この翻訳は翻訳者の許可を取ることなく好きに使ってくれてかまわない。ただし訳者はそれについてにいかなる責任も負わない。
翻訳:東 照
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ジョゼフ・バルサモ

アレクサンドル・デュマ

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第二十八章 ぼろ、ぞうきん、からす

 国王は随身の間(le cabinet des équipages)に向かった。狩りや散歩の前にそこで時間を取り、その後の一日に必要な供回りについて手ずから命令を出すのが習慣なのである。

 ルイ十五世は一人のまま廊下を歩き続け、王女マダムたちの居室(l'appartement de Mesdames)へ向かった。タペストリーで塞がれた戸口まで来ると、立ち止まって首を振った。[*1]

「いい娘は一人だけだったが」と歯の隙間から洩らした。「とうとう行ってしまった!」

 今もそこに残る娘たちにとっては随分と不愉快なこの絶対的真実に答えて、声がはじけた。タペストリーが上がり、三重奏の挨拶が飛んで来た。

「それはどうも、お父様!」

 ルイ十五世はほかの三人の娘たちに囲まれていた。

「ああ、そなたか、ぼろ(Loque)」国王は年長の娘マダム・アデライードに声をかけた。「残念だが、怒る怒らぬは別にして、余は事実を言ったまでだ」

「そうねえ!」マダム・ヴィクトワールが口を利いた。「今に始まったことじゃありませんものね。陛下はいつだってルイーズがお気に入りでしたもの」

「これは一本取られたな、ぞうきん(Chiffe)」

「でも何だってルイーズの方がお気に入りなのかしら?」マダム・ソフィの声には棘があった。

「ルイーズは余を困らせたりはせぬからな」ルイ十五世は馬鹿正直に答えた。身勝手な時こそ正直になれる人間なのだ。

「そのうち困らせられることになりますから、ご安心を」マダム・ソフィの声には棘があったため、おのずから国王の目が引き寄せられた。

「何故わかる、からす(Graille)? ルイーズが出がけに打ち明けたのか? 驚いたな。あの娘はそなたのことがあまり好きではないと思っておった」

「それはそうでしょうけど、お互い様よ」

「見事だ! 憎め、嫌え、さいなめ、というわけか。余をわずらわせないでいてくれるなら、アマゾン族の国を平定しようと一切構わぬ。だが教えてくれぬか、何故あの可哀相なルイーズが余を困らせるのだ?」

「可哀相なルイーズですって!」マダム・ヴィクトワールとマダム・アデライードが揃って声をあげ、思い思いに口を歪めた。

「ルイーズが父上を困らせる(tourmenter)理由わけですか? わかりました。今から申し上げます」

 国王は戸口近くの大きな椅子に坐った。これでいつでも逃げ出せる。

 ソフィが続けた。「マダム・ルイーズは、シェル(Chelles)の修道院長をそそのかした悪魔に取り憑かれて(tourmentée)、いろいろなことをしたくて修道院に入るのよ」

「さあさあ、お願いだから、妹の貞節を当てこするようなことはやめてくれ。誰一人として表立っては何も言わぬというのに、言葉だけは溢れておる。そなたももうやめよ」

「わたくしが?」

「さよう、そなただ」

「貞節の話などしておりません」マダム・ソフィは『そなた』という父の言葉にひどく気分を害した。そこだけが強調されていたうえに、繰り返したのもわざとらしい。「いろいろなことをするだろうと言っただけです」

「そうかね? 化学の実験をしたり、剣を習ったり椅子の車輪を作ったり、フルートを吹いたり太鼓を叩いたり、チェンバロを奏でたり弦を掻き鳴らしすることの、どこが悪い?」[*2]

「政治に手を出すと申し上げてるんです」

 ルイ十五世は震え上がった。

「哲学と神学を学び、ウニゲニトゥス勅書に註釈を加えるのでしょう。そんなルイーズの政治学や観念体系や神学に埋もれてしまっては、わたくしたちが役立たずに見えてしまいます……」

「それで妹が天国に行けるのなら、良いではないか?」そうは言ったものの、からすの非難とマダム・ルイーズの激しい弾劾との間に共通点があることに、随分と驚いていた。「あの娘の至福を妬んでおるのか? それでは良いキリスト教徒とは言えまいに」

