この翻訳は翻訳者の許可を取ることなく好きに使ってくれてかまわない。ただし訳者はそれについてにいかなる責任も負わない。
翻訳:東 照
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ジョゼフ・バルサモ

アレクサンドル・デュマ

訳者あとがき・更新履歴
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第百一章 親裁座

 問題となっている親裁座はあらゆる儀礼に則っておこなわれた。王国の威信がかかっていたのはもとより、国王にクーデターを決意させた陰謀を牽制する狙いもあった。

 王家直属の部隊は武装して配置についた。並み居る帯剣廷吏、警備兵、警官隊が大法官を守るべく任務に就いていた。何しろ大法官はこれから決戦の場に臨む将軍のように計画遂行のため身体を張らねばならないのだ。

 大法官は憎まれていた。本人もそれを承知していたので、暗殺の恐れがあるのでは――と自惚れてみせてもおかしくなかった。一方で大法官が世間からどう思われているのかをより正確に知っている者たちなら、急所を突いた侮辱一つか、またはせいぜい野次の雨が降るくらいだと、誇張ではなく現実に予言してみせてもおかしくなかった。

 野次という同じ副産物を聞いてデギヨンは確信していた。高等法院の審議によって多少は和らいでいた庶民感情は、知らず知らずのうちに遠ざかってしまったようだ。

 国王は平静を装っていたが、内心のところは穏やかではいられなかった。だが国王が堂々たるまばゆい衣装に見惚れているのはわかったし、威厳ほど強固な後ろ盾はないと即断したのもわかった。

 威厳に加えて「民衆からの愛」も付け足すことは出来た。だがメスで病に臥せった時に幾度となく繰り返されていた言葉を用いようものなら、剽窃のそしりは免れまい。

 王太子妃にとっては初めての一大行事であったので、見学を待ちきれないというのが正直なところだったに違いない。にもかかわらず王太子妃は朝から顔に憂えを浮かべ、親裁座の始まるまでずっと同じ表情を保っていたため、それが好意的に受け止められた。

 デュバリー夫人は堂々としていた。若さと美しさに裏打ちされた自信に満ちていた。それに口さがない噂など何もかも言われ尽くされてやしないだろうか? 「何もかも」に付け足されることなどあるまい。恋人である国王の栄えある光が伝染したかのように、夫人もまた輝いているように見えた。

 大胆にもデギヨン公爵は国王を先導する重職貴族たちに混じって歩いていた。気品と気骨に満ちた顔には、苦悩の跡も不満の跡も認められない。勝ち誇ったように顔を掲げてもいない。このように歩いている様子を見て、国王と高等法院がデギヨンという戦場を舞台にしのぎを削っていることを見抜ける者などいまい。

 聴衆の誰もが競うようにデギヨンを指さし、高等法院の法官たちが恐ろしい眼差しを送る。それだけだ。

 パリ高等法院の大審議室は溢れんばかりになり、当事者と見物人を合わせれば三千人以上は集まっていた。[*1]

 大審議室の外にもたくさんの人はいたが、守衛や廷吏から警杖や警棒で押し返されてしまったため、形容しがたい唸りの音だけが聞こえていた。人の声とも違うし言葉とも違う、だがそれでも聞こえて来るような、まさに蠢く民衆の立てる物音とでも呼ぶべき唸りの音だった。

 大審議室も同じような声なき唸りに満たされるなか、足音が止み、一人一人が席に着き、国王が厳かで重苦しい口調で大法官に発言を命じた。

 法官たちは親裁座の狙いが自分たちであることを承知していた。召集された理由も心得ていた。忌憚のない考えを聞かせるために違いあるまい。だが国王の忍耐強さ――心弱さとは言うまい――を知り抜いていた法官たちにしてみれば、不安があるとすれば審議そのものよりもむしろ終わってからのことだった。

 辯論が始まった。大法官には辯舌の才があった。導入(exorde)は見事というほかなく、実証的な話法を支持する者ならそこに恰好の材料を見出したことであろう。

 ところが演説はやがて厳しい叱責に切り替わったため、貴族たちは口許に笑みを浮かべ、高等法院法官たちは何とも居たたまれない気持ちになり始めた。

 国王は大法官の口を借りて、いい加減ブルターニュ裁判をすべて取りやめることを命じていた。さらに国王が高等法院に命じていたのは、有能なデギヨンとの和解であり、また司法業務の継続であった。そうすることによってすべては黄金時代のあの至福の時のように進むであろう。議会辯論術や法廷辯論術による五段階の演説を囁きながら小川が流れていたあの時代のように。辯護士や代訴人が木々に詰まった訴訟書類入れを、自分のものである果実をもぐようにいつでも取り出せた、あの時代のように。[*2]

