この翻訳は翻訳者の許可を取ることなく好きに使ってくれてかまわない。ただし訳者はそれについてにいかなる責任も負わない。
翻訳:東照《あずま・てる》
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アンジュ・ピトゥ

アレクサンドル・デュマ

訳者あとがき・更新履歴
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第五十章 マイヤール司令官

 マイヤールが指揮していたのは確かに軍隊であった。

 大砲こそあるものの砲架も台車もなかったが、荷車に積めばよかった。

 銃こそあるもののそのほとんどに撃鉄も引き金も欠けていたが、銃剣なら間に合っていた。

 面倒な武器なら山ほどあったが、武器は武器であることに間違いはなかった。

 火薬はハンカチやボンネットやポケットの中に入れていた。この生きた弾薬入れの真ん中を、火のついた火縄を持った砲兵たちが闊歩していた。

 行軍中に全軍がばらばらにはじけ飛ばずに済めば奇跡というほかない。

 マイヤールは一目で自軍の状態を見抜いた。そして自分に出来ることを確認した。即ち、広場に押し込めてはおけないこと、パリに繋ぎ止めてはおけないこと、ヴェルサイユに連れてゆくこと、到着したらおこなわれかねない悪事を防ぐこと。

 困難で超人的な仕事だが、やり遂げねばなるまい。

 そこでマイヤールは地面に降り、少女の首から太鼓を預かった。

 飢えた少女にはもうはや太鼓を運ぶ力もなかった。少女は太鼓を委ね、壁を這うように進むと、境界石(une borne)に頭を落とした。

 ひどい枕だ……飢えの枕……。

 マイヤールは少女に名前をたずねた。名はマドレーヌ・シャンブリー(Madeleine Chambry)。教会のため木彫りを作っていたが、今時そうした類の木製家具や彫刻や浮き彫りといった十五世紀の遺物を教会に備え付けようとする者がいるだろうか?[*1]

 飢えて死にそうな娘はパレ=ロワイヤルで花売りになった。

 だがパンを買う金がないという時に花を買おうとする者がいるだろうか? 花とは平和と飽食の空に輝く星であり、騒乱と革命の風には萎れるしかなかった。

 木に果実を彫ることも、薔薇や茉莉花や百合を売ることも叶わぬと知ったマドレーヌ・シャンブリーは、太鼓を持って飢えの合図を打ち鳴らしていた。

 こうしてシャンブリーはヴェルサイユに向かうことになった。苦しみに耐えかねた使節団の集っているヴェルサイユに。ただし歩けないほど衰弱していたので、荷車で向かうことになった。

 ヴェルサイユに到着したら、十二人の女たちと一緒に宮殿に入れてもらえるように頼もう。そして代表者にしよう。飢えた少女が、国王の御前で飢えの原因を訴えるのだ。

 このマイヤールの考えに喝采が起こった。

 こうしてマイヤールは、たった一言でいつの間にか敵意をすっかり変えてしまっていた。

 誰もヴェルサイユに行く理由も知らなかったし、何をしに行くのかも知らなかった。

 だがようやくそれも人の知るところとなった。ヴェルサイユに行くのは、マドレーヌ・シャンブリーを先頭にした十二人の使節団が、「飢えの名に於いて」、国民に憐れみを見せてくれるよう国王に訴えに行くためだ。

 いつの間にか七千人近く集まっていた。

 女たちは河岸に沿って歩き出した。

 ところがチュイルリーまで来たところで大きな叫び声が聞こえて来た。

 マイヤールは境界石に上って自軍全体を見渡した。

「どうしたんだ?」

「チュイルリーを突っ切りましょうよ」

「無理だ」

「どうしてです?」七千の声が問うた。

「チュイルリーは国王の宮殿であり庭だからだ。国王の許しなく突っ切ることは国王に対する侮辱に当たるし、それどころか国王のお膝元で自由を侵害する行為に当たる」

「だったらスイス人衛兵に許しを貰いましょうよ」

 そこでマイヤールはスイス人衛兵に近づき、三角帽を脱いだ。

「このご婦人方にチュイルリーを通らせてもらえんかな? アーケードの下しか通らんから、庭の草木を傷める心配はない」

 スイス人衛兵は答えの代わりに長い剣を抜いてマイヤールに突きつけた。

 マイヤールも一ピエ短い剣を抜いて応戦した。すぐに女が一人、衛兵に近寄って箒の柄で頭を殴りつけ、足許に叩き伏せた。

 直ちに別の女が銃剣で腹を突き破ろうとしたのを、マイヤールが押しとどめた。

 マイヤールは剣を鞘に収めると、衛兵の剣と女の銃剣を両腕に抱えてから、立ち回りの最中に落ちた三角帽を拾って頭に乗せ、チュイルリーを横切って先へ進んだ。先ほどの言葉通りに何も傷めたりはしなかった。

