翻訳(不定期)日記〜2003年下半期〜

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翻訳作品について
翻訳がらみの話&連絡事項

03/12/27 ミルトン「リシダス」
 ルイス・キャロル『シルヴィーとブルーノ完結編』に、一度ならず二度までも引用されている作品です。第一章では「ネアイラの髪のもつれ」の部分、第十六章では「天に満盈《みち》たる名聲が汝《なれ》の報いと悟るべし」の部分。
 七五調で訳そうとすると、普通に訳すときの百倍くらいの時間がかかることが判明。昔あれだけ和歌というものが発達していたのに、いや発達していたからこそだろうか、「まったく同じ意味で音節の数だけが違う単語」というものが少ないのがすごい。おかげでこっちは訳語の語数を合わせるのに四苦八苦。例えば↑「天」なんて、「てん」でも「あめ」でも「そら」でもすべて二音節なものだから(「てん」は一音節かな?)、残りは五音で、ということに必然的になるのである。どうしても語数が合わなくて、「そら」ではなく苦しまぎれに「おそら」とか詠んでる和歌があったなら、絶対にその作者を好きになっちゃうのになあ――と思ったところで、ルイス・キャロルも韻を踏むためだけに「Ho!」とか「Och」とかやってたな、と思い出す。ならばこちらも、語数を合わせるためだけに妙ちきりんな訳語を編み出せばよかったか。いや、これはミルトンの詩だ。だけどキャロルの作中詩の翻訳に使えそうなアイデアだとは思う。
 時間のあるときに、作中詩を敢えて七五調で訳し、原文では韻で遊んでいる部分を、訳文では語数合わせで遊んでみるというのはどうだろう? 韻を踏むという習慣のなかった日本人にとっては、七五のリズムで遊ぶ方がしっくりくるかもしれない、かな?
03/12/21 チェスタトン『知りすぎた男』第八話「像の復讐」
 時代背景をいろいろと調べています。「the West(イングランド西部の農村地域)」と内閣が対立でもしてたのかと、今までは漠然と考えていたのですが、どうやら単純に「the West」にあるプリマス港のイギリス艦隊を指している気がしてきました(西部地区の住人が殺到したのは、政府に対してではなく駐留アイルランド兵に対してか?)。一次大戦開戦前の政府には、大陸に陸軍を派遣すべきだという意見もあったのですが、海軍大臣ジョン・フィッシャー卿(!)がその意見に猛烈に反対したのだそうです。というのも当時のイギリス艦隊は世界一といってもいい実力を備えていましたが、陸軍は未知数。おまけに、兵が大陸に渡れば当然ですが英国本土の軍備が手薄になるため、万に一つの本土襲来を恐れたためでした。そんなこんなで派兵ぎりぎりまではっきりしたことも決まらず、結局のところアイルランド師団と一部の英国師団を寄せ集めた部隊を派遣しました。

 だけど第八話が一次大戦開戦の日のできごとだとすると、第四話「底なしの井戸」の舞台はどこなんだろう。今まではてっきり大戦中の話だとばかり思っていたのに。となるとロイド・ジョージらしきエピソードも偶然なのか。ま、すべて現実とリンクする必要はないとはいえ。
03/12/20 'At the Sminary' Joyce Carol Oates
 これは一種の『The Catcher in the Rye』かな、と思って読み進めたところ、そんなにストレートにはいかないのが現代の物語、というところだろうか。思えばホールデンくんは素直なやつなのでした。大人への反抗も素直に口にできないことだってある。いや口や態度に出せないことの方が多いのかもしれない。

 修道院にいるピーターからおかしな手紙が来た。不安になった両親と姉は一路修道院へとドライブする。教会にはとり澄ました神像たち、無機質な礼拝者、小賢しげな神父の説明……。
03/12/13 チェスタトン『イングランド小史』
 『知りすぎた男』の歴史背景の参考にならないかなあ、と思い読み始めたのであったが、今さらながらに、「英国史の英文を理解するには、英国史の知識がなくてはならない」ということに気づいた。しかもあまり一時大戦は関係なさそうだ。
 日本語の文献は見つからない、英文の英国史は理解できない、では、どうしようもない……。
03/11/28 エミリー・ディキンスンの詩を二編
 ジョイス・キャロル・オーツの作品を読んでいると、いろいろな小説家や詩人の名前が出てきて、誰も彼も読みたくなってしまう。で、さっそく読んでみてガツンとやられ、はやばやと訳したくなってしまったわけです。
03/11/26 'INSPIRATION!' Joyce Carol Oates
 〈霊感〉、とはいいつつも、完全な無から創り出されるものなどない、ということです。まずはマン・レイらシュールレアリストを引き合いに出して〈霊感〉を定義。そしていよいよ作家の〈霊感〉に――。

