こうしてささやかな陰謀がトリアノンの菩提樹の下や花壇の中で温められて孵化され、ちっぽけな世界の虫けらたちに活き活きとした日々を提供している間にも、町では巨大な陰謀が不穏な嵐となって、ジャン・デュバリー氏が神話になぞらえて妹に書き送った手紙に倣えば、テミスの神殿の上に大きな翼を広げていた。[*1]
高等法院、即ちかねてフランスに敵対していた勢力の残党は、気まぐれなルイ十五世の膝下で羽を休めていた。だが庇護者であるショワズール氏の失脚を機に、状況が危うくなりつつあるのを察知して、出来うる限り強力な措置を執って状況を打破しようとし始めた。
社会の大きな動乱というものはなべて個人の問題から火がつくものだ。武装部隊による大きな戦闘というものが斥候狙撃兵の投入から始まるのと同じだ。
ラ・シャロテ氏がデギヨン氏に逮捕され封建制に対して身を以て第三身分の反抗を示してからというもの、輿論はそこに留まり、事態の風化を望まなかった。[*2]
ところが国王はブルターニュ及びフランス全土の高等法院から頂戴した素直で孝心もなくはない進言の海に溺れていたというのに、デュバリー夫人に請われるがままにデギヨン氏に近衛軽騎兵聯隊の指揮権を与えて、第三身分勢力を否定し封建制を支持したばかりのところであった。[*3]
ジャン・デュバリー氏の言は正鵠を射ていた。それは高等法院を開廷している敬愛心と忠誠心を有する法官たちにとって、頬を張られる強烈な平手打ちであった。
この平手打ちはどう受け止められるのだろうか? 宮廷や町では毎朝日の出とともにそのことが話題に上がっていた。
高等法院の者たちは頭が切れる。余人であればまごつくような状況でもはっきり先を見通していた。
まずは平手打ちの実行とその成果があったという事実に同意し、然る後に平手打ちが与えられたことと受け取られたことを確定させてから、以下のような決定を下した。[*4]
「高等法院法廷はブルターニュ前総督の言行に対し審議し、その結果を通告するものとす」
だが国王はその攻撃を回避するため重職貴族と王族に命令を出し、どのようなものであれ法廷に出向いてデギヨンに関する審議に参加することを禁じた。命令は守られた。
そこで高等法院は自分たちの仕事は自分たちで済ませることにして、判決を下した。判決によればデギヨン公爵は深刻な疑い及びあまつさえ名誉を汚す諸々の事実を以って容疑をかけられ告訴されていた。そしてまた「何物にも代えがたい」王国の法と命令により規定されている規則に従い厳粛にも貴族法院で下された判決によって、名誉を汚している告発と容疑をきれいに晴らすまでは、高等法院の職権を解かれていた。[*5]
だがそのままでは、高等法院の法廷という利害関係者の前で言い渡され、議事録に記録されただけの判決に過ぎなかった。世に出し、広く世間に知らせる必要がある。必要なのはフランスを苦もなく揺るがす小唄のような醜聞であり、その至高の小唄で事態も人をも支配できるような醜聞だ。此度の高等法院の判決に小唄と同じ力を与えることが是非とも必要なのだ。
パリが愛しているのは醜聞よりほかない。宮廷にも高等法院にも好意を持たず、絶えずたぎっているパリは、百年にわたり供給されて来た様々な涙の種に代わる何らかの笑いの種を待ちかねていた。
だから判決は遺漏なく確実に下されたのである。高等法院は委員会を設置してその監視下で印刷させた。一万部が刷られ、直ちに配布に回されることとなった。
然る後、法廷が被告に何を処したかを本人に知らせるというしきたりに則り、先の委員会がデギヨン公爵邸に赴くこととなった。折りしもデギヨンは抜き差しならない約束のためにちょうどパリ入りしていた。
その約束というのが何を隠そうデギヨン公爵と伯父のリシュリュー元帥による話し合いである。二人は曇りのない腹を割った話し合い(explication)を迫られていた。
ラフテの機転の甲斐あって、ショワズールの大臣職に関する国王の仰せに対して老リシュリューが果敢にも抗ったということは、半刻のうちにヴェルサイユ中に知れ渡っていた。京雀のヴェルサイユの効あって、パリ市中にもフランス全土にも同じ報せが行き渡っていた。その結果リシュリューはしばらく前から人気の頂点に立ち、その高みからデュバリー夫人と甥っ子に思わせぶりなしかめ面をしてみせていた。[*6]
