が愛しているものは全部あちらにあるってことじゃない」

「そんなことはありますまい! あなただって自分のお言葉を一言だって信じてはいらっしゃらないでしょうに。せいぜいのところ、お気に入りのものが全部、というところでしょうな」

「なお悪いじゃない。夕食、お喋り、賭け事、どれも陛下には必要なことですもの。それで、どなたと遊んでらしったのかしら?」

「ド・ショワズール殿」

 伯爵夫人が苛立ったような仕種をした。

「この話はしたくありませんでしか?」リシュリューがたずねた。

「逆よ、どうか話して下さい」

「聡明なだけでなく勇敢でいらっしゃいますな。ではイスパニア人の言うように、牡牛の角に取りかかるとしましょうか」

「そんな言い方、マダム・ド・ショワズールはお気に召さないんじゃありません?」

「そんなことはありませんな。ショワズール殿は、とその名を呼ばざるを得ませんが、切り札を持っていましたし、そのうえ運も才覚も……」[*1]

「勝ちましたの?」

「いいえ、負けました。陛下がピケで千ルイ勝ちました。陛下はかなり自惚れておりました、随分と悪い手でしたから」

「ああ、ショワズールったら! ド・グラモン夫人もいらっしゃったんでしょ?」

「何と言いますか、旅立たれる途中でした」

「公爵夫人が?」

「はい、愚かなことをなさったと思います」

「というと?」

「誰にも構われないと気づいて拗ねてしまい、誰にも追い出されないのに気づいて自分からおん出てしまいました」

「何処に?」

「田舎に」

「何か企んでるのよ」

「おやおや! 何をして欲しいというのです? とにかく、旅立つ途中でごく自然に王太子妃に挨拶を求めたので、妃殿下はごく自然に公爵夫人を愛しまれました。そう言うわけで公爵夫人はトリアノンにいらしたのです」

「グランの方?」

「でしょうな、プチにはまだ家具が入っていませんから」

「そんなふうにショワズール兄妹に取り巻かれてるのなら、王太子妃がどの一派に口づけするつもりなのかよくわかるわね」

「いやいや、伯爵夫人、早とちりはなさいますな。いずれにしても明日、公爵夫人は出発いたします」

「つまり陛下はあたくしのいないところで楽しんでたのよ!」伯爵夫人の憤りからは怯えも拭われてはいなかった。

「なるほどそうですな。信じがたいことですが、そういうことです。それで、あなたならどう結論づけますか?」

「あなたが情報通だということです、公爵」

「それだけですか?」

「まさか」

「では仰って下さい」

「力ずくでも国王をショワズール兄妹の魔の手から引き離さなくては、あたくしたちの破滅だと、改めて結論づけました」

「何と!」

「ご安心なさいませ、公爵」と伯爵夫人が続けた。「あたくしたち、と言ったのは、あたくしの家族のことですから」

「それに友人も。こんな表現を使うことをお許し下さい。要するに……」

「要するに、あなたはご友人だと考えて構いませんのね?」

「そう申し上げたつもりです」

「それじゃ充分ではありませんわ」

「証明したつもりです」

「それならいいわ。手を貸して下さるんですね?」

「力の限り。ですが……」

「でも、何でしょうか?」

「事は困難を極めるということは、はっきり申し上げておきます」

「ではショワズール一族を根絶やしには出来ないんですね?」

「何にせよ逞しく根を下ろしていますからな」

「そうお思いなんですね?」

「そう考えております」

「ではラ・フォンテーヌがどう言おうと、この樫の木は風にも嵐にも負けないということですね」[*2]

