「そうして、丘のてっぺんに着いたところでブルーノは籠を開けました。パン、林檎、牛乳を取り出して、みんなで食べたり飲んだりしていました。牛乳を飲み終え、パンと林檎を半欠け食べたところで仔羊が言いました。『蹄がべとべとしちゃった! 足を洗いたいな!』。するとライオンが言いました。『それなら、丘を降りてあそこの小川で洗うといい。ここで待っているから!』」
「戻ってこないんだよ」ブルーノが訳知り顔でささやいた。
だがシルヴィーがそれを聞きつけた。「こそこそ言わないの、ブルーノ! お話が台無しでしょ! 仔羊がいなくなってからかなり時間が経ったところで、ライオンがブルーノに言いました。『あの愚かな仔羊を探しに行きたまえ! きっと道に迷ったんだ』。そこでブルーノは丘を降りていきました。小川にたどり着いたところで、川岸に座り込んだ仔羊を見つけました。そしてそばに座っているのは誰かと思えば、なんと大きな狐でした!」
「そばにすわっているのはダレカトオモエバじゃないよね」ブルーノは頭をひねってつぶやいた。「大きなキツネがそばにすわっていたんだ」
「大きな狐が話をしていました」シルヴィーも今回だけは文章上の指摘を認めた。「『なあ坊や、楽しいと思うぞ。うちに来れば、仔狐が三匹いるんだ。みんな仔羊が大好きなんだよ!』。そこで仔羊は訊きました。『でも仔羊を食べたりしないの、おじさん?』。するとキツネは答えました。『まさか! 仔羊を食べるだって? そんなこと夢にも思わないよ!』。そこで仔羊は『それなら一緒に行こうかな』と答え、二匹は手をつないで歩いていきました」
「そのキツネはとってもにすごく邪悪なんでしょ?」ブルーノが言った。
「そんなことないってば!」シルヴィーはどぎつい言葉遣いに少なからずショックを受けていた。「そんなに悪いわけじゃないの!」
「ええと、つまり、よいひとじゃないってことでさ」ブルーノは言い直した。
「そこでブルーノはライオンのところに戻りました。『ねえ、急いで!』とブルーノは言いました。『キツネが仔羊を家につれて行ったんだ! ぜったいに食べる気だよ!』。ライオンは答えました。『できるかぎり大急ぎで行くぞ!』。そして二人は丘を駆け下りました」
「ブルーノはキツネを止められたと思う、あなたさん?」とブルーノがたずねた。ぼくは首を横に振って口を開こうとしなかかった。シルヴィーが話を続ける。
「家に着くとブルーノは窓からのぞき込みました。三匹の仔狐がテーブルの前に座っています。きれいなナプキンを掛けて、手にはスプーンを――」
「手にスプーンだってさ!」ブルーノが目を輝かせて繰り返した。
「そして狐はとても大きなナイフを持って――かわいそうな仔羊を殺す準備は整ったのです――」(「ちびらなくていいよ、あなたさん!」とブルーノが急いでささやいた。)
「ところがまさにブルーノが行動を起こそうとしたときでした、大きな吼え声が聞こえたのです」(現実のブルーノはぼくの手をつかんでぎゅっと握っていた)「ライオンがドアをバタンと開けてなかに入ったかと思うと、あっという間に大きな狐の頭に噛みつきました! ブルーノは窓のところで飛び上がり、部屋に飛び込むと叫びました。『わーい! わーい! キツネを倒したぞ! キツネを倒したぞ!』」
ブルーノが興奮して立ち上がった。「今やってもいい?」
シルヴィーはこの点についてきっぱりとしていた。「あとでね。次はご挨拶でしょ? ご挨拶は大好きなんじゃなかった?」
「うん、そだよ」ブルーノはふたたび腰を下ろした。
「ライオンのご挨拶が始まりました。『さあかわいそうな仔羊よ、ママのところに帰って、二度とキツネの言うことなんて聞くんじゃないぞ。素直ないい子でいろよ』