「まさか!」マダム・ヴィクトワールが声をあげた。「天国に行きたいのなら行かせてあげます。でもついて行く気はありませんから」

「わたくしも」マダム・アデライードが言った。

「わたくしも」マダム・ソフィも言った。

「だいたい、わたくしたちは嫌われてたんですもの」マダム・ヴィクトワールが続けた。

「そなたたちがか?」

「ええ、わたくしたちが」「わたくしたちが」と残りの二人がそれに答えた。

「つまり、ルイーズが天国を選ぶのは、二度と家族に会いたくないからだと言いたいのか!」

 この軽口に三人の娘は作ったような笑いを見せた。マダム・アデライードは頭を絞り、これよりもさらに辛辣な攻撃を与えようとした。鎧をかすめるだけではなく、貫いてやろう。

「皆さんはね」マダム・アデライードは気取った声を出した。無気力ゆえに父親から「ぼろ」という名を頂戴していたが、その無気力状態から抜け出した時には決まってそんな声を出した。「皆さんは、マダム・ルイーズが出て行った本当の理由に気づいていないんです。それとも、気づいていながら陛下には言わずにいるのかしら」

「また何か企んでおるな。よかろう、ぼろ、言い給え!」

「もしかすると陛下を困らせて(contrarierai)しまうかもしれませんから」

「困らせたいというのが本音だろう」

 マダム・アデライードが口唇を咬んだ。

「でもこれから申し上げることは真実です」

「どうなることやら。真実か! そんなことを言うのはやめてくれ。余が真実を伝えたことがあったか? ありがたいことにそれでも上手くやっておるであろう」

 そう言ってルイ十五世は肩をすくめた。

「早く仰いよ」二人の妹が、競うように口を利いた。必ずや王が傷つくに違いないというその話の内容を、知りたくてたまらないのだ。

「こやつらと来たら――」ルイ十五世が呟いた。「父親を何だと思っておるのだ!」

 それでもお返しはしっかりしてやったと考えれば慰められた。

「いい?」マダム・アデライードが続けた。「ルイーズが何よりも恐れているのはね、礼儀作法にうるさいあの子が嫌がっているのは……」

「何だね……? 口に出した以上は最後まで言いなさい」

「新参者の潜入(l'intrusion)です」

「潜入だと?」どんな答えが飛び出すかと兢々としていたのに、出だしがこれでは納得できぬ。「潜入とは? 余の宮殿にそんな者がいるというのか? 余が会いたくもないのに無理矢理に乗り込んで来る奴がおると?」

 会話の矛先を変えるには、なかなか効果的なやり方だった。

 だがマダム・アデライードの方も一筋縄ではいかない。棘のある言葉を追っているさなかにまんまとまかれるほど抜けてはいない。

「言い方が悪かったわね。不適切な表現でした。新参者の『潜入(intrusion)』ではなく、新参者の『参入(introduction)』と言うべきでした」

「結構だ! 良くなったぞ。実を言うと先ほどの表現には戸惑っておった。参入の方が良い」

「でも陛下、」とマダム・アデライードが続けた。「それでもまだ最適とは思えませんけど」[*3]

