ジルベールはネッケルに会いに戻った。昂奮した王妃とは対照的に落ち着いた国王と謁見した後のことだ。
国王は訓練をおこない、報告を組み立て、法律の改正を目論んでいた。
この善良なる男には優しい目と真っ直ぐな心があったが、王室に生まれたことによる偏見のせいで心根が歪み、奪われた重大なものより些細なものを取り戻すことに執着していた。足許に深淵が口を開いているというのに、視力の弱い目で遠くの地平線を見晴るかそうとしていた。ジルベールは憐れみをもよおさずはいられなかった。
王妃にはまた違った気持を抱いていた。感情的ではないジルベールも、王妃のことは熱烈に愛するか死ぬほど憎むかしなくてはならない女だと感じていた。
一方の王妃は部屋に戻ると、改めて心にのしかかった巨大な重しを実感した。
女としても、王妃としても、押し潰されるほどの重しを支えてくれるような確かなものなど周りには何もなかった。
どちらを向いても、目に映って見えるのは躊躇いか疑いだった。
取り巻き連は財産の心配をして着々と準備を進めていた。
家族と友人は亡命を考えていた。
誇り高いアンドレとて、身体も心も徐々に遠ざかっていた。
気高く愛しいシャルニーも、気まぐれのせいで傷つき、疑いに囚われていた。
こうした状況にあっては、本能と炯眼に恵まれたさしもの王妃も不安に襲われていた。
シャルニーのような純粋で混じり気のない心を持った男が、どうして突然心変わりをしたのだろうか?
「いいえ、まだ変わってはいない」王妃は溜息をついて独り言ちた。「これから変わってしまうのだ」
心変わりをされてしまうという確信。それは情熱的な愛を知る女にとって恐ろしく、誇り高い愛を知る女にとって耐え難い着想であった。
確かに王妃はシャルニーを情熱的かつ誇り高く愛していた。
そのせいで二つの傷に苦しんでいた。
だがそれでも、それが起こった時であったなら、苦しみを感じ間違いを犯したと気づいたばかりの時であったなら、まだ繕うだけの余裕はあった。
ところが冠を戴いた心には柔軟なところがなかった。自分に非があっても譲ろうとすることが出来なかった。興味のない人間相手であったなら、度量の大きいところを見せたか、或いは大きく見せようとしてから、許しを請うただろう。
だが激しく純粋な愛情を捧げていた相手、秘めた思いを分かたせていた相手には、如何なる譲歩もすべきでないと考えていた。
王妃たる者が一人の家臣を愛するまでに身を落としてしまった時、何が不幸と言って、女としてではなく王妃として愛してしまうことだ。
気位が高いがゆえに、血と引き替えであろうと涙と引き替えであろうとその愛をあがなえる人間がいるとは信じられずにいた。
自分がアンドレに嫉妬していると気づいた瞬間から、王妃の心はくじけ始めていた。
心がくじけた結果、気まぐれを起こした。
気まぐれの結果、癇癪を起こした。
そして癇癪の結果、馬鹿げたことを思いつき、その帰結として馬鹿げた行動を起こした。
シャルニーはこうしたことに一切気づかなかった――とは言え男であったから――マリー=アントワネットが嫉妬していることには気づいていたし、それが妻に対する不当な嫉妬であることも気づいていた。
妻のことなど一度も意識したことはなかったのだから。
裏切るような人間だと思われることほど、裏切らない真っ直ぐな心を憤慨させるものはない。
誰かを嫉妬することほど、その誰かに目を向けさせるものはない。
その嫉妬が不当なものであればなおのこと。
そこで疑われている男は考えた。
嫉妬している女と嫉妬されている女を代わる代わる見つめた。
嫉妬心はますます大きくなり、男が陥っている危険はますます大きくなった。
実際のところ、心が広く、智性も高く、誇れるに足る女性が、僅かどころか一切なにも持たないような相手に不安を抱くことなど、想像も出来まい。
いったい何があれば美しい女が嫉妬心を抱くのだろうか? 権力のある女が嫉妬心を抱くだろうか? 智性ある女が嫉妬心を抱くだろうか? そんな女性が、僅かどころか一切なにも持たないような相手に不安を抱くことなど、想像も出来まい。
嫉妬とは、気のない狩人が目に留めないような痕跡を他人に変わって見つけ出す猟犬にほかならない。
アンドレ・ド・タヴェルネ嬢が王妃の古くからの知り合いであり、かつては絶えず厚遇されており、長らくお気に入りだったことは、シャルニーも知っていた。マリー=アントワネットがアンドレを疎み出した理由は? 嫉妬している理由は何だ?
要するに王妃は、シャルニーがこれまで探そうとしなかったが故に見つけることもなかったアンドレの隠された秘密を、嗅ぎつけたのではないか?
要するに王妃は、シャルニーがアンドレに注意を払うかもしれないと、そのせいで何かを失うことになると、感じたのではないか?
