この翻訳は翻訳者の許可を取ることなく好きに使ってくれてかまわない。ただし訳者はそれについてにいかなる責任も負わない。
翻訳:東 照
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ジョゼフ・バルサモ

アレクサンドル・デュマ

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第百十三章 ルイ十五世の小夜食

 国王陛下は取り巻きの廷臣たちと一緒に小広間にいた。君主の虚ろな眼差しが他人に向けられるくらいなら夜食を摂り損ねることを選ぶような者たちである。

 だが今夜のルイ十五世は取り巻きを眺めるだけでは満足できぬようであるらしい。夜食は摂らぬ、いや、摂るにしても一人で摂ると言って取り巻きたちを追い払った。そうやって国王から退出するように告げられたうえに、リハーサル後に催されている祝宴に欠席して王太子殿下の不興を買うことを恐れて、慌てて鳩の群れのようにけたたましく飛び立ち、目に入った人物の方に向かって、陛下の部屋はあなたの為に空けておいたといつでも言えるように、駆け出した。

 こうして人々が慌ただしく立ち去っている間も、ルイ十五世は別のことを考えていた。取り巻きたちの一喜一憂もほかの場合であれば楽しめたであろう。国王は非常にからかい好きで、仮に国王に友人というものがあったとして、たとい相手が一番の親友であってもその心や身体に一つでも欠陥があれば見逃しはしないほどなのだが、今回ばかりはそんな国王の心にも何の感情も湧かなかった。

 確かに、目下ルイ十五世は気を取られていた。一台の四輪馬車がトリアノンの通用門の前に停まったのだ。御者はいつでも馬に鞭をくれられるように準備して、どうやら主人が金の車体に乗れば重みで判断できるように待機しているらしい。

 明かりに照らされたこの四輪馬車はデュ・バリー夫人のものだった。ザモールが御者の隣に坐り、ブランコでも漕ぐように足を前後に動かしている。

 どうやらデュ・バリー夫人は、国王から伝言があるのではないかと見込んで回廊でぐずぐずしていたようだが、ようやくのことでデギヨン氏に腕を取られて姿を現した。怒りのせいか、少なくとも落胆のせいで、足早に歩いている。あまりに決然としていたために、落ち着きを失ってさえいない。

 ジャンが肩を落とし、帽子を腕に挟むともなく挟んでぺしゃんこにして、妹の後から姿を見せた。王太子殿下が招待するのを忘れていたため、ジャンは舞台を見ることが出来なかった。それでも従僕のように控えの間に入り込みんだジャンは、ヒッポリュトスもかくやと思うほどの物思いに沈み、銀糸と薔薇で縫い取りされた上着から胸飾りをはためかせ、本人の悲痛な思いに倣っているようなぼろぼろの袖口には目もくれていない。

 ジャンは青ざめて狼狽している妹を見て、事は重大だと確信した。実体のある相手を敵に回すのなら強気になれるが、幻相手ではそうはいかない。

 国王はカーテンの陰に隠れて、一人ずつ現れてはドミノ倒しのように伯爵夫人の馬車に飲み込まれて行くのを、窓から眺めていた。やがて扉が閉められ、従者が車の後ろに戻り、御者が手綱を振ると、馬が全速力で駆け出した。

「何てことだ!」国王が呟いた。「余に会おうとも、話をしようともせずに行ってしまうのか? 伯爵夫人は相当に怒っておるぞ!」

 それからはっきりと口に出して繰り返した。

「間違いない。伯爵夫人は怒っておる!」

 招待客のように部屋に潜り込んでいたリシュリューが、この最後の言葉を聞きつけた。

「怒っている? どうしてですかな? 陛下が楽しまれたのが気に食わないと? 言われてみればさようですな! 確かに伯爵夫人にとっては面白くないことでしょうな」

「公爵よ、余は楽しんでなどおらぬ。むしろ疲れておるから休みたいところだ。音楽だけでくたびれてしまった。伯爵夫人の話を聞くとしたら、リュシエンヌまで夜食に向かい、食べたるだけでなく飲んだりしなくてはなるまい。伯爵夫人の葡萄酒はきついのだ。いったいどんな葡萄を使っているのやら知らぬが、とにかくあれはこめかみに来る。だからここで寛いでいたいと思っておる」