 いくら甘い言葉をちらつかされたところで、高等法院にしてみればデギヨンはおろかモープーと和解する気にはなれなかった。だが演説はおこなわれてしまったうえに、出来るような反論もなかった。

 高等法院法官たちは口惜しくて仕方がないくせに、国家機関の強さの秘訣であるあの見事な同調能力により、揃いも揃って動じるさまなく無関心な態度を取ったので、これが国王や傍聴席の貴族階級の気に障った。

 王太子妃の顔からも怒りのあまり血の気が引いていた。国民から反抗されるのは初めてのことだ。冷やかにその強さを推し量っていた。

 王太子妃が親裁座に赴いたのは、今まさに採択か通告をされそうになっている決議に強く反対するつもりであったのだが、いつしか同じ家柄や階級の人々と同様の気持ちになりつつあった。だから大法官が高等法院になおも咬みついているのを聞くにつれて、その牙に鋭さが欠けていることに苛立ちを覚えるようになった。自分であれば牛を棒で追い立てるように高等法院を小突き回せる言葉をとっくに見つけていたはずだ。一言で言うのなら、大法官があまりに弱く高等法院があまりに強いことに気づいてしまったのだ。

 ルイ十五世は身勝手ではあるが時にはやる気を見せる、そんな人間に相応しく、人の顔色を読むのに長けていた。周囲に目をやり、国王の意志を見事に表現した大法官の言葉がどのような効果を及ぼしたのかを確かめようとした。

 固く結んだ王太子妃の口唇から血の気が引いているのを見て、何を思っているのかをたちどころに見抜いた。

 国王は秤の反対側に引かれるようにしてデュバリー夫人の表情を確かめた。そこからは予想と違い勝ち誇った笑みではなく、国王の考えを見定めようとでもいうのか、国王の視線を引き寄せたいという激しい思いしか読み取れなかった。

 意思の弱い人間にとって、意思を固めた他人に先回りされるほど嫌なことはない。とっくに心を決められて観察されていることに気づいてしまえば、どうして自分たちはやるべきことをやらなかったのだろうとか、自分たちはさぞや滑稽に見えるだろうとか滑稽に見えただろうとか、他人には自分たちが要求できなかったことを要求する権利があるだとかいう結論に至るはずだ。

 意思の弱い人々はそういう時に極端に走り、臆病者は吠えかかるが、突然感情を爆発させようものなら、さほど恐ろしくもないことに恐怖を覚えてそういう反応をしたことが見え見えになってしまう。

 大法官の言葉には何ら付け加えるまでもない。作法からでもなく、必要性すらないからだ。だがせっかくの機会におしゃべりの虫に取り憑かれた国王は、手で合図を送って話がしたい旨を伝えた。

 これによって気がかりは驚愕に変わった。

 高等法院の法官たちが訓練された兵隊のように一糸乱れぬ動きで親裁座に顔を向けた。

 王族、重職貴族、軍人らは動揺を隠せなかった。あれだけ見事な言葉が費やされた後で、かくも慈悲深き陛下がそれを無にするようなことを言い出さないとも限らない。国王に敬意を払えばこそ、その口から出るやもしれぬことをそう呼ばぬわけにはいかなかった。

 甥とは距離を置いているふりをしていたリシュリュー氏は、今は強硬派の法官たちに近づいていた。言うなれば共感を湛えた眼差しと連帯感によって密かに近づいたのである。

 ところがリシュリューの眼差しはふらふらと一人歩きをし始めて、デュバリー夫人の澄んだ瞳とぶつかってしまった。変わり身の早さにかけては人後に落ちないリシュリューのこと、皮肉な色を感嘆の色に変え、視線とその二つの突端の交点をデュバリー夫人に定めようと決めた。

 だからデュバリー夫人にも讃美と世辞のこもった微笑みを送った。だが伯爵夫人は騙されなかった。それというのもリシュリューは対立する法官や王族らと目配せを始めており、自分の本音を彼らに悟られないためにもそれを続けざるを得なかったものだから、伯爵夫人にはばれるのも当然であった。

 一滴のしずくに数多の景色が写るように、見る人のためだけの海もある! 一瞬のうちに数世紀が過ぎ去るような、描くことの出来ない永遠もある! ここまで見て来たことはすべて、ルイ十五世陛下が話をしようとして口を開きかけた刹那のうちに起こったことであった。