或いはまた、シャルニーの愛が冷めたのは、何らかの外部要因があるに違いないと思い込んだのではあるまいか?
燃えさかるままにいつまでも心を温めておきたがっていると気づかれることほど、嫉妬深い人間にとって致命的なことはない。
冷たくなったとなじられることで、無意識のうちに感じ始めていた醒めた思いに気づかされることが、いったい幾たび起こったことだろう。
そのことに気づき、なじられている真の理由に思い至った男が、元通りに戻って来てくれることがいったい何度あったか、消えかけた炎が勢いを取り戻すことがいったい幾度あったか、言ってみるがいい。
恋人たちというものはなぜこうも不器用なのだろう! なるほど器用なところには、愛情があまりないというのは真理にほかならない。
マリー=アントワネットは癇癪を起こし不当な嫉妬を見せることで、シャルニーの心に愛が僅かしか残っていないことを、自分自身でシャルニーに教えてしまったのだ。
シャルニーはそれに気づくとすぐに、身辺を見回して原因を探し、至極あっさりと王妃の嫉妬の原因を見つけた。
アンドレだ。見捨てられた哀れなアンドレ。妻だったことのない結婚相手。
可哀相なアンドレ。
パリに戻って来たあの場面で、誰の目にも隠されていた嫉妬の秘密がシャルニーの目に明らかになった。
すべてがばれたことに王妃も気づいたが、シャルニーの前で弱みを見せるのを嫌い、同じ目的地に向かう(と少なくとも王妃は思っていた)別の道を選んだ。
アンドレをまた以前のように厚遇し始めた。
何処に出かける時にもどんな食後の集まりにもアンドレを呼び、ひどく可愛がったので、ほかの貴婦人たちから妬まれるほどになった。
アンドレは驚きながらも感謝一つせず身を任せた。ずっと前から自分は王妃のものだと思っていたし、自分の望むことを王妃がしてくれるものと思っていたので、アンドレは身を任せていた。
そのせいで行き場をなくした女の苛立ちが方向転換を余儀なくされ、王妃はシャルニーにつらく当たり始めた。王妃はシャルニーに話しかけるのをやめ、邪険に扱うようになった。夜も、昼も、何週間にもわたり、シャルニーがいることに気づかずに過ごしているふりをした。
だがシャルニーがいなくなった途端、胸がいっぱいになった。不安げに目を彷徨わせ、目に入る間は目をそらしていた男の姿を捜し求めていた。
縋る腕が欲しかったり、指示を出したり微笑みを振りまいたりしようと思えば、最初に顔を合わせた男にした。
しかも相手は必ず顔も身なりも良い男だった。
王妃はシャルニーを傷つけることで自分の傷を治そうと考えていた。
シャルニーは歯を食いしばって甘んじて苦しみを受けた。自制心の強い男だったから、この耐え難い拷問の間も、怒りや苛立ちの素振りを見せなかった。
興味深い光景が繰り広げられたが、女にしか明らかにされないし理解できない光景であった。
アンドレは夫の苦しみをひしひしと感じ取り、これまで希望一つないまま天使のように夫を愛したのと同じく、夫を憐れみ、それを体現した。
こうしたいたわりの気持が、緩やかで温かい雪解けをもたらした。夫を慰めようとしている間も、夫には慰めが必要なのだと見抜いていることを表には見せないようにしていた。
それもこれも、女性的とも言える心遣いの賜物だった。実際、女にしか出来ない気遣いであろう。
マリー=アントワネットは二人を分断させて上位に立とうとしていたが、自分の間違いに気づいた。様々に手を尽くして遠ざけようとしていた二つの魂を、知らぬうちに近づけさせていたのだ。
その時の王妃は、寂しく孤独な夜を幾つも過ごす、ひどい絶望に苛まれた哀れな女だった。神も自分の力を再認識したに違いない。それだけの試練に耐えうるだけの強い存在を創り給うたということなのだから。
だから王妃も、政治的杞憂がなければ幾多の苦しみに屈したに違いない。疲れ切ってへとへとの人間は、固い寝台にも文句は言わないものだ。
王妃が以上のような状況に囲まれて過ごすうちに、国王はヴェルサイユに帰郷し、王妃は絶対的な力を再び行使しようと改めて考え直した。
要するに王妃のような誇り高い女にとっては、しばらく前からのさばっているらしき女性蔑視のようなものは、自分の凋落に原因があると考えられたのだ。
王妃のような積極的な人間にとって、考えることとは即ち行動することだった。王妃は時間を惜しんで考えを実行に移した。
悲しいかな、王妃が実行に移したのは、自らを破滅させる行為だった。
Alexandre Dumas『Ange Pitou』「Chapitre XLVI Ce que voulait la reine」の全訳です。
Ver.1 16/11/19
[訳者あとがき]
初出『La Presse』紙、1851年4月16日(承前)。
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[註釈]
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▼*2. []。
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▼*3. []。
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