この翻訳は翻訳者の許可を取ることなく好きに使ってくれてかまわない。ただし訳者はそれについてにいかなる責任も負わない。
翻訳:東照《あずま・てる》
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アンジュ・ピトゥ

アレクサンドル・デュマ

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第四十九章 女たちの参戦

 ヴェルサイユでは宮廷が民衆に対し英雄のように勇ましい態度を取った。

 パリでは宮廷に対し騎士のような態度が取られた。ただしこの騎士道、路地裏にまで開通していた。

 この民衆から成る騎士たちは、汚い恰好でうろつき回り、剣の柄や銃尾を握った手で、空っぽのポケットやぺたんこの胃袋を探っていた。

 ヴェルサイユで暴飲が為されている一方で、パリでは食べるものに事欠いていた。

 ヴェルサイユのテーブル掛けには葡萄酒が溢れていた。

 パリのパン屋には小麦粉が不足していた。

 何とおかしなことであろうか。玉座の崩落に馴染んでしまった今日から見ると、政治家も同情の微笑みを洩らすほどの、暗愚というほかない。

 革命に逆らいながら、飢えた人々を戦いに駆り立てようとするとは。

 哀れ唯物論者たらねばならぬ歴史の曰く、人間は空腹の時ほど激しく抗う。

 パンを恵むのは簡単なことだし、そうなればヴェルサイユの葡萄酒も苦々しくは思われなかったことだろう。

 だがコルベイユ(Corbeil(-Essonnes))から小麦粉は届かなかった。コルベイユはベルサイユからあまりに遠い。国王や王妃のおそばにいる者で、コルベイユのことを考えた者などなかった。[*1]

 不幸なことに、宮廷から忘れ去られながらもこの飢餓という脅威は、眠りに就いている間も苦しみ抜き、いつともなく目覚めを待っていた。そしてとうとう青ざめておののきながらパリの街路に足を踏み入れていた。飢餓は路地の隅々で耳を澄ませて、浮浪者やならず者を続々と呼び寄せ、おぞましい顔を金持や役人の家の窓に貼りつかせに向かった。

 男たちは血塗れの暴動を覚えていた。バスチーユを忘れていなかった。フーロンやベルチエやフレッセルのことが頭にこびりついていた。また人殺し呼ばわりされやしないかと思って行動を控えていた。

 だが女たちはまだ耐え忍ぶことしかしていなかった。女たちは三重の苦しみを耐え忍んでいた。涙を流し、事情もわかっていない罪のない、「なんでパンくれないの?」と母に問う子供のため。暗くむっつりした顔で朝に家を出て、晩にはさらに暗くむっつりした顔で帰って来る夫のため。そして妻として母としてそれらの苦しみを映し出された自分たちのため。女たちは痺れを切らして雪辱を果たそうと、自分なりに祖国のために尽くそうとした。

 そもそもヴェルサイユに十月一日をもたらしたのは女たちではなかったではないか?

 パリに十月五日をもたらすのは女たちの番だった。

 ジルベールとビヨはパレ=ロワイヤルのカフェ・ド・フォワ(café de Foy)にいた。幾つもの動議が出されていたのがそのカフェ・ド・フォワだった。突然カフェの扉が開き、女が一人、慌てふためいて入って来くると、ヴェルサイユからパリにまで伝えられた白い徽章と黒の徽章のことをぶちまけた。そして世の中(public)が危ないと訴えた。

 シャルニーが王妃に言ったことが思い出される。

「陛下、ご婦人たちが行動を起こした時こそ本当に恐れるべき時でございます」

 ジルベールも同意見だった。

 今や女たちが行動を起こしたのを目の当たりにして、ジルベールはビヨに向かってたった一言だけ告げた。

「市庁舎に行こう」

 ビヨとジルベールとピトゥの間で会話が交わされてから後のことである。ピトゥはセバスチャン=ジルベールと一緒にヴィレル=コトレに戻っていた。ビヨは言葉一つ、身振り一つ、合図一つでジルベールに従っていた。自分が体力ならジルベールが智力であることは自覚していたからだ。