「余の考えは大法官の口から聞いたであろう」国王の声には断固とした響きがあった。「では次はそれを実行することを考えよ。それが余の意思であり、絶対に揺るがぬぞ!」

 ルイ十五世は最後の一言を落雷の如く轟かせた。

 居合わせた者たちは文字通り雷に打たれたように震え上がった。

 法官たちを襲った畏怖の震えは、導火線を端までひた走る火花のように一瞬にしてほかの者たちにも広まり、それは国王の支持者にまで届いた。驚きと称讃が人々の顔に浮かび、心を穿った。

 王太子妃は美しい目をきらめかせて我知らず国王へと感謝を表していた。

 デュバリー夫人も雷に打たれて思わず立ち上がっていた。ここから一歩外に出るや石を投げられる危険性や、翌日になってどれもこれもおぞましい小唄を幾つも受け取る恐れさえなければ、喝采を送りたいところだった。

 ルイ十五世はその瞬間から勝利を堪能することが出来た。

 高等法院の法官たちは一様に顔を伏せている。

 国王は百合模様の座布団から腰を上げた。

 すぐに衛兵隊長、親衛隊長官、それに侍従たちが立ち上がった。

 外で太鼓が轟き、喇叭が鳴った。押しかけていた人々の立てる声なきざわめきが、兵士や廷吏に押し返されて遠くに消えかけていた唸りに変わった。

 誰もが頭を垂れる中、国王は胸を張って大審議室を横切った。

 デギヨンは勝利に驕ることなく今回も国王を先導して歩いていた。

 大法官は大審議室の出口まで来ると、遠くに見物人がひしめいているのを見て、それだけの距離があるのにその雷動が届いていたのかと恐ろしくなり、廷吏たちに命じた。

「離れんでくれよ」

 リシュリューはデギヨン公爵に深々とお辞儀をしてから声をかけた。

「此奴らは今でこそ頭を低くしておるが、そのうちまた高々と顔を上げ出すだろうから、覚悟しておけよ」

 デュバリー夫人は兄とミルポワ元帥夫人と貴婦人たちと共に今しも廊下を渡っていたところを、リシュリュー元帥の発言を聞きつけると、根に持つ質ではなく機転の利く質だったので声をかけた。

「あら元帥閣下、何も怖くないじゃありませんの。陛下のお言葉をお聞きになったでしょう? 絶対に揺るがぬ、と仰ったじゃありませんか」

「恐ろしい言葉なのに間違いはないが」と笑みを浮かべ、「陛下がそう仰った時にあなたを見つめていたことを、ありがたいことに高等法院の連中は気づいておりませんでしたな」

 そして今ではもはや芝居の中ですらお目にかかれぬようなお辞儀をしてお追従を締めくくった。

 デュバリー夫人は女であったし政治家ではなかった。デギヨンには皮肉と悪意だとしか感じられなかった台詞に、伯爵夫人はお世辞だけを読み取った。

 ゆえに伯爵夫人が微笑みで挨拶を返したのに対し、同盟者のデギヨン氏はリシュリューの恨みの深さに気づいて口唇を咬み顔色を失くしていた。

 親裁座によりひとまず国王の大義は立った。だがどれだけ強く殴っても眩暈だけで済むのはままあること、眩暈が治まってみればこれまで以上に強度も純度も高い血が巡り始めることに気づくことになろう。

 ――と、このように考える者もなかにはいた。国王が物々しいお供を引き連れて立ち去るのを見てそう考えたのは、質素な服装をして、フルール河岸とラ・バリルリー街の角で成り行きを見守っていた者たちである。[*3]

 そこに居たのは三人……たまたまこの角で行き合わせ、群衆が残した痕跡を興味深げに追っているようだった。知り合い同士ではなかったが、ひとたび言葉を交わし始めるや、親裁座が終わりもしないうちから意見をぶつけ合っていた。

「熱狂はだいぶ高まっているようです」三人のうちの一人、穏やかで誠実そうな顔立ちの老人が目を輝かせて言った。「親裁座とは奥の手ですね」

「そうですね」若い一人が苦々しい笑みを浮かべた。「その手というのが親裁座の結果をちゃんと実現するのであれば」

「失礼ですが……」老人はその若者の顔を見つめた。「どうも見覚えが……お会いしたことがありませんでしたか?」

「五月三十一日の夜でした。仰る通りですよ、ルソーさん」

「ああ、あの時の外科医の方でしたか。マラーさんでしたね?」

「ええ、どうぞよろしく」

 二人は丁寧に挨拶を交わした。

 三人目の人物はまだ言葉を発していなかった。その男もまた若く、顔立ちに風格があった。親裁座が終わるまでの間、群衆の様子をひたすら目で追うことしかしていない。

 若い外科医が最初にその場を離れ、人込みに踏み込んで行ったが、ルソーほど義理堅くない町の人々はとっくに外科医のことを忘れ、いつか思い出すつもりの記憶の中に仕舞い込んでいた。