「あの方はたいした才人ですから」

「百科全書派みたいな口の利き方をなさいますのね」

「わしがアカデミーの会員ではないとでも?」

「あら、どっぷり浸っているわけじゃありませんもの」

「確かにそうですな。わしよりむしろわしの秘書の方が相応しい。とは言うものの、やはり意見を変えるつもりはありませんぞ」

「ショワズールが天才だってことですの?」

「さようです」

「でもそれなら、その才能を何処で発揮してますの?」

「こういうことです。高等法院やイギリスに関する問題を扱って来ましたから、もはや国王にとってなくてはならぬ存在なのです」

「でも高等法院を陛下にけしかけてるじゃないの!」

「そこが抜け目ないところです」

「イギリスを戦争に仕向けてるじゃない!」

「平和になっては飯の食い上げですからな」

「そんなの才能じゃありませんわ、公爵」

「では何でしょうか?」

「大変な裏切りです」

「大変な裏切りを成功させるのは、やはり才能ではありませんかな。わしには才能という言葉では追いつかないように思えます」

「でもそういう意味でなら、ショワズール殿と同じくらい才能のある人を知っていますわ」

「はて?」

「少なくとも高等法院に対して」

「それは一大事ですな」

「何しろ高等法院の叛乱の原因なんですから」

「どうもよくわかりませんが」

「わかりませんの?」

「ええ、まったく」

「あなたのご親戚ですのに」

「わしの親戚に天才がいるだろうと? 大叔父の枢機卿のことを仰りたいのですか?」

「いいえ、甥御さんのデギヨン公爵のことですわ」

「デギヨンか、確かに、ラ・シャロテ事件のとっかかりでした。なるほどたいした人物です。難しい仕事をやってのけた。賢い者ならああいう人間を引き入れなくてはなりますまい」[*3]

「甥御さんのことはあたくし、何も知らないんですけれど……」

「おや、ご存じありませんか?」

「ええ、一度も会ったことがないんですの」

「これはしたり! 確かに認証式からこっち、ブルターニュの奥に籠もりきりでしたからな。お会いした際には気をつけてやって下さい、太陽に目が眩んでしまうでしょうから」

「才能も家柄もある方が、あんな黒服たちの中で何をなさってますの?」

「改革しているのですよ、ほかにやることがありませんから。楽しみを見出すにしても、ブルターニュにはたいした楽しみがありません。あれこそ行動派です。あれほどの臣下はおりませんぞ、望みさえすれば陛下も取り上げて下さるでしょう。高等法院が傲慢な態度を取り続けるとしてもあれとは無関係です……。あれこそ真のリシュリューですよ、伯爵夫人。ですから、どうかお許しいただきたいのですが……」

「何をですか?」

「こちらに来た際にはあなたに紹介させて下さい」

「ではそのうちパリにいらっしゃるんですか?」

「さあ、どうでしょうな? ヴォルテールの言うように、まだなお栄光のためにブルターニュに残っているかもしれません。こちらに向かっている途中かもしれません。パリから二百里のところかもしれません。市門のところかもしれません」

 そう言ってリシュリュー元帥はデュ・バリー夫人の顔を窺い、最後の言葉がどのような効果を及ぼしたのか確かめた。

 だがデュ・バリー夫人はすぐに我に返り、

「話の続きに戻りましょうか」と言った。

「お好きなところから続けて下さい」

「何処までお話ししましたかしら?」

「陛下がショワズール殿と一緒にトリアノンに籠もっているというところまでです」

「でしたら、そのショワズールを遠ざけるところから続けましょう」

「と言いますか、あなたが続けて下さい、伯爵夫人」

「あらそう? ショワズールには出て行ってもらいたいし、出て行ってもらわないとあたくしが危ないんです。あなたはこれっぽっちも助けて下さらないんでしょう?」

「ほ、ほう!」リシュリューは胸を反らせた。「そういう遣り口は、政治の世界では歩み寄りと呼んでおります」

「お好きなように捉えて下さって構いませんし、どのようにお呼び下さっても構いませんけど、明確に答えて下さいましね」

「そんな可愛い口から出るには、何とも嫌な副詞ですな」

「それが答えですの、公爵?」

「いやいや、そういうわけではありません。答えの準備ですな」

「準備は出来まして?」

「しばしお待ちを」

「怖じ気づきましたの?」

「とんでもない」

「ではお話し下さい」

「寓話についてどう思われますか、伯爵夫人?」

「とっても古いものです」

「いやはや、太陽だって古いですし、ものを見るにはあれよりほかありませんからな」

「では寓話のお話をなさって下さい。でも曇りなくすっきりとお願いね」

「水晶のように曇りなく」

「ではお願いします」

「お聞き下さいますか?」

「どうぞ」

「ではご想像下さい……ご存じのように、寓話には想像がつきものですから」

「ふう! 面倒臭いわね」

「思ってもいないことを仰いますな、これまで真剣に耳を傾けたりなどなさらなかったでしょう」

「ごめんなさい。悪かったわ」

「リュシエンヌの庭を歩いていて、美味しそうなプラム、それもスモモレーヌ=クロードを見つけたと想像して下さい。あなたの大好物ですな、何せあなたに似て真っ赤に熟しておりますから」

