高等法院の判決がパリやヴェルサイユを賑わせていたその翌日、次に何が起こるのか知りたくて誰もが期待をふくらませていたその日、リシュリュー公爵はヴェルサイユに出かけてまたいつも通りに過ごしていたところ、ラフテが手紙を持って部屋に入って来た。ラフテが不安な面持ちで嗅ぎ回るように手紙を確かめているものだから、不安は瞬く間にリシュリューにも伝染した。
「今度は何だ、ラフテ?」
「良い報せではなさそうです、閣下」
「何故だ?」
「デギヨン様からの手紙ですので」
「ほう、甥から?」
「はい、閣下。国王顧問会議の後でお部屋付きの取次がやって参りまして、御前様宛てにとこの封書を手渡されたのでございます。それからずっと検めておりましたが、悪い報せだという予感をどうしてもぬぐえませんでした」[*1]
リシュリュー公爵が手を伸ばした。
「見せてくれ。わしは臆病ではない」
「予め申しておきますと、取次はこれを差し出しながら露骨に笑っておりました」
「不吉ではあるが、とにかく見せてくれ」
「さらに取次が申すには、『デギヨン閣下が念を押されていましたので、この手紙は元帥閣下に直ちに届けて下さい』と」
「糞ッ! お前を悪の使いと呼ぶことにならなければよいが」リシュリュー元帥はしっかりした手つきで封印を破り、手紙を読んだ。
「顔色が変わりましたね」ラフテは静観するように手を後ろに回していた。
「あり得ぬ!」リシュリューは読みながら呟いた。
「どうやら深刻なようですね?」
「嬉しそうだな?」
「そうかもしれません。予感が当たったわけですから」
リシュリューは続きを読んだ。
「国王は人がいい」直後、そう洩らした。
「デギヨン様を大臣に任命なさったのですか?」
「それ以上だ」
「どういうことでしょうか?」
「読んで意見を聞かせてくれ」
今度はラフテが手紙を読んだ。デギヨンの直筆である。
『伯父上
伯父上の助言が実を結びました。私たち一家の友人であるデュバリー伯爵夫人にこのたびの苦しい事情を打ち明けましたところ、国王陛下のお耳に入れようと取りはからって下さいました。陛下も忠臣に対する高等法院の狼藉には怒りを示して下さり、本日の顧問会議で高等法院の判決を破棄なさると、フランス重職貴族の職務を続けるようにと仰って下さいました。
伯父上がこの報せにどれほど喜んで下さるかは重々承知しておりますので、本日の会議で陛下がお決めになった内容をお届けいたします。秘書に写しを作らせましたので、誰よりも先にお知らせいたします。
心より尊敬申し上げております。今後ともお引き立て及びご忠告お願い申し上げます。
デギヨン公爵』
「おまけに愚弄申しておりますと書き足すべきだろうに」リシュリューが声をあげた。
「本当に仰る通りです」
「国王か! 国王が雀蜂の巣に飛び込むとはのう」
「昨日は信じようとなさいませんでしたね」
「飛び込まぬとは言うておらぬぞ、ラフテ殿。蜂の巣から切り抜けられるだろうと言うたのだ……どうだ、お前の見るところでは切り抜けたかな」
「高等法院が敗れたというのは事実でございますから」
「敗れたのはわしも同じさ」
「今のところはそうかもしれません」
「今後もずっとそうに決まっとる! 昨日から予感はしておったのだ。やけに慰められると思っておったら、案の定、厄介なことになりおったわい」
「閣下、諦めるには早すぎませんか」
「ラフテ先生は間抜けでござるな。わしは敗れたのだ、ツケを払うことになろう。リュシエンヌで笑いものにされるのがどれほどの屈辱かわかるまい。今もデギヨンはデュバリー夫人の腕の中で嘲笑っておるのだぞ。ション嬢とジャン・デュバリー殿もわしを馬鹿にし、あの黒ん坊も飴を頬張りながらわしを虚仮にしておるのだ。そんなことをされては、温厚なわしでもはらわたが煮えくり返るわ」[*2]
「はらわたが煮えくり返ると仰いましたか?」
「まさしくそう言ったのだ!」
「ではああしたことをなさるべきではありませんでした」ラフテは落ち着き払って答えた。
「そうさせたのは秘書殿ではないか」
「私が?」
「そうだ」
「デギヨン様が重職貴族であろうとなかろうと私には何の影響もないではございませんか? 私が甥御様から迷惑を蒙ることはまずないでしょうに」[*3]
「ラフテ殿が生意気を言いおって」
「四十九年前からそのお言葉を頂戴して参りました」
「それでももう一度繰り返そう」
「四十九年繰り返されずにホッとしております」
「ラフテよ、そんな風にわしから利息を引き出すつもりなら……」
「ささやかな受難から利息を引き出すつもりなどございません……御前様のように聡明な方というのは得てして、私如き半チクならしないような過ちを犯すものなのです」
「ラフテ殿にご説明いただこうか、わしが間違っているのなら、それを認めるのはやぶさかではないぞ」
「昨日は復讐に取り憑かれていらっしゃったのではありませんか? 甥御さんが屈辱にまみれるのを見届けたり、ある意味では高等法院の判決を送り届けさせたり、クレビヨン・フィスが書いたように犠牲者が震えおののくのを当て込んだり、そういったことを期待なさっていたのでしょう。元帥閣下、そんな光景を見るには大変な出費になりますし、そんな望みを叶えるのは高くつくものです……お金なら幾らでもお持ちなのですから、どうぞお好きなだけお支払いになればよいのです!」