 二人ともカフェを飛び出してパレ=ロワイヤルの庭園を斜めに突っ切り、フォンテーヌ広場(la cour des Fontaines)を横切ってサン=トノレ街までたどり着いた。[*2]

 中央市場(la Halle)のところまで来ると、一人の娘がブルドネ街から太鼓を叩きながら出て来るのが見えた。

 ジルベールは驚いて立ち止まった。

「何だあれは?」

「可愛い娘が太鼓を叩いてますね、たいしたもんだ」

「何か失くしてしまったんだろう」通行人が言った。

「顔色が悪いな」ビヨが言った。

「何が目的か尋いてみ給え」ジルベールが言った。

「お嬢さん、何だってまた太鼓を打ち鳴らしてるんで?」

「お腹が空いてるんです」か細いキーキー声が返って来た。

 そう言うと娘は太鼓を打ち鳴らしながら先へ進んでしまった。

 ジルベールには初めからわかっていた。

「とんでもないことになったな」

 太鼓を持つ娘の後ろからついて歩いている女たちに、ジルベールは目を注いだ。

 女たちは青ざめ、よろめき、死に物狂いだった。

 女たちの中には、三十時間にわたり何も口にしていない者もいた。

 時折り衰弱で差し迫った叫び声が洩れた。それはまさしく飢えた口から出た叫びにほかならなかった。

「ヴェルサイユに進め!」

 道々、家にいる女たちに合図を送り、窓から顔を出した女たちに声をかけた。

 馬車が通りかかった。馬車に乗っていた二人の貴婦人が、窓から顔を出して笑い声をあげた。

 女たちが立ち止まった。二十人ほどの女が窓に駆け寄って貴婦人二人を引きずり降ろし、抗議の声も気にせず取り囲んで何度か殴りつけると抵抗もしなくなりおとなしくなった。

 こうした女たちがゆっくりと行進しながら勧誘を繰り返しているのを、一人の男が見ていた。男は両手をポケットに入れて後ろからついて来ていた。

 この男、肉のない青白い顔をして、痩せて長身、鉄灰色の外套(un habit gris-de-fer)に、黒い上着と黒いキュロットを身につけ、擦り切れた三角帽を斜めにかぶっている。

 長い剣が細く逞しい足にぶつかっていた。

 後をつけ、目を凝らし、耳をそばだたせ、黒い眉の下で油断なく目を光らせていた。

「あの顔には見覚えがあるな。暴動には必ずいた」ビヨが呟いた。

「あれは執達吏のマイヤール(l'huissier Maillard)だよ」ジルベールが言った。

「ああ、そうでした。バスチーユであたしの後ろから板を渡った人ですよ。あたしなんかよりずっと器用だった。堀に落ちずに済んだんだから」[*3]

 マイヤールは女たちと共に路地を曲がって姿を消した。

 ビヨはマイヤールの後を追いたがったが、ジルベールによって市庁舎に連れて行かれた。

 確かに暴動の起きる場所は決まって市庁舎だった。暴動を起こしたのが男たちであれ女たちであれ。流れを追いかけるくらいなら、河口で待ち受ける方が早い。

 パリで何が起こっているのかは市庁舎にも知らされていた。だがほとんど関心は払われていなかった。冷静なバイイや貴族のラファイエットにとって、太鼓を叩く女が何を思いついていようがどうでもよかった。せいぜい祭りの先触れだとしか考えられていなかった。

 だがその女の後から二、三千人の女たちがやって来て次から次へと人数がふくらんでゆくのを見て、また同じくらい大勢の男たちがいやらしい笑みを浮かべおぞましい武器を手に歩いて来るのを見て、また女たちがこれから犯すことになる罪を思ってその男たちが北叟笑んでいるのだと、ましてや質の悪いことに前回も憲兵隊(la force publique)に拘束されなかったのだから今回も法的(la force légale)に拘束されて罰せられることはないと見くびられているのだとわかるにつけ、事態がどれだけ深刻であるのか気づき始めた。