既に嫌われ者であったデギヨン氏にとって状況はかんばしいものではなかった。リシュリュー元帥は人から憎まれてはいたが恐れられてもいた。それというのもルイ十五世治下で敬意を払われるべき貴族というものの生ける見本であったからだ。リシュリューは気まぐれだったので方針を固めた後でも、状況が許すなり洒落で済むなりする時には、遠慮なく方針を引き下げていた。つまりリシュリューは生かしておくには厄介な敵であった。就中リシュリューの敵意の何が厄介と言って、いつもいつも奇襲と称するものを実践するため温存しておくところだ。
デギヨン公爵はデュバリー夫人との会談以来、鎧に二つの瑕を負っていた。リシュリューがのほほんとした仮面の下に恨みと復讐の思いを忍ばせていることなどすっかりお見通しであったので、デギヨンは時化時に為すべきことを為した。つまりは真っ向から乗り込んだ方が危険は少なかろうと判断し、砲撃を繰り返して竜巻を吹き飛ばそうとしたのである。
そこで大事な話し合いを設けるべく伯父の居所をあちこち探し始めた。だが意図を見抜かれてからとあっては容易ではない。
一進一退の攻防が始まった。リシュリューは甥の姿を目にするや、ニヤリとして見せたちまち人だかりに紛れてしまい、接触が持てないようにしてしまった。これでは難攻不落の砦で籠城戦を選んだ敵を相手にするようなものだ。
デギヨン公爵は竜巻を吹き飛ばした。
即ち下手な小細工はせずヴェルサイユの伯父の家に乗り込んだ。
だが中庭を望める窓辺にはラフテが見張りに就いていて、デギヨンの従僕たちに気づいてリシュリューに知らせに行った。
デギヨンが寝室まで入り込んでみるとラフテがいて、さも打ち明け話でもするように笑みを浮かべながら、元帥閣下は外で夜を過ごしております、と“不注意にも”口を滑らせた。
デギヨンは口を歪めて引き下がった。
自宅に戻るとリシュリューに宛てて面会を請う手紙を書いた。
リシュリューは返答に迷うわけにはいかなかった。返答してしまえば面会を逃れることは出来ないし、面会を許諾してしまったならば釈明せざるを得ない状況から逃れられようか? デギヨンは好からぬ企みを笑顔の下に隠した慇懃無礼な刺客のようなものだ。恭しく獲物を現場まで連れ出し、其処で容赦なく喉を切り裂く刺客だ。
リシュリューは独り合点するほど自惚れてはいなかったし、甥の力のことなら隅々までわかっていた。顔を合わせてしまえば敵さんは謝罪か譲歩をもぎ取ろうとするだろう。無論リシュリューは間違いを認めたことなどないし、敵に譲歩するなど駆け引きに於いては致命的だ。
そこでデギヨン氏の手紙を受け取ったリシュリュー元帥は、数日前からパリを離れていたということにしてしまった。
この件についてラフテに相談すると、こう言われた。
「私どもはデギヨン様を追い込みました。高等法院も手を緩めたりはしますまい。デギヨン様がそれに気づいて炎上前に御前様を捕まえられたなら、御前様とて有事には手を貸すと約束せざるを得ぬでしょう。いくら恨みがあろうと、どちらかと問われれば一族の利益をお選びになるでしょうから。一方でお断わりになった場合には、デギヨン様は御前様を敵と見なして悪党呼ばわりすることで、傷は癒えなくとも痛みの原因がわかった時のように、ホッとして立ち去ることでございましょう」
「その通りだな。だがいつまでも隠れているわけにはいくまい。炎上まで何日ぐらいを見ておる?」
「六日でございます、閣下」
「確かか?」
ラフテがポケットから高等法院法官の手紙を取り出して見せると、そこにはたった二行だけが書かれていた。
『判決が出ることが決まった。高等法院が定めた判決期日は木曜日だ』[*7]
「単純明快だな。言伝を添えて公爵に転送してくれ」
『公爵閣下
『元帥閣下は×××へお出かけになっていらっしゃいます。お疲れのため転地が必要との医師の判断でございます。過日お話し下さいましたことより愚考し、元帥閣下とのお話し合いをご希望でございましたなら、木曜日の晩には×××よりお戻りになってパリの自宅でお休みになっているはずだと申し上げておきます。必ずやお目にかかれると保証いたします』
「では木曜日まで何処かに匿ってくれ」
ラフテは指示の一つ一つを忠実に実行した。言伝を書いて送り、隠れ場所を用意した。それなのにリシュリュー公爵はひどく退屈して、ある晩トリアノンまでニコルと話しに出かけた。何の危険もない、と少なくともリシュリューが信じていたのは、デギヨン公爵はリュシエンヌの城館にいると承知していたからだ。