 ヘンリー・ジェイムズは本の虫でもインドア派でも何でもなく、社交に出ては噂話を仕入れていたそうです。ただし全部は聞かない。半分だけ聞いて、想像力を駆使して残りの部分を創作したものが、一つの作品となったとか。

 イェイツは、たった一行だけを思いつき、それを何度も何度も繰り返し続け、やがてその一行に言葉を継いで偉大な作品をつくったとか。
 アイザック・ディネーセンの作品は当時「底が浅い」と言われたが、実話に基づくものだったとか。
 ジョーン・ディディオンは一枚の写真から霊感を得て小説を完成させた、とか。
 ジョン・ホークスは書けなくて苦悩していたが、あるときどこかのおっさんから噂話を聞いて、霊感を得たとか。

 ジェイムズ・ジョイスは学生時代から「ひらめき」と呼ばれるメモを書き留めていたとか。

 『フランケン・シュタイン』を書いたメアリ・シェリーは、寝つかれない夜に落雷を幻視して霊感を得たが、それがフランケンシュタインの怪物の物語になったのは、メアリが若く未婚のままシェリーの子を産み、一人は夭逝していたことと無関係ではない、とか。

 ヘミングウェイとフォークナーはとにかく何度も書き直しまくった、とか。

 「Running And Writing」からもわかるとおり、作品を書くという行為を、オーツはかなりアクティブな行為だと位置づけています。まだ読んでいませんがこのエッセイ集には「Reading As A Writer」という章もあるので、オーツが「読む」という行為をどう位置づけているのか読むのが楽しみです。
03/11/23 'Running And Writing' Joyce Carol Oates
 あたしは走ること書くことのプレッシャーやもやもやをふっきっています、子供のころ外で走り回って遊んだことが今の作品に役立ってます。――というだけなら普通のエッセイなんだけれど……自分のことだけじゃなく、コールリッジもシェリーもディケンズもホイットマンもみんな歩いていた、と大見得を切る。確かに体を動かした方が脳の回転も早くなるだろうし、外に遊びに出る方が経験も豊かになるだろうけど、ディケンズは夢遊病だよ、散歩と一緒にしちゃいかんでしょう。

 ご本人が、「わたしは子供のころ経験した事実しか書けない」みたいなことを仰っているが、それが逆に、エッセイを読んでいても小説を読んでいるのと同じような印象を覚えて面白い。
03/11/23 サイトを少しずつ変更しています
 このサイトを始めた頃は html の知識なんてゼロだったからホームページビルダーそのまんまに作っていました。なにしろ「〜したい」と思ってもビルダーの使い方すらわからないので、しょうがないと妥協していたりしてました。見やすいサイトを作ってるつもりでも実は全然見づらかったり。

 手始めに、ボタンのリンクを、すべて文字のリンクに変えました。
 行間を空ければ見やすいとばかり思い込んでいましたが、やはり行間を空ける+改段落は一行開ける、の方がさらに見やすいんじゃないかとも。
 一括変換できるところは一括変換してますが、変換ミスでエラーが出ているところもあるかもしれません。徐々になおしていきますのでご容赦ください。
03/11/16 『秘密を知った少女』シャーロット・アームストロング
 中篇集『Duo』からの一篇。翻訳開始。1957年発表。日本では〈サスペンスの女王〉と呼ばれてたりする割りには邦訳が少ない。
 アンソニー・バウチャーによるこの作品の評(『ニュー・ヨーク・タイムス』)
「シャーロット・アームストロング女史は、日常の中の恐怖に火を灯すことにおいては定評があるが、それも素晴らしいやり方で……冷たいのに温かく、シリアスなのにユーモラスだ。
03/11/16 'Demon' Joyce Carol Oates
 この文章を書こうとして、〈五芳星〉という単語を変換できないことに気づく。むむむ……『広辞苑』にも載ってないのか。とーぜん〈六芳星〉もなし。そんなマイナーな単語かな? 水木しげる『悪魔くん』のイメージがあるから『ファウスト』原典にも魔方陣は出てくるものだと思いきや、手元の邦訳ではそんなシーンないんですね。でも五芳星は安倍晴明も使ってるんだから、あと何年かしたらATOKやMS-IMEでも変換できるようになるんじゃないかという気もする。(「スカパー!」や「モー娘。」「ドラえもん」が一発変換できるんだから、「五芳星」くらい変換してくれ〜)
 首に蛇の形をした痣のある少年。あだ名は「悪魔」――だが成長するにしたがい痣は薄れてゆき、やがてすっかり消えてなくなった。祈りが通じたんだ、これで幸せに暮らせる……ところがある朝、鏡をのぞくと、目の中に五芳星の形をした染みができていた。――悪魔の印だ!――このままじゃだめだ、この印さえなくなれば神さまから祝福されて幸せに暮らせる……そう信じた少年は台所の包丁を手にし……。
03/11/11 'First Loves' Joyce Carol Oates
 「From "Jabberwocky" To "After Apple Picking"」という副題がついてます。"The Faith Of A Writer"(『一作家の信念』)というタイトルのエッセイ集より。紹介文を読むと、若き作家へのオーツからのアドヴァイス云々……みたいなことが書かれていたので、これはもしかすると『アリス』をテクストにしたオーツの文章読本みたいなものかな?と期待して取り寄せてみた。
 'My Faith As A Writer' とか 'To Young Writer' とかいう章には〈作家の心得、心意気〉のようなことが書かれていたが、この「最初のお気に入り:『ジャバウォッキー』から『林檎もぎのあと』まで」は比較的普通のエッセイに近いものだったので、期待とは違う結果となってしまいやや残念。