「陛下のなさることに間違いはありますまい」と公爵は答えた。

「もっとも、伯爵夫人なら勝手に楽しむであろう! 余と食事を共にしてそれほど面白いのだろうか? 伯爵夫人がどう言おうと、そうは思えぬ」

「それについては陛下は間違っておいでです」

「いいや、公爵、そうではない。月日を数えてじっくりと考えよう」

「陛下、いずれにしましても陛下以上に素晴らしい伴侶を持てぬことを伯爵夫人はご存じで、だからこそお怒りなのですぞ」

「実際の話、余にはそなたの流儀がわからぬが、相変わらず二十歳の頃のように女性を扱っておるな。当時は選ぶのは男であった。だが余が生きている時代は……」

「何だと言うのです?」

「音頭を取るのは女だ」

 元帥は笑い出した。

「伯爵夫人が楽しんでいらっしゃったとお思いなら、我々も負けじと慰め合おうではありませんか」

「伯爵夫人が楽しんでいたとは言っておらぬ。楽しみを求めるようになってしまうと言っているのだ」

「そんなことはあり得ないと申し上げることは控えておきましょう」

 国王は動揺して立ち上がった。

「ここには誰がいる?」

「全員が控えております」

 国王はしばし考え込んだ。

「そなたの使用人はおらぬのか?」

「ラフテがおります」

「よかろう!」

「何をさせようというのですかな?」

「デュ・バリー夫人が実際にリュシエンヌに戻っているのかどうか確かめてもらいたい」

「私見では伯爵夫人はお出かけでございましょう」

「はっきり言えばその通りだ」

「すると陛下は、伯爵夫人が何処に向かわれたと仰りたいのですか?」

「知らぬ。伯爵夫人は嫉妬でわけがわからなくなっておるのだ」

「いやしかし、それはむしろ陛下の方ではございませんか?」

「何だと、どういうことだ?」

「嫉妬でわけがわからなくなっているのは……」

「公爵!」

「実際、誰にとっても嫉妬とは厄介なものでございます」

「余が嫉妬しているだと!」ルイ十五世はわざとらしく笑い声をあげた。「本気で言っておるのか?」

 実際のところリシュリューは本気ではなかった。それどころか、デュ・バリー夫人が実際にリュシエンヌにいるのかどうかを国王が確かめたがっているわけではなく、トリアノンに戻って来ないことを確信したがっているのだと考えた方が真実に近いということを認めるのもやぶさかではなかった。

「では了解いたしました。ラフテを確かめに遣らせましょう」

「そうしてくれ」

「ところで陛下は夜食前に何をなさるおつもりですかな?」

「何も。すぐに夜食を摂ろう。件の人物には知らせておいたな?」

「ええ、控えの間におります」

「何と言っておった?」

「大変な感謝をしておりました」

「娘の方は?」

「まだ娘御には話しておりません」

「公爵よ、デュ・バリー夫人は嫉妬深く、すぐにでも戻ってくるかもしれぬのだぞ」

「それはいけませんな。伯爵夫人がそんな無茶をなさるとは思えませぬが」

「こんな場合なら何でもしかねぬよ。憎しみに嫉妬が加わっているのだからなおのこと。伯爵夫人はそなたを憎悪しておる。そのことには気づいておったか?」

 リシュリューは頭を下げた。

「かかる名誉を承っていることは存じております」

「ド・タヴェルネ殿のことも憎悪しておる」

「恐れながらそれに加えさせていただきますと、老生や男爵以上に憎悪されている第三の人物がおりますぞ」

「何者だね?」

「アンドレ嬢でございます」

「ああ、それも当然であろうな」

「そうなりますと……」

「うむ。だがな、デュ・バリー夫人が今夜騒ぎを起こさぬように気をつけねばならぬことに変わりはない」

「それどころか、その配慮が不可欠だという根拠となりましょう」

「給仕長がおる。口を閉じろ! ラフテに指示を伝えよ。それから食堂で例の人物と会おうではないか」

 ルイ十五世は立ち上がって食堂に向かい、リシュリューは反対側の扉から部屋を出た。

 五分後、リシュリューは男爵と共に国王と再会した。

 国王がタヴェルネににこやかな挨拶を送った。

 男爵は頭の切れる人間であった。ある種の人々に特有のやり方で挨拶に答えると、それを見た国王や王族が相手のことを同じ世界の住人だと認めて、見る間に緊張を解いてくれるのである。