「お前ならどうしていたというのだ? 知った風な口を利きおって」
「何もいたしません……こちらから動いたりせずただ待っていたことでしょう。それなのに御前様と来たら、お若いのはデギヨン様の方だとデュバリー夫人に気づかれた途端、高等法院とデュバリー夫人を敵対させたくて辛抱できなかったのでございます」
唸り声がリシュリューの返答だった。
「そうして高等法院が動くよう存分に働きかけておいて、いざ判決が出ると何も気づいていない甥御さんに助力をお申し出になったのでございます」
「お見事。確かに間違っていたようだ。だがそれなら警告すべきであったろう」
「悪いことは止しましょうと? 見損なわないでいただけますか。この私のことを手ずからしつけた家来だと常々繰り返していらっしゃるからには、事態が上手くいかなくても災いが訪れても喜んだりしないのをお望みでしたでしょうに……心外でございます」[*4]
「では災いが起こるというのか、魔術師め?」
「まず間違いございません」
「どんな災いが?」
「御前様はご自分を曲げず、デギヨン様は高等法院とデュバリー夫人を繋ぐ楔《くさび》を手に入れることでしょう。そうした暁にはデギヨン様は大臣になり、御前様は追放か……もしくはバスチーユ行きです」
リシュリュー元帥は怒りのあまり嗅ぎ煙草を絨毯にぶちまけた。
「バスチーユ行きだと?」リシュリューは肩をすくめた。「ルイ十五世はルイ十四世ではないぞ?」
「そこまでは申しません。ですがデュバリー夫人がデギヨン様と手を組んだならばマントノン夫人ほどの力を得ることになりましょうし、昨今では飴玉と雛鳥を持って来て下さるような姫君(princesse du sang)など寡聞にして聞かないというだけのことでございます」[*5]
「推測ばかりだの……」リシュリューはしばらくしてからようやく口を開いた。「未来は読めるようだが、現在のことを教えてくれぬか?」
「元帥閣下のような聡明な方に助言などいたせません」
「さっさと言わんか、腕白坊主め。お前までわしをからかっておるのか……?」[*6]
「年月をごちゃ混ぜになさいますな。四十過ぎの男に腕白坊主はございません。私はもう六十七です」
「どうでもよい……早くわしを助け出してくれ……さっさとせんか!……」
「助言せよと?」
「手段は何でもよい」
「まだその時ではございません」
「やはりふざけておるな」
「それならどんなによかったか!……ふざけているのなら、ふざけられるような状況だということですから……ですが生憎とそういった状況ではございません」
「何だその言い草は。まだその時ではないだと?」
「はい閣下、まだその時ではございません。国王のお達しがパリに届けられてしまっているのならともかく……ダリグル議長に使いを送ってはいかかですか?」[*7]
「馬鹿にされるのが早まるだけではないか……!」
「この際自尊心が何の役に立つのですか? やましいところのない聖人すら震え上がらせることの出来るお方ですのに……私は英国叩きの草案を完成させてしまいますので、御前様は大臣を目指して陰謀に精を出して下さいませ。やりかけたことは最後まで終わらせなくては」
ラフテが塞ぎ込みやすいことは重々承知していた。ひとたび心を閉ざすと手が付けられなくなる。
「そう突っかかるな。わからず屋だと責めるのなら、わからせてくれ」
「ではこれからの方針をお聞きになりたいのですか?」
「自分では方針を立てられんと言われてしまったのだからな」
「そういうことでしたらお聞き下さい」
「頼む」
「デギヨン様の手紙をダリグル様にお届け下さい」ラフテは素っ気なく答えた。「顧問会議で国王陛下が下された判決もお忘れなく。後は高等法院が集まってその点について詮議するのをお待ちになることです。長くはかからぬでしょう。いざそうなったら馬車に乗って、担当の代訴人フラジョ先生のところにお立ち寄り下さい」
「何だと?」リシュリューはその名前を聞いて前日のように驚きの声をあげた。「またフラジョ先生か! そのフラジョ先生は今回の件で何をするつもりで、わしはフラジョ先生のところに何をしに行くのだ?」
「フラジョ先生は御前様を担当している代訴人だと申し上げたのです」
「つまり?」
「つまり担当の代訴人であるということは、書類入れ……何らかの訴訟に関する一件書類をお持ちです……ですから訴訟について何か進展があったかどうかを確認しにいらっしゃればよいのです」
「明日か?」
「はい、元帥閣下。明日でございます」
「だがそういうことはラフテ殿のお仕事では?」[*8]
「とんでもございません……フラジョ先生がただの小役人だった時でしたら、私とて対等に渡り合えたことでしょう。ですが明日からのフラジョ先生はまさしく諸王による災いアッティラ、これほどの強権と比べれば公爵も重職貴族も元帥も及ばぬところ」[*9]
「一体全体、それは真面目な話なのか、それともわしらは喜劇を演じておるのか?」
「真面目な話かどうかは明日になればわかりましょう」
「後一つ教えてくれ。そのご自慢のフラジョ先生のところで何が起こるのだ?」