「では何と言えばいい?」

「新参者の『認証』です」

「それだわ!」二人の妹が姉に同調した。「今度こそ間違いありません」

 国王が口を歪めた。

「ほう、そう思うかね?」

「勿論です」マダム・アデライードが答えた。「ですから、妹が恐れているのは新参者の認証式だと申しましょう」

「なるほど! それで?」さっさとけりをつけたかったのである。

「それで? 父上、デュ・バリー伯爵夫人が宮廷に現れるのを目にしたくなかったんですよ」

「そう来たか!」国王は悔しさの余り声をあげた。「こんなに遠回りをせずに、とっとと言えば良いものを! 時間を無駄にしおって、この真実娘マダム・ラ・ヴェリテめ!」

「陛下、こんなに時間を掛けたのは、ひとえに畏敬の気持からです。ご命令がなくてはこんなこと口に出せませんもの」

「そうであろうな。そうしてずっと口を閉ざしておるのだろう。欠伸もせぬし、話もせぬし、ものも食べぬというわけだ……!」

「何であろうとルイーズが隠棲する本当の理由に気づいたのは間違いありませんからね」

「それはそなたの勘違いだ」

「陛下!」マダム・ヴィクトワールとマダム・ソフィが揃って首をぶんぶんと振った。「絶対に間違いありません」

「ふえっ!」ルイ十五世が腰を折った。モリエールの芝居に出てくる父そのものである。「みんな同じ意見のようだな。陰謀は家庭内にあったか。認証式が行われぬのも、そなたたちへの接見が許されぬのも、請願書や謁見願い(demandes d'audience)に返事がないのも、それが原因というわけか」[*4]

「どの請願書、どの謁見願いのことですか?」マダム・アデライードがたずねた。

「あら、知ってるくせに。ジャンヌ・ヴォベルニエ嬢の請願書でしょう」マダム・ソフィが答えた。

「そうそう、ランジュ嬢の謁見願い」マダム・ヴィクトワールも続けた。[*5]

 国王は猛然として立ち上がった。普段は優しく穏やかな眼差しも、三人娘のせいで随分と物騒な光を放っている。

 こうなると、父の怒りに立ち向かえるような女丈夫は三人の中にはいなかった。三人とも顔をうつむけ嵐をやり過ごそうとした。

「これだ。余は正しかったではないか。四人のうち一番いい子がいなくなってしまったと言ったであろう」

「陛下」マダム・アデライードが口を開いた。「あまりにひどすぎます。それではわたくしたちが犬以下ではありませんか」

「あながち違うとも言えまい。だが犬なら家に帰れば飛びついてくれる。犬こそ真の友だ! というわけで、さらばだ、マダムたち。余はシャルロット、ベルフィーユ、グルディネに会いに行く。可愛い奴らだからな。とりわけ、真実を喚かぬところが気に入っておる」

 そう言って国王は猛然として立ち去った。だが控えの間に四歩も踏み出さぬうちに、三人が声を揃えて歌うのが聞こえて来た。

パリの町
兄さん、奥さん、娘さん
心は虚ろ
悲しけり! ああ!ああ!ああ!ああ!

ブレーズ公のお妾さんは
気分があまりすぐれません。
すぐ、すぐ
すぐれ、すぐれません
今もベッドに寝たっきり。ああ!ああ!ああ!

 これはデュ・バリー夫人を当てこすった喜劇の一節で、ラ・ベル・ブルボネーズといって大変に流行っていたものだ。[*6]

 国王はきびすを返そうとした。まさか戻って来るとはマダムたちも思っていないだろう。だが思いとどまって先へ進み、歌声に負けぬくらいの大声を張り上げた。

「猟犬隊長! おい、猟犬隊長!(Monsieur le capitaine des levrettes !)」

 この奇妙な肩書きを持つ士官が馳せ参じた。

「犬の間(le cabinet des chiens)を開けさせよ」

「陛下!」士官がルイ十五世の前に飛び出した。「ここから先はお入りになれません!」

「何だと? 何かあるのか?」国王は戸口で立ち止まった。主人の匂いを嗅ぎつけた犬たちが息を吐くのが、戸口からは洩れている。

「陛下、お許し下さい。ですが、どうか犬にお近寄りになってはなりません」

「ああ、そうか。部屋が滅茶苦茶なのだな……よし、グルディネを出してやれ」

「それが陛下……」士官の顔に愁いが浮かんだ。「グルディネは二日前から何も口にしていないのです。狂犬病の恐れがございます」

「そうであったか。余は世界一の不幸せ者だ! グルディネが狂犬病とは! これ以上の悲しみはあるまい」

 ここは涙を流さなくてはなるまい。猟犬隊長はそう考えた。

 国王がきびすを返して部屋に戻ると、従者が待ち構えていた。

 ところが国王が狼狽しているのを目にして、従者は窓の陰に隠れてしまった。

「そうか、よくわかった」ルイ十五世は従者を気にも留めずに――というのも人間扱いしていないからだが――部屋をずかずかと歩き回った。「そうだ。ショワズールは余を馬鹿にしておるし、王太子も今からもう支配者面をしておる。あのオーストリア娘を玉座に着かせる頃には完全にそうなるだろう。ルイーズは余を愛しておったが、厳しすぎるところがあって説教ばかりしておったし、もう行ってしまった。ほかの三人は余のことをブレーズと詠んでいるような小唄を歌っておる。プロヴァンス伯はルクレティウスを翻訳しておるし、ダルトワ伯はほっつき回っておる。犬たちは狂犬病にかかって、余に咬みつきたくてうずうずしておる。つまるところ、余を愛してくれるのは伯爵夫人しかおらぬのだ。伯爵夫人を苦しめるような輩はくたばってしまうがいい!」

