この翻訳は、訳者・著者に許可を取る必要なしに、自由に複製・改変・配布・リンク等を行ってかまいません。
翻訳:東 照
ご意見・ご指摘などはこちらまで。
New  リンク  翻訳連載blog  読書&映画日記  掲示板  仏和辞典
HOME  翻訳作品   キャロル目次   戻る  進む
プロジェクト杉田玄白 正式参加テキスト

シルヴィーとブルーノ完結編

ルイス・キャロル


第二十二章
晩餐会

「泣きながら夜を過ごす人にも/喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」[*1]。次の日はぼくもすっかり別人になっていた。亡き友の記憶さえもが、周りで微笑む穏やかな季節のように晴れやかだった。あいだを置かずに再訪して、ミュリエル嬢や伯爵を困らせるつもりはなかったので、郊外まで足を延ばすと、弱々しい光が一日の終わりが近づくのを告げるころには帰途についていた。

 戻る途中で、老人の住む平屋を通りかかった。顔を見るたびにいつも、初めてミュリエル嬢と会った日のことを思い出すものだった。通りがてら顔を出して、今もまだそこに住んでいるのか確かめたい気分になった。

 そうだ。老人はまだ元気にしていた。ベランダに腰を下ろしているところなど、フェアフィールド駅で初めて見たときと何も変わっていないようで――それすらほんの数日前のことのようだった!

「こんばんは!」立ち止まって声をかけた。

「こんばんは、だぁさん!」老人が元気に答えた。「休んできなさるかね?」

 ぼくはお邪魔して、ベランダのベンチに腰を下ろした。「お元気そうで何よりです。このあいだミュリエル嬢が出てくるところにたまたま通りかかったんですよ。今も会いに見えるんですか?」

「あいよ」老人はゆっくりと答えた。「忘れねーでくんさった。あのめんこい顔をしょっちゅう見とる。はあ駅で会ったあと、初めて来てくれたときのことは忘れんよ。償いをしに来ちょると言うとった。おまいさん! 考えてみんせ! 償いに来ちょると!」

「何を償いに来ているんですか?」ぼくはたずねた。「償いのために何ができるというんでしょうか?」

「はあ、こったらことだね? わしらふたりとも駅で列車を待っとった。わしゃ腰掛に座っとったわけじゃが。駅長が、駅長が来て命じたんさな――お嬢様のために場所を空けいと、な?」

「みんな覚えてます。その日、ぼくもいました」

「だぁさんが? はあ、で、お嬢さんはわしに許しを請うての。考えてみんせ! わしに許し! こんなろくでなし! おうよ! そい以来、ちょくちょく来てくんさる。なぁ、ついゆんべここにおった、うむ、座っとった、なんちゅうかの、だぁさんが座っとるところに、天使よりももっとかわいくて優しく座っとったよ。で、『ミニーがおらんくなっても、元気でいてくだせ』と言いんしゃる。ミニーいうのはわしの孫でね、だぁさん、一緒に暮らしとったが。死んじまった、二か月前のこと――いや三か月だったか。めんこい娘じゃった――ええ娘じゃったし。ああ、だがひとりぼっちになってしもうた!」

 老人は手で顔を覆った。落ち着きを取り戻すまでのあいだ、ぼくは無言で待っていた。

「そいで言いんしゃった。『私をミニーだと思ってください! ミニーはお茶を淹れましたか?』『あいよ』と、わしは答えた。で、お嬢さんはお茶を淹れてくんさった。『で、ミニーはパイプに火をつけましたか?』言うんで、『あいよ』と。で、火をつけてくんさった。『で、ミニーはベランダでお茶の用意をしましたか?』、で、わしは言うたよ。『お嬢さん。あんたはミニーそのもんじゃよ!』で、お嬢さんはちいと泣いて。わしらはふたりでちいと泣いとった――」

 今度もぼくはしばらく黙っていた。

「で、わしはパイプを喫んで、お嬢さんが話しかけてくんさって――嬉しかったし幸せじゃった! きっとミニーが戻ってきたんだと思ったよ! で、帰りなさるとき、『握手してくださらんのかの?』と言うたら、『ええ。できません!』と言うんじゃ」

そんなことを言ったんですか」ぼくは口を挟んだ。考えてみても、ぼくの知るかぎりでは、ミュリエル嬢が身分をひけらかすようなそういった自尊心を示したことはなかった。

「ああ、だぁさん、自尊心じゃねえ!」老人がぼくの心を読んで言った。「お嬢さんが言うたのは、『ミニーならわしと握手せ…んかったじゃろう!』と。『で、は今はミニーなんです』。で、お嬢さんはわしの首にめんこい腕をまわし――ほっぺにキスしなさった――天主さまの恵みあれ!」ここで可哀想な老人は完全に泣き崩れ、それ以上は何も言えなくなった。