「遺憾ながら……明日になれば実は初めから見抜いていたのだと仰るつもりでしょうに……おやすみなさいませ、元帥閣下。お忘れなさいますな、直ちにダリグル様に伝令を送り、明日にはフラジョ先生をお訪ね下さい。住所は……馭者が知っております。この一週間というもの何度も私を運んでくれていましたから」
Alexandre Dumas『Joseph Balsamo』Chapitre XCVIII「M. d'Aiguillon prend sa revanche」の全訳です。初出は『La Presse』紙、1847年10月6日(連載第97回)
Ver.1 11/04/30
Ver.2 20/03/05
[更新履歴]
・20/03/03 「Je vous envoie, mon cher oncle, sachant bien tout le plaisir que vous fera cette nouvelle, la teneur de la décision que Sa Majesté a prise en conseil aujourd'hui. Je l'ai fait copier par un secrétaire, et vous en avez notification avant qui que ce soit au monde.」。「le plaisir」と「la teneur de la décision」は対になっているわけではなく、「sachant bien tout le plaisir」という理由ゆえに、「Je vous envoie la teneur de la décision」だと言っている。また「avant qui que ce soit au monde.」を「世間に知らせる前」では表現が硬いので改めた。「伯父上がこの報せにどれほど喜んで下さるか、陛下が本日の会議でどれほど重い決断を下されたか、それがわかっておりますのでこうしてお手紙を差し上げました。秘書に写しを作らせました。世間に知らせる前にお知らせいたします。」 → 「伯父上がこの報せにどれほど喜んで下さるかは重々承知しておりますので、本日の会議で陛下がお決めになった内容をお届けいたします。秘書に写しを作らせましたので、誰よりも先にお知らせいたします。」に訂正。
・20/03/05 「– Et moi aussi !」。何が私も同じなのかというと、「それは同感だ!」 → 「敗れたのはわしも同じさ」に変更。
・20/03/05 「Pas quarante-neuf ans, voilà qui me rassure.」。何に対して「49年でない」と言っているかというと、「– Et je vous le répéterai encore.」の「encore(もう1度)」に対して、1度だけで済んでホッとしているということなので、「四十九年となく、それで安心して参りました」 → 「四十九年繰り返されずにホッとしております」に訂正。
・20/03/05 「démange」は「〜したくてたまらない」の意なので、「敵対させるのを迷っておいででした」 → 「敵対させたくて辛抱できなかった」に訂正。
[註釈]
▼*1. [国王顧問会議]。
国王顧問会議(conseil du roi)とは、国務卿らから成る行政機関。軍務、財政、内政などさまざまな分野に細分化されており、高等法院の決定を破棄する権限を持っていた。[↑]
▼*2. [ラフテ先生は間抜けでござるな]。
– Maître Rafté, vous êtes un niais. ここ以後二人称の人称代名詞が tu ではなく vous になっている。怒りの表れか。[↑]
▼*3. [私には何の影響もない]。
それもこれも自分のためではなくリシュリューのためを思ってのことだ、と訴えているのであろう。[↑]
▼*4. [喜んだりしない]。
愚行が為されたり不幸が訪れたりしたとしても喜んだりするような不忠者ではない=何が起ころうとも変わりないのだから敢えて止めることもしなかった、ということか?。[↑]
▼*5. [マントノン夫人]。
マントノン侯爵夫人。卑賤の生まれからルイ十四世の妻にまで登りつめた。[↑]
▼*6. [お前までわしを……]。
ここから再び人称代名詞が tu に戻っている。[↑]
▼*7. [ダリグル議長(le président d'Aligre)]。
。Étienne François d'Aligre(1727-1798)。1768-1771、1774-1788までパリ高等法院議長。[↑]
▼*8. [ラフテ殿のお仕事では?]。
ここだけまた vous になっている。[↑]
▼*9. [諸王による災いアッティラ]。
フン族の王アッティラ(Attila, 406頃-453)はヨーロッパにも攻め込み一大帝国を築き、ヨーロッパ人からは「神による災い(le fléau de Dieu)」呼ばれ恐れられた。デュマの本文では「un fléau des rois」となっている。[↑]
▼*10. []。
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