 年齢も文化も家庭環境も自分と同じだとしか思えない、自信家で無鉄砲な少女が、自分なんかより何倍も好奇心が強く、夢や悪夢に直面しても平然としているというのは認めざるを得なかった。というアリスについての一文が微笑ましい。

 「不安を呼び起こすものに笑いを引き起こされるのが子供の感覚であると、独身を通したキャロルの子供的自我が本能的に理解していた」という、乱暴なんだか説得力があるんだかわからない意見もおもしろい。
03/11/06 「英国小史」序文 チェスタトン
 ひさびさに更新。日本の教科書にも、聖徳太子の肖像画ではないことが100%確実な肖像画が聖徳太子と称されて掲載されてますが、さすがチェスタトンは毒舌です。
 イギリス人なら誰でもマグナ・カルタとオオウミガラスを知っているけれど、どちらも今では絶滅してる、だそうです(笑)。
03/10/31 '■' Joyce Carol Oates
 ほんとはタイトルは黒い長方形なんですが、変換できん。
 タイトルにひかれて読んでみた。幼い日の記憶によぎる黒い影■――読者の前にはそれが黒い影=伏字という形で示される。読んでいる人間にも、語り手と同様に目の前に■が現われる、というわけ。伏字をも文字として使う、という発想が面白い作品。その手法が単なる小手先の実験などではなく、必然なのだ。
 幼い日の記憶――思い出そうとすると目の前に■がよぎり、どうしても思い出せない記憶がある。日曜日に遊びに行ったお金持ちのおじさんの家は、見たこともないほど大きく立派で美しかった。自動で開く扉、ピンクに輝く車寄せ、たくさんの窓……なのに中に入ると狭く肌寒い。おじさんの様子も何か変だ。いとこのオードリーやおばさんは、おじさんを怒らせないよう戦々兢々としている。海に行こうと言い出したおじさんの機嫌を損ねないように、水着に着替えていると……。
03/10/21 'The Hero As Werwolf' Gene Wolfe
 人狼(狼男)とは怪物ではなく一種族なのである。という設定からして人狼というより吸血鬼っぽいのであります。前半部分、被害者の女性(死人)との会話なんてもろ吸血鬼小説です。後半の悲劇的タッチも狼男よりも吸血鬼にこそふさわしい。なんか耽美ーだ。
 しかし女の子の人狼の名前がジャニーなのはともかく、主人公の名前がポールってのはなんだかな。
03/10/16 「空色のボール」ジョイス・キャロル・オーツ
 著作権も翻訳権も切れていないから公開はできないけれど、好きな作品だから試みに翻訳してみました。大好きだったあのボール、どうしたんでしょうね。
 冒頭の「Yes I was happy, I was myself and I was happy.」というのは、ポピュラー・ミュージックかなにかの歌詞のような雰囲気を漂わせているのだけれど、オーツのオリジナルだろうか。
 塀の向こうから放り投げられた空色のボール。拾ったのはひとりぼっちの女の子。塀の向こうの見知らぬ友人と、不思議なキャッチボールが始まります……。
03/10/13 'The Poisoned Kiss' Joyce Carol Oates
 〈ショート・ショート〉とは言っても日本におけるショート・ショートとは違って、別に〈落ちのある作品〉という意味ではない。けど。
 本当に短い。本にしたら2ページくらいだろか。どことなくトマス・バーク「オッターモール氏の手」と乱歩「赤い部屋」を合わせたような印象を持ちつつ読み進めていくと……。邦訳のある「パラダイス・モーテルにて」を読んだときには、――この訳は違うのではないか? あまりにぶち切れヤロー過ぎる。もっと山田詠美の「姫君」とか村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』みたいな感じで訳すべきじゃないのか?―― と思ったものでしたが、やっぱりこういう肌触りのある作家なんだなあと納得。
03/10/13 言うことを聞きなさい」ジーン・ウルフ
 「デス博士の島その他の物語」を読んでジーン・ウルフのファンになり、『999―聖金曜日―』所収の「木は我が帽子」を読んでほかの作品も読んでみようという気になり、ちょこちょこ短篇集を読んでいるのだけれど、今まで読んだ範囲では意外と「デス博士〜」や「木は我が〜」みたいなファンタジーは少ない。SF作家なのだから当たり前かもしれないけど……。