シルヴィーとブルーノ完結編「老人とミュリエル嬢」

「恵みあれ!」と繰り返し、「それじゃあお元気で!」ぼくは老人の手を握り、そこをあとにした。「ミュリエル嬢」下宿に帰る道すがら、ぼくはそっとつぶやいた。「あなたという人は、本当に『償いをしなさる』やり方がわかってるんですね!」

 ふたたび一人で暖炉のそばに腰を下ろし、昨晩の不思議な幻を思い出して、燃える石炭のなかにあの老教授の顔を呼び出そうと努めた。「あの黒いのが――ちょっと赤みがあって――教授にぴったりだ」とぼくは考えた。「あんな大混乱のあとだもの、全身真っ黒になっているに違いない――そして教授はきっとこう言うのだろう。

あの組み合わせの結果が――お気づきになったでしょうな?――大爆発じゃ! 実験をもう一度やりましょうかな?」

「いや、いや! もう結構!」といっせいに叫び、ぼくらは大急いで晩餐会場に移動した。すでに準備は始まっていた。

 一秒の無駄なく食器が並べられ、極めてすみやかに料理が盛りつけられた。

「常に守っておる信条があってな」教授が口を開いた。「ものを食べるときに役立つ法則じゃぞ――たまにはな。晩餐会でたいへん便利な」唐突に言葉を切って大声をあげた。「はて、確かにもう一人の教授がいるぞ! なのに席がないではないか!」

 もう一人の教授は大きな本を読みながら入室し、そのあいだ本から目を離さずにいた。進む方向を見ていないのだから当然のことながら、広間をよぎった際に蹴つまずき、宙に投げ飛ばされてテーブルの真ん中に頭からどさりと落ちた。

シルヴィーとブルーノ完結編「晩餐会」

「お気の毒に!」教授は心から悲鳴をあげ、もう一人の教授を助け起こした。

「わしがつまずかなければ、わしではなかったところじゃぞ」もう一人の教授は言った。

 教授は呆れかえって叫んだ。「何であろうとおそらくそれよりはましじゃったろうて! そもそもにしてから」ブルーノに向かって話しかけた。「ほかの誰もそんな目に遭うものか、なあ?」

 それに対しブルーノは毅然として答えた。「ぼくの皿がからっぽになった」

 教授は慌てて眼鏡をかけて、始めに事実なのか否かを確かめた。次ににこやかな丸顔を、空っぽの皿を前にした哀れな少年に向けた。「では、次に何がほしいかね?」

「そうだなあ」ブルーノは迷っているような声を出した。「スモモのプディングが食べたいかな――そう思ってるうちは」

「まあブルーノ!」(これはシルヴィーのささやき。)「出されてない料理を催促するのはお行儀が悪いわよ!」

 ブルーノもささやき返した。「でも出されるときだと、なにかさいそくするのわすれちゃうかもしれないもん――ぼく、よくわすれるもんね」とつけ加えたのは、シルヴィーがまた何かささやこうとするのを目にしたからだ。

 この言い分にはシルヴィーも反論しようとしなかった。

 こうしているあいだに、皇后とシルヴィーのあいだにもう一人の教授のための席が用意された。シルヴィーにとってはちょっと退屈な相席者となった。なにしろ晩餐が終わってからも、思い出せたのはたった一言だけだったのだ。「この辞書は楽しいですな!」(あとでブルーノに語ったところによると、とても怖くて「ええ、そうですね」とだけしか答えられなかったそうだ。それが二人の会話の終わりだった。ブルーノの断言するところでは、そんなのはとても『会話』とは呼べないそうだが。「なぞなぞを出せばよかったんだよ!」とブルーノは得意げに言った。「ね、ぼく教授にみっつなぞなぞたずねたよ! いっこは今朝シルヴィーからたずねられた、「二シリングは何ペンスでしょう?」てゆーやつ。シルヴィーが口を挟んだ。「まあブルーノ! それはなぞなぞじゃないわよ!」「なぞなぞだよ!」ブルーノも負けじと言い返した。)

 そうこうしているうちに給仕が、頭より高々とスモモのプディングが積み上げられた何かの皿をブルーノに出した。

「晩餐会で便利なことはほかにもありまして」耳を澄ましているであろう人たちのために、教授が元気よく説明していた。「友だちを見つけ出すのに役立つのです。ある人を見つけ出したいときには、その人が食べたいものを出してやればよい。鼠のときと同じ法則です」