こうした駆け引きのせいもあり、仮にデギヨン氏が何かに気づいたとしても、剣を突きつけられたわけでもなかったので敵の手が迫っていたことには気づけなかった。
待ちに待った木曜日が訪れた。その日、デギヨンは雲隠れしている敵と相まみえて手合わせするのを楽しみにしてヴェルサイユを発った。
前述の通り、高等法院の判決が下されたのがその日である。
うねりはまだ小さかったが、普段の静けさを知っているパリっ子にははっきりと聞き取れるほどのもので、路上にはそうしたうねりがはびこっていた。
それでもデギヨン氏の四輪馬車に気づいた者がいなかったのは、お忍びにでも出かけるように念のため紋章なしの馬車に乗って地味な恰好の従者を連れて出かけていたからだ。
何処も彼処も騒然として、人々が印刷物を見せ合い、激しい身振りと共にその文章を読み上げ、地面に落ちた砂糖に群がる蟻のように蠢いていた。とは言うものの世情はまだ無害な段階だった。人々が集まっていたのは、穀物税や、『ガゼット・ド・オランド』紙の記事や、ヴォルテールの四行詩や、デュバリー夫人やモープーを囃した小唄のためだった。[*8]
デギヨン氏は真っ直ぐリシュリュー邸を訪れたが、ラフテしかいない。
「元帥閣下は間もなくかと。恐らく替え馬が遅れて市門で足止めを食っていらっしゃるのでしょう」
デギヨン氏は待つと伝えて、不機嫌を露わにした。今度の弁明も新たな言い逃れだと受け止めたのだ。
ラフテの返答を聞いて機嫌はさらに悪くなった。元帥閣下がお戻りになって、デギヨン様をお待たせさせたとわかれば落胆なさるでしょう。加うるに、当初とは違いパリでお寝みの予定はございません。市外からの帰路はお一人ではないでしょうし、この家で新しい情報を手に入れるだけでパリは素通りなさるはずです。ですからデギヨン様にもご自宅にお戻りになることをお勧め申し上げます。さすれば元帥閣下の方から移動の折りに訪問なさると思いますので。
「いいか、ラフテ」デギヨン氏は要領を得ないラフテの弁明を聞いている間中、顔を曇らせていた。「お前は伯父の良心だ。正直な人間として答えてもらおう。伯父はからかっているだけで、会う気などないのだろう? ラフテ、口を挟む必要はない。お前は何度も良き助言をしてくれたし、私はこれまでも、そしてこれからも良き友でいるつもりだ。私はヴェルサイユに戻るべきなのか?」
「公爵閣下、今から一時間以内に必ずや元帥閣下がご自宅にお伺いいたします」
「では此処で待っていても変わらぬではないか。じきに戻って来るのだろう?」
「恐れながら申し上げますと、お一人で戻っていらっしゃるのではございません」
「わかった……信用しよう」
そう言ってデギヨン公爵は立ち去った。上の空ではあったが気高く優雅な態度は保っており、その後にガラス窓のある小部屋から出て来たリシュリュー元帥の顔とは大違いであった。
リシュリューはニヤニヤとしていた。カロが『サン=タントワーヌの誘惑』で描いた醜い悪魔たちのような笑みだ。[*9]
「疑われてはおるまいな、ラフテ?」
「まったく問題ございません」
「今は何時だ?」
「時間などお気になさいますな。シャトレの代訴人が便りを持ってやって来るのを待つよりほかないのです。委員会の連中は今も印刷業者のところですから」[*10]
ラフテが話している途中で従僕が隠し扉から人をひとり通した。かなり不潔で醜く黒ずんだ人物、つまりデュバリー子爵が激しい嫌悪を表明していた生けるペンの一人である。
ラフテはリシュリューを小部屋に押し込み、笑顔でこの男を出迎えた。
「あなたでしたか、フラジョ先生! ようこそおいで下さいました」
「こちらこそ、ラフテさん。すべて終わりましたよ!」
「刷り終わったということですね?」
「五千部印刷しました。最初に刷った分はもう町に出回っていて、残りは乾かしている最中です」
「嗚呼フラジョさん、元帥一族にとって凶報というほかありません!」
フラジョ氏は答えを避けるために、言い換えるなら嘘をつくのを避けるために、大きな銀容器を取り出して、そこからスペイン嗅ぎ煙草をゆっくりとつかみ取った。
「これからどうなりますか?」ラフテがたずねた。
「台本通りです。印刷と流布の見通しも立ったわけですし、委員会の面々は印刷屋の前に待たせておいた四輪馬車に乗って、デギヨン公爵に判決を知らせに行くでしょうよ。幸いにも、と言いますか、ご当人にとっては不幸にもですがね、デギヨン公爵はパリにご在宅のところですから、直々にお話し出来るという寸法です」
