この翻訳は翻訳者の許可を取ることなく好きに使ってくれてかまわない。ただし訳者はそれについてにいかなる責任も負わない。
翻訳:東 照
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ジョゼフ・バルサモ

アレクサンドル・デュマ

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第百九章 ルソーの支度

 ド・コワニー氏が帰ると、今の訪問で頭がいっぱいになっていたルソーは、大きな溜息をついて椅子に坐り、ぐったりとして呟いた。

「何て面倒なんだ! 煩わしい人たちばかりだ!」

 戻って来たテレーズがそれを聞きつけて、ルソーの正面にやって来た。

「自惚れてるねえ!」

「わたしが?」ルソーは驚いて声をあげた。

「そうだよ、自惚れ屋の偽善者だよ!」

「わたしが?」

「だってそうさ……宮廷に行くのが嬉しくてしょうがないくせに、無関心なふりをして喜びを隠しているんだから」

「これは参った!」見事に言い当てられて、ばつが悪そうに肩をすくめた。

「まさか誤魔化せると思っていたんじゃないでしょうね? ここで穀潰しみたいにスピネットを掻き鳴らして作ったオペラを国王に聴いていただくのを、あなたが名誉に感じてないわけがないじゃありませんか」

 ルソーは苛々とした目つきで妻を見た。

「何を言っているんだ。国王にお目通りするのは、わたしのような人間には名誉なことでも何でもないよ。国王が玉座にいるのは何のおかげだと思うんだい? 自然のきまぐれのおかげで、王妃から生まれただけじゃないか。一方わたしは国王を楽しませるためにそれと見込まれて御前に呼ばれたんだ。努力のおかげだよ、それと努力によって授かった後天的な才能のおかげだよ」

 テレーズは言われたまま黙っているような女ではなかった。

「あなたがこんな話し方をしているのをド・サルチーヌさんが聞いてくれることを願いますよ。ビセートルやシャラントンに病室を空けておいてくれるでしょうから」

「サルチーヌ氏は別の暴君に雇われている暴君に過ぎないし、自らの才覚を除けば暴君から身を守る術はないからね。だがサルチーヌ氏がわたしを虐げるようなことがあれば……」

「ええ、何ですか?」

「ああ、いや」ルソーは溜息をついた。「わたしの敵たちは喜ぶだろうね。まったくだ!……」

「敵がいるのは誰のせいですか? あなたの意地が悪くって、世界中を敵に回しているからじゃありませんか。ド・ヴォルテールさんには味方がいますものね、うらやましいことですよ!」

「その通りだね」ルソーは天使のような微笑みを見せた。

「何ですか、まったく! ヴォルテールさんは紳士でらっしゃいますからね。親友にプロイセンの国王がいますし、馬も持っているし、お金持ちですし、フェルネーにお屋敷もありますし……どれもこれもあの人の才能のおかげですよ……宮廷に伺ったって侮るような態度は取らないでお寛ぎになるでしょうに」

「するとわたしが宮廷で寛げないというんだね? あそこで使われるお金の出所も知らないし、国王が払われている敬意に欺かれているとでもいうんだね? お前と来たら、すっかり騙されてしまうんだね。侮るような態度をとるのは動じていないからだし、宮廷人の豪華なところに動じないのは、それが盗まれたものだと知っているからだとは思わないのかい」

「盗まれたですって!」テレーズは憤然とした。

「盗まれたんだよ! おまえや、わたしや、みんなからね。衣装に使われているようなお金はそっくり、パンを買えない貧乏人に分け与えるべきなんだ。そうしたことを感じているから、宮廷に行くのが嫌でしかないんだよ」

「みんながみんな幸せだとは言いませんよ。でもね、何だかんだ言って、国王は国王ですからね」

「国王には従っているよ。このうえ何を望むというんだい?」

「従っているのは怖いからでしょうよ。本当は行きたくないんだとか何も恐れてはいないんだとは言わないでもらいましょうか。さもなきゃ言って差し上げますけどね、あなたは偽善者ですし、本当は嬉しくてしょうがないんでしょうに」

「何も恐れてはいないよ」ルソーは胸を張って答えた。

「でしたらさっき言ったことを少しでも国王にお話しになればいいんですよ」

「そうするよ、気持が乗ればね」

「本当ですね?」

「ああ。わたしが尻込みしたことがあったかい?」

「よく言いいますよ、引っかかれるのが怖くて、猫に骨をやろうともしないくせに……衛兵や剣士に取り囲まれたらどうするつもりなんです?……あなたのことなら母親同然に知っていますからね……すぐにでも髭を剃って髪を整えておめかしなさるんじゃありませんか。足の手入れをして、小さく瞬きなさるんでしょう。その小さくて丸い目を普通に開いていては誤魔化せませんけれど、瞬きしていれば馬車の入口みたいに大きく見えますものね。絹靴下を用意して、鉄のボタンのついた茶色い上着をお召しになり、新しい鬘をつけて、辻馬車に乗って、ご婦人たちに崇拝されにいらっしゃるんでしょう……明日ですよ、明日になればうっとりと物思いに沈んで、また恋に落ちて、溜息をつきながら本でもお書きになって、コーヒーに涙を落とすんでしょうよ……あなたのことならちゃんとわかってますとも!……」