 三番目の人物は外科医が立ち去るのを待って、ルソーに話しかけた。

「あなたは行かないのですか?」

「あんな人込みに飛び込んで行けるほど若くはありませんからね」

 第三の人物は声をひそめた。「そういうことでしたら、今夜、プラトリエール街で、ルソーさん……どうかお忘れなく!」

 ルソーは幽霊にでも遭ったかのように総身の毛が逆立つのを感じた。普段から土色の顔色は鉛色に変わっていた。返事をしようとした時には、男の姿はとうに消えていた。


Alexandre Dumas『Joseph Balsamo』Chapitre CI「Le lit de justice」の全訳です。初出は『La Presse』紙、1847年10月9日(連載第100回)。


Ver.1 11/05/14
Ver.2 12/10/12
Ver.3 21/01/11

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[註釈・メモなど]

 ・メモ

[更新履歴]

・12/10/12 「だが国王に相応しいきらびやかな衣装に感服しているのはわかったし、国王陛下のように守られているものなど何一つないのだと即座に思い至ったのがわかった。」 → 「それでも国王が君主に相応しい荘厳な衣装に感服し、身を守るには尊厳よりしくはないと直感するのはわかった。」

・12/10/12 「そして国民の愛も」→「それに国民の愛も」

・12/10/12 「事件をすべて取りやめることを命じていた」→「問題をすべて終わらせるよう命じていた」

・21/01/10 「une profusion d'archers à courte robe,」。18世紀の辞書には「『弓兵』の意味ではもはやフランスに『archer』は存在しない」と書かれている。archer とは、裁判所や警察の下級官吏(petit officier)。また、「robe courte」とは「貴族・聖職者」に対して「軍人」の意、また学校教育を受けていない役人・医者を指す。「短装の弓兵」「帯剣廷吏」に変更。

・21/01/10 「野次という同じ副産物を~」「国王は平静を装っていたが~」。原文では一段落だが、わかりやすさを考慮して邦訳ではデギヨンと国王の描写ごとに二つの段落に分けた。

・21/01/10 「On vit M. de Richelieu, qui avait affecté de se tenir loin de son neveu, se rapprocher surtout par le coup d'œil et l'affinité mystérieuse de l'intelligence.」。初出では「se rapprocher」の部分が「se rapprocher en ce moment des plus opposans parlementaires, s'en rapprocher」となっており、リシュリューが近づいたのは高等法院の法官だとわかる。「ド・リシュリュー氏は敢えて甥から離れて立っていたが、それでも示し合わすような視線と怪しげな仲間意識でくっついているのがわかる。」 → 「甥とは距離を置いているふりをしていたリシュリュー氏は、今は強硬派の法官たちに近づいていた。言うなれば共感を湛えた眼差しと連帯感によって密かに近づいたのである。」に訂正。

[註釈]

*1. [パリ高等法院の大審議室]
 grande salle 大広間、grand-chambre 大審議室・大審部・決審部。親裁座は通常、高等法院の大審議室でおこなわれる。パリ高等法院はシテ島にある中世の宮殿パレ・ド・シテ(Palais de la Cité)を再利用して使われていた。[]

*2. [議会辯論術や法廷辯論術]
 「genre délibératif」「genre judiciaire」とはアリストテレス『弁論術』に書かれた三種類の弁論法のうち、それぞれ「議会弁論法」「法廷弁論法」を指す。[]

*3. [フルール河岸とラ・バリルリー街]
 ラ・バリルリー街(rue de la Barillerie)は現在のパレ大通り(Boulevard du Palais)に相当し、パリ高等法院(現在のパレ・ド・ジュスティス)に接する。正確にはパレ大通りの北端が rue Saint-Barthélemy、南端が rue du Pont-Saint-Michel、間の主要部分がラ・バリルリー街であった。フルール河岸は現在のコルス河岸も含む河岸通り。つまりフルール河岸とラ・バリルリー街の角とはシャンジュ橋のたもとの辺りを指す。[]

*4. []
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*6. []
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