ラフテはやにわに手を伸ばして一件書類の入った大きな袋を棚の上からつかみ上げ、フラジョ先生に手渡した。
「こちらが例の書類です。元帥閣下も先生のお智恵に全幅の信頼を置いているからこそ、この件をお任せなさるのですし、先生にとっても悪い話ではございますまい。デギヨン様と絶対的なパリ高等法院の対立を取り持って下さることや、有益な助言をいただけることに感謝いたします」
そう言うとさり気なくではあるが確実に急いで、書類の重みを噛みしめているフラジョ先生を控えの間の戸口の方に誘導した。
それからすぐにリシュリュー元帥を隠れ場所から解放した。
「馬車で参りましょう! 芝居に参加するおつもりなら一秒も無駄には出来ません。委員会の馬車に負けない速度で馬を走らせて下さい」
Alexandre Dumas『Joseph Balsamo』Chapitre XCVI「Les parlements」の全訳です。初出は『La Presse』紙、1847年10月5日(連載第96回)。
Ver.1 11/04/16
Ver.2 12/10/11
Ver.2 19/12/08
[註釈・メモなど]
・メモ
▼デギヨンが負っている「二つの瑕」とは、「自身の出世」と「リシュリューに役職がつかなかったこと」か?
▼カロ。Jacques Callot、1592-1635、版画家。
[更新履歴]
・12/10/11 「一つの大きな昂奮の渦となって高等法院を燃え立たせていたのは、一つの問題であった。それはあたかも軍隊による大きな戦役が一人きりの狙撃兵の投入から始まるのにも似ていた。」 → 「大きな昂奮の渦となって燃え立たっていたのは、一人一人の問題がきっかけであった。それはあたかも軍による大きな激戦が、孤独な狙撃兵たちによって引き起こされるのにも似ていた。」
・12/10/11 意味が正反対になっていたので訂正。「難しいことではなかった。」→「これほど難しいことはなかった。」
・19/12/08 「Après quoi, comme il était dans les formes que le principal intéressé fût informé de ce que la cour avait fait de lui, ces mêmes commissaires se transportèrent à l'hôtel de M. le duc d'Aiguillon, qui venait de descendre à Paris pour un rendez-vous impérieux.」。「le principal intéressé(主要な関係者)」とはつまりここではデギヨンのことなので、「それから、裁判所がしたことを主要な関係者に知らせることが決まりだったので、同じ役員たちがデギヨン公爵の邸に判決文を届けた。デギヨン氏は緊急の会談のためパリに戻っていたところだった。」 → 「然る後、法廷が被告に何を処したかを本人に知らせるというしきたりに則り、先の委員会がデギヨン公爵邸に赴くこととなった。折りしもデギヨンは抜き差しならない約束のためにちょうどパリ入りしていた。」に訂正。
・19/12/08 「Une fermentation sourde encore, mais parfaitement intelligible pour le Parisien, qui connaît si bien le niveau de ses ondes, régnait dans les rues que traversa le carrosse de M. d'Aiguillon.」。路上に広がっているのは Parisien ではなく Une fermentation であるので、「静かなうねりだったが、パリっ子にはすべてお見通しだった。波の高さならよく知っている。デギヨン氏の四輪馬車が通った街路には、パリっ子たちが溢れていた。」 → 「うねりはまだ小さかったが、普段の静けさを知っているパリっ子にははっきりと聞き取れるほどのもので、路上にはそうしたうねりがはびこっていた。」に訂正。