「仔羊のご挨拶です。『はい、おじさん、そうします、おじさん!』。仔羊は立ち去りました」(「だけどあーたは立ち去らなくていいんだよ!」とブルーノが説明した。「こっからが面白いんだ――ほら早く早く!』。シルヴィーが笑った。聴きどころをわかってもらっているのはシルヴィーにとっても望むところだ。)
「ライオンはブルーノにご挨拶しました。「さてブルーノ、この仔狐は君が連れてけよ、素直でいい子狐になるよう教えてやりな! 親父みたいに邪悪で、頭の空っぽなのじゃくてな!』」(「頭の何にも空っぽなのじゃなくてな、だよ」とブルーノは言い張っていた。)
「ブルーノがライオンにご挨拶しました。『はい、おじさん、そうします、おじさん!』。ライオンは立ち去りました」(「どんどんどん面真っ白くなってくるよ」ブルーノがささやいた。「おしまいに近づけば近づくほどね!」)[*1]
「ブルーノが仔狐たちにご挨拶しました。『さあ仔ギツネさん、いい子になるための第一歩だよ――リンゴとパンをカゴに入れるからね。リンゴは食べちゃだめ。パンは食べちゃだめ。何にも食べちゃだめ――家に着くまではね。家に帰ったら晩ごはんを食べるんだ』」
「仔狐たちのブルーノへのご挨拶です。仔狐たちは何も言いませんでした。
「ブルーノは林檎を籠に入れました――仔狐たちも――パンも――」(「牛乳はぜんぶ飲んじゃったんだ」とブルーノが小声で説明した)「――そうしてブルーノは家に帰ることにしました」(「もう少しで終わっちゃうよ」とブルーノが言った。)
「少し歩くと籠のなかを見たくなりました。仔狐がどうやって過ごしているのか確認したくなったのです」
「だからフタを開けたんだ」ブルーノが言った。
「まあブルーノ!」シルヴィーが声をあげた。「あなたがお話しちゃだめでしょう! そこで蓋を開けて覗き込んでみると、林檎がなくなっていました! 『お兄ちゃん、リンゴを食べたのは君かい?』とブルーノがたずねました。お兄ちゃん狐は『ちがうちがうちがう!』と答えました」(シルヴィーが猛スピードで繰り返した『ちがうちがうちがう!』という口調は真似のしようがないもので、一番似ているものをあげるとすれば若い興奮した家鴨ががあがあと言葉を発しようとしたのに近い。家鴨の鳴き声にしては早口すぎたし、といってそんなやかましいものはほかには何も思いつかない。)「次にブルーノは『真ん中のキツネさん、リンゴを食べたのは君かい?』とたずねました。真ん中の狐は『ちがうちがうちがう!』と答えました。そこでブルーノは『末っ子さん、リンゴを食べたのは君かい?』とたずねました。末っ子狐は『ちがうちがうちがう!』と答えようとしましたが、口のなかが一杯でしゃべれずに、『ふぃがぶ! ふぃがぶ! ふぃがぶ!』としか言えませんでした。そこでブルーノが口を覗いてみると、なかは林檎で一杯でした。ブルーノは首を振って、『キツネちゃん、なんて悪い仔たちなんだ!』と言いました」
ブルーノは話に聞き入っていたので、シルヴィーが一息ついても、「パンはどーなったの?」という言葉を吐き出すにとどまった。
「ええ」シルヴィーが答えた。「パンはその次ね。ブルーノは蓋を閉めてまた少し歩きました。そうしたらまたまた覗いてみたくなったのです。覗き込んでみると、パンがなくなっていました!」(「『のぞきこん』ってどういう意味?」とブルーノが訊いた。『静かにして!』とシルヴィーが言った。)「『お兄ちゃん、パンを食べたのは君かい?』とブルーノがたずねました。お兄ちゃん狐は答えました。『ちがうちがうちがう!』『真ん中のキツネさん、パンを食べたのは君かい?』。真ん中の狐は答えました。『ふぃがぶ! ふぃがぶ! ふぃがぶ!』。そこでブルーノが口を覗いてみると、なかはパンで一杯でした!」(「ちっそくしちゃうよ」とブルーノが言った。)「『ああキツネちゃん、困った仔たちだな、どうすればいいんだろう?』とブルーノは言いました。それからまた少し歩いてゆきました」(「ここからがいちばんおもしろいばめんなんだ」とブルーノがささやいた。)