「続きをどうぞ、ごますり屋さん」

「枝の先や樹上に実ったプラムを見つけたとしたら。あなたならどうなさいますか、伯爵夫人?」

「木を揺するわ」

「ところがうまくいかない。というのも先ほど仰ったように、この木は太くどっしりと根を張っているからです。結局揺らすことも出来ずに、いつの間にか樹皮でそのお手々を引っ掻いていたことに気づきました。そこであなたは、あなたと花にしか出来ないような可愛らしい仕種で首を傾げて、『もうがっかり! プラムが地面にあればよかったのに』と言って悔しがりました」

「ありそうなことね」

「確かにわしは反対いたしませんな」

「続けて。面白くなって来たわ」

「そこで振り返ったところ、友人のリシュリュー公爵が考え込みながら歩いて来るのが目に飛び込んで来ました」

「何を考えていましたの?」

「いい質問です! あなたのことを考えていました。あなたはさえずるような声で呼びかけました。『公爵! 公爵!』」

「そうよね」

「『あなたは逞しい男の方ですし、マオンを奪取なさいましたでしょ。このプラムの木をちょっと揺すって下さらないかしら。この憎ったらしいプラムが欲しいんです』。如何ですか、伯爵夫人?」

「本人そのものでした。あなたが声に出している間、あたくしはそれを囁いていましたもの。それで、何と答えましたの?」

「わしは答えました……」

「ええ」

「『ご冗談でしょう! それは確かにこれ以上のことなどわしは求めませんが、それにしたってご覧なさい。この木は随分とがっしりしているし、枝は随分とごつごつしております。あなたのより五十年も古ぼけているとはいえ、わしだって自分の手は可愛いですからな』」

「あら!」伯爵夫人が声をあげた。「あたくし、わかっちゃった」

「では寓話を続けましょう。あなたは何と仰いましたか?」

「あたくしは言いました……」

「さえずるような声で?」

「いつものように、です」

「どうぞどうぞ」

「あたくしは言いました。『元帥閣下、興味のないふりはおやめになって。でも自分のものではないからといって、プラムに興味がないわけじゃありませんでしょ。あなたも欲しくありませんの? しっかりと木を揺すってプラムを落としてくれたなら、そうしたら……!』」

「そうしたら?」

「『そうしたら、一緒にいただきましょうよ』」

「お見事!」公爵は両手を叩いた。

「そうかしら?」

「そうですとも、誰もあなたほど上手くは寓話をまとめられますまい。我が角に誓って、亡父が申しておりましたように、丁寧にまとめられていますぞ!」

「では木を揺すって下さいますのね?」

「二本の手と三つの心臓で」

「それで、そのプラムはレーヌ=クロードでしたの?」

「そうだっとは言えませんな」

「では何でしょう?」

「その木の天辺にあったのは、どうやら大臣の地位のようです」

「じゃあ二人で大臣の地位を」

「いやいや、それはわしのものです。大臣のことはうらやみますな。木を揺すればほかにもたくさん落ちて来るでしょうから、目移りしてどうすればよいのかわからないくらいですぞ」