 男たちが北叟笑んでいたのは、自分たちが罪を犯さなくて済むからであり、人類の無害な片割れが罪を犯すのを安穏として見ていられるからであった。

 半時間後、グレーヴ広場には一万人の女が集まっていた。

 充分な数が集まったと見るや、女たちは腰に手を当て議論し始めた。

 議論は穏やかとは言いがたかった。大部分は門番女に市場の女将に娼婦である。ほとんどは王党派であったので、国王や王妃を傷つけようとするくらいなら、二人のために死を選んだだろう。この侃々諤々の議論が川向こうのノートル=ダムの尖塔にまで聞こえていたなら、尖塔もきっと、これまで見下ろして来たどんなものより輪を掛けて面白そうだからぜひ見に行こうと考えたことであろう。

 議論の結果は以下の通りである。

「無駄な書類ばかり作って毎日のおまんまを食わせないような市庁舎なんて燃やしてしまえ」

 折りしも市庁舎では、重さを誤魔化してパンを売っていたパン屋の判決が宣告されていたところであった。

 パンが高くなればこうした誤魔化しも増える。ただし儲けが上がればそれだけ危険も大きくなる。

 その当然の帰結として街灯作業に慣れた者たちが新しい綱を持ってパン屋を待ち構えていた。

 市庁舎の衛兵はパン屋を守ろうとして、全力を尽くしていた。だが結果はご覧の通り、しばらく前から博愛主義との折り合いは悪化していた。

 女たちが衛兵に飛びかかり、こてんぱんにのしてから市庁舎に乗り込むと、掠奪が始まった。

 目についたものは手当たり次第にセーヌ川に放り投げ、運べないものは広場で燃やそうとした。

 というわけで水の中には男の山が、広場には火の壁が出来あがっていた。

 大仕事であった。

 市庁舎にはほとんどの人間が揃っていた。

 選挙人が三百人。

 助役たち。

 区長たち。

「あいつら全員を川に放り込むには大分かかるだろうね」その女には時間を気にするだけの分別があった。

「そうするだけの価値はあるだろう」

「でも時間がないね」

「まとめて焼き殺しちまえばいいんだよ。そうすれば簡単だ」

 火種が欲しくて松明を探し回っている間、時間を無駄にせず、修道院長が一人吊るされた。ルフェーブル・ドルメソン修道院長(l'abbé Lefèvre d'Ormesson)である。

 幸いなことに灰色服の男(l'homme à l'habit gris)がいたため、綱が切られ、修道院長は十七ピエの高さから落下した。修道院長は足を挫いて、女たちの哄笑の中、びっこを引き引き逃げ出した。

 何故に修道院長が安穏と逃げ出せたのかといえば、松明に火がつけられていたからであり、女たちはとっくに松明を手にしていたからであり、松明を書類に向かって近づけていたからであり、あと十分もすればすべてが炎に焼かれるはずだったからである。

 急に灰色服の男が駆け寄って、女たちの手から火種や松明をもぎ取った。女たちは抵抗したが、男は松明を振り回して、スカートに火がついている隙に、燃えている書類の火を消した。

 一万人の怒れる女たちに立ち向かった男が何だというのか?

 この男にされるがままになる理由などない。もう少しでルフェーヴル修道院長を縛り首に出来たのだ。この男を吊るす準備さえ整えば、今度こそ息の根を止めるまで吊るしてしまおう。