 三人は食卓に着き夜食を始めた。

 ルイ十五世はいい国王とは言えないが、魅力的な人物であった。国王がその気になった時には、一座は酒や噂や際どい話で盛り上がったものである。

 要するに国王はそうした陽気な側面から人生の多くを学んでいた。

 たらふく食べ、もっと飲めと勧め、音楽の話を始めた。

 リシュリューはその機会を逃さなかった。

「陛下、音楽が男同士を結びつけるとバレエ教師は言っておりますし、陛下もそうお考えのようですが、それは女の場合にも言えるでしょうな?」

「いやいや公爵よ、女の話はよそうではないか。トロヤ戦争の昔から今日に至るまで、女というものは音楽から正反対の影響を受けて来たのだ。とりわけそなたは、ご婦人たちとかたをつけるべきことが多すぎて、こうした話題が上るのを見るのも嫌であろう。なかでも一人、一触即発の険悪な仲の婦人がおるではないか」

「勘違いでなければ、伯爵夫人のことですな?」

「であろうな」

「恐らくご説明下さることと思いますが……」

「喜んで説明しよう。二言で済む」国王はからかうように答えた。

「お聞かせ下さい」

「よかろう! 伯爵夫人はそなたに余の知らぬ大臣職を打診したが、そなたは断ったそうではないか。それというのも伯爵夫人に人気がないからだと言って」

「老生が?」リシュリューは事の成り行きに狼狽えた。

「そういう噂だぞ」国王はいつものように無邪気を装って話を続けた。「誰から聞いたのかはもう覚えておらぬが……恐らく新聞であろう」

「左様ですか」国王がいつになく上機嫌な顔をしているのを見て、リシュリューは大胆になった。「正直に申し上げますと、今回ばかりは噂や新聞も、いつもほど馬鹿げてはいないようですな」

「何だと! そなたは本当に大臣の椅子を蹴ったと言うのか?」

 おわかりいただけることと思うが、リシュリューは微妙な立場に立っていた。公爵がどんなことでも断ったことのない人物である、ということを国王はよく知っていた。だがタヴェルネの方はリシュリューの言ったことをずっと信じ続けるに違いない。つまり公爵としては、国王の当てつけを如何に巧みに擦り抜けて返答し、男爵の口元に浮かんでいる嘘つきという非難をどうやって避けるか、という点が当座の問題であった。

「陛下、結果ではなく理由に目を向けようではありませんか。老生が大臣の椅子を蹴ったにしろ蹴らなかったにしろ、そのことは国家の秘密ですぞ。白日の下に晒されたまま放っておいてはなりますまい。しかしですな、大臣の職を持ちかけられたのだといたしますと、それを老生が断った理由こそ、本質的に重要なことではありませんかな」

「は、は! 公爵よ、噂によればその理由は国家機密などではなかったぞ」国王は笑って言った。

「無論です。とりわけ陛下にとっては秘密ではございますまい。失礼ながら、老生やここにいるタヴェルネ男爵にとって、陛下は現在お目にかかることの出来る存在の中でももっとも麗しい人間の主人でございます。ですから老生は国王に対して秘密などは持っておりません。心の内はすっかり陛下に打ち明けておりますぞ。フランスの国王には真実を伝える臣下の一人もいないと言われたくはありませんからな」

 リシュリューが言い過ぎやしないかと、びくびくしながらタヴェルネは口唇を咬み、国王の顔色を窺いながら慎重に表情を作っていた。

「では真実について話そうか」国王が言った。

「この国には大臣が従わなくてはならない権力が二つございます。一つ目は陛下のご意思。二つ目は陛下がお選びになったもっとも近しい友人のご意思でございます。一つ目の力に抵抗することなどあり得ず、逃れようとすることさえ叶いますまい。二つ目の力はさらに侵すべからざるものでございまして、と言うのも陛下にお仕えしている者の義務感に訴えるからでございます。これは『信用』と呼ばれておりますが、大臣はそれに従うために、国王の寵臣なり寵姫なりにおいたわしい気持を抱かなくてはなりません」