「ブルーノがみたび籠を開けてみたとき、そこに見えたのはいったい何だったのでしょう?」(「たった二匹のキツネだけ!」とブルーノが超特急で叫んだ。)「そんなに急いで答えなくていいの。どうしたわけか狐が二匹しか見えません。ブルーノは訊きました。『おにいちゃん、末っ子さんを食べたのは君?』。お兄ちゃんは答えました。『ちがうちがうちがう!』『真ん中のキツネさん、末っ子さんを食べたのは君?』。真ん中の狐は『ちがうちがうちがう!』と言おうと頑張っていましたが、『ふぃがぶ! ふぃがぶ! ふぃがぶ!』としか言えませんでした。ブルーノが口のなかを覗くと、半分はパンで一杯、もう半分は狐で一杯でした!」(今回は話の区切りがついてもブルーノは何も言わなかった。どことなくどきどきしているのは、クライマックスが近づいているのがわかっていたからだろう。)
「ブルーノは家の近くまでやってきたところで、もう一度だけ籠の中を見たくなり、そこで目にしたのは――」
「たった――」とブルーノは言いかけたが、そこで寛大な気持ちに襲われたらしく、ぼくを見てささやいた。「こんかいはあなたさんが言っていいよ!」立派な申し出だったが、ブルーノの楽しみを奪うことなどぼくにはできない。「君が言いたまえ、ブルーノ。それが一番いい」「たった――一匹――だけの――キツネでした!」ブルーノは重々しく答えた。
「『お兄ちゃん』」シルヴィーの話しぶりに熱が入った。「『君はとってもいい子だから、言うことを聞かないとは思えないんだ。でももしかすると妹を食べちゃったんじゃないのかな?』。お兄ちゃん狐は『ふぃぐゎぶ! ふぃぐぁぶ!』と言ったきり、息を詰まらせてしまいました。ブルーノが口を覗くと、なかは一杯でした! (シルヴィーが一息入れた。ブルーノはひな菊の合間に寝ころんで、得意げにぼくを見ている。「すごくない、あなたさん?」 ぼくは何とかもっともらしい口のきき方をしようとした。「すごい。でもずいぶんと人をびびらせる話だね!」「よかったらぼくのちかくに来てもいいよ」とブルーノが言った。)
「ブルーノは家に帰ってきました。籠を台所に置いて蓋を開けます。すると――」シルヴィーが今度はぼくを見た。ぼくがほったらかしにされていたから、一つ予想させてあげようとでも考えたのだろうか。
「あなたさんにはよそうできないよ!」ブルーノは我慢しきれなかった。「しょーがないからぼくが教えてあげなきゃ! カゴにはなんみも入ってなかったのです!」ぼくが恐ろしさに震えると、ブルーノは大喜びで手を叩いた。「あなたさんがちびってるよ、シルヴィー! つづきをおねがい!」
「『おにいちゃん、自分を食べちゃったの? 邪悪な狐《こ》だね』とブルーノがたずねました。お兄ちゃん狐が『ふぃぐゎぶ!』と答えました。そこでブルーノが覗いてみると、籠のなかには口だけしかありませんでした! ブルーノは口を取り出してがばっと開き、ぶんぶんと振り回しました! そしてようやく仔狐を自分の口のなかから振り落とすことができました! 『もういちど口を開くんだ、いたずらっこめ!』、そしてぶんぶん振り回しました! そして真ん中の仔狐を振り落としました! 『今度は君の口を開くんだぞ!』と言ってぶんぶん振り回します! すると末っ子狐が振り落とされ、林檎とパンも落ちてきました!