 この作品は未来とはいっても、おそらくちょうど今頃くらいの設定なんじゃないでしょうか。「もはや二十世紀ではない」ってセリフは、2090年とか二十二世紀とかには出ないだろうしなあ。発表は1970年、ソ連がまだあったり、国際的な現場で女性を「ミズ」じゃなくて「ミス」って呼んでいたりと、時代を感じさせます。でも作品のテーマとは無関係に、〈アトムの国〉の国民にとっては作品中で提示されるロボット観が一番ショックだったりする。
03/10/11 'Alien Stones' Gene Wolfe
 ジーン・ウルフ異邦の小石」。邦訳なし。異なる文化の接触を描いたこの作品、「Alien」とはもちろん「異星人の」なのですが、ここはやはり「外国人の」→「異なる文化の」と捉えたい。
 サルを檻に入れて観察しようとした科学者が、観察穴から覗いたとき向こうに見えたものは、こちらを覗いているサルの目だった「計算」という言葉の語源はラテン語の「小石」、初めは小石を使って数えていたという二つの印象的な挿話が、そのままズバリ「異なる文化の接触」のキーになります。
 未知の宇宙船と遭遇した〈グラディエーター〉船長ドウ。調査に行ったまま戻ってこない〈通心者〉ヤングメドウ氏。宇宙船は無人。乗員は、ヤングメドウ氏は、どこへ行ったのか? 行方を追うドウ船長と〈通心者〉ヤングメドウ夫人の前に現われた真実とは?
03/10/08 ミステリはやはりブームらしい
 何を訳そうかといろいろ物色したりしているわけですが、こうしてテキストを漁ってみると、やはりミステリ・ブームなのだなあと感じます。それもここ最近というより、ここ何十年かずっとブーム。
 SFや幻想小説・怪奇・ファンタジーなんてのは紹介が遅れて翻訳権の切れた作品というのがごろごろあるのですが、ミステリの場合、ちょっと有名な方のはすべてあっという間に翻訳されているんですね。
 だからホラーやSFなんてのはかなり最近の面白い作品でも翻訳できるのですが、ことミステリに関してはぐぐっと時空を飛びこえて著作権の切れた古典まで行かぬと何もない。しかもフリーのテクストとなるとさらに限定されます。原書を買うほど魅力のある古典など、そうなかなかあるものではありません。
 今のところ考えているのは、イギリス版『バーネット探偵社』のみ収録のルパンもの短篇が入っているアンソロジーとか、シャーロット・アームストロングの長篇とか。ネロ・ウルフもの中篇集とか。
03/10/04
 チェスタトン『知りすぎた男』第一話の冒頭を改訳する。冒頭、それも第一話の初めだから、とほかの部分以上に気を遣って訳そうとしてこれで六度目、つくづく自分はチェスタトンの訳に向いていないのだなと実感。ほかの作品なら、たとえ一時の勘違いにせよ、「できた!」と思う瞬間があるのだけれど、チェスタトンに関してはいじってもいじっても、いやいじればいじるほど……だろうか。
03/10/01
 チェスタトン「奇妙な足音」を超スローペースで訳しているわけですが、これは当然邦訳があるので、創元版『ブラウン神父の童心』を参考に訳してます。そこで気づいたのが、訳者の中村さんは割と直訳気味に訳しているということ。確かにチェスタトンの諧謔と逆説に満ちた文章は、一語一句訳した方が味が出るのです。
 ところがこれで誤解してしまった。プロの訳者さんがそうなのだから、と、何でもかんでも直訳気味に訳してしまった。あれはチェスタトンの文章だから直訳気味に訳しているのであって、ほかの作家の文体を訳すなら、当然ちがったふうに訳さねばならないのに。
 コッパードとブラックウッドを訳したことで、そんな当たり前のことに改めて気づきました。この二人は直訳しようとしても直訳できない作家さんなんですね。いい勉強になりました。
03/10/01
 チェスタトンの『イギリスの小歴史』という作品を見つけて、読み始める。あるいはこれで、以前「火曜日」さんからもご指摘いただいていた『知りすぎた男』第八話の疑問が解けるかもしれない。期待。
03/09/28
 これまではかなり恣意的に訳してきたのだけれど、たとえば『クイーンの定員』のを順番に訳してこう、とか、乱歩の「怪談入門」やセイヤーズのアンソロジーのを訳していこう、なんて思い立ったはいいけれど、意外とフリーの原文というのはないものです。