 そのままラ・レーヌ広場(Cours-la-Reine)を通り、セーヴル(Sèvres)に向かい、そこで二手に分れることになるのだが、それはそのまま置いておき、パリで起こっていたことに少し目を向けるとしよう。

 七千人の女たちが選挙人たちを溺死させそうになり、ルフェーヴル修道院長とマイヤールを吊るしおおせそうになり、市庁舎を燃やしそうになったという事実は、噂を呼ばずにはいられなかった。

 この噂は首都から遠く離れた界隈にまで評判となり、ラファイエットを馳せ参じさせる結果となった。

 ラファイエットはシャン=ド=マルス(Champ-de-Mars)で閲兵式のようなものをおこなっており、朝の八時から馬に乗り通しであった。市庁舎広場に向かったのは正午の鐘が鳴る頃だった。

 当時の諷刺画にはラファイエットはケンタウロスの姿で描かれている。胴体はよく知られることになったあの白馬のものだ。

 頭部は国民衛兵司令官のものである。

 革命当初からラファイエットは馬に乗って話をし、馬に乗ってものを食べ、馬に乗って指令を出していた。

 馬に乗って眠ることさえままあったと云う。

 だから寝床で眠る機会に恵まれればラファイエットはぐっすりと眠った。

 ペルティエ河岸(le quai Pelletier)に着くと、全速力で走る馬の前に飛び出して来た男に止められた。

 ジルベールだ。今しもヴェルサイユに向かうところであった。身の安全が脅かされていると国王に知らせに行くところであり、国王のために身を尽くしに行くところであった。

 ジルベールは手短にすべてをラファイエットに伝えた。

 それから二人はそれぞれの道に戻った。

 ラファイエットは市庁舎へ。

 ジルベールはヴェルサイユへ。ただし女たちのようにセーヌ川の右岸ではなく、左岸に沿った道を選んだ。

 女のいなくなった市庁舎広場には男たちが溢れていた。

 それは有給無給の国民衛兵であった。分けても庶民の側に鞍替えした古参の近衛兵である。国王の衛兵としての特権を失い、国王護衛隊とスイス人衛兵に特権を譲り渡していたという事情があった。

 女たちの立てた騒ぎに続いて、警鐘の音と非常呼集が鳴り響いていた。

 ラファイエットはその人込みを縫い、階段の下で馬から降りると、それによって引き起こされた脅し混じりの喝采を気にも留めずに、朝に起こった暴動について国王宛ての手紙を書き取らせ始めた。

 十六行目まで進んだところで、事務室の扉が大きな音を立てて開いた。

 ラファイエットが目を上げた。擲弾兵の代表団がラファイエットに面会の許可を求めていた。

 ラファイエットは入っても良いと合図した。

 代表団が入室した。

 話す役目を負った擲弾兵が机まで歩いて来た。

「将軍閣下」澱みない声であった。「我々は十個中隊の擲弾兵を代表して参りました。閣下を裏切者だとは思っておりませんが、政府には裏切られると考えております。何もかも終わりにすべき頃合いです。パンを乞う女たちに銃剣を向けることなど出来ません。食糧委員会は汚職しているか役立たずかのどちらかです。いずれにしても変えねばなりません。庶民が苦しんでいる、その諸悪の根源はヴェルサイユにあります。国王をお迎えに行き、パリにお連れしなくてはなりません。フランドル聯隊と国王護衛隊を壊滅させねばなりません。あろうことか国民の徽章(la cocarde nationale)を踏みにじった者たちです。もし国王に王冠を戴くだけの力がないのなら、下ろしてしまえば良い。王冠はその子に継がせ、摂政評議会(un conseil de régence)を設置すれば、それですべてが上手く行きます」

 ラファイエットは驚いて見つめた。確かに暴動を目にして来たし、私刑を嘆きはして来たが、実際に革命の息吹に顔を撫でられたのは初めてだった。

 国民が国王を必要としない可能性を知って驚いたが、驚く以上に混乱していた。

「どういうことだ? 国王とやり合うつもりなのか? 国王を見捨てろと言うのか?」

「我々とて国王を深く敬愛しております。それだけに国王にそっぽを向かれたのが口惜しいのです。ですから国王がいなくとも王太子がいるという結論になったのです」

「自分たちが何をやろうとしているのかわかっているのか? 王冠に手を触れようとしているのだぞ。認めるわけにはいかぬ」

「我々のことであれば、閣下のために血の最後の一滴まで絞り出す覚悟であります。ですが国民は貧しており、諸悪の根源がヴェルサイユにある以上、国王をお迎えに行きパリまでお連れすることが国民には必要なのです」