 ルイ十五世が笑い出した。

「随分と面白い箴言だな。そなたの口から出て来るのが面白いわ。だがな、喇叭を二つ持ってポン=ヌフまでそれを叫びに行ってみるがいい」

「ああ、哲学者たちが武器を取ろうとしているのは存じておりますぞ。ですがあやつらの叫びが陛下や老生に関わりがあるとは思いませぬ。肝心なのは、王国を代表する二つのご意思が満たされることでございます。ところで、恐れながら申し上げますと、ある方のご意思は老生の不運、つまり老生の死と関わっておりまして、つまるところデュ・バリー夫人のご意思には同意することが出来ぬのです」

 ルイ十五世は黙り込んでしまった。

「ふと思ったのですが」リシュリューが先を続けた。「先日、宮廷を見回しておりますと、それはもう気高いお嬢さんや輝かしいご婦人方をお見かけいたしました。老生がフランス国王だったなら、一人を選ぶのは不可能だったことでしょう」

 ルイ十五世がタヴェルネを見た。男爵は密かに話題になっていることを悟って、恐れと希望で心臓をばくばくさせ、財産を積んでいる船を港まで押しやろうとでもするように、元帥の言葉を目つきで促し息を吹きかけていた。

「そなたはどう思うかね、男爵?」と国王がたずねた。

 タヴェルネは胸をふくらませて答えた。「公爵は先ほどから素晴らしいことを陛下に仰っているように思われます」

「では美しい娘たちのことについても同意見なのだな?」

「無論です。何分にもフランス宮廷には極めて美しい方ばかりおいでだとお見受けします」

「つまり公爵に同意するのだな?」

「はい、陛下」

「公爵と同じように、宮廷の美女たちの中から一人を選べと申すのか?」

「言わせていただけますならば元帥に賛成でございますし、恐れながら陛下とも同意見だと信じております」

 しばし沈黙が降り、国王は満足げにタヴェルネを見つめた。

「諸君、余が三十歳であれば、間違いなくそなたたちと同意見であっただろう。容易く納得してしまったことであろうな。だがそうしたことを鵜呑みにするには少し年を取ってしまった」

「鵜呑みにするとはどういうことか説明していただけますかな」

「信じるということだよ、公爵。もうそういったことを信じることは出来そうにない」

「そういったこと、と仰いますと?」

「この年で恋心を掻き立てられることだ」

「陛下! たった今この時まで、陛下は王国一洗練された方だとばかり思っておりました。しかしまことに遺憾ながら老生が間違っていたようです」

「どういうことかね?」国王は笑った。

「老成はメトセラのような老いぼれだということですわ。九十四年の生まれですから、陛下より十六も上ですからな」

 これは公爵らしくよく出来たお追従だった。ルイ十五世はこの年でありながら部下の若者を殺してきた公爵について、かねがね感心していた。こうした見本を目の当たりにすれば、同じ年齢になった時のことを考えても希望が持てる。

「よかろう。だがそうすると、女からもてるという自信はもうそなたにはないのであろうな?」

「もしそうだとすれば、今朝言ったことは嘘だったのかと、後で二人のご婦人と喧嘩しなくてはなりますまいな」

「よし公爵。いずれわかる。いずれわかるとも、タヴェルネ殿。若返ったのは確かだが……」

「まことにその通り。気高い血筋こそよく効く特効薬でございます。それに陛下のように立派なお心の持ち主は、変化によって力を得ることはあっても失うことはございませんから」

「しかしだな」ルイ十五世は思い出したらしく、「余の曾祖父が年を重ねた頃には、もう若い頃のようにはご婦人に言い寄っていなかったぞ」

「よいですか。先王に対する老生の敬意を陛下はご存じのはずですぞ。バスチーユに二度も入れられましたが、老年のルイ十四世と老年のルイ十五世とでは比べものにならないと申し上げるのはやぶさかではありません。いやはや! 教会の長兄の肩書きを授けられたキリスト教の信仰篤き国王陛下が、人間性を失いかねないほどまで禁欲にこだわるというのですか?」

「そなたの言う通りだと認めざるを得ぬな。ここには医者も聴聞僧もいないのだから」

「先王陛下は度を過ごした信仰心や数限りない禁欲で、年上だったド・マントノン夫人を驚かせることもしばしばでございました。繰り返しますが陛下、二人の国王陛下についてお話ししながら、一人一人を比べることが出来ましょうか?」