 そんななか『クイーンの定員』より、トレインタットとタット氏』「犬のアンドリュー」を訳し終えました。『ラブリー・オールドメン』+ネロ・ウルフ+怪盗ニック+ペリー・メースン? 割とこーゆーの好きです。面白い。ただし訳すにあっては法律用語の使い方がはてはてはて?です。
03/08/31 「The Marble Hands」Bernard Capes
 ああ読解力がない。というか語学力がない。わりと面白いのだけど最後がどうなったのかよくわかんなかった。「ご想像にお任せします」って話だったのかな? 怖いんだけど(このおばさんが怖い)、「ビアンカの手」とか「片腕」みたいに、美しい手ってのはそれだけで不思議と魅力(魔力?)のあるものです。
03/08/27
 チェスタトン『ブラウン神父の童心』より、一番気に入っている「奇妙な足音」にチャレンジ。まあこれはちまちまと。
「Innocence」って、自分で訳すとしたらなんて訳すだろう? 「稚気」?「純心」? 同じく訳しづらい「nonsence」(キャロル作品にはこの単語がちょこちょこ出てきます)は、文脈に合わせて「わけがわからない」とか「何が何だか」とか訳したっけかな。う〜んチェスタトンのことだから「Incredulity」と微妙に頭韻を踏んでる気もするし。すると「童心」「不信」てのは名訳だなあ。
03/08/24 「The Horned Women」Jane Francesca Wilde
 夏だホラーだといろいろ訳そうと、あれこれ読んでみた。これはケルト民話だそうで、魔女の話なんだけれど……。本当に民話なのか? この人の創作じゃないのか? っていうくらい底の浅い話。
 なんか、これがきっかけで民話とか童話とか読んだり思い出したりしてみた。「ブレーメンの音楽隊」って、妖怪「鵺《ヌエ》」みたいじゃないかと思ったりする。そう考えると泥棒どもが逃げ出したのもよくわかる。そりゃ怖いともさ。
03/08/21 ヒューム・ニズベット「吸血鬼の娘
 夏だ!ホラーだ!第三弾。狼男に続いては、吸血鬼の話。だけど短めで面白い吸血鬼の話ってなかなかないもので、逆に言えば面白い作品はカーミラとか全作品すでに翻訳されて有名なものばかりってことで、「ほとんど翻訳されている=それだけ吸血鬼ものの人気が高い」ってことなのかなあと思ったりもします。
03/08/19 ユージーン・フィールド「人狼
 夏だ!ホラーだ!第二弾。今回は狼男の話です。なるべく短いのを訳そうと思ってこの作品にしたのに、訳に凝ってしまったせいでえらい時間が掛かりました。
 こうなるしかない、というラストではありますが、かなり好きではあります。呪われしジークフリートの孫の物語です。
 北欧神話にはまったく詳しくないので、基本的なところで勘違いなどあるかもしれません。
03/08/16 A・E・コッパードアラベスク――鼠
 コッパードも著作権切れにはまだ間があるのですが、幻想系の作家の小品は日本では紹介が遅れがちのため、翻訳権切れで訳出してみました。
 この作品は各種ホラーアンソロジーに採られている名品らしいのですが、名品の方はさておきwilderにはホラーという感じはあまりしなかったのですが……。
 そうは言いつつ、夏だ!ホラーだ!ということで訳してみたわけですが、よく考えると秋口から冬にかけてくらいの話なのかな? どうせならハーヴィーの「炎天」みたいなほうが夏にふさわしかった。
03/08/15
 チェスタトン『知りすぎた男』第三話「少年の心」を改訳いたしました。すると以前に問題になった第八話「像の復讐」に出てきた「the West」ですが、この作品にも出てきました。第三話では「西方教会」「ローマ教会」と訳せそうな文脈でしたが、まさか第八話では「ローマ教会」ではないだろうに、と思ったところでチェスタトン作品の「the West」の使用傾向を調べてみようとひらめきました。
 ネット上で検索してみると、『ブラウン神父の童心』には用例なし。『知恵』には「アメリカ西部」、『不信』は「西部」の用例ですがこれはアメリカ滞在中の話なので、チェスタトンは「アメリカ西部」という意味で「the West」と使う傾向がある? とは思ってみたものの、第八話の「the West」はイギリス西部を指すのは自明で、あとはその「西部」というのが西部の住民なのか政府政党なのか結社なのか、当てはまる歴史上の存在がなかなか見あたりません。