・19/12/08 「Rafté n'avait point achevé quand un valet de pied fit entrer par une porte secrète un personnage assez crasseux, assez laid, assez noir, une de ces plumes vivantes pour lesquelles M. Dubarry professait une si violente antipathie.」。「un personnage」と「une de ces plumes vivantes」は同格。書類手続きを「生けるペン」と表現したか? 「ラフテの話が終わらぬうちに、従僕が秘密扉を開けて垢だらけの醜い真っ黒な人物を通した。デュ・バリー氏であれば激しい嫌悪感に任せて鮮やかに描写してみせたことだろう。」 → 「ラフテが話している途中で従僕が隠し扉から人をひとり通した。かなり不潔で醜く黒ずんだ人物、つまりデュバリー子爵が激しい嫌悪を表明していた生けるペンの一人である。」に訂正。
・19/12/08 最後の段落はリシュリューではなくラフテの台詞だったので、「さあ馬車だ! 見世物に間に合いたいなら無駄にしている時間はないぞ。役員たちの馬に負けぬように急いでくれ」 → 「馬車で参りましょう! 芝居に参加するおつもりなら一秒も無駄には出来ません。委員会の馬車に負けない速度で馬を走らせて下さい」に訂正。
[註釈]
▼*1. [テミスの神殿]。
テミス(Thémis)とは、ギリシア神話の正義の女神。司法や正義の象徴として言及されることも多い。[↑]
▼*2. [第三身分]。
ラ・シャロテは貴族である第二身分であるが、官職を買った法服貴族の家系であるため、伝統的な帯剣貴族と差別化してここでは第三身分と表現しているか?[↑]
▼*3. [ところが国王は]。
第90章にも、デギヨンが国王に取り立てられたことで高等法院が打撃を受けたことが書かれている。[↑]
▼*4. [以下のような決定]。
ラ・シャロテ逮捕への抗議が実り、ラ・シャロテ裁判はおこなわれなかったが、国王の強権もあり高等法院は機能していなかった。1770年3月、再開されたパリ高等法院は、4月頃からラ・シャロテ裁判についての違法性やその他の越権行為によりデギヨンを告発する。国王は同年6月、親裁座を開いてデギヨン裁判の停止を命じるが、パリ高等法院はそれを拒否。12月の親裁座で高等法院の団結を禁じるが高等法院はそれを拒み、業務を放棄する。1771年にはパリ高等法院はモープーの改革によって一新される。
史実ではショワズール失脚が1770年12月なので、1770年4月のデギヨン告訴とは時系列があべこべである。ショワズール失脚後デギヨンが近衛聯隊長に登用されてから告訴された、とする方がドラマチックなのは間違いない。[↑]
▼*5. [貴族法院]。
「cour des pairs」を「貴族法院」と訳したが、「cour des pairs」とは高等法院の別名の一つでもある。[↑]
▼*6. [ラフテの機転の…]。
「ラフテの機転」とは第90章末尾を指す。
前の段落までが木曜の判決日の出来事であり、この段落から判決日の6日ごろ前まで遡り、木曜の判決日までの経過をリシュリューとデギヨンの側から描き直している。[↑]
▼*7. [判決期日は木曜日]。
時間軸的にはこの木曜の判決というのがこの章冒頭の判決のことになる。[↑]
▼*8. [ガゼット・ド・オランド]。
「Gazette de Hollande」または「Gazette d'Amsterdam」は、17世紀後半から1796年までアムステルダムで発行された、フランス語の国際情報紙。[↑]
▼*9. [カロ/『サン=タントワーヌの誘惑』]。
Jacques Callot、1592-1635、版画家。「La Tentation de saint Antoine」で描かれる誘惑される聖アントニウスの伝承は、様々な芸術作品で取り上げられている。
[↑] Wikicommons より。
▼*10. [シャトレの代訴人]。
シャトレ(Châtelet)とは城塞・砦の意で、砦としての役目を終えたのち裁判所・監獄・警察などの役割を担った。シャトレ裁判所。現在のシャトレ広場に当たる。
アンシャン・レジーム下の代訴人(procureur)とは訴訟手続きをおこない、口頭弁論をおこなう弁護士(avocat)とは権限や職分に違いがあった。[↑]
▼*11. []。
。[↑]
▼*12. []。
。[↑]