「このネコはとってもネズミ々にしんせつだよ」ブルーノがとても太った実物を撫でようとして身を乗り出した。その猫はつい先ほど部屋によたよたと入ってきて、今は椅子の脚にいとおしむように身体をこすりつけていた。「ほら、シルヴィーのお皿に牛乳をいれてよ。このネコすっごくのどかわいてるんだ!」

「なんで私の皿なのよ? 自分のにしなさい!」

「うん、わかた。でもぼくのもっと牛乳あげるときのためだもん」

 見たところシルヴィーは納得していない。だが弟の頼みを断ることなど絶対にできないらしく、すぐに自分の皿に牛乳を注ぎ、ブルーノに手渡した。ブルーノは椅子から降りて猫に牛乳をやりに行った。

「こんなに人がいては、部屋が暑いの」教授がシルヴィーに言った。「なぜ暖炉に氷のかたまりを放り込まんのじゃろうな? 冬には石炭のかたまりを詰め込んで、暖炉の周りで暖かく快適に休まんかね。こんなときには氷のかたまりを詰め込めば、暖炉の周りで涼しく快適に休めるじゃろうに!」

 確かに暑かったのだが、そんな考えを聞いてシルヴィーはちょっと震えた。「はとても寒いですよ。今日は足が凍りそうだったくらい」

「そりゃ靴屋が悪い!」教授は元気よく答えた。「火を入れるために靴底の裏に鉄板を入れたブーツを作るべきだと何度も説明しておるんだが! だが靴屋はそうは考えんのじゃ。そういう靴を考えさえすれば、誰も寒さで苦しまんだろうに。わしは冬には温めたインクを欠かさず使っておるよ。ほとんどの人はそんなことは考えもしないじゃろうが! だが単純明快ではないか!」

「ええ、単純明快ですね」シルヴィーは丁寧に答えた。「猫はちゃんと飲んだ?」これはブルーノに言ったものである。ブルーノは半ば空になった皿を戻していた。

 だがブルーノは質問を聞いていなかった。「だれかがドアをひっかいて、なかに入りたがってるよ」もぞもぞと椅子から降りて、戸口をそっと覗きに行った。

「入りたがってたのは誰だったの?」戻ってきたブルーノにシルヴィーがたずねた。

「ネズミだった。そいで、なかをのぞいて、ネコを見たんだ。『別の日にします』って言ってた。『ちびらなくていいよ。あのネコはネズミ々にとってもにやさしいから』って言ったんだけど。『でもじゅうよーなとりひきがありますから、行かなければ。明日うかがいます。ネコによろしく』だってさ」

「何とも太った猫ではないか!」長官が教授の頭越しに身を乗り出して、ブルーノに話しかけた。「不思議千万!」

「はいってきたときめちゃくちゃ太ってたんだもん」ブルーノが言った。「ちょっとのあいだにやせたとしたら、もっとよりふしぎだよ」

「思うに」長官が思いつきをたずねた。「それが残りの牛乳をやらん理由かね?」

「ちがうよ。もっとな、りゆー。ネコがいやがってるから、おさらをとりあげしたんだ」

わしにはそうは見えんぞ」長官は言った。「どうして嫌がってると思ったのだ?」

「だってのどをならしてるもん」

「まあブルーノ!」シルヴィーが声をあげた。「もう、それが猫の喜び方なのよ!」

 ブルーノは疑わしげだった。「いいよろこび方じゃないね。ぼくがのどをならしたら、よろこんでるとは思わないくせに!」

「比類なき坊やじゃ!」長官はぽつりとつぶやいた。ところがそれをブルーノが聞きつけた。

「『ひるいなきぼーや』ってどーゆー意味?」とシルヴィーに小声でたずねた。

一人しかいないという意味よ」シルヴィーも小声で答えた。「そして同類っていうのが、ほかにも同じものがたくさんいるっていう意味」

「なら、ひるいなきぼーやでとってもにいかった!」ブルーノには一大事だ。「ぼくがたくさんのぼーやだったらぞっとするだろうなあ! たぶんぼくとはあそべれないや!」

「そりゃそうじゃろう?」空想に耽っていたもう一人の教授が不意に我に返った。「みんな眠っておるかもしれんからな」

「ぼくが起きてたら、ねむれれないよ」ブルーノはにやりとして言い返した。

「ほう、だがやはり眠っておるかもしれん!」もう一人の教授も言い張った。「男の子というものはすぐに眠るもんじゃ。だからこの坊やたちも――だが誰のことを話しとるんじゃ?」