03/08/13 G・F・フォレストダイヤの首飾りの冒険
 エラリー・クイーン編『シャーロック・ホームズの災難』に選ばれなかった災難の一つです。
 かなり出来はいいと思うのですが、パロディとして正攻法過ぎたのが選ばれなかった原因でしょうか。でもズボンの推理のシーン、「ズボンに関する特殊な知識」とワンクッション置いてるところなぞ、高度なパロり方をしてると思うんですが。
 ほかの点でも基本的に本家のつぼを押さえてますよね。「美しい旋律が聞こえた」とまず書いておいて、ホームズファンなら誰しもヴァイオリンを思い浮かべたところで、次の文章に移る、という。
 〈ワーロック・ボーンズ〉という名前もね、無理に日本語にすると〈シャーレコッベ・シュゲンズ〉かな? 〈骨々・修験者〉。「占い師の骨」という意味ですから、いかにもでたらめ推理しそうじゃないですか。
03/08/11
 かなり前の話ですが、以前The Rabbit Holeの木下信一さんからアドヴァイスいただいていた、著作権(翻訳権)の十年留保の話、最近やっと理解できまして、晴れてデ・ラ・メア『死者の誘い〜The Return〜第一章を公開と相成りました。
 デ・ラ・メアの幻想系作品は日本での紹介が遅れているので、おそらくほとんどが十年留保の対象になります。まあWebの公開が出版に当たるかどうかということで公開を自粛している方も多いようですが、問題があるようであればふたたび削除といたします。
 ということで第一章は以前すでに訳しておいた部分を改訳しました。三章まで訳しているのでまあちょこちょこと。
 この作品のタイトルですが、平井呈一翁の怪奇全集に翻訳されたタイトルの方がとおりがいいと思ったので、邦題は『死者の誘い』とし、副題として「〜The Return〜」とつけときました。(こういうときにタイトルに著作権がないというのは助かる)
03/08/11
 キャロル『シルヴィーとブルーノ完結編』第十四章「ブルーノのピクニック」を訳し終えました。ことば遊びが多い、ということは英語の勉強にもなります。おかげで「keep」に「祝う」の意味があることを知りました。
 なるほど面白くてためになるわけだ。日本に置き換えると、落語「平林」を子供が聴いて「平」と「林」という漢字を覚えるような感じかな。でも旧字体だ。
03/08/10 「金々先生榮花夢」戀川春町
 金村屋金兵衛といういかにも貧乏くさい名前の田舎ものが主人公。なんだか餅屋の宣伝みたいに幕を開ける。餅花の解説である。しかも金兵衛は餅花ではなく粟餅を注文する。きっと当時の人もつっこんだに違いない。餅花じゃないのかよ。つっこみながら思ったのだ。餅花っておいしそうだな、今度食べに行こうかな。
03/08/09
 「貴社の記者が汽車で帰社する」――この文章を英語に訳せと言われたら英国人も困るだろうな。
 さて日本人は困っております。『シルヴィーとブルーノ完結編』第十四章には「keep」という単語が出てきますが、これをキャロルは「約束を守る」「棚に仕舞う」「保存する」「誕生日を祝う」という四つの意味でことば遊びを駆使してます。だから文脈によって「約束を仕舞う」だとか「誕生日を保存する」になるわけで。
「約束を守る」「棚に仕舞う」「保存する」まではなんとか日本語で置き換えたのですが、「祝う」で断念……。おかげで「誕生日をツケる」という何とも意味不明な文章が誕生してしまいました。
03/08/07
 ひさびさにルイス・キャロル『シルヴィーとブルーノ完結編』第十四章「ブルーノのピクニック」三分の一くらいまでをupしました。ひさびさにやると、やっぱキャロルは楽しいなあ、と。なにしろ作者自ら会心の出来と断言している第十四章ですからね。
03/08/04
 雑誌『小説新潮』8月号、マーク・ピーターセン「ニホン語、話せますか?」を読む。村上春樹『ライ麦畑』の「you」を「君」と訳していることのおかしさを指摘しておりましたが、重要なのは「なぜ春樹はそんなことをしたのか?」に関する考察です。
 自分の小説だったら絶対にそんなおかしな表現はしなかっただろうに。
 