「わかっていないね。宮廷には仕方なく行くと言っているんだよ。要するにわたしが宮廷に行くのは、非難されるのが嫌だからで、立派な市民なら誰だって非難されるのは嫌がるだろう。それにわたしは、共和国市民の特権を認めないような人間ではないからね。だが宮廷の人たちにおもねったり、牛眼の間の貴族たちに触れんばかりにお近づきになったりすることに関しては、否!だ。そんなことは絶対にするものか。そんなことがあったら、好きなだけ嘲笑ってくれればいい」

「じゃあ盛装しないおつもりですか?」テレーズが馬鹿にしたようにたずねた。

「ああ」

「新しい鬘もつけないんですか?」

「ああ」

「小さな目を瞬きさせないんですか?」

「自由人として宮廷に行くつもりだよ。装うことも恐れることもしない。芝居を見に行くように宮廷に行くつもりだからね、俳優たちからどう思われようと関係のない話だ」

「でも髭くらいはきちんとしていって下さいよ。半ピエも伸びているじゃありませんか」

「自分の流儀を変えるつもりはないよ」

 テレーズがげらげらと笑い出したので、ルソーは耳を塞いで部屋を移った。

 テレーズの攻撃は終わっていなかった。打てる手ならほかに幾らでもある。

 洋服箪笥から礼服、新しい下着、ぴかぴかに磨き上げた靴を取り出すと、それをルソーの寝台と椅子の上に広げた。

 だがルソーはまるで見向きもしない。

 仕方なくテレーズは声をかけた。

「もうそろそろ着替えた方がいいんじゃありませんか……宮廷の衣装を着るには時間がかかりますからね……約束の時間までにヴェルサイユに行く暇がなくなってしまいますよ」

「言っただろう、テレーズ。これで充分だよ。毎日この恰好で同国人の前に出ているんだ。国王だってわたしと同じ一市民なんだからね」

「いいですか」テレーズは遠回しに会話を誘導しようとした。「意地を張って馬鹿な真似をしないでくださいな、ジャック……そこに着替えがありますから……剃刀も出しておきましたよ。今日は神経が触るというんでしたら、床屋を呼ばせましたけれど……」

「ありがとう。ブラシくらいはかけておくよ。それに靴は履くとも。突っかけで出かけるわけにはいかないからね」

「その気になってくれそうですね?」

 テレーズはその時々に応じて、機嫌を取ったり、説得したり、挑発したりと工夫していた。だがルソーはそんなものはお見通しで、罠があることも承知していた。譲歩した途端にテレーズが襲いかかってくるだろうことはわかっている。だから譲歩しようとはしなかったし、素のままの自分を引き立たせる立派な服装に目を向けたりはしなかった。

 テレーズはルソーを見つめていた。もう手だては一つしかない。ルソーはいつも決まって出がけに鏡を覗き込むのだ。もしド綺麗というものがあるならば、ルソーは度を越した綺麗好きなのである。

 だがルソーは気を緩めなかった。テレーズの祈るような目つきに気づいて、鏡に背を向けた。時間だ。ルソーの頭は国王にかける七面倒くさい言葉のことで一杯だった。

 もぐもぐと呟きながら靴の留め金を掛け、帽子を小脇に抱えて、杖を取り、テレーズが見ていない隙を利用して、礼服と上着の皺を手で伸ばした。

 戻って来たテレーズに手渡された手巾を、上着のポケットに突っ込んで、ルソーは踊り場まで見送られた。

「ジャック、馬鹿な真似はしないで下さいよ。ぞっとするようなところがあって、何だか贋金造りみたいだよ」

「行って来るよ」

「何だかごろつきみたいだよ、気をつけて下さいよ!」

「火の元に気をつけるんだよ。それからわたしの書いたものには触らないように」

「密偵みたいに見えますよ、本当に」テレーズはがっくりして言った。

 ルソーは答えずに、鼻歌を歌いながら階段を降りた。暗いのをいいことに袖で帽子を拭い、左手で胸飾りを擦り、即席とはいえ手際よく身だしなみを整えた。

 地上まで来るとプラトリエール街の泥が待ち受けていたが、爪先立ってやり過ごし、シャン=ゼリゼまで歩いて行った。そこには乗合馬車と呼ばれる正真正銘の馬車が停まっており、十二年前から経済的に苦しい旅人たちをパリからヴェルサイユまで運んで、もとい、ぐったりさせていた。


Alexandre Dumas『Joseph Balsamo』Chapitre CIX「La toilette de Rousseau」の全訳です。


Ver.1 11/07/23

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