絶対にそれを最初にたずねはせ…んのじゃからのう!」教授が子どもたちにささやいた。

「うん、のこりのぼくだよ、もっちろん!」ブルーノが得意げに叫んだ。「ぼくがたくさんいるときのはなし!」

 もう一人の教授はため息をつき、ふたたび夢想に舞い戻ってしまうかに見えたが、不意に元気を取り戻して教授に話しかけた。「もう何もすることはないじゃろうな?」

「さよう、晩餐を終えること」教授は呆れ笑いを浮かべた。「それと暑さを我慢すること。晩餐を楽しみなされ――たいしたもんじゃないがの。そして暑さを気になさらんことじゃ――たいしたもんじゃなくないがの」

 言葉ははっきり聞こえたものの、どうにもぼくにはよく理解できなかった。もう一人の教授にはちんぷんかんぷんのようだった。「たいしたじゃなくないじゃと?」と不機嫌にたずねた。

「覚悟したほど暑くなくないんじゃ」教授は最初に思いついたことをそのまま口にした。

「ああ、ようやくわかったわい!」もう一人の教授が感謝するように答えた。「下手な言い方じゃが、ようわかった! 十三分半前に」まずブルーノを見て、それから時計を見た。「こう言っておったな、『この猫はとても鼠々に親切だ』と。比類なき猫であることは間違いあるまい!」

「そりゃそーだよ」ブルーノは猫が何匹いるか慎重に確認した。

「だが鼠々に親切だとなぜわかったのか――ああ、正しく言えば、鼠たちじゃが?」

「だってネズミ々とじゃれてたもん。たのしませてあげようとしてね」

「だがそんなことは聞いたことがないぞ」もう一人の教授が答えた。「猫が鼠とじゃれるのは、殺すためだと思っとったが!」

「うん、それね、じこだよ!」ブルーノは必死でかばった。この難しい問題をすでに猫に確認してあったのだ。「しつめいしてくれたんだ、ぎゅーにゅーあげてるあいだに。『ネズミ々に新しいあそびをおしえてたんです。ネズミ々はその遊びをそれはもうとっても気に入ってますよ。ときどき、ちょいとじこがおこるんです。ときどき、ネズミ々がかってに死んじゃゃうんです。ネズミ々がかってに死んじゃうと、いつもとってもにざんねんです』。ネコは――」

本当に残念に思ってるなら」シルヴィーが鼻で笑った。「鼠々が勝手に死んだあとで、食べたりなんかしないでしょ!」

 だがこの問題についても、終わったばかりの倫理に関する徹底した議論のなかで、見過ごされてはいなかった。「ネコが言ってたよ」(話し手は、会話における自分の役割を必要以上に省略し、猫の答えだけを伝えていた)「『しんだネズミ々は食べられることに決して反対しませんよ。しんせつなネズミ々を無駄にするわけにはいきません。もたもたない――』とかゆーやつ。『「あのとき捨ちたネズミがいればよかったのに!」と、なげくときがくるかもしれませんから』。ネコは――」[*3]

「そんなにたくさんしゃべる時間はなかったでしょ!」シルヴィーがむっとして口を挟んだ。

「ネコのしゃべり方しらないくせに!」ブルーノも軽蔑したように言い返した。「ネコはとってもにはやくしゃべるんだから!」


Lewis Carroll "Sylvie and Bluno Concluded" -- Chapter XXII 'The Banquet' の全訳です。

Ver.1 03/09/13
Ver.2 03/11/29
Ver.3 11/06/27


  HOME  翻訳作品   キャロル目次   戻る  進む
New  リンク  翻訳連載blog  読書&映画日記  掲示板  仏和辞典

[註釈]
*註1 [泣きながら…]。旧約聖書「詩篇」第30章第5節(詞書を一節と数えた場合には第6節)。

「主の慈しみに生きる人々よ/主に賛美の歌をうたい/聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。/ひととき、お怒りになっても/命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも/喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」(新共同訳)[
 

*註2 [長官]。the Lord Chancellor。the Chancellor。[
 

*註3 [もたもたない――]。完結編第5章「マチルダ・ジェイン」[→html]より、教訓詩集の一節のもじり。「『もったいない』は、『もってない』の予防法。『あのとき捨てた、たくさんの、パンくずがあれば、よかったのに!』と、なげくときがくるかもしれない」[
 

  HOME  翻訳作品   キャロル目次   戻る  進む
New  リンク  翻訳連載blog  読書&映画日記  掲示板  仏和辞典