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んだ期待はずれ感というのはこの一文に集約されていると言っていいと思います。そう、私は村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』に、村上春樹の文体を期待していたのでした。
 カーヴァーやカポーティの翻訳なら、誤解を恐れずに言えば、もともと村上春樹の文体というのは彼らの真似なのだから、原作者のファンにも村上春樹ファンにも満足のいくものになる。でもサリンジャーは違う。それだけサリンジャーは村上春樹の血肉にはなっていなかった、ってことですね。
 英語母国人の意見は説得力がある。
03/07/31
 坪内逍遙訳のシェイクスピアを古本屋で見つけ、購入。四大悲劇とか『夏の夜の夢』『ロミオとジュリエット』等の超メジャー作品は売り切れていたものの、『十二夜』『間違いの喜劇』などなどは残っていました(ほかに聞いたことないようなタイトルの作品なんかも)。
 ディケンズもそうだけど、古い喜劇なんかは昔の訳の方がよかったりするので(現行の訳で『ピクウィック・クラブ』やなんかが喜劇だと気づく人がいるだろうか?)、安かったら買ってみるのもよいかも。

 ※↑「喜劇」というのは演劇用語じゃなくて普通名詞的に使ってます。だけど関係ないけど「human comedy」を「ヒューマン・コメディ」とカタカナ訳するのはやめてほしいですよね。バルザック「人間喜劇」以来の人生の悲喜こもごもみたいな作品を表わす用語なわけですが、日本語で「コメディ」と言われたら「笑い」のある作品を連想してしまう。

 ※「人間喜劇」確認のため検索してたら面白そうなページがあったので(http://www.geocities.jp/hgonzaemon/intro_balzac_intro.html)メモしときます。
03/07/20
 チェスタトン『知りすぎた男』の訳をしている関係で、第一次大戦中のイギリスについていろいろ読んでいるのですが、なかなか肝心の「the West」に行き当たりません。
 だけど下手でも翻訳ってしてみるのもいいものですね。世界史の勉強にもなるし、聖書やシェイクスピアにも触れられるし。聖書やシェイクスピア(それにキャロルもそうかな?)に馴染んでおくと、海外の映画や小説を読んだときの理解度が深まりそうな気がするし。
03/07/17
 近い時代のご近所作家であれば当然なのかもしれないが、レ・ファニュを訳していたらチェスタトンにアイルランド問題が出てきたり、チェスタトンを訳していたら『シルヴィーとブルーノ』の語り手が愛国について話したり、と妙にシンクロするものなんですね。
03/07/16
 チェスタトンを改めて訳していくと、小難しい言い回しを意味がわかんないなりに強引に訳してるのがよくわかる。つられて単純な文章まで無茶な訳し方をしてしまっているのを発見するとやっぱり恥ずかしい。「SVO」の単純な構文をなぜ倒置気味に訳してしまったのだろう? おそらくその直後の文章に手を焼いたために違いない。
「When you say that plainly about a man〜」/「幾多のイギリス人を云々」。イギリス人を死に追いやった男を攻撃すると云々というのも、なにやら当時の実在の人物を風刺してそうな雰囲気がある。
 ずっと政治家のことを話していた文脈だから、「a man」=「政治家一般」と思い込んじゃう悪い癖が出たみたい。政治家=個人、機関士=非個人という理屈が理解できなかった由。政治家=公人なのに……と思ってしまったのでした。
03/07/15 「放屁論」風來山人(平賀源内)
 もともと古典は好きなのだけれど、最近は江戸に凝ってます。てなわけで風來先生。これはマジなのか最後まで洒落なのか。気宇壮大いや奇異壮大。終わってみれば社会批判になっちゃうところがすごい。
ニンジン飲み込み喉を詰まらす間抜けがいれば、ふぐ鍋食べて長生きをする男もいる。一度で父なし子を孕む女もいれば、毎晩遊女を買って鼻の無事な奴もいる。ひどいもんだけど、あヽ運命かな。
 源内先生曰く、糞は肥料になるけれど、屁はした人がすっきりする以外に何にもならぬ役立たずだそうな。「神武以来初めての芸だ」という源内先生の褒め方がサイコー。
屁っぴり男の精神」などというと、坂口安吾のエッセイ「ラムネ氏のこと」を思い出してしまった。あれも冒頭では小林秀雄三好達治おちゃめっぷりがサイコーだったが、最終的にはあれよあれよと「ラムネ氏の精神」なる社会批評に変幻している作品でした。(←宮沢章夫もエッセイ『よくわからないねじ』でおんなしこと言ってた)
03/07/11
 『シルヴィーとブルーノ完結編』第十三章「トトルズは本気」やっと最後まで終わりました。(よくわからない箇所は何か所かありますが。)
 あとは詩をもっと練って、それからチェスタトンの第八話「像の復讐」手直しに取りかかるとします。
 