 その晩の国王は機嫌が良かった。リシュリューの言葉によって、若返りの泉から水を飲んだような気分になっていた。

 ここだ、とリシュリューは判断して、タヴェルネの膝を自分の膝で小突いた。

「陛下、愚生の娘に下さった素晴らしい贈り物について感謝の言葉をお伝えすることをお許し下され」

「感謝などいらぬよ、男爵。タヴェルネ嬢のことを気に入ったまでだ。淑やかで品が良い。余の娘たちも使用人をもっとしつけてくれればよいのだが。無論アンドレ嬢は……そういう名前でよかったな?」

「はい、陛下」国王が娘の洗礼名を知っていたことに、タヴェルネは大喜びした。

「よい名前だ! 無論アンドレ嬢はいつでもリストの一番上にいる。だが余のところはいろいろと立て込んでおってな。黙って待っていてくれぬか、男爵、そなたの娘御は余がしっかり庇護してやるつもりだ。持参金もあまりないのであろうな?」

「仰せの通りでございます」

「わかった、結婚の面倒も見てつかわす」

 タヴェルネは深々とお辞儀をした。

「そういたしますと陛下がご親切にもご夫君を見つけて下さいませんか。何しろお恥ずかしい話ですが、愚生と来たら貧乏、いや無一文同然でありまして……」

「うむ、うむ、その点も任せておけ。だがアンドレ嬢はまだ若い。慌てることでもあるまい」

「娘が結婚を恐れているのだからなおのことでございます」

「何ともな!」ルイ十五世は手を擦り合わせてリシュリューを見た。「まあよい、いずれにせよ、困ったことがあったら余を頼り給え、タヴェルネ殿」

 ルイ十五世は立ち上がって公爵に言葉をかけた。

「元帥!」

 公爵が国王のそばに寄った。

「娘御は気に入っておるか?」

「何の話でございますか?」

「宝石箱だ」

「恐れながら小声でお話し下さいませんと父親に聞こえてしまいます。それに老生がこれから申し上げることは聞かれてはなりません」

「くだらぬ!」

「陛下」

「わかった、申してみよ」

「では。娘御が結婚を恐れているというのは本当のことです。しかしながら一つだけ確信していることがございまして、それは娘御が陛下を恐れてはいないということです」

 親しげな発言に散りばめられたあけすけな言葉遣いを、国王は気に入ったらしい。恭しく壁際まで下がっていたタヴェルネのところまで、元帥は小走りで戻った。

 二人は庭から外に出た。

 素晴らしい夜だった。従僕二人が前を歩き、片手に松明を掲げ、片手で花のついた枝を引きずっている。今もまだトリアノンの窓の明かりが見える。王太子妃の招待客たちの酔っ払った人いきれで、窓には水滴が滲んでいた。

 楽団はメヌエットを演奏している。夜食後のダンスが、まだ続いているのだ。

 リラや西洋肝木の茂みにしゃがみ込んだジルベールが、曇ったタペストリー越しに演じられる影絵を見つめていた。

 きらびやかなダンスの列を陶然として眺めていたため、天が地上に落ちても気にも留めなかっただろう。

 だがリシュリューとタヴェルネがこの夜鳥の隠れている茂みの前を通りかかり、声が聞こえると、それもある言葉を耳にして、ジルベールは顔を上げた。

 それはとりわけジルベールにとって重要で意味のある言葉だった。

 元帥が友人に腕を押しつけるようにして耳に口を寄せて囁いていた。

「いろいろと考え合わせると、貴殿には話しづらいのだが、娘御を修道院に送るのは出来るだけ急がねばなるまい」

「それはまた何故じゃ?」男爵がたずねた。

「わしの見るところ、国王がタヴェルネ嬢にぞっこんだからだ」

 ジルベールはこの言葉を聞いて、肩や顔に降りかかっているふわりとした西洋肝木より白くなった。


Alexandre Dumas『Joseph Balsamo』Chapitre CXIII「Le petit souper du roi Louis XV」の全訳です。


Ver.1 11/08/20

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[註釈・メモなど]

 ・メモ
※ルイ十四世の禁欲。実際には敬虔なクリスチャンのマントノン夫人の方が行きすぎた性生活を拒んだとも言われている。

 ・註釈

*1. []。[]
 

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