「ブルーノは壁際に仔狐たちを立たせて、ご挨拶を一席ぶちました。『いいかい、仔ギツネさん、とっても邪悪なことをしたんだから――罰をうけなければならないんだ。まず子供部屋に行ってかおを洗って、せいけつなエプロンをつけるんだ。それから晩ごはんのベルがなるのが聞こえるから、降りてくるように。でも晩ごはんはないぞ。待っているのは
「仔狐たちは子供部屋に駆け上がりました。すぐにブルーノは玄関に行ってベルを大きく鳴らします。『ジリン、ジリン、ジリン! 晩ごはん、晩ごはん、晩ごはん!』仔狐たちが降りてきます。晩ごはんがほしくて大急ぎです! 清潔なエプロン! 手にはスプーン! 食堂に到着すると、テーブルには真っ白なテーブルクロス! だけどテーブルの上には大きな鞭のほか何もありません。それはひどいお仕置きでした!」(ぼくは目にハンカチを当てた。ブルーノが慌ててぼくの膝に乗って顔をなでてくれた。「おしおきはあと一回だけだから、あなたさん!」とブルーノがささやいた。「泣かないでがまんして!」)
「次の朝早く、ブルーノはふたたびベルを大きく鳴らします。『ジリン、ジリン、ジリン! 朝ごはん、朝ごはん、朝ごはん!』仔狐たちが降りてきます! 清潔なエプロン! 手にはスプーン! 朝ごはんはなし! 大きな鞭だけ! 次はお勉強です」ぼくが目にハンカチを当てたままだったのでシルヴィーは急いでいた。「仔狐たちはとってもよい子でした! 後ろを向いたり、前を向いたり、逆立ちしたりしてお勉強しました。ついにブルーノがみたび大きなベルを鳴らします。『ジリン、ジリン、ジリン! 晩ごはん、晩ごはん、晩ごはん!』仔狐たちが――」(「せいけつなエプロンはつけたの?」ブルーノが訊いた。「もちろん!」シルヴィーが答える。「スプーンは?」「もう、わかってるでしょ!」「かくじつとはいえないもん」ブルーノが答えた。)「――できるだけゆっくりのろのろと降りて来ました。『あああ! 晩ごはんはないんだ! 大きな鞭だけだもんなー!』ですが部屋に入ると、目に飛び込んできたのはおいしそうなでした!」(「ロールパン?」ブルーノが手を叩いてわめいた。)「ロールパン、パンケーキ、――」(「――ジャム?」とブルーノ。)「そう、ジャムと――スープ――それと――」(「――シュガー・プラムでした!」ブルーノがまた割って入る。シルヴィーは満足そうだった。)
「それ以来、みんなそれはもうよい仔狐でした! おとなしくお勉強し――ブルーノがだめと言ったことは絶対にせ…ず――二度と共食いしたり自分を食べたりしなくなりました!」
お話の終わりがあまりにも不意に訪れたので、ぼくは思わずハッとした。それでもどうにか感謝の言葉を口にすることができた。「とても――とても――素晴らしかったよ!」ぼくはそう言っていたようだ。
Lewis Carroll "Sylvie and Bluno Concluded" -- Chapter XV 'The Little Foxes' の全訳です。
Ver.1 03/08/16
Ver.2 11/05/01
[註釈]
▼*註1 [面真っ白く]。ブルーノ語ではbetterの「比較級」が「betterer」なので、「面白い」の比較級で「面真っ白い」となりました。
それから、一つ前の段落にある「頭の何にも空っぽなのじゃなくて」というのは、前章にもあった「not 〜 no …」の形です。[↑]