 こうした理屈に基づいて、殺してしまえと大合唱が起こった。そこに行動も伴った。

 女たちは灰色服の男を取り囲んで首に綱を掛けた。

 だがビヨが駆けつけた。マイヤールが修道院長のためにしたことを、ビヨがマイヤールにしに行ったのだ。

 ビヨは綱に取りつき、鋭利なナイフで何箇所か切断した。今は綱を切るのに役立ったが、ぎりぎりの瞬間になれば逞しい腕で柄をつけて別のことに役立てるだろう。

 出来る限り綱をばらばらに切り刻むと、ビヨは大声で叫んだ。

「阿呆女ども! バスチーユの英雄を知らないのか? 俺が堀の中で藻掻き回っている間に、板を渡って降伏を勧めに行った人だぞ! マイヤールさんを知らないのか?」

 よく知られ恐れられてもいたその名を聞いて、女たちも手を止めた。見つめ合って、額を拭った。

 何しろ大仕事であったので、十月だというのに汗を掻かずにはいられなかったのだ。

「バスチーユの英雄だよ! しかもマイヤールさんだってさ、シャトレの執達吏マイヤールさんだよ! マイヤール万歳!」

 殺せの合唱は称讃の言葉に変わり、マイヤールは次々と抱きしめられて、万歳の大合唱となった。

 マイヤールはビヨと握手を交わし目を合わせた。

 その手は「同胞よ!」と言葉を交わしていた。

 その目は「助けが必要なときはいつでも当てにしてくれ」と言っていた。

 マイヤールの影響力はますます大きくなっていた。マイヤールが女たちを咎めないとわかっていただけにいっそう評価は高まった。

 だがマイヤールは老練な水夫であった。群衆という海原が風の一吹きで波を起こし言葉の一言で凪ぐことを知り抜いていた。

 群衆に向かって口を利かせてもらえる場面でどう話しかければ良いかを心得ていた。

 しかも話をするには絶好の機会だった。マイヤールの周りで誰もが耳を澄ましている。

 マイヤールはパリ市民たちに自分たちの市を壊して欲しくはなかった。市民自身を守る唯一の権力なのだから。戸籍を消失させて欲しくなかった。市民自身の子らが庶子ではないと証明するものなのだから。

 非凡で声高く諧謔に富んだマイヤールの言葉は効果覿面だった。

 これで誰も殺されることはないし、何も燃やされることはないはずだ。

 だがヴェルサイユ行きだけは譲れなかった。

 ヴェルサイユこそは悪であり、パリが飢えているというのに幾夜となく浮かれ騒いでいる場所であった。すべてを貪っているのがヴェルサイユであった。パリに小麦も小麦粉も足りないのは、小麦粉がパリを経由せず真っ直ぐコルベイユからヴェルサイユに届けられているからだ。

 もし「パン屋」と「パン屋の女将」と「見習い小僧」がパリにいればこんなことにはならなかったであろう。

 これは国民のパンを本来配るはずの国王と王妃と王太子につけられたあだ名である。

 女たちはヴェルサイユを目指すに違いない。

 何しろ女たちはもはや軍隊になっており、銃も大砲も火薬も手にしていたし、銃も火薬もない者は槍や熊手を手にしていた。後は足りないのは司令官であった。

 当然ではないか。国民衛兵には素晴らしい司令官がいる。

 ラファイエットは男たちの司令官だ。

 マイヤールが女たちの司令官になればいい。

 ラファイエット氏が指揮しているのは怠け者の擲弾兵であった。すべきことがあってもさほど行動しないのだから、予備兵のようなものだ。

 マイヤールが指揮することになるのは現役兵である。

 笑みも浮かべず眉一つ動かさずにマイヤールは快諾した。

 今やマイヤールがパリの女たちの司令官である。

 行軍は長いものにはならぬだろうが、はっきりとした結末がもたらされるであろう。


Alexandre Dumas『Ange Pitou』「Chapitre XLVIX Les femmes s'en mêlent」の全訳です。


Ver.1 17/02/11

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[訳者あとがき]

 初出『La Presse』紙、1851年4月29日。
 

[更新履歴]


 

[註釈]

*1. [コルベイユ]
 コルベイユ=エッソンヌ(Corbeil-Essonnes)はヴェルサイユの南東約40kmの距離にある都市。[]
 

*2. [カフェ・ド・フォワ/フォンテーヌ広場]
 カフェ・ド・フォワはパレ=ロワイヤルの西にあるモンパンシエ回廊57〜60番地にかつてあった。フォンテーヌ広場はパレ=ロワイヤルの南東・オペラ劇場の北にあった広場。[]
 

*3. [堀に落ちずに……]。『アンジュ・ピトゥ』第17章参照→「リンク先」。
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*4. []
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