 ルイ十五世は絶望に打ちひしがれて机に着いた。その机こそ、ルイ十四世が署名を記し、重要な条約や壮麗な手紙の重みを受け止めていた場所であった。

「ようやくわかった。揃いも揃って王太子妃の到着を待ち望んでいるのは、妃の登場によって余が下僕の身に追い落とされ、妃の一族によって蹴落とされると考えているからであったか。良かろう、会う時間はたっぷりある。新たに厄介ごとを持ち込んで来るとなればなおさらだ。落ち着いて過ごそうではないか。それも出来るだけ長く。そのためには、途中で長居してもらわなくては。ランス(Reims)とノワヨン(Noyon)は止まらずに通り過ぎるであろうから、コンピエーニュ(Compiègne)まですぐ着いてしまうな。むげには出来ぬしきたりだと言い立ててみるか。ランスで歓迎会を三日、それから一……違う、二……いや、ノワヨンで祝宴を三日、それでどうにか六日稼げる。よし、六日だな」

 国王は羽根ペンを取り、ランスで三日、ノワヨンで三日、足止めするよう、スタンヴィル氏宛に自ら命令を記した。

 書き終えると伝令を呼んだ。

「これを届けるまでは全力で飛ばせ」

 同じペンを使い、次はこう書いた。

『伯爵夫人。本日ザモールを総督府(gouvernement)に入れましょう。余はマルリーに発ちます。いま考えていることはすべて今夜リュシエンヌで申し上げよう――ラ・フランス』

「よしルベル、この手紙を伯爵夫人に届けてくれ。仲良くしておくが良いぞ。忠告しておく」

 従者は一礼して部屋を出た。


Alexandre Dumas『Joseph Balsamo』Chapitre XXVIII「Loque, Chiffe et Graille」の全訳です。初出『La Presse』紙、1846/07/01、連載第29回。


Ver.1 09/07/18
Ver.2 16/03/17


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[訳者あとがき]

 ・09/07/18 ▼次回は8/1(土)更新予定。第29章「マダム・ド・ベアルン」。▼le capitaine des levrettes. 定訳がわからないので取りあえずほぼ直訳しておきました。▼「le cabinet des chiens」=「antichambre des chiens」

[註釈]

*1. [王女《マダム》たちの居室]。マダム・アデライードとマダム・ヴィクトワールの居室は、ヴェルサイユ宮殿の一階南にあった。[]
 

*2. [チェンバロを奏でたり]。原文は「elle écraserait des clavecins(チェンバロを踏んだ)」。ルイ十五世の頭にあったのはペダル付きチェンバロのようです。[]
 

*3. [マダム・アデライードが続けた]。原文では Madame Victoire。これまで発言していたのはアデライードであること、三行あとに「leur aînée」と手を組んだという表現があることから、アデライードの発言と見なしておく。[]
 

*4. [ふえっ!]。「Ouais !」はモリエールの芝居によく使われる合いの手の一つ。訳しようがないので、原音に近く、かつ日本語として不自然ではない感嘆詞にした。[]
 

*5. [ジャンヌ・ヴォヴェルニエ嬢/ランジュ嬢]。第23章に出て来た通り、ジャンヌ・ヴォベルニエ、ランジュはともにデュ・バリー夫人のかつての呼び名。[]
 

*6. [ラ・ブルボネーズ]。La Belle Bourbonnaise. デュ・バリー夫人をベル・ブルボネーズ、ルイ十五世をブレーズと言い換えた諷刺唄。寝たっきりの夫人はこの後死んでしまう。[]
 

*7. []。[]
 

*8. []。[]
 

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