「それはもう決まったことですの?」

「わしがショワズール殿に取って代わることが?」

「陛下がお望みなら」

「陛下はいつでもあなたと同じことをお望みなのでは?」

「そうでないことはよくわかってらっしゃるでしょう。陛下はショワズールを更迭なさりたくないんですもの」

「何の! 陛下は昔の相棒を懐かしんで下さいますとも」

「軍隊の?」

「さよう、軍隊のです。最大の危険が戦争とは限りませんからな」

「デギヨン公のことは頼まなくてもいいんですの?」

「構いません。自分のことくらいは自分で出来るでしょう」

「それにあなたも、ね。次はあたくしの番ですわ」

「何の話でしょうか?」

「お願いするのはあたくしの番です」

「ああ、なるほど」

「あたくしには何をしてくれますの?」

「お望みのことを」

「すべてが欲しいんです」

「もっともなご意見ですな」

「手に入りますか?」

「いい質問です! だがそれで満足ですか、ほかに頼み事はありませんか?」

「ほかにもまだあるんです」

「ではどうぞ」

「ド・タヴェルネ殿をご存じ?」

「四十年来の友人です」

「息子さんがいますでしょ?」

「それに娘さんが」

「そうなんです」

「それで?」

「それだけです」

「はて、それだけですか?」

「ええ、お願いするのは後に残しておいて、然るべき機会にお願いするつもりです」

「よい作戦です!」

「では決まりですわね?」

「わかりました」

「約束ですね?」

「むしろ誓いましょう」

「では木を倒して下さいまし」

「手だてはあります」

「どんな手だてでしょうか?」

「甥です」

「それから?」

「イエズス会です」

「そういうこと!」

「こんなこともあろうかと温めておいたささやかな計画がございます」

「教えてもらうわけには?」

「残念ですが伯爵夫人……」

「ええ、そうね。あなたの言う通りよ」

「おわかりでしょうが、秘密にしておくことが……」

「成功の鍵を握っている、と仰りたいんでしょう」

「これは一本取られましたな」

「それでね、あたくしの方からも木を揺すろうと思ってますの」

「それはいい! どんどん揺すって下さい。それでまずくなることなどないでしょう」

「あたくしにも手だてはあるんです」

「見込みはありますか?」

「そのために費やしたんですから」

「どのためでしょうか?」

「そのうちわかりますわ、むしろ……」

「何でしょう?」

「いいえ、それはおわかりありませんわ」

 魅力的な口を持つ伯爵夫人にしか出来ないような細やかな口振りでこの言葉を口に出すと、すぐさま伯爵夫人は我に返ったように、駆け引きに夢中になって波のように動かしていたスカートの襞を素早く降ろした。

 多少なりとも船の経験のあった公爵は、海の天気の変わりやすさには慣れていたので、豪快に笑うと伯爵夫人の手に口づけをして、これまで悟って来たように、謁見が終わったことを悟った。

「木を倒すのにはいつ取りかかりますか?」伯爵夫人がたずねた。

「明日。あなたはいつ揺するおつもりです?」

 庭に四輪馬車の轟音が聞こえ、ほぼ同時に国王万歳!の声があがった。

「あたくしは」伯爵夫人は窓の外に目をやった。「今すぐに取りかかります」

「結構ですな!」

「小階段を通って、庭で待っていて下さい。一時間後にお返事いたします」


Alexandre Dumas『Joseph Balsamo』Chapitre LXXVII「L'apologue」の全訳です。


Ver.1 10/12/04
 


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[註釈・メモなど]

 ・註釈

*1. [その名を呼ばざるを]。puisqu'il faut l'appeler par son nom。ラ・フォンテーヌ『寓話(Fables)』第7巻第1話「ペストにかかった動物たち(Les Animaux malades de la peste)」より。
 恐怖をまきちらす病気、/地上の罪悪を罰するために/怒った天がつくりだした病気、/ペスト(はっきりその名を言っておかねばなるまい)が/動物たちを攻め立てていた。(以下略)。『岩波文庫』今野一雄訳より。

 ペストが蔓延したのは、羊を食ったせいで罰があたったのだと懺悔する王・ライオンを家臣の肉食獣たちが取りなすが、草を盗み食いしたと告白したロバを、極悪人だと死刑に処す。身分によって裁判所の判決が変わるという寓話。[]

*2. [樫の木は風にも嵐にも]。ラ・フォンテーヌ『寓話』第1巻第22話「カシの木とアシ(Le chêne et le roseau)」より。
 どっしりと地面に根を張り天高く聳えていた樫の木は、そよ風にも頭を垂れる葦を馬鹿にしていたが、いざ嵐が来ると、葦はこれまでのようにしなっていたが、樫の木は根元から引っこ抜かれてしまった。[]

*3. [ラ・シャロテ事件]。仏版Wikipédiaより要約。
 デギヨン公爵はブルターニュ総督に就任した際、国王の名のもとに重税を課そうとしたため高等法院をはじめ地元の反発に遭う。ブルターニュの高等法院は、地方の同意なくしては課税を禁止するという判決を出したが、国王はそれを破棄。それに抵抗する形でほぼすべての高等法院メンバーが辞任。その後、首謀者格だと目されたラ・シャロテが逮捕される。1765年のことである。。[]

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