 ラファイエットは殉難の覚悟をしなければならないと悟った。それが必要とあらば躊躇ったことなどない。

 市庁舎広場に降り立ち、群衆に向かって訴えかけようとしたが、「ヴェルサイユへ!」の声に掻き消されてしまった。

 ヴァンリー街(la rue de la Vannerie)の方からどよめきが聞こえて来た。バイイが市庁舎に姿を見せたのだ。

 バイイが現れると、「パンを! パンを!」「ヴェルサイユへ! ヴェルサイユへ!」という声が至るところで湧き起こった。

 人込みに揉まれて歩いていたラファイエットには、その波がますます高くなって自分を飲み込もうとしているのがわかった。

 人込みを掻いて馬までたどり着こうとして、波を掻いて岩までたどり着こうとする遭難者のように必死に進んだ。

 ようやくたどり着いて鞍に飛び乗ると、玄関に向かって馬を走らせようとした。だが市庁舎までの道は埋まっており、人の壁が押し寄せて来た。

「将軍殿!」その男たちが叫んだ。「俺たちと残るんだろう?」

 それと共に幾つもの声が繰り返した。「ヴェルサイユへ! ヴェルサイユへ!」

 ラファイエットは躊躇いを見せた。ヴェルサイユに向かえば確かに国王のために働くことが出来る。だがヴェルサイユに行けとけしかけている男たちを上手く指揮することが出来るだろうか? 自分さえ溺れかねないこの波に対して、自分が助かるためにも抗わなくてはならないこの波に対して、上手く御することが出来るだろうか?

 ちょうどこの時、一人の男が玄関の階段を降りて来た。足や手やとりわけ肘を上手く使って人込みを掻き分け、ラファイエットのところまで一通の手紙を運んで来た。

 この男こそ不撓不屈のビヨであった。

「三百人(des Trois-Cents)のところからです」

 これは選挙人の呼び名である。

 ラファイエットは封印を破って声に出さずに手紙を読もうとした。だが二万人の声が黙ってはいなかった。

「手紙を読むんだ!」

 やむなくラファイエットは声に出して手紙を読むことにして、静粛に、と合図を送った。するとまるで奇跡のように、あれだけの騒ぎがぴたりと静まった。一言も聞き洩らすまいとする静寂の中、ラファイエットは手紙を読み上げた。

 

『現在の状況及び市民の希望を鑑み、またそのヽヽ代表たる将軍司令官殿(monsieur le commandant général)にはそれに同意するほかないという事実に基づき、将軍殿に全権を委任すると共に、ヴェルサイユへの出向をも命ずることとする。

 市役員が四人、同伴のこと』

 哀れなラファイエットは選挙人たちの代表などでは断じてなかった。これから起こる出来事の責任の一端をラファイエットに負わせて内心喜んでいるような、そんな選挙人たちの代表などでは断じてない。だが国民は事実ラファイエットが代表なのだと信じていたし、将軍司令官が代表しているその意思が自分たちの願いと一致しているのだと信じて、「ラファイエット万歳!」と声をあげた。

 だからラファイエットは青ざめながら「ヴェルサイユへ!」と繰り返さざるを得なかった。

 一万五千人の男たちが静かに熱狂して後を追った。だが同時に、一足先に発っていた女たちの熱狂よりもさらに恐ろしい熱狂だった。

 この男女が皆ヴェルサイユで合流することになるのだ。十月一日から二日にかけてのどんちゃん騒ぎ(l'orgie)の間に国王護衛隊のテーブルから落ちたパン屑のことを、国王に質すために。


Alexandre Dumas『Ange Pitou』「Chapitre L Maillard général」の全訳です。


Ver.1 17/03/18

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[訳者あとがき]

 初出『La Presse』紙、1851年4月30日。
 

[更新履歴]


 

[註釈]

*1. [マドレーヌ・シャンブリー]
 Madeleine Chambry。Chabryとも。Louisonの名でパレ=ロワイヤルで花(と春)を売っていた。1789年当時17歳。[]
 

*2. []
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*3. []
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*4. []
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*5. []
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