 ↑などと言ってるうちに十行くらいだけですが、チェスタトンに取りかかることが出来ました。「like」という単語の訳を、「好き」から「友情を感じる」に変えてみました。意訳過ぎるかもしれないけれど、この方がしっくり来るような気がします(フィッシャーがマーチを「like」と言ってるわけですから)。
03/07/10
 『シルヴィーとブルーノ完結編』第十三章「トトルズの本気」五回目のup。もう一息。
 何度も考えてみると、〈取る党〉が〈与党〉で、〈取られる党〉が〈野党〉って訳し方は逆の気がするな。あるいは〈取った党〉〈取られた党〉ならいいんだけれど、「〈取った〉か〈取られた〉か」じゃ日本語として耳慣れないものね。
 だけどこの章のこの部分は痛烈な風刺ですね。キャロル自身、コラムから直接引用したと書いてますが、「与党の邪魔をするのが野党」とは笑い事じゃありません。今の日本は「与党の邪魔をする与党」「内閣の邪魔をする与党」になってますが。
 今回訳した部分は詩が一聯だけあるのですが、相変わらず詩は難しいです。特にノンセンス詩ときては。
03/07/07
 二、三日、ものもらい発熱を併発して、ひどい目に遭っていました。パソコンの前に座っていられる状態じゃないので、訳も全然進まないし、掲示板に返事も書き込めない有様です。
 今日はやっとパソコンに向かい、まずは返信。次に↓07/02に書いておいた掲示板の移動の件を終わらせたところでかなり時間を取られてしまい、また今日も訳には取りかかれない……。
03/07/04
 『シルヴィーとブルーノ完結編』第十三話「トトルズの本気」 第三回目up。
「In」と「Out」の訳し方が難し。「政権を握ってる方」と「握ってない方」なんだけど、日本語にはこういうのに当たる言葉ってないものな。「与党」「野党」は「ruling」と「opposition」だし。しかも「Ins」と「Outs」ってのはキャロルのことば遊びかと思ったら、実際に英語でそれぞれ「与党」「野党」を指すらしいし。でもここはミステルがとんちんかんなこと言ってる、ってイメージなんだけどなあ。
 結局「取る」か「取られる」か、と訳して、「取る党」「取られる党」としておきました。
03/07/02
 レンタル掲示板が、何の報せもなくポップアップをつけだした。しかも重い。ほかを探すことになりそうです。余計なことに時間を取られてしまうじゃないか。
03/07/02
 最近、7時頃に家にいて&阪神戦があると、テレビを見ることが多くなりました。当然、ほかのことをする時間が減るわけで、翻訳にかける時間も少なくなり、進むペースが遅くなってます。
 今年の阪神の強さは半端じゃないので、将来は「21世紀を代表する伝説的な強さ」のチームとして語り継がれるんじゃないかと思うくらいです。ベーブ・ルースのいたヤンキースとかね。せっかく伝説と同時代を生きているのだから、できるかぎり伝説をこの目で見ておきたい、そういう強い意志を持って阪神戦を見ている今日この頃です。
03/07/01
 『シルヴィーとブルーノ完結編』第十三話「トトルズの本気」 第二回目up。「two or three camels」の「camel」を、何やら見慣れぬ単位だと思ってしまっていたので今までちんぷんかんぷんだったのだが、今回挿絵入りの版で読んでみて、ようやく納得。「らくだ二、三頭」だったんですね。うーむ、考えるまでもなく当然のことなのに。ファンタジーを訳していて、「卵」と「らくだ」がつながるとは思わなかった、なんて言